表紙 > 和訳 > 『尚書』『書経』周書の今文を抄訳する (上)

全章
開閉

『尚書』周書・牧誓 第30

武王が牧野で、商の討伐を誓う

時甲子昧爽,王朝至于商郊牧野,乃誓。王左杖黃鉞,右秉白旄以麾,曰:「逖矣,西土之人!」王曰:「嗟!我友邦塚君御事,司徒、司鄧、司空,亞旅、師氏,千夫長、百夫長,及庸,蜀、羌、髳、微、盧、彭、濮人。稱爾戈,比爾干,立爾矛,予其誓。」

武王は、商都の郊外にある牧野にきた。

平凡はいう。誓いについては、甘誓にある。金石文から、牧野の戦闘があったことは確かめられるが、この誓文が書かれたのは戦国とされる。ぼくは思う。後漢の人が見たテキストなら、周初だろうが、戦国だろうが、関係ないのだ。
平凡はいう。日付については諸説あったが、出土品で明らかになった。この本文が正しい。平凡はいう。牧野とは、商都の外衛の地。河南省のサンズイ+其 県である。

「遠くからきてくれた、西方の人々よ」と武王がいう。「友邦の大君たち。御事の司徒、司馬、司空よ。

平凡はいう。どこが友邦なのか分からない。
平凡はいう。「御事」とは、偽孔伝では、三公の総称という。この三官は、周代の3大分職である。着任者は分からない。

亞旅、師氏,千夫長、百夫長よ。庸,蜀、羌、髳、微、盧、彭、濮の人よ。

平凡はいう。亜旅とは『左氏伝』文公15年、成公2年で官位である。
異民族の居住地については、平凡版174頁。

きみたちの戈をあげよ。盾をならべよ。わたしが誓うぞ」と。

王曰:「古人有言曰:『牝雞無晨;牝雞之晨,惟家之索。』今商王受惟婦言是用,昏棄厥肆祀弗答,昏棄厥遺王父母弟不迪,乃惟四方之多罪逋逃,是崇是長,是信是使,是以為大夫卿士。俾暴虐于百姓,以奸宄于商邑。

文王はいう。「古人はいう。めんどりは朝を告げない。めんどりが朝をつげたら、家の財産がなくなると。しかし紂王は、婦人の言うことばかりきく。祭礼をないがしろにする。先王が残してくれた、伯父や兄弟をないがしろにする。

平凡はいう。古人とは、具体的な聖人ではない。民間のことわざか。西周末の詩、『左氏伝』では、ことわざの引用がおおい。めんどりとは、妲己である。
ぼくは思う。妲己を重んじることが悪いのでない。妲己に従って、「昏棄厥肆祀弗答」する、祭祀をサボるのが悪いのである。

紂王は、四方の罪人を囲いこみ、大夫や卿士に任命する。百姓に仕打して、商邑で収奪する。

平凡はいう。『史記』殷本紀では、崇侯虎の讒言を信じた、貪欲な費中を宰相とした。讒言をこのむ悪来を重んじた。
悪来。『史記』殷本紀にある。紂又用惡來。惡來善毀讒,諸侯以此益疏。と。悪来というのは、讒言を好む人物。悪来をもちいた紂王は、天命が終わってるなーという事例。曹操が典韋につけた呼名は、ここから来てるのか?なにかちがう?


今予發惟恭行天之罰。今日之事,不愆于六步、七步,乃止齊焉。勖哉夫子!不愆于四伐、五伐、六伐、七伐,乃止齊焉。勖哉夫子!尚桓桓如虎、如貔、如熊、如羆,于商郊弗迓克奔,以役西土,勖哉夫子!爾所弗勖,其于爾躬有戮!」

いま、わたくし姫発は、天の降される罰を、うやうやしく代行する。たけだけしく進攻せよ。もし勉励しなければ、きみたちに罰が加えられるだろう」と。

ぼくは思う。周武王が、天の代行として誓っている。この一点を確認できれば、わりに充分だった。だれが周に味方したかとか、殷周がどういう戦いをしたかとか、いろいろ興味はあるけど。『尚書』としては、あまり関係がない。

閉じる

『尚書』周書・洪範 第32

箕子が洪範を9つ掲げる

惟十有三祀,王訪于箕子。王乃言曰:「嗚呼!箕子。惟天陰騭下民,相協厥居,我不知其彝倫攸敘。」

これ(文王の受命から)13年めのこと。

平凡はいう。年数には、諸解釈あり。「これ」と年数を発語するのは、金文でよくあること。時期を国名にするための助字。
平凡はいう。広大な模範。最高の法規のこと。武王が質問したので、殷の遺民・箕子がこたえる。『尚書』堯典など、陰陽五行が政治の根本思想。この思想は、『論語』堯曰にはじめて出現し、『孟子』尽心下、『中庸』に明確となる。この『尚書』洪範の言葉は、『左氏伝』『墨子』『荀子』などの古文献にもつかわれる。戦国時代には、この言葉があったことは明らか。『左氏伝』『説文』では、この洪範を『尚書』商書におく。

文王がいう。「天下の秩序をどうしよう」

箕子乃言曰:「我聞在昔,鯀堙洪水,汩陳其五行。帝乃震怒,不畀『洪範』九疇,彝倫攸斁。鯀則殛死,禹乃嗣興,天乃錫禹『洪範』九疇,彝倫攸敘。初一曰五行,次二曰敬用五事,次三曰農用八政,次四曰協用五紀,次五曰建用皇極,次六曰乂用三德,次七曰明用稽疑,次八曰念用庶徵,次九曰嚮用五福,威用六極。

箕子はいう。「鯀の治水が五行を乱したので、上帝が怒って洪範(秩序)を与えなかった。禹の治水は五行を整えたので、上帝は洪範(秩序)を与えた。秩序を整えるのは、以下にのべる9つです」

ぼくは思う。鯀の失敗は、「五行を乱したから」と理解されていたのね。失敗したから五行が乱れたのでなく、五行を乱すのような仕方で、洪水に挑んだから、めちゃめちゃになった。また、洪水そのものが五行の乱れではない。あくまで、鯀による行為のなかに、五行のあるなしが問われている。さすが、政治思想。宗教じゃないよ。


1-3、五行、五事、八政

一、五行:一曰水,二曰火,三曰木,四曰金,五曰土。水曰潤下,火曰炎上,木曰曲直,金曰從革,土爰稼穡。潤下作鹹,炎上作苦,曲直作酸,從革作辛,稼穡作甘。
二、五事:一曰貌,二曰言,三曰視,四曰聽,五曰思。貌曰恭,言曰從,視曰明,聽曰聰,思曰睿。恭作肅,從作乂,明作哲,聰作謀,睿作聖。
三、八政:一曰食,二曰貨,三曰祀,四曰司空,五曰司徒,六曰司寇,七日賓,八曰師。

1つ、五行。水は潤し、火は燃え、木は生長し、金は変革する。土は収穫させる。これが味になると、水はしおからく、費はにがく、木はすっぱく、金はからく、土はあまい。

平凡版188頁で、五行そのものについて解説する。190頁で、五行とそれに対応する諸事の図表がある。『管子』『呂氏春秋』にも五行がある。『白虎通』『淮南子』でも触れられる。っていうか、マトモに検討してたら、それだけで終わってしまう。ともあれ、政治思想としての五行は、ここにまとまった記述がありますね、と確認できる。

2つ、五事。君主のふるまい、言うこと、見ること、聴くこと、思うこと。慎ましくて明らかであるのが良い。

ぼくは思う。平凡版193頁から、本気で解説されているが、とても受けきれない。マジメに論じていたら、為政者になっちゃうよ。笑

3つ、八政。以下を整えなさい。人民の食糧、貨幣による交易、祭祀の官制、土木する司空、教育する司徒、犯罪を取り締まる司寇、外国の使者を接待する賓、防衛を統率する師。

平凡版194頁。『左氏伝』昭公29年に、五行の官あり。『管子』五行にもあり。『淮南子』地形訓、『白虎通』八風など。『白虎通』の説く職分では、立春は食糧、春分は司徒、立夏は賓、夏至は師、立秋は祀、秋分は貨、立冬は司空、冬至は司寇に配分されるという。『礼記』王制では、異なる八政がある。
ぼくは思う。細かいことは、ぼくが為政者ではないので検討しないが。どういうテーマがあったかという全体像だけは知ることができる。見渡すことができる。目次を総覧すると、理解がすすむから。


4-6、五紀、皇極、三徳

四、五紀:一曰歲,二曰月,三曰日,四曰星辰,五曰歷數。

4つ、五紀である。年間スケジュールである。

五、皇極:皇建其有極。斂時五福,用敷錫厥庶民。惟時厥庶民于汝極。錫汝保極:凡厥庶民,無有淫朋,人無有比德,惟皇作極。凡厥庶民,有猷有為有守,汝則念之。不協于極,不罹于咎,皇則受之。而康而色,曰:『予攸好德。』汝則錫之福。時人斯其惟皇之極。無虐煢獨而畏高明,人之有能有為,使羞其行,而邦其昌。

5つ、皇極である。皇(おおきみ)が、政令の大権をもち、五福をあつめてから、衆民に分け与えること(用敷錫厥庶民)。衆民や官吏は、徒党をくんで、利己してはいけない。君主だけが、支配する(再配分する)特権をつかう。

ぼくは思う。思わずに出てきた、贈与論。
平凡はいう。王の美称として「皇」と書いてある。皇極とは、太極のこと。『詩経』周頌・思文、『呂氏春秋』大楽、『論語』季子にある。

よい考えをもち、徳を修めたという人がいて、その者が罪咎に触れていなければ、君主は福を分けてあげなさい。国家が盛んになるでしょう。

平凡はいう。『論語』為政にいう。君子はあまねくして、なれ近づかない。儒家は、私利の党派を戒める。
平凡はいう。『韓非子』八姦はいう。尽心のくせに、おおやけに財産を投じて人民を喜ばせて、百姓の歓心を買うな。朝廷や市井の人を煽動して、自分をほめさせる。君主の主権をおおい、私利をとげる。これを「民朋」というと。また『韓非子』孤憤はいう。朋党をかこい、君主の権力をおおう。曲がったことをいい、利己的な便宜をはかる。こういう人物は、必ず信任される(法家の君主にとってジャマである)と。「私門重人」を批判する。
ぼくは思う。卓越性を君主から奪うからなー!詳細後日。


