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- 『論語』堯曰・第1段、帝位の禅譲
「新釈漢文体系」を見ながら、『論語』を読む。
これは『尚書』を読むための準備。べつに、孔子サマが、どのような教えを説いているかに興味がない。
この堯曰だけは、『論語』20篇のなかで、もっとも体裁が異なっているらしい。堯曰は3章あるが、『漢書』芸文志と曹魏の何晏は、第2章からを別篇とする。『論語』は全部で21篇あったと数える。
ぼくは思う。『尚書』と『論語』の関係は、先行研究がいくらでもあるのだろうが、ふれない。第1章は、『尚書』の語句を切ったり繋いだりして、2帝3王の政治の性格をのべる。2章では、為政者が政治するときの訓戒。
堯から舜へのパス
堯曰:「咨!爾舜!天之曆數在爾躬。允執其中。四海困窮,天祿永終。」
舜亦以命禹。堯がいう。「ああ舜よ。天の暦数が、きみの身にある。うまく天下を治めよ。
ぼくは思う。舜から「くれ」というのでなく、堯から「あげる」という。この手順である。だから「堯曰」と語り起こされる。
もし「舜曰」から語り起こして、いかに舜の身に天命があるかを、舜が語ったら、興ざめである。なぜ興ざめかというと、儒教的な真理というより、古今東西に共通する、人間関係の基礎にひもづく感覚のような気がする。どれだけ堯が最低の君主でも、舜はそれをやってはいけない。堯舜革命がどこまで「歴史的事実」なのかは分からない。しかし少なくとも、『論語』という記録に書き残されるとき、2人の会話は、堯から持ちかけねばならなかった。
「允(まこと)に、其の中を執れ」とは、過不足なくうまくやれ、ってこと。
もし四海を困窮させれば、舜の暦数は終わってしまう」と。
ぼくは思う。堯は、四海を困窮させたのだろうか。堯の身から、天命が去ったから、舜に帝位を譲ったのではないのか。もし困窮をさせたなら、堯の理想化が不充分である。堯は、名君じゃなくなる。
もしくは、帝位が移るには、2つのルートがあるのか。1つ、四海を困窮させて、天命が尽きるパタン。2つ、四海を困窮させていないが、自分よりも豊かに天命がある人物に、帝位を譲るパタン。
堯は舜に、1つめのパタンで天命を失うなという。そして、2つめについては論じていない。なぜか。口出しが無用だからだ。いま堯は、舜を見こんで帝位を譲る。舜に、2つめのパタンで帝位を手放すことを期待していない。
例えば、知人に不要な家電製品をゆずるとき、「長く使ってね」と言うかも知れないが、「キミよりもこれを必要とする人が現れたら、さらに譲ってやれ」とは言わない。そんな指図をする権利はない。
ぎゃくに言えば、わざわざ言及しなくても、2つめのパタンで、舜が第三者にパスしてしまうのは、当然のことだという前提があるのか。堯は、自分がゆずった帝位が、舜の失敗によって消えてしまうのは望まないが、舜が第三者にパスすることは、拒まない。帝位が、1人のもとで退蔵されるのでなく、また1人のもとで台無しに破壊されてしまうのでなく、順調につぎにパスすることを理想とする。
堯舜、そして禹につづく帝位のパスは、クラ交易みたいなもの。贈与論的な原理によって、帝位が動いているのだなあ。そして、禹は夏王朝をつくるが、これも「ちょっと長く持ち続けていただけ」である。禹の子孫が、永遠に帝位をもつことが「禹の一族、すげえ」となるのでない。適切なタイミングで、適切な相手にパスしてこそ、禹の一族はほめられる。
よく「漢室は永続を理想とした」という前提のもと、「革命を肯定する思想は弾圧された」と言われる。これは、漢のような世俗権力、中沢新一氏のいうところの「王」にだけ適用される論理である。秦漢の成立する前は、帝位はパスされるものだった。そちらのほうが人類学的には、標準的な状態である。1人が持ち続けることを肯定するのは、まったく異常事態にすぎないわけで。ぼくも、人類学的には異常な世界(資本主義)に生きているから、退蔵する漢を理解しやすく、パスする堯舜が「よくわからない」と感じる。
ということは!
