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『尚書』周書・多方 第46

上帝が、夏室と殷室を見捨てた

惟五月丁亥,王來自奄,至于宗周。
周公曰:王若曰:「猷告爾四國多方,惟爾殷侯尹民。我惟大降爾命,爾罔不知。洪惟圖天之命,弗永寅念于祀,惟帝降格于夏。有夏誕厥逸,不肯慼言于民,乃大淫昏,不克終日勸于帝之迪,乃爾攸聞。厥圖帝之命,不克開于民之麗,乃大降罰,崇亂有夏。因甲于內亂,不克靈承于旅。罔丕惟進之恭,洪舒于民。亦惟有夏之民叨懫日欽,劓割夏邑。天惟時求民主,乃大降顯休命于成湯,刑殄有夏。惟天不畀純,乃惟以爾多方之乂民不克永于多享。惟夏之恭多士大不克明保享于民,乃胥惟虐于民,至于百為,大不克開。乃惟成湯克以爾多方簡,代夏作民主。慎厥麗,乃勸。厥民刑,用勸。以至于帝乙,罔不明德慎罰,亦克用勸。要囚殄戮多罪,亦克用勸。開釋無辜,亦克用勸。今至于爾辟,弗克以爾多方享天之命,嗚呼!」

周成王が、奄をやぶり、宗周(鎬京)に凱旋した。
周公旦がいう。「4つの国(管、蔡、商、奄)の諸侯や諸官たち(多方)よ。上帝は、夏室に天命を与えたが、夏室に仕える多士は、安逸をむさぼった。だから殷室に天命が移された」

ぼくは思う。周公旦は「いつもの話」をしている。被征服者たちに「きみらは周室に従えよ。その理由はね、、」というパタンである。周公旦いわく、上帝から天命を授かっても、秩序をくずし、刑罰をみだしたので、夏室も殷室もほろびた。殷室は、安逸をむさぼったから、天命を失わなければならない。また殷室は、安逸をむさぼった夏室を滅ぼしたのだから、同じことを周室にされても、文句をいう資格がない。という論理である。『尚書』は同じことばかりいう。


王若曰:「誥告爾多方,非天庸釋有夏,非天庸釋有殷。乃惟爾辟以爾多方大淫,圖天之命屑有辭。乃惟有夏圖厥政,不集于享,天降時喪,有邦間之。乃惟爾商後王逸厥逸,圖厥政不蠲烝,天惟降時喪。
惟聖罔念作狂,惟狂克念作聖。天惟五年須暇之子孫,誕作民主,罔可念聽。天惟求爾多方,大動以威,開厥顧