凡厥正人,既富方谷,汝弗能使有好于而家,時人斯其辜。于其無好德,汝雖錫之福,其作汝用咎。

長官が富んでいるのに、その富を王家のために使わせられないなら、その長官には罪過がある。善がない長官に君主が富を与えても、その長官は君主にわざわいで報いるでしょう。

無偏無陂,遵王之義;無有作好,遵王之道;無有作惡,尊王之路。無偏無黨,王道蕩蕩;無黨無偏,王道平平;無反無側,王道正直。會其有極,歸其有極。

諸官や衆民にとって、次のことが教訓です。
「偏向や邪悪もなく、ひたすら王に従え。めいめいに善しとせず、めいめいに悪しとせず、王にしたがえ。偏狭も派閥もなく、王導は公明であり、公平である。王の大権のもとに集まり、大権に一致せよ」と。

平凡はいう。4字ずつで、不自然である。より古い文書が混入したか。『荀子』が好んで引用する。『墨子』兼愛下も引用して、周詩というが、誤りだろう。出典はこの『尚書』とすべきだ。『韓非子』有度に「王の路に従え、私術をすてろ」がでてくる。


曰:皇,極之敷言,是彝是訓,于帝其訓,凡厥庶民,極之敷言,是訓是行,以近天子之光。曰:天子作民父母,以為天下王。

王たる者は、大権によって布告したことに、みずから従え。上帝の命に従え。

平凡はいう。『論語』顔淵は、治者が率先せよという。『管子』明法に、先王がみずから法を守ったとある。『韓非子』有度は、明主は法を他人に選ばせて、自分で法を定めない。明主は法に功績を評価させて、自分で功績を評価しない。という。君主じしんも法を守れとは、よく出てくる。しかし「上帝に従え」は法家でない。

衆民は、大権によって王が布告したことに従い、天子の恩寵にちかづけ。「天子たる者は、人民の父母となり、それゆえに天下の主となる」と。

平凡はいう。君主が人民の父母であることは、『詩経』大雅・ケイ酌、小雅・南山有台にある。『孟子』梁恵王、『荀子』正論に伝承している。『大学』では、人民の好むところを好み、人民の悪むところを悪むのが、民の父母であるという。 法家にない主張である。『韓非子』五トはいう。君臣の関係を、父子の情になぞらえるのは、父子が仲良しであることを前提としてるが、そういう事実はない。!
ぼくは思う。このあたり、ずっと平凡の訳に従っているので、意味はまちがってないと思う。でも、わりに意訳してあるので、しっかり検証できていない。上帝、王者、官吏、衆民、という上下関係があるなかで、途中にはさまった者が、命令を改変することを嫌っている。これは『尚書』に共通した思想だと指摘できそう。長官が命令をまげて、財産を私蔵したら、ろくなことがない。王者は、自分が出した命令は、上帝の命令として出されたものだから、のちに自ら違反することが許されない。


六、三德:一曰正直,二曰剛克,三曰柔克。平康,正直;彊弗友,剛克;燮友,柔克。沈潛,剛克;高明,柔克。

6つ、三徳である。正直で公平であれ。剛克と柔克。

ぼくは思う。5つめの皇極に興味がありすぎて、とても手薄。平凡版197頁などにある。『尚書』皋陶謨の9徳を、省略したものだという。『詩経』大雅・烝民、『老子』、『周易』繋辞などに、剛柔の両端からの論法がある。


7-9、稽疑、庶徵、五福

七、稽疑:擇建立卜筮人,乃命十筮。曰雨,曰霽,曰蒙,曰驛,曰克,曰貞,曰悔,凡七。卜五,佔用二,衍忒。立時人作卜筮,三人占,則從二人之言。汝則有大疑,謀及乃心,謀及卿士,謀及庶人,謀及卜筮。汝則從,龜從,筮從,卿士從,庶民從,是之謂大同。身其康彊,子孫其逢,汝則從,龜從,筮從,卿士逆,庶民逆吉。卿士從,龜從,筮從,汝則逆,庶民逆,吉。庶民從,龜從,筮從,汝則逆,卿士逆,吉。汝則從,龜從,筮逆,卿士逆,庶民逆,作內吉,作外凶。龜筮共違于人,用靜吉,用作凶。

8つ、稽疑。占いによって思慮すること。占いの活用法。

八、庶徵:曰雨,曰暘,曰燠,曰寒,曰風。曰時五者來備,各以其敘,庶草蕃廡。一極備,凶;一極無,凶。曰休徵;曰肅、時雨若;曰乂,時暘若;曰晰,時燠若;曰謀,時寒若;曰聖,時風若。曰咎徵:曰狂,恆雨若;曰僭,恆暘若;曰豫,恆燠若;曰急,恆寒若;曰蒙,恆風若。曰王省惟歲,卿士惟月,師尹惟日。歲月日時無易,百穀用成,乂用明,俊民用章,家用平康。日月歲時既易,百穀用不成,乂用昏不明,俊民用微,家用不寧。庶民惟星,星有好風,星有好雨。日月之行,則有冬有夏。月之從星,則以風雨。

8つ、庶徵。

平凡はいう。君主の「五事」が、天道の「五行」に合致しているかどうかにより、天がくだす「休(めでたさ)」か「咎(わざわい)」のこと。陰陽五行において、天は人格神ではなく、天候変化の主催者である。君主の善悪に、天候で応じる。秦漢では「咎」のほうがよく解釈に使われる。

あめ、ひざし、あたたかみ、さむさ、かぜ。5つが時節ぴったりに現れるなら、君主はうまくいっている。王が厳粛なら雨ふり、言説が正しければ日差し、王の監視が明らかなら温かみ、王が正しく聴けば寒くなり、王が正しく思慮すれば風がふく。
王が勝手なら、長雨がふる。王が道理をはずれば、日照になる。王がなまければ、暑さがつづく。王が偏狭なら、寒さがつづく。王が暗愚なら、風が吹きまくる。

ぼくは思う。具体的な天地のアクションを知らなかった。これをモノサシにして、日々の天気占いに活かせばいいんだなあ。


九、五福:一曰壽,二曰富,三曰康寧,四曰攸好德,五曰考終命。六極:一曰凶、短、折,二曰疾,三曰憂,四曰貧,五曰惡,六曰弱。
惟闢作福,惟闢作威,惟辟玉食。臣無有作福、作威、玉食。臣之有作福、作威、玉食,其害于而家,凶于而國。人用側頗僻,民用僭忒。

9つ、五福と六極。五福とは、長寿、富、安らぎ、名誉、天寿。六極とは、夭折、病気、憂鬱、貧窮、醜さ、虚弱。
大君だけが、人に福を与えられる。大訓だけが、刑罰を加えられる。珍味を食べられる。臣下が、福を与え、刑を加え、美食してはいけない。臣下が、大君に害をおよぼす。諸官が派閥をくみ、衆民は邪悪をおこなう。

ぼくは思う。中心性は、分散してはいけない。
平凡はいう。最後の段落は、もとは「三徳」のところにあった。だが、この篇の結論だと思うので、最後に移動した。ぼくはこれに従った。

閉じる

『尚書』周書・金滕 第34

周公が、武王の病の身代わりになる

既克商二年,王有疾,弗豫。二公曰:「我其為王穆卜。」周公曰:「未可以戚我先王?」公乃自以為功,為三壇同墠。為壇於南方,北面,周公立焉。植璧秉珪,乃告太王、王季、文王。

商に勝利して2年後。

平凡はいう。金とは金属。銅のことか。滕は、ひもで縛ること。金属の箱を、厳重に封印したもの。この篇だけが、周公の行動をあつかっており、他とちがうので、偽作の疑いがある。しかし今文尚書に属するのであって、古文や偽古文よりは「確か」か。
平凡はいう。これは『尚書』洪範で、箕子に質問したのと同年。

武王が病気になった。太公(太公望の呂尚)と召公(周公奭)が心配した。太公が、武王の身代わりになるために、穆卜(祈祷)をした。周公は3つの壇(大王、王季、文王の霊を寄りつかせる土まんじゅう)をつくる。

史乃冊,祝曰:「惟爾元孫某,遘厲虐疾。若爾三王是有丕子之責于天,以旦代某之身。予仁若考能,多材多藝,能事鬼神。乃元孫不若旦多材多藝,不能事鬼神。乃命于帝庭,敷佑四方,用能定爾子孫于下地。四方之民罔不祗畏。嗚呼!無墜天之降寶命,我先王亦永有依歸。今我即命于元龜,爾之許我,我其以璧與珪歸俟爾命;爾不許我,我乃屏璧與珪。」 乃卜三龜,一習吉。啟籥見書,乃並是吉。公曰:「體!王其罔害。予小子新命于三王,惟永終是圖;茲攸俟,能念予一人。」 公歸,乃納冊于金滕之匱中。王翼日乃瘳。

史官に、冊を祝させた(霊に告げる文書を読ませた)。
「周武王よりも、わたくし太公望を、鬼神のそばに召したほうが、鬼神を楽しませる。武王でなく、この太公望を殺しなさい」と。この文書を、太公望は金滕にしまった。翌日、武王は病気がなおった。

ぼくは思う。のちにこれが開封されて、太公望の真心が知られるという話。話としてはおもしろいが、政治思想について、何かを書いてあるのでない。「太公望は立派な人だなあ」というだけ。


周成王が、太公望の真心を知る

武王既喪,管叔及其群弟乃流言於國,曰:「公將不利於孺子。」周公乃告二公曰:「我之弗辟,我無以告我先王。」周公居東二年,則罪人斯得。于後,公乃為詩以貽王,名之曰《鴟鴞》。王亦未敢誚公。