儒家たちは、パスすることを当然の規則とする古代の記録を「曲解」して、天命をパスしない(王朝を永続させる)ことを正統化しようとする。これはアクロバティックだ。例え話をする。スピード違反した運転手が警察に対して、「制限速度を守りましょう」という法律を論拠として、「いかに自分は正しい行いをしたか」を説明するみたいなもの。なんだそれ。普通の引用の仕方をしたら、ぜったいに正統化がうまくいかない。この矛盾した論証、つまり、根拠のひっくりかえした引用をやるのが、儒家の仕事である。すごいなあ!ヘリクツがうまくないと、できない。
おなじ詭弁は、贈与交換の社会から、資本主義を立ち上げるときにも行われたはず。いったん資本主義のなかに入ってしまうと、この詭弁を構造的に見落とすようになる。「退蔵することはイイコトだ」と考えて、自分の目先の利益だけを死守する。「先行きが不安な時代だからこそ、退蔵しよう」というのが、合理的で正しい判断だと、主観的に感じられる。べつに合理的でもなく、きわめて袋小路に入った特異な判断なのだが、内部にいれば、その特異性に気づかない。その「特異性を気づかせないという環境をつくる」こともまた、象徴権力のなせるワザだからな。
史料を、ちゃんと見なくてはいかんが。漢室の安定期にも、堯舜の話は、引用されるのであろうか。それとも、王莽とか曹丕とか、変動期だけに、堯舜の話は出てくるのか。変動期だけに、人類学的な諒解事項(パスしないと呪われるよ)を思い出すのかも。漢室ですら、「ちょっと長いこと帝位を持っていたが、つぎにパスする相手を探していただけ」の贈与者にかわる。これは、漢室を貶めるための詭弁でなく、1つの血筋がずっと退蔵しているという異常事態への気づきである。
舜もまた、禹に帝位をパスした。
ぼくは補う。禹は、夏王朝をつくる。この禹の子孫が帝位につくが、夏の桀王のときに、天命が終わろうとする。その桀王から天命をついだのが、つぎに出てくる殷の湯王。断りなく、とぶなあ!
つぎのセリフに「わたくし履」と出てくるから、ただちに、いつの時代のだれの、どういう文脈の発言なのか、分からねばならないのか。ぼくには、儒教の素養が欠落しています。
夏から殷へのパス
曰:「予小子履,敢用玄牡,敢昭告于皇皇后帝:有罪不敢赦。帝臣不蔽,簡在帝心。朕躬有罪,無以萬方;萬方有罪,罪在朕躬。」湯王はいう。「履(殷の湯王)が、黒牛をまつり、皇皇たる后帝に申し上げる。
新釈では、革命宣言とある。サイト「中國哲學書電子化計劃」では、諸侯への宣言とある。夏王朝は黒を重んじたので、その制度が残っているため、黒牛を捧げたという。ほんとかな。わたしは罪がある者は、ゆるさない。賢人をもちいる。
ぼくは思う。新釈で、罪があるのは夏の桀王とする。ぼくは違うと思うなあ。ふつうに、罪人を罰して、賢人を用いる、という一般論的な施政方針だと思う。間接的には天に対して、直接的には諸侯に対して、「こういう方針で政治をやるからね」と宣言しているのだ。もし罪人を桀王に限定するのなら、用いるべき賢人を具体的に数えなければならない。対句がくずれる。
夏王朝は、どういうミスをおかしたか。自分で帝位を破壊するような、暴政をしたのか。ここから、読み取ることはできない。ともあれ夏王朝は、世代をこえて帝位を退蔵することで、帝位の呪いにかかって、立ちゆかなくなったのだ。
へんなことを書きますが。
桀王が悪政をしたから天命がつきて、湯王に変わったのでない。そうでなく、桀王の代に到って、帝位が呪いを発動させたので、天命が第三者にうつり、事後的に桀王の悪政が確認されたのだ。具体的に、なにをすれば悪政なのかという、評価用のリストがあるわけじゃない。また、帝位の呪いが発動することと、悪政をすることは、じつは直接的な因果関係がない。ただ「帝位をわたしの一族で持ち続けよう」と発想したことが、その発想じたいが悪事であり、呪いが発動する条件である。いちど発想して、呪いが発動したら、周囲から見ると悪政だと感じられやすい行動をとってしまう。同じ行動をとっても、それが悪事になるような、不利なゲームを強いられる。私に罪があれば、私の責任である。万民はわるくない。万民に罪があれば、それは私の責任だ」と。
ぼくは思う。「みんなの罪まで引き受けて、えらいなあ」と読んでも、仕方ない。逆ジャイアニズムであるが、ほめても仕方ない。
湯王は天に対して、「罰するときも、賞するときも、かならず私を通してね。私をハブとしてね」と言っている。天とのつながりを独占することで、湯王は、諸侯に対してみずからを優越させられるからなあ。
罪と罰についてしか書かれていないが。当然ながら、その反対である、功と賞についても、湯王は同じ権利を主張する「権利」がある。自分の功績は、自分の功績。万民の功績も、自分の功績である。少なくとも、天からの評価にいどむときは、自分がハブとなりますよと。