武王が死んだ。

平凡はいう。『管子』によれば、武王は商をやぶった7年後に死んだ。『史記』は、武王が死んだとき、子の成王が幼いという。だが成王が幼児であったかは、分からない。6歳、13歳、10歳、など諸説ある。金文から明らかなのは、周公旦の摂政があったことだけ。
ぼくは思う。つづく文書で、成王が太公望を警戒する。この金滕のトラブルは、太公望の「のっとり」に対する疑惑を語る。こんな疑惑は「ありそうなこと」である。また太公望が力を持てば、こういう真心のエピソードを必要とする。
ツイッター用まとめ。太公望の美化。『史記』で周武王が死んだとき、成王が幼児だから周公旦が摂政する。だが金文等で成王は、即位の初年に殷の残党を平らげる。幼児なのか疑わしい。古文尚書では即位が13歳、鄭玄は即位を10歳という。以上、平凡社『書経』注より。この金滕篇のような文書が残るということは、周公旦が成王を摂政するとき、太公望による簒奪未遂?があり、後世に補正が入ったかも。
ぼくは思う。霍光、王莽、諸葛亮など、彼らのやっていることは同じで、後世の都合によって、名臣になったり簒奪者になったりする。

管叔と弟たちが「太公望が周成王を不利にする」とうわさした。太公望は、東方(封地の斉)に2年いた。成王への反対者は捕まった。太公望は、成王に『鴟鴞』を贈った。成王は、太公望を問い質さない。

秋,大熟,未獲,天大雷電以風,禾盡偃,大木斯拔,邦人大恐。王與大夫盡弁以啟金滕之書,乃得周公所自以為功代武王之說。二公及王乃問諸史與百執事。對曰:「信。噫!公命我勿敢言。」
王執書以泣,曰:「其勿穆卜!昔公勤勞王家,惟予沖人弗及知。今天動威以彰周公之德,惟朕小子其新逆,我國家禮亦宜之。」王出郊,天乃雨,反風,禾則盡起。二公命邦人凡大木所偃,盡起而築之。歲則大熟。

秋、刈り取りの前に、五穀がつぶれた。成王は金滕をあけて、太公望のまごころを知った。「太公望は、周のことを思ってくれていた。ごめんなさい」と。成王がいのると、五穀がまっすぐ立った。

ぼくは思う。成王が太公望を誤解しているから、上帝が穀物をつぶすという仕打でもって、成王に気づかせましたと。ここまで「オアトが宜しい」と、太公望バンザイの逸話にしか見えない。まあいいけど。考えるべきは、太公望がいかに簒奪者かではなくて、「なぜ太公望がここまで美化されたか」である。
平凡はいう。『礼記』明堂位はいう。成王は、周公の功績に対応させて、魯に封じた。功績どおりに褒賞するのが、正しい秩序である。

閉じる

『尚書』周書・大誥 第35

武王が崩じて、三監と淮夷が、殷の旧勢力と結びついて叛く。周公旦が成王をたすけて、討伐する。『大誥』をつくる。

平凡はいう。大いに告げる。三監(殷を監視するはずの周官)たちが叛いたので、討伐しようという。『尚書大伝』では、武王が死ぬと、周公旦と、管や蔡のあいだに内紛がおきた。殷と親密な東夷たちがそむいた。この征伐は大戦争となった。『孟子』滕文公下にある。殷を討伐する戦争は、わりと長引いた。平凡版212頁。
ツイッター用にまとめた。
長びく殷周の戦争。牧野で完結したと思いきや、全く違う。文王と武王の死後、幼い成王のときに、殷の旧勢力+東夷と、3年以上の大戦争がある。周王国が挫折するかの試練(平凡社『書経』)。『尚書』大誥は、成王による殷討伐の宣言。曹操が1代で天下統一できず、孫以降に長びいてもイイジャナイカ!


成王が、なんとなく殷討伐を占う

王若曰:「猷大誥爾多邦越爾御事,弗弔天降割于我家,不少延。洪惟我幼沖人,嗣無疆大歷服。弗造哲,迪民康,矧曰其有能格知天命!
已!予惟小子,若涉淵水,予惟往求朕攸濟。敷賁敷前人受命,茲不忘大功。予不敢于閉。
天降威,用寧王遺我大寶龜,紹天明。即命曰:『有大艱于西土,西土人亦不靜,越茲蠢。殷小腆誕敢紀其敘。天降威,知我國有疵,民不康,曰:予復!反鄙我周邦,今蠢今翼。日,民獻有十夫予翼,以于敉寧、武圖功。我有大事,休?』朕卜並吉。」
肆予告我友邦君越尹氏、庶士、御事、曰:『予得吉卜,予惟以爾庶邦于伐殷逋播臣。』爾庶邦君越庶士、御事罔不反曰:『艱大,民不靜,亦惟在王宮邦君室。越予小子考,翼不可征,王害不違卜?』

成王はいう。おおいに告げる。国主や役人たちよ。
幸いしてくれない天(弗弔天)は、わが王家に災害をくだす。わかい私が嗣いだが、天命を教えてくれる、老成した哲人に出会えていない。

ぼくは思う。成王が恨み言してる!いいのか?

私は、文王と武王が受けた天命を失うまいと、びびっている。そこで、殷の残党の討伐を占ったら、よい結果がでた。「殷が周に報復しようとしている。私は文王と武王の事業を成し遂げたいが、できるかな」と聴いたら、イエスだった。
諸国の君主、士や役人も反対しない。

肆予沖人永思艱,曰:嗚呼!允蠢,鰥寡哀哉!予造天役,遺大投艱于朕身,越予沖人,不卬自恤。義爾邦君越爾多士、尹氏、御事綏予曰:『無毖于恤,不可不成乃寧考圖功!』
已!予惟小子,不敢替上帝命。天休于寧王,興我小邦周,寧王惟卜用,克綏受茲命。今天其相民,矧亦惟卜用。嗚呼!天明畏,弼我丕丕基!」

私が、身寄りのない者を騒がしていると言われる。私は天の咎めにあって、難儀にあっている。私は自分のことを心配しないようにする。国君や長官たちは、私を安心させるために、文王の事業を継続しなければならない。

ぼくは思う。平凡の翻訳を見ても、よく分からん。笑

私は至らぬ者だが、上帝の命令には違反しない。文王が天命を受けたので、天は周国を助けてくれているはずだ。占った結果、天が味方だと分かった。

ぼくは思う。まことに心許ない、幼少な後継者の発言。謙遜しているというより、そのままな感じがする。祖父や父には、天命がくだった。だが成王は、天から虐められてばかりだ。とくに成王が悪事をしたという自覚がないから、きっと天命は大丈夫だろう、という期待である。占いの結果、とりあえず反例はなかった。群臣も、さかんに反論しない。だから大丈夫だろう、という憶測である。まことに、弱々しい。
ぼくは思う。これは、まだ成王がみずから、上帝もしくは人民に、なんの働きかけもしていないからじゃないか。上帝や人民との関係性が立ち上げられてないから、ほんとうに曖昧な推測を、なんとなく重ねるしかできない。


成王が、文王の事業の完成をいう

王曰:「爾惟舊人,爾丕克遠省,爾知寧王若勤哉!天閟毖我成功所,予不敢不極卒寧王圖事。肆予大化誘我友邦君,天棐忱辭,其考我民,予曷其不于前寧人圖功攸終?天亦惟用勤毖我民,若有疾,予曷敢不于前寧人攸受休畢!」
王曰:「若昔朕其逝,朕言艱日思。若考作室,既厎 法,厥子乃弗肯堂,矧肯構?厥父菑,厥子乃弗肯播,矧肯獲?厥考翼其肯曰:予有後弗棄基?肆予曷敢不越卬敉寧王大命?若兄考,乃有友伐厥子,民養其勸弗救?」

成王はいう。あなたたちは、周国に長く仕える。文王の苦労を知るだろう。天は私たちを助けてくれる。私は、速やかに文王の事業をやる。

ぼくは思う。成王が受命しているかどうか、相変わらず不明である。自ら確信しない。しかし、文王が受命したことは「事実」に属する。文王と一緒に戦った諸侯たちも、やんわり受命したことも、ほぼ「事実」と言えるんじゃないか。だから、成王だけでは不安だが、諸侯と一緒なら、もしかしたら天命が味方するのでは。という、あやふやな天命の波及に対する考え方。ほんと、不安な成王さん。

天のすることは分からないが、わが国民を安定させてくれるはずだ。文王の事業を完成させよう。

ぼくは思う。ひとつ覚えに「文王の事業の完成を」という。言葉をかえて、反復する。ほかに、言うことがないのだ。


王曰:「嗚呼!肆哉爾庶邦君越爾御事。爽邦由哲,亦惟十人迪知上帝命越天棐忱,爾時罔敢易法,矧今天降戾于周邦?惟大艱人誕鄰胥伐于厥室,爾亦不知天命不易?予永念曰:天惟喪殷,若穡夫,予曷敢不終朕畝?天亦惟休于前寧人,予曷其極卜?敢弗于從率寧人有指疆土?矧今卜並吉?肆朕誕以爾東征。天命不僭,卜陳惟若茲。」

例えば、父が家の設計図を書いたのに、子が建設に着手しなければ、父は子に任せないだろう。父が土を耕したのに、子が種をまかねば、父は子に任せないだろう。私が文王の事業を完成させよう。

ぼくは思う。しょーもな!成王は、何も言うことがないらしい。
‏@goushuouji さんはいう。そういえば大誥といえば、王莽がまだ漢の摂政だった時代に起きた翟義等の大規模反乱に際して、王莽が自らの正当化と反乱征伐の宣言として『大誥』をそのまま下敷きにして詔勅をだしたことで有名ですよね。
ぼくは引く。『漢書』王莽伝上より。司威陳崇使監軍上書言:「陛下奉天洪範,心合寶龜, 膺受元命,豫知成敗,咸應兆占, 是謂配天。配天之主,慮則移氣,言則動物,施則成化。臣崇伏讀詔書下日,竊計其時,聖思始發,而反虜仍破; 詔文始書,反虜大敗;制書始下,反虜畢斬,衆將未及齊其鋒芒。臣崇未及盡其愚慮,而事已決矣。」莽大說。、、ちがった。
『漢書』翟義伝より。莽於是依周書作大誥,惟居攝二年十月甲子,攝皇帝若曰:大誥道諸侯王三公列侯于汝卿大夫元士御事。(中略) 太皇太后以丹石之符,乃紹天明意, 詔予即命居攝踐祚,如周公故事。

閉じる

『尚書』周書・康誥 第37

序文

惟三月哉生魄,周公初基作新大邑于東國洛,四方民大和會。侯、甸、男邦、采、衛百工、播民,和見士于周。周公咸勤,乃洪大誥治。

3月のこと。周公旦は、東に洛邑を作ろうと考える。

平凡はいう。康叔を衛に封じるとき、王が告げて戒めたことを、篇名とする。『史記』管蔡本紀で、周室の封邑についてある。『史記』で康叔は幼年だから封じられないというが、誤りである。武王に従軍している。金石文などによると、康叔を封じることの諸説ある。ともあれ衛国は、始皇帝の時代までつづいた。周室の東遷のとき、功績があったという。内紛がおおくて、強大でなかった。
ぼくは思う。いま『左氏伝』を読んでいるが、衛国はよく出てくる!
平凡はいう。『尚書』召誥、洛誥にもでてくる。この『尚書』康誥は、召誥や洛誥よりも時系列があとだが、さきに『尚書』に出てくる。それだけ、衛国を封じることが従事されていた。まず、太保の召公の姫奭が、洛邑の経営に着手した。つぎに周公旦が、建設を諸神につげた。洛邑の工事には、殷民をつかった。洛邑が完成する前に、まず周公旦が建設中の洛邑にきて、康叔を衛国に封じることが検討されたか。康叔は衛侯として、殷民をがんばらせた。

諸侯や諸主、百官や万民があつまった。周公がねぎらって、おおいに告げた。

平凡はいう。この序文は、『尚書』康誥だけでなく、酒誥、梓材もまとめた序文であろう。ぼくは思う。この『尚書』の篇は、建設しつつある洛邑にきて、周公旦がみんなに言ったこと。


周公旦が、王族に政治のアドバイス

王若曰:「孟侯,朕其弟,小子封。惟乃丕顯考文王,克明德慎罰;不敢侮鰥寡,庸庸,祗祗,威威,顯民,用肇造我區夏,越我一、二邦以修我西土。惟時怙冒,聞于上帝,帝休,天乃大命文王。殪戎殷,誕受厥命越厥邦民,惟時敘,乃寡兄勖。肆汝小子封在茲東土。
王曰:「嗚呼!封,汝念哉!今民將在祗遹乃文考,紹聞衣德言。往敷求于殷先哲王用保乂民,汝丕遠惟商耇成人宅心知訓。別求聞由古先哲王用康保民。弘于天,若德,裕乃身不廢在王命!」
王曰:「嗚呼!小子封,恫瘝乃身,敬哉!天畏棐忱;民情大可見,小人難保。往盡乃心,無康好逸豫,乃其乂民。我聞曰:『怨不在大,亦不在小;惠不惠,懋不懋。』 已!汝惟小子,乃服惟弘王應保殷民,亦惟助王宅天命,作新民。」

成王に代わって、周公旦はいう。

平凡はいう。原文は「王がいう」とあるが、周公旦が代理でしゃべった、というのが漢代からの通説である。周公旦が摂政したか、周公がみずから王位について宣言したのだ。ぼくは思う。こういう、霍光、王莽、諸葛亮のタイプの人物は、きなくさくておもしろい。周公旦なら王族だから、即位の資格があるし。ないのかな。

周の王族たちよ。周文王は、上帝を喜ばせたので、殷を討伐した。私たち周の王族は、殷に代わって、東の土地を治めることになった。
きみたちは、文王を踏襲せよ。殷の老人に学べ。天の降される順徳をひろげれば、わたしたちは廃絶されず、文王の徳を継承できるだろう。

平凡はいう。順徳は『詩経』大雅・下武によると、先王から継承するものである。ぼくは思う。上帝-文王-現在の王族。このルートは、ゆらがない。
ぼくは思う。殷は討伐の対象というよりは、これから確実に服属させていくべき対象。リアルな政治力学であり、具体的な政治の心構え。上帝に対する思想を語るというよりは、「文王が革命をなしとげたから、周室は安泰!だと油断するな。文王は革命したには違いないが、殷民はまだ服従していない。文王の勝利を、私たちの代で覆されないように気をつけろ」という、まったく冷めたアドバイスだと思う。
ぼくは思う。文王の受命というとミステリアスだが、それほど良いものでない。「文王が一時的に殷軍をねじふせた」と同義である。読者が解釈をたくましくしないと、よく批判されるところの「三流国家の笑うべきアジテーション」に陥ってしまう。

天命を守って、服属したばかりの、殷の民を教化せよ。

王曰:「嗚呼!封,敬明乃罰。人有小罪,非眚,乃惟終自作不典;式爾,有厥罪小,乃不可不殺。乃有大罪,非終,乃惟眚災:適爾,既道極厥辜,時乃不可殺。」
王曰:「嗚呼!封,有敘時,乃大明服,惟民其敕懋和。若有疾,惟民其畢棄咎。若保赤子,惟民其康乂。非汝封刑人殺人,無或刑人殺人。非汝封又曰劓刵人,無或劓刵人。」
王曰:「外事,汝陳時臬司師,茲殷罰有倫。」又曰:「要囚,服念五、六日至于旬時,丕蔽要囚。」
王曰:「汝陳時臬事罰。蔽殷彝,用其義刑義殺,勿庸以次汝封。乃汝盡遜曰時敘,惟曰未有遜事。 已!汝惟小子,未其有若汝封之心。朕心朕德,惟乃知。 凡民自得罪:寇攘奸宄,殺越人于貨,暋不畏死,罔弗憝。」

周公旦はいう。「刑罰を明確にせよ。うまく法を運用せよ。殷の刑罰規定のうち、条理がとおるものを活用せよ。くれぐれも刑罰の施行は、慎重にやるべきだ」

ぼくは思う。具体的な判断基準が書かれているが、ぼくは為政者ではなく、活用のチャンスがないので、こまかく検討しない。「殷はめちゃくちゃ、周はカンペキ」ではなく、「よく殷を勉強して、周と比べよ。殷が正しければ、殷の法規を適用せよ」と言っている。極めて常識的だが、その常識さ加減によって圧倒される。「殷は滅びるべくして滅び、周は興るべくして興った」という、決定論がない。慎重に実務をこなせ!という、王族への訓戒が書いてある。
ぼくは思う。上帝というのは、まるで「方便」であり、重要でない。重要なのは、日常的な政治の実務の積みかさねである。周公旦は、そんなことは言っていないが。周公旦が説明する内容が、激しく実務について充実しているから、こう感じてしまう。


文王に降った天命を手放したら、子孫の不孝

王曰:「封,元惡大憝,矧惟不孝不友。子弗祗服厥父事,大傷厥考心;于父不能字厥子,乃疾厥子。于弟弗念天顯,乃弗克恭厥兄;兄亦不念鞠子哀,大不友于弟。惟弔茲,不于我政人得罪,天惟與我民彝大泯亂,曰:乃其速由文王作罰,刑茲無赦。
不率大戛,矧惟外庶子、訓人惟厥正人越小臣、諸節。乃別播敷,造民大譽,弗念弗庸,瘝厥君,時乃引惡,惟朕憝。已!汝乃其速由茲義率殺。 亦惟君惟長,不能厥家人越厥小臣、外正;惟威惟虐,大放王命;乃非德用乂。汝亦罔不克敬典,乃由裕民,惟文王之敬忌;乃裕民曰:『我惟有及。』則予一人以懌。」
王曰:「封,爽惟民迪吉康,我時其惟殷先哲王德,用康乂民作求。矧今民罔迪,不適;不迪,則罔政在厥邦。」

もっとも悪むべきは、不孝と不友である。子が父の事業に従わず、子れが父の心を傷つけたら。父は子を憎むだろう。弟が兄に逆らえば、兄は弟を可愛がれない(不友)だろう。

ぼくは思う。周の王族は、「周文王の事業を継承しないことは、不孝にあたるぞ」という価値観のもと、強迫的に為政をしなければならない。武王の死後、周公旦がこれをアピールしたせいで、王族は逃れられない。それどころか、これより数千年の君主たちは、祖先の祭祀(祖先への孝)と、政治の成功がイコールで結びつく。周公旦が、政治思想としての儒教を決定づけるなあ!

王族以外でも、貴族の子弟や、長官などが、君命を無視して悪事をやるなら、これを処罰せよ。法規に基づいて、人民が治められるように、貴族や長官を取り締まれ。周の王族たちは、哲人や老成した者を、よき相談役とせよ。

王曰:「封,予惟不可不監,告汝德之說于罰之行。今惟民不靜,未戾厥心,迪屢未同,爽惟天其罰殛我,我其不怨。惟厥罪無在大,亦無在多,矧曰其尚顯聞于天。」

周公旦はいう。私は先王をマネするべきだ。だから、徳行と刑罰について、説明してきた。いま人民は動揺しており、周室に従うかどうか、一致しない(迪屢未同)天が周室を罰しても、私たちは天を怨むことができない。私たちの罪が、大きくて多かったと、事後的に諒解するしかない。周室の願いが、天に聞き届けられるよう、願うことができないと。