こうして湯王は、天との関係性を独占したのだから、人間界?では、賞罰の中心者になることができる。湯王が、罪人を罰して、賢人を用いますと言っているが、これはそのままの意味で、ハブになるという宣言である。もし湯王を破壊したら、天と人間界は、交渉を持てなくなる。「だから湯王は自分の子孫が、ずっと帝位につけるように確保した」と考えるのは、あさはか。湯王は、帝位の役割をあらためて言語化しただけである。殷よりも、さらにハブとして相応しい者が出てくるのであれば、原理的には殷からべつへの革命があってもおかしくない。
ウィキペディアより。ハブ(英語: hub)または轂(こしき)は、車輪の中心部にあって、車輪の外周と車軸とをつなぐスポークが一点に集中する部分。またその構造のこと。比喩的に、ある地方において周辺各地への様々な交通機関が集中する場所。交通結節点。ハブ港(中枢国際港湾)やハブ空港が該当する。鉄道ではターミナル駅、バスではバスターミナルがその役割を担うことが多い。
つぎにハブが移動するが、殷周革命です。下記にあります。
殷から周へ
周有大賚,善人是富。「雖有周親,不如仁人。百姓有過,在予一人。」周の武王はいう。「周は天下を賜った。よき人は、みな富むものだ。
『周書』武成篇にある言葉。『詩』序に「賚所以錫予善人」とある。現代語訳は、周朝恩賜天下,使好人都富了。
ぼくは思う。武王は「いい子」にしてたから、天から帝位をもらったのか。ほんのり、殷の紂王が「いい子」でないから、天命という富を失ったと言っているのか。
ここにある「善人」は、下の「仁人」と同じでいいかな。
新釈では「周は天から、宝をもらった。善人をたくさん賜った」と書いてある。よく分からん!と言わざるをえない。いや、日本語の意味はわかるけど、べつに人材の授受の話を、ここまでしてこなかった。議論の対象となっているのは、どういう臣下を取りたてるかではなく、だれが帝位を継承するかだ。帝位を継承する資格のあるなしについて、善とか仁とかを論じている。
なんてぼくが書いたけど。『論語注疏』の解釈を、孔曰:「親而不賢不忠則誅之,管、蔡是也。仁人,謂箕子、微子。來則用之。」親類がいても、仁人には及ばない。
新釈では、「殷には優れた親類がいたが、それを用いなかったから、天下を失った」と武王に言わせる。やはり、よく分からん。
ぼくは、一族で帝位を退蔵することを禁じていると思う。うっかりすると、帝位を親類に継承させたくなるが。親類を優先するのでなく、仁人を優先せよと。まあね、他人よりも親類のほうが、すぐれている場合があるから、「絶対に他人に渡さねばならない。帝位を親子2代つづけた時点で、ルール違反である」とまでは言っていないだろう。長いこと、周の姫氏がつづく。
百姓に過失があれば、私のせいだ」と。
ぼくは思う。ハブが、殷から周に移動したことを宣言した。オリジナリティがないが、殷と同じことを言うことに意味がある。上書きだから。
周から孔子へ?
謹權量,審法度,修廢官,四方之政行焉。興滅國,繼絕世,舉逸民,天下之民歸心焉。所重:民、食、喪、祭。寬則得眾,信則民任焉,敏則有功,公則說。孔子はいう。度量衡、法度、官位を整備せよ。中断した、国や家をもどせ。逸民をあげろ。民の食糧と、喪や祭の礼制を重んじよ。
ぼくは思う。お説教は、つまらない。周の武王は、いったいどこにいってしまったの。
『四書章句集注』にある孟子によると。堯舜禹から、殷周へと帝位がうつったあと、周のつぎに孔子が受命するから、ここに孔子の言葉があるのだと。えー!たしかに、禅譲とか討伐のできごとに関する記述をはさまず、唐突に受命者の言葉がならんでゆく。ここに孔子の言葉をつらねることによって、孔子が受命したのと同じ意味をもつ。
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- 『論語』堯曰・第2,3段、子張に政治を説く
2段:五美をやり、四悪をするな
子張問於孔子曰:「何如斯可以從政矣?」子曰:「尊五美,屏四惡,斯可以從政矣。」子張曰:「何謂五美?」子曰:「君子惠而不費,勞而不怨,欲而不貪,泰而不驕,威而不猛。」子張曰:「何謂惠而不費?」子曰:「因民之所利而利之,斯不亦惠而不費乎?擇可勞而勞之,又誰怨?欲仁而得仁,又焉貪?君子無眾寡,無小大,無敢慢,斯不亦泰而不驕乎?君子正其衣冠,尊其瞻視,儼然人望而畏之,斯不亦威而不猛乎?」子張曰:「何謂四惡?」子曰:「不教而殺謂之虐;不戒視成謂之暴;慢令致期謂之賊;猶之與人也,出納之吝,謂之有司。」子張が孔子に問う。「政治はどうやるの」
孔子はこたえた。「五美をやり、四悪をするな」
子張はという。「まず五美とはなんですか」以下はぶく。
3段:
子曰:「不知命,無以為君子也。不知禮,無以立也。不知言,無以知人也。」孔子はいう。君子になるのは、知命、知礼、知言が必要だ。
ぼくは、さっぱり興味がないけど、これが『論語』全編のむすび。堯曰に語られた禅譲のロジックではなく、『論語』全体の説教くさい内容のむすび。閉じる