平凡はいう。「迪」はすすむ、「屢」はもつれる。
ぼくは思う。周初、周公旦が摂政したときは、ふつうに周室が傾いていた。殷が盛り返すリスクが高かった。この緊迫した事態だからこそ、周公旦の教訓が役に立つのだ。加地伸行氏によると、中国思想は、一般化した抽象概念を操作しない。万人がもっとも想像しやすいような、具体的なものについて語る。たとえば「死」一般について語るのでなく、「親の死」という、誰にでも訪れるからイメージしやすい、普遍的で具体的なものに仮託する。しかしぼくが思うに、中国思想の言説は、ただ「親の死」だけを説明するのでなく、やはり「死」一般のようなものを扱っているのだろう。だから、周公旦の政治についても、「創業期のモヤモヤ」とか、「幼君が立ったときのピンチ」とかの代表例である。
ぼくは思う。中国の文書で「故事をひく」というのは、ただ前例をもとに文飾するのでなく、あたかも一般的な理論を参照するかのように、確認されるものだ。周公旦の故事は、「親の死」に等しい地位を得てゆく。
ぼくは思う。周公旦の故事が、いかに使用されていったか、変遷を追ったら面白そう。「ただのコジツケ」「ときの権力者による自己正当化」だと、政治的に分かったふりをしてはいけない。「万能の人格者に演出された」「仙術を使えるほど、いい題材になった」だと、文学的に分かったふりをしてはいけない。「理論」としての周公旦について、ぼくらは考える必要があると思う。
まとめ。加地伸行氏によると、中国思想は、一般化した抽象概念を操作しない。万人が想像しやすい具体的なもので”理論”を語る。たとえば『孝経』は「死」一般でなく、「親の死」を論じる。ぼくが思うに、周公旦は「創業期の危機」「幼君の補佐」の具体例として、「親の死」と同等の位置を占める”理論”かも。
ぼくは思う。周公旦の発言のなかで上帝や天は、人間側から「約束を果たしてね」と期待できない存在だ。もし上帝や天が「周室はダメ」と言えば、それで周室はおしまい。そのために、善徳と刑罰に励むしかない。おお!不公平!不条理!しかし、この「約束を無視すること」が、天や上帝の特徴なのだろう。ここにこそ特徴が現れるのだろう。


王曰:「嗚呼!封,敬哉!無作怨,勿用非謀非彝蔽時忱。丕則敏德,用康乃心,顧乃德,遠乃猷,裕乃以;民寧,不汝瑕殄。」 王曰:「嗚呼!肆汝小子封。惟命不于常,汝念哉!無我殄享,明乃服命,高乃聽,用康乂民。」 王若曰:「往哉!封,勿替敬,典聽朕告,汝乃以殷民世享。」

周公旦はいう。人民に怨まれるな。道理をはずすな。人民を安らかに統治すれば、私たちの命運が損なわれないだろう。ああ、王族たちよ。周室の天命は不変ではない。国を傾けて、周室の天命を損なわせるな。先王の前例をきちんと踏めば、殷民とともに統治ができるだろう。

ぼくは思う。統治の成功により、天命をつなぎとめておくことができる。さきに天命があるのでない。文王が励んだので、天命が降った。文王の子孫は、文王と同じように励むことで、天命に見捨てられないことを、期待する。このように、天命のご機嫌を伺わないといけない。

閉じる

『尚書』周書・酒誥 第38

成王が妹国に酒を戒める

王若曰:「明大命于妹邦。乃穆考文王肇國在西土。厥誥毖庶邦庶士越少正御事,朝夕曰:『祀茲酒。惟天降命,肇我民,惟元祀。天降威,我民用大亂喪德,亦罔非酒惟行;越小大邦用喪,亦罔非酒惟辜。』
文王誥教小子有正有事:無彝酒。越庶國:飲惟祀,德將無醉。惟曰我民迪小子惟土物愛,厥心臧。聰聽祖考之遺訓,越小大德,小子惟一。
妹土,嗣爾股肱,純其藝黍稷,奔走事厥考厥長。肇牽車牛,遠服賈用。孝養厥父母,厥父母慶,自洗腆,致用酒。
庶士、有正越庶伯、君子,其爾典聽朕教!爾大克羞耇惟君,爾乃飲食醉飽。丕惟曰爾克永觀省,作稽中德,爾尚克羞饋祀。爾乃自介用逸,茲乃允惟王正事之臣。茲亦惟天若元德,永不忘在王家。」

周成王は、妹国の人々にいう。

平凡はいう。妹国とは、牧野と同一の地とされる。衛国に属する都邑。康叔が衛国に封じられているのに「衛国」と書かずに、妹国と書いたのは、なにか理由があるか。
ぼくは思う。周の王族の内側での戒め。こういうのが前後でつづく。
平凡はいう。これは、康叔を衛国に封じるにあたって、封国に飲酒の風習をつくらぬように、厳重に命じた篇である。『韓非子』では、1つ前の『尚書』康誥のつづきとする。『詩経』大雅・蕩で、文王が殷室の飲酒を批判する記事がある。

酒をのむな。文王は、民から酒による罪を除いて、天命をうけた。酒を飲むのは、祭祀のときだけ。酔うな。土地の産物を大切にせよ。周の王家は、天の祝福を受けられるだろう。

ぼくは思う。天命を期待するために、天命を維持する資格を得るために、周文王は徳行をやり、刑罰をつつしんだ。その別バリエーションとして、「酒で乱れるな」がある。ともかく周の王族は、自重しなければならない。


成王が衛侯の康叔に、殷の滅亡を説く

王曰:「封,我西土棐徂,邦君御事小子尚克用文王教,不腆于酒,故我至于今,克受殷之命。」
王曰:「封,我聞惟曰:『在昔殷先哲王迪畏天顯小民,經德秉哲。自成湯咸至于帝乙,成王畏相惟御事,厥棐有恭,不敢自暇自逸,矧曰其敢崇飲?越在外服,侯甸男衛邦伯,越在內服,百僚庶尹惟亞惟服宗工越百姓里居,罔敢湎于酒。不惟不敢,亦不暇,惟助成王德顯越,尹人祗辟。』
我聞亦惟曰:『在今後嗣王,酣,身厥命,罔顯于民祗,保越怨不易。誕惟厥縱,淫泆于非彝,用燕喪威儀,民罔不衋傷心。惟荒腆于酒,不惟自息乃逸,厥心疾很,不克畏死。辜在商邑,越殷國滅,無罹。弗惟德馨香祀,登聞于天;誕惟民怨,庶群自酒,腥聞在上。故天降喪于殷,罔愛于殷,惟逸。天非虐,惟民自速辜。』」

成王が康叔にいう。周室のもとの西方の領土で、酒を飲まなかった。殷の祖先は酒を飲まないから、天命をうけた。酒を飲むようになって、安楽をむさぼったから、殷は天命に仕打をされた。

成王が康叔に、禁酒を厳命する

王:「封,予不惟若茲多誥。古人有言曰:『人無於水監,當於民監。』今惟殷墜厥命,我其可不大監撫于時! 予惟曰:「汝劼毖殷獻臣、侯、甸、男、衛,矧太史友、內史友、越獻臣百宗工,矧惟爾事服休,服采,矧惟若疇,圻父薄違,農夫若保,宏父定辟,矧汝,剛制于酒。』
厥或誥曰:『群飲。』汝勿佚。盡執拘以歸于周,予其殺。又惟殷之迪諸臣惟工,乃湎于酒,勿庸殺之,姑惟教之。有斯明享,乃不用我教辭,惟我一人弗恤弗蠲,乃事時同于殺。」
王曰:「封,汝典聽朕毖,勿辯乃司民湎于酒。」

成王が康叔にいう。封国の諸官や万民たちに、禁酒させよ。康叔も禁酒して、手本となれ。もし禁酒しないなら、康叔を殺す!!

閉じる

『尚書』周書・梓材 第39

康叔に良政とその報告を命じる

王曰:「封,以厥庶民暨厥臣達大家,以厥臣達王惟邦君,汝若恆越曰:『我有師師、司徒、司馬、司空、尹、旅。』曰:『予罔厲殺人。』亦厥君先敬勞,肆徂厥敬勞。肆往,奸宄、殺人、歷人,宥;肆亦見厥君事、戕敗人,宥。」

成王が康叔にいう。封王の任務は、人民の実情、諸臣の状況を、周王に報せることである。「司徒、司馬、司空らが、うまく統治しています」「私は諸官に補佐してもらい、無罪の者を殺しません」と、報告せねばならない。

平凡はいう。『礼記』王制はいう。百官は年末に、大司徒、大司馬、大司空に、業務報告をする。三官は、これを天子に報告する。天子から批判されたら、三官がこれを聞く。百官は沐浴して、三官から聞く。
これは康叔を封じる際の、お説教その3である。康誥、酒誥、梓材である。


王啟監,厥亂為民。曰:「無胥戕,無胥虐,至于敬寡,至于屬婦,合由以容。」王其效邦君越御事:「厥命曷以?引養引恬。自古王若茲,監罔攸辟。」惟曰:「若稽田,既勤敷菑,惟其陳修,為厥疆畎。若作室家,既勤垣墉,惟其塗塈茨。若作梓材,既勤樸斫,惟其塗丹雘。」
今王惟曰:「先王既勤用明德,懷為夾,庶邦享作,兄弟方來。亦既用明德,後式典集,庶邦丕享。皇天既付中國民越厥疆土于先王,肆王惟德用,和懌先後迷民,用懌先王受命。已!若茲監。」惟曰:「欲至于萬年,惟王子子孫孫永保民。」

周王が、うまく封王を管理すれば、百官も万民も治まる。
「梓材」で木工用品をつくるとき、下ごしらえをする。周文王が下ごしらえをしたので、周の王族は、いつまでも人民を安らかに統治して、天命を失うことがない。

閉じる

『尚書』周書・召誥 第40

召公が、新たな洛邑の設営をする

惟二月既望,越六日乙未,王朝步自周,則至于豐。
惟太保先周公相宅,越若來三月,惟丙午朏。越三日戊申,太保朝至于洛,卜宅。厥既得卜,則經營。越三日庚戌,太保乃以庶殷攻位于洛汭。越五日甲寅,位成。
若翼日乙卯,周公朝至于洛,則達觀于新邑營。越三日丁巳,用牲于郊,牛二。越翼日戊午,乃社于新邑,牛一,羊一,豕一。 越七日甲子,周公乃朝用書命庶殷侯甸男邦伯。厥既命殷庶,庶殷丕作。

2月の満月、太保の召公(姫奭)が首都の宗周(鎬京もしくは岐山)から、徒歩で文王の廟にゆき、遷都の計画をつげた。召公奭は、周公旦よりもさきに、洛陽を検分する。建物の位置を決めた。
祭祀して牛を祭る。もと殷の諸侯たちに、建設を命じた。

ぼくは思う。平凡版243頁から、洛邑の位置とか、このときの日付とか、召公奭がやった祭祀について書いてある。はやく召公奭の発言を聞きたいので、とばす。歴史的事実を『尚書』で検討して、金文と突きあわせることができるらしい。周室の政治の中心は、たしかに洛邑に移動したらしい。


召公奭が殷民に服従の説得をする

太保乃以庶邦塚君出取幣,乃復入錫周公。曰:「拜手稽首,旅王若公誥告庶殷越自乃御事:嗚呼!皇天上帝,改厥元子茲大國殷之命。惟王受命,無疆惟休,亦無疆惟恤。嗚呼!曷其奈何弗敬?
天既遐終大邦殷之命,茲殷多先哲王在天,越厥後王后民,茲服厥命。厥終,智藏瘝在。夫知保抱攜持厥婦子,以哀籲天,徂厥亡,出執。嗚呼!天亦哀于四方民,其眷命用懋。王其疾敬德!
相古先民有夏,天迪從子保,面稽天若;今時既墜厥命。今相有殷,天迪格保,面稽天若;今時既墜厥命。今沖子嗣,則無遺壽耇,曰其稽我古人之德,矧曰其有能稽謀自天?
嗚呼!有王雖小,元子哉。其丕能諴于小民。今休:王不敢後,用顧畏于民碞;王來紹上帝,自服于土中。

朝会のとき、召公奭は殷の諸侯をつれて、いちど退出した。ふたたび入場して、周公旦に宝玉などを捧げて、召公奭はいう。

ぼくは思う。召公奭は、殷の諸侯をひきいて、いちおう殷側の管理者として「周公旦の建設をうまくいかせます」と宣言する立場である。いちどの退出は、召公奭が「一時的に、周の太保でなく、殷の代表者になりますよ」という、ケジメだろうか。平凡版には、とくに書いてない。

ああ、皇天の上帝は、その長子(天子たる殷王)に与えた命令を、周王に移し替えた。周王はおめでとう。天が殷を断絶させた。愚かな殷民は、妻と手を握って、亡国を呪って泣いている。天は、この殷民のことを哀しんでいる。天命はすでに、殷から周に移動した。周成王は若いけれども、上帝の長子なのだから、殷の諸侯は、周成王が天下の中央でやる事業(洛邑の建設)に協力するように。

周公旦が、殷官と周官の合流をいう

旦曰:『其作大邑,其自時配皇天,毖祀于上下,其自時中乂;王厥有成命治民。』今休,王先服殷御事,比介于我有周御事,節性惟日其邁。王敬作所,不可不敬德。
我不可不監于有夏,亦不可不監于有殷。我不敢知曰,有夏服天命,惟有歷年;我不敢知曰,不其延。惟不敬厥德,乃早墜厥命。我不敢知曰,有殷受天命,惟有歷年;我不敢知曰,不其延。惟不敬厥德,乃早墜厥命。今王嗣受厥命,我亦惟茲二國命,嗣若功。
王乃初服。嗚呼!若生子,罔不在厥初生,自貽哲命。今天其命哲,命吉凶,命歷年;知今我初服,宅新邑。肆惟王其疾敬德?王其德之用,祈天永命。
其惟王勿以小民淫用非彝,亦敢殄戮用乂民,若有功。其惟王位在德元,小民乃惟刑用于天下,越王顯。上下勤恤,其曰我受天命,丕若有夏歷年,式勿替有殷歷年。欲王以小民受天永命。」

周公旦はいう。

平凡はいう。原文では、召公奭のセリフのなかで「周公旦が言うには」と、周公旦の発言が引用される。だが平凡版は、周公旦による返答とする。ぼくは平凡版にしたがう。

大きな都をつくり、上下の神を祭りましょう。中央の地から天下を治めれば、周王は天命をながく保有して、人民を治められるでしょう。周王は、殷の官吏と、周の官吏とを、近づいて親しませねばならない。

ぼくは思う。天下の中心というのは、具体的には「殷と周のあいだ」という意味かも知れない。周王にとって、周官は大切で(当然だけど)、あなどれない対等な勢力が、殷官だった。もしも、牧野の戦い後も、周のもとの領土にいたら、殷が独立する、周を無視する、というリスクがあった。そこで、あえてムチャを侵して、中間に洛邑をつくった。
洛邑の建設に、殷の諸侯を巻きこむことで、洛邑を「周の新都」ではなくて、「ぼくたちの新都」にすることができる。ムダな建設はない。したたかな、合流政策だなあ。いくら召公奭のように天命の移動を説明しても、ハラオチしない。だから殷民は、文字どおり泣いている。そこで、一緒にスポーツして汗を流すことで、味方につける。ハラオチさせる。うまいなあ!

夏と殷を参考にして、周は永続できるように気をつけよう。

ぼくは思う。ロコツに反面教師を訴えることは、やはり儒経典で行われるものだ。「曹丕は、袁術を反面教師にした」説は、論証が足りないだけで、結論がおかしいわけではなないと思うなあ。


召公奭が殷官をひきい、奉仕をちかう

拜手稽首,曰:「予小臣敢以王之仇民百君子越友民,保受王威命明德。王末有成命,王亦顯。我非敢勤,惟恭奉幣,用供王能祈天永命。」

召公奭が敬礼して、周公旦にいう。
わたしたち臣下は、おおくの君子や友民をひきいて、周王の命令と明徳に従います。周王は、天命を全うされますように。わたしたちはお仕えします。

閉じる

『尚書』周書・洛誥 第41

周公旦が成王に、建設を報告する

周公拜手稽首曰:「朕復子明辟。王如弗敢及天基命定命,予乃胤保大相東土,其基作民明辟。予惟乙卯,朝至于洛師。我卜河朔黎水,我乃卜澗水東,瀍水西,惟洛食;我又卜瀍水東,亦惟洛食。伻來以圖及獻卜。」
王拜手稽首曰:「公不敢不敬天之休,來相宅,其作周匹,休!公既定宅,伻來,來,視予卜,休恆吉。我二人共貞。公其以予萬億年敬天之休。拜手稽首誨言。」

周公旦は周成王に敬礼した。

平凡はいう。前の『尚書』召誥とセット。洛邑に遷都する眼目は、周公旦を東方の藩屏として、周室の永続させることである。ゆえに、東にいった召公奭による召誥に帯して、これを周誥と言わず、洛誥というのだ。?
平凡はいう。周公が摂政したことが、この篇から窺われる。摂政の有無はともかく、成周の祭祀において、周公旦とその子が重要な役割を果たしたことは、金石からわかる。ぼくは思う。摂政の有無は「ともかく」にされちゃうのね。

「成王は、天命を自ら定めなかったので、わたくし周公旦が摂政してきた。洛陽は、新都を建設するには良い土地だと調査してきた」と。
周成王は敬礼した。「わたしは天から幸いを敬うものだ。周公旦は、立派な副都をつくって、天の幸いを敬ってもらいたい。教訓を聞かせろ」と。

ぼくは思う。ちょっと考えたこと。
『尚書』を読むと、堯舜の故事は、断片的で意味不明。殷周の故事、周初の事業については、思想&実務の知見にあふれてる。ぼくが漢末魏初の人間なら、ぜったいに堯舜よりも殷周を参考にしたい。「周初の前例では」と公言したい。この、余りに厳しすぎる制限プレイを強いた犯人は、ひとり王莽なのか?


周公曰:「王,肇稱殷禮,祀于新邑,咸秩無文。予齊百工,伻從王于周,予惟曰:『庶有事。』今王即命曰:『記功,宗以功作元祀。』惟命曰:『汝受命篤弼,丕視功載,乃汝其悉自教工。』
孺子其朋,孺子其朋,其往!無若火始焰焰;厥攸灼敘,弗其絕。厥若彝及撫事如予,惟以在周工往新邑。伻向即有僚,明作有功,惇大成裕,汝永有辭。」

周公旦はいう。成王は新都で、神々の秩序を守って祭れ。殷の工人の功績を宗廟に記録させ、明らかにせよ。宗周の工人を連れていくなら、よく働かせろ。工人たちの功績をきちんと記録すれば、周室は永続するでしょう。

ぼくは思う。秩序をまもる。殷と周を仲良くさせる。がんばった者を賞する。こういう地道な実務が、天命を周室にひきつけ続ける。のかな。


屈服する真心がない、贈物に注意せよ

公曰:「已!汝惟沖子,惟終。汝其敬識百辟享,亦識其有不享。享多儀,儀不及物,惟曰不享。

周公旦はいう。わかい周成王は、洛邑で朝貢を受けたら、周成王に享(つか)えない者がいることを知れ。享礼(つかえる者の礼儀)には、おおくの威儀がある。しかし、臣従してきた者の威儀が、臣従してきた者の贈物よりも小さい場合、その臣従してきた者はじつは周成王に、心服しておらず、享(つか)えていないのです。

平凡はいう。「儀」とは、法則にかなった、坐作進退の行為。威儀のこと。威儀を乱すことは、魂を喪失させ、神に対する敬虔を欠き、王朝の規律に忠実でないと考えられた。贈物の多さよりも、精神の充実が重要であると言っている。
ぼくは思う。平凡の訳が分からなかったから、ぼくなりの理解で訳文を水増しした。たくさん贈りながら、相手を尊敬せず、むしろ相手を失墜させようとするのが、ポトラッチである。周成王は、そういうヤカラに失墜させられないように、気をつけてほしいなあ。

形式では仕えているようだが、心から享礼しなければ、これを仕えていないと理解すべきだ。これでは道理が乱れる。

平凡はいう。ここに出てくる「享」とは、ものを献上する、ひいては仕えること。また受納する意味にもつかう。もともと「饗」とおなじ。饗礼から、享礼の意味がでてくる。殷周のころ、祭典が、王朝への服属を示す機会である。地方の物産、指定された貢納をさしあげる。朝廷の政令を受けて、許されて祭典をする。饗礼をひらいて、神からの幸いを祝う。王からの返礼に、祭器をもらう。神の賜物として持ち帰る。成周においても、同じである。ここでは、饗礼を含まずに、ただ朝貢の儀式について、周公旦が意見する。


惟不役志于享,凡民惟曰不享,惟事其爽侮。乃惟孺子頒,朕不暇聽。 朕教汝于棐民,彝汝乃是不蘉,乃時惟不永哉!篤敘乃正父罔不若予,不敢廢乃命。汝往敬哉!茲予其明農哉!彼裕我民,無遠用戾。」

周成王が返報すべきものは、周成王が決めなさい。わたしは周成王に、民(ひと)の常道を教えた。もし、この常道に従わなければ、周室の天命は失わない。

ぼくは思う。返報はなんでもいいのか? それは贈与論的には困るのだ。もしくは、君主から諸侯に配られるモノは何でもいいのか? 威儀と贈物のバランスについて、ぼくの贈与論は宿題をかかえてしまった。平凡版251頁の下段のところ。「この常道を守れば、周室は永続できる」というあたりは、贈与論をふくむ人類学が好きそうな話。それだけに、うまく自分なりに読みこなしたい。このあたりの『尚書』のテキストは、わりと論証のキモになるなあ!という予感。メドなし!しかし、メドがないけど、何となく重要そうだぞという確信があるときのほうが、将来、何らかの役に立つのだ。と思う。


周成王が周公旦に、洛邑を委任する

王若曰:「公!明保予沖子。公稱丕顯德,以予小子揚文武烈,奉答天命,和恆四方民,居師;惇宗將禮,稱秩元祀,咸秩無文。惟公德明光于上下,勤施于四方,旁作穆穆,迓衡不迷。文武勤教,予沖子夙夜毖祀。」王曰:「公功棐迪,篤罔不若時。」
王曰:「公!予小子其退,即辟于周,命公後。四方迪亂未定,于宗禮亦未克敉,公功迪將,其後監我士師工,誕保文武受民,亂為四輔。」王曰:「公定,予往已。公功肅將祗歡,公無困哉!我惟無斁其康事,公勿替刑,四方其世享。」

成周の大祭が終わってから、周成王はいう。
「幼い私を助けて、周公旦は文王と武王を継承した。周公旦のおかげで、順序が正しい祭祀ができたのだ」と。 さらに周成王はいう。「わたしは宗周(鎬京)で王位にある。周公旦には成周(洛邑)を任せよう。成周の大礼が確立していないから、周公旦にやってほしい。四輔となれ」と。

周公拜手稽首曰:「王命予來承保乃文祖受命民,越乃光烈考武王弘朕恭。孺子來相宅,其大惇典殷獻民,亂為四方新辟,作周恭先。曰其自時中乂,萬邦咸休,惟王有成績。予旦以多子越御事篤前人成烈,答其師,作周孚先。』考朕昭子刑,乃單文祖德。
伻來毖殷,乃命寧予以秬鬯二卣。曰明禋,拜手稽首休享。予不敢宿,則禋于文王、武王。惠篤敘,無有遘自疾,萬年厭于乃德,殷乃引考。王伻殷乃承敘萬年,其永觀朕子懷德。」

周公が敬礼した。「敬虔な周成王は、新都を視察し、殷の賢者を礼遇した。中央の地から治めるかぎり、周室はみごとに統治する。わたしは、殷の諸侯を従わせるために、洛邑でがんばってくる」と。

文王の魂が、周公旦に天命を嗣がせる

戊辰,王在新邑烝,祭歲,文王騂牛一,武王騂牛一。王命作冊逸祝冊,惟告周公其後。 王賓殺禋咸格,王入太室,祼。王命周公後,作冊逸誥,在十有二月。惟周公誕保文武受命,惟七年。

周成王は、洛邑で烝祭をした。

平凡版261頁、烝祭の時期についても諸説ある。

文王と武王に、1頭ずつの牛を供えた。成王は冊官の逸に命じて、文書を読み上げさせ、周公旦に成周(洛邑)をまかせた。成王は、犠牲をささげて、魂を体得した。その上で、冊書を読み上げさせ、周公旦に命じたのである。

ぼくは思う。加地伸行氏によると、祖先の白骨になったドクロをかぶった人間に、祖先の魂が降りてくるんだそうだ。これが儒教の宗教性なのだと。原文「祼」は、魂を身にやどすこと。
平凡はいう。周公旦に洛邑を任せるのは、成王の命令でなく、魂(祖先)の命令である。ぼくは思う。洛邑を任せ、殷を服従させるのは、決裁者が祖先である。おさない成王には、決裁の権限がない。それを分かっていて、この祭祀をやってるのね。失敗したら、祖先の責任である。笑

ときに12月だった。周公旦が、文王と武王から、天命を引き継ぐことになった。7年のことだった。

周公旦が、周王になったという説があって、膠着しているようです。
平凡はいう。偽孔伝では、この12月をもって、これまで7年の周公旦による摂政が終わったとする。しかし金石文によると、年月日を順逆に書く。「周公旦が7年の摂政をした」と読めない。など異説あり。ぼくは思う。事実を探索すると、正直いって、よく分からない。摂政の有無は「分からない」が、平凡版の結論。しかし、いかにして天命を獲得・維持するか、は理解できた。祖先を媒介にして、天命を伝えていくという、上帝-文王-成王の関係も分かった。

閉じる

『尚書』周書・多士 第42

成王が多士に、殷の天命喪失をいう

惟三月,周公初于新邑洛,用告商王士。
王若曰:「爾殷遺多士,弗弔旻天,大降喪于殷,我有周佑命,將天明威,致王罰,敕殷命終于帝。肆爾多士!非我小國敢弋殷命。惟天不畀允罔固亂,弼我,我其敢求位?惟帝不畀,惟我下民秉為,惟天明畏。
我聞曰:「上帝引逸,有夏不適逸;則惟帝降格,向于時夏。弗克庸帝,大淫泆有辭。惟時天罔念聞,厥惟廢元命,降致罰;乃命爾先祖成湯革夏,俊民甸四方。自成湯至于帝乙,罔不明德恤祀。亦惟天丕建,保乂有殷,殷王亦罔敢失帝,罔不配天其澤。在今後嗣王,誕罔顯于天,矧曰其有聽念于先王勤家?誕淫厥泆,罔顧于天顯民祗,惟時上帝不保,降若茲大喪。惟天不畀不明厥德,凡四方小大邦喪,罔非有辭于罰。」

3月、周公旦が、殷の士に周成王の命令を伝える。

平凡はいう。殷の直属の多士たちに告げる文書。殷の被征服者への支配方針を言っている。例えば被征服者を軍隊に編入するのは、古代からの知恵。

周成王はこのようにいった。
殷の遺した多士たちよ。天は、亡国の運命を殷に降した。周室は、天命に基づき、殷に罰を降した。殷の天命が終わったことを、天に告げた。周は殷の天命を奪ったのでない。殷は安逸をむさぼったので、天命が終わったのだ」

ぼくは思う。何度も出てくる論法。ぎゃくに言えば、ちょっと油断すると「周が殷を武力討伐した。だから殷の遺臣は、周を怨む」という事態が起きるのだ。これが普通なのだ。ゆえに、周は上帝の代行者であり、そもそも殷に天命が終わっていたことをいう。健全だとぼくが思うのは、周の天命が終わることも、理論的に認めていること。だから周の王族に、つつしめ!と命じる。
ぼくは思う。漢代になると、この健全さが失われるのか、論者が勝手に漢を絶対化するだけなのか、漢の天命が終わることを、理論的に認めた言説があれば、「革命の肯定だ」とさわぐ。鄭玄とか。しかし『尚書』が基礎教養なんだったら、革命を否定するほうがおかしい。


多士に、洛邑への移住を命じる

王若曰:「爾殷多士,今惟我周王丕靈承帝事,有命曰:『割殷,』告敕于帝。惟我事不貳適,惟爾王家我適。予其曰惟爾洪無度,我不爾動,自乃邑。予亦念天,即于殷大戾,肆不正。」
王曰:「猷!告爾多士,予惟時其遷居西爾,非我一人奉德不康寧,時惟天命。無違,朕不敢有後,無我怨。
惟爾知,惟殷先人有冊有典,殷革夏命。今爾又曰:『夏迪簡在王庭,有服在百僚。』予一人惟聽用德,肆予敢求爾于天邑商,予惟率肆矜爾。非予罪,時惟天命。」
王曰:「多士,昔朕來自奄,予大降爾四國民命。我乃明致天罰,移爾遐逖,比事臣我宗多遜。」
王曰:「告爾殷多士,今予惟不爾殺,予惟時命有申。今朕作大邑于茲洛,予惟四方罔攸賓,亦惟爾多士攸服奔走臣我多遜。爾乃尚有爾土,爾用尚寧干止,爾克敬,天惟畀矜爾;爾不克敬,爾不啻不有爾土,予亦致天之罰于爾躬!今爾惟時宅爾邑,繼爾居;爾厥有干有年于茲洛。爾小子乃興,從爾遷。」
王曰:「又曰時予,乃或言爾攸居。」

周成王はこういったと周公旦がいう。
上帝は周文王に「殷をやぶって、上帝に報告せよ」と命じられた。殷室が誤っていたのだ。 殷の多士を、西方(洛邑)に移住させる。これは天の命令だ。かつて殷王が天邑の商に遷都したのは、人民を哀れみ愛しむためだった。移住の命令は、罰ではなく、天の命令なのだ。

ぼくは補う。『尚書』盤庚の上中下で、盤庚が遷都を説いた。ずっと同じ場所にいると、よどんで奢侈になる。だから定期的に遷都して、奢侈の風俗をリセットするのだと。
ぼくは思う。周公旦のロジックは、相互性(おたがいさま)という前提がある。周王は夏王を滅ぼしたから、殷王が周王に滅ぼされたのも、おたがいさま。殷王が遷都の政策をとったから、周王も遷都の政策をとる。おたがいさま。べつにイジメじゃないよと。健全だなあ。殷周革命は、きわめてスムーズな論理を用意された上で行われた。漢魏革命は、もっとギスギスしていた。それだけ「漢」が淀んでいたのだ。漢魏革命から、魏晋革命に、すっと短期間で移行できたのは、健全性の回復である。「唯一で永遠の帝国があるべき」という、漢代の思想?に基づけば、嘆くべき後退かも知れないけど。『尚書』で、大らかな革命のロジックを知っていた人(つまり教養人の全員)は、なぜ漢の滅亡に、あれだけ逆らったのか、ぎゃくに不思議。あの「儒教国家」の思想操作だろうか。

わたしは洛邑をつくる。殷の多士は、洛邑に移住せよ。逆らうな。

閉じる

『尚書』周書・無逸 第43

周公旦が君子の無逸をとく

周公曰:「嗚呼!君子所,其無逸。先知稼穡之艱難,乃逸,則知小人之依。相小人,厥父母勤勞稼穡,厥子乃不知稼穡之艱難,乃逸乃諺。既誕,否則侮厥父母曰:『昔之人無聞知。』」

周公旦が周成王にいう。
「君子は安楽してはいけない。農事の苦労を知れば、安楽にすることがない。祖先の苦労を馬鹿にすることがなくなる」

平凡はいう。無逸とは、安逸することなかれ、である。西周末の宣王が、農業に関する「籍田の礼」を廃止したので、能玉の苦労を忘れてしまった。『国語』周語上は、これを失政に数える。西周の滅亡は、この『尚書』無逸が伏線になっている。
ぼくは思う。曹操や曹丕も「籍田」をよくやっていた。あれは豊饒を祈るだけでなく、「王が農業の苦労を忘れていない。王は慎んでいるぞ。慎んでいるから、天命が去りませんように」という祈祷でもあったのだ。


周公曰:「嗚呼!我聞曰:昔在殷王中宗,嚴恭寅畏,天命自度,治民祗懼,不敢荒寧。肆中宗之享國七十有五年。其在高宗,時舊勞于外,爰暨小人。作其即位,乃或亮陰,三年不言。其惟不言,言乃雍。不敢荒寧,嘉靖殷邦。至于小大,無時或怨。肆高宗之享國五十年有九年。其在祖甲,不義惟王,舊為小人。作其即位,爰知小人之依,能保惠于庶民,不敢侮鰥寡。肆祖甲之享國三十有三年。自時厥後立王,生則逸,生則逸,不知稼穡之艱難,不聞小人之勞,惟耽樂之從。自時厥後,亦罔或克壽。或十年,或七八年,或五六年,或四三年。」

周公旦はいう。
殷の中宗は、安楽を求めないから、75年も王位にあった。以下の殷王たちも、きちんと服喪して、きちんと農事の困難をわきまえれば、生命も王位も長かった。

周公曰:「嗚呼!厥亦惟我周太王、王季,克自抑畏。文王卑服,即康功田功。徽柔懿恭,懷保小民,惠鮮鰥寡。自朝至于日中昃,不遑暇食,用咸和萬民。文王不敢盤于游田,以庶邦惟正之供。文王受命惟中身,厥享國五十年。」
周公曰:「嗚呼!繼自今嗣王,則其無淫于觀、于逸、于游、于田,以萬民惟正之供。無皇曰:『今日耽樂。』乃非民攸訓,非天攸若,時人丕則有愆。無若殷王受之迷亂,酗于酒德哉!」

周王の祖先も、つつしみ、農事の苦労を知り、安逸しない。文王は狩猟しなかった。だから文王は、わりに歳を取ってから王位についたが、王位に50年もいられた。殷紂王のように、酒の毒で悩まされ、天命を逃してはならない。

周公曰:「嗚呼!我聞曰:『古之人猶胥訓告,胥保惠,胥教誨,民無或胥譸張為幻。』此厥不聽,人乃訓之,乃變亂先王之正刑,至于小大。民否則厥心違怨,否則厥口詛祝。」
周公曰:「嗚呼!自殷王中宗及高宗及祖甲及我周文王,茲四人迪哲。厥或告之曰:『小人怨汝詈汝。』則皇自敬德。厥愆,曰:『朕之愆。』允若時,不啻不敢含怒。此厥不聽,人乃或譸張為幻,曰小人怨汝詈汝,則信之,則若時,不永念厥辟,不寬綽厥心,亂罰無罪,殺無辜。怨有同,是叢于厥身。」
周公曰:「嗚呼!嗣王其監于茲。」

周公旦はいう。古人は、君臣が忠告しあい、いたわった。周成王は、過失への指摘に耳を傾けなさい。罪ない者を罰しないように。罪ない者を罰すれば、人民の怨みを一身に集めるでしょう。周成王は、よく考えなさい。

ぼくは思う。「つつしめ」と、それだけの篇でした。タイトルどおり。

閉じる

『尚書』周書・君奭 第44

周公旦が召公奭に、天命を畏れよという

周公若曰:「君奭!弗弔天降喪于殷,殷既墜厥命,我有周既受。我不敢知曰厥基永孚于休。若天棐忱,我亦不敢知曰其終出于不祥。嗚呼!君已曰時我,我亦不敢寧于上帝命,弗永遠念天威越我民;罔尤違,惟人。在我後嗣子孫,大弗克恭上下,遏佚前人光在家,不知天命不易,天難諶,乃其墜命,弗克經歷。嗣前人,恭明德,在今予小子旦非克有正,迪惟前人光施于我沖子。」又曰:「天不可信,我道惟寧王德延,天不庸釋于文王受命。」

周公旦が、太保の召公奭にいう。

平凡はいう。周公旦の摂政を、召公奭が悦ばないので、周公旦が召公奭を説得したのが、この文書だという。なぜ召公奭が悦ばないのか、理由は記さないが「周公旦が王位をねらっている」と疑っていたと、漢代には理解されていた。召公奭は燕侯となる。周公旦と召公奭が、東西を分担して統治したという説もある。周公旦が洛邑、召公奭が鎬京である。諸説あり、決まらない。
ぼくは思う。おそらく金石文まで巻きこんだ考証の結果、「分からない」と決まったのだから、それでいい。周公旦の発言の内容を見ておく。
平凡はいう。「君奭よ」と周公旦が呼びかけるのが、篇名になった。

天は殷を滅ぼしたが、天が周を滅ぼさないとも限らない。上帝の命令は、永遠でないから、人民をうまく統治しよう。天がなにをするか分からないが(天不可信)、われらが文王の徳をまもれば、天命も永続するのではなかろうか。

ぼくは思う。天はなにをするか分からない。ここ「使える」なあ! 上帝と周王のあいだでは、「これだけやれば、一定のリターンをお約束」という契約がない。一方的になんとなく働きかけるだけ。しかし殷が実証したように、天に働きかけなければ、すぐに天命を失ってしまうので、契約がないままでも、がんばるしかない。


公曰:「君奭!我聞在昔成湯既受命,時則有若伊尹,格于皇天。在太甲,時則有若保衡。在太戊,時則有若伊陟、臣扈,格于上帝;巫咸乂王家。在祖乙,時則有若巫賢。在武丁,時則有若甘盤。率惟茲有陳,保乂有殷,故殷禮陟配天,多歷年所。天維純佑命,則商實百姓王人。罔不秉德明恤,小臣屏侯甸,矧咸奔走。惟茲惟德稱,用乂厥辟,故一人有事于四方,若卜筮罔不是孚。」
公曰:「君奭!天壽平格,保乂有殷,有殷嗣,天滅威。今汝永念,則有固命,厥亂明我新造邦。」

周公旦はいう。
成湯が天命を受けたとき、伊尹が神意を知った。以下、代々にわたり、功臣が殷王を助けたので、殷の天命は継続した。この功臣の前例をよく理解して、われらは新たな周室を助けねばならない。

公曰:「君奭!在昔上帝割申勸寧王之德,其集大命于厥躬?惟文王尚克修和我有夏;亦惟有若虢叔,有若閎夭,有若散宜生,有若泰顛,有若南宮括。」
又曰:「無能往來,茲迪彝教,文王蔑德降于國人。亦惟純佑秉德,迪知天威,乃惟時昭文王迪見冒,聞于上帝。惟時受有殷命哉。武王惟茲四人尚迪有祿。後暨武王誕將天威,咸劉厥敵。惟茲四人昭武王惟冒,丕單稱德。今在予小子旦,若游大川,予往暨汝奭其濟。小子同未在位,誕無我責收,罔勖不及。耇造德不降我則,鳴鳥不聞,矧曰其有能格?」
公曰:「嗚呼!君肆其監于茲!我受命于疆惟休,亦大惟艱。告君,乃猷裕我,不以後人迷。」
公曰:「前人敷乃心,乃悉命汝,作汝民極。曰:『汝明勖偶王,在但乘茲大命,惟文王德丕承,無疆之恤!』」

文王は上帝から天命をうけた。文王には優れた4人の補佐がいた。武王のときも、4人は存命で、武王を助けた。われらが協力して、召公奭を助けねばならない。文王の徳を継承して、周の天命を維持しなければならない。

公曰:「君!告汝,朕允保奭。其汝克敬以予監于殷喪大否,肆念我天威。予不允惟若茲誥,予惟曰:『襄我二人,汝有合哉?』言曰:『在時二人。』天休茲至,惟時二人弗戡。其汝克敬德,明我俊民,在讓後人于丕時。
嗚呼!篤棐時二人,我式克至于今日休?我咸成文王功于不怠。丕冒海隅出日,罔不率俾。」
公曰:「君!予不惠若茲多誥,予惟用閔于天越民。」
公曰:「嗚呼!君!惟乃知民德亦罔不能厥初,惟其終。祗若茲,往敬用治!」

周公旦はいう。すぐれた太保の召公奭よ。
われら2人のほかに、周室を助けて、天命を維持できるものがない。天と民のことに、心を痛めているから、わたしは以上を召公奭に述べたのだ。慎んで政治をしよう。

ぼくは思う。論理がきわめて明解だった。「私たちが争っていたら、周室は滅亡するぞ」という、なかば仲直りの提案、なかば脅迫である。おそらくこの時点で、周公旦のほうが立場が上である。だから召公奭が反発する。しかし「反発している事態ではない。歩み寄れ」という。
平凡によると、『尚書』君奭は、洛邑の建設よりも前かも知れない。洛邑の建設では、周公旦と召公奭は、わりと協力しているから。ぼくは思う。発言の内容や、彼らが持っている理論的な背景が重要なのである。いつの発言か、という特定は、あまり意味がない。また、周公旦がくどくどと説明した、殷周の具体的な前例や人名は、はぶいた。

閉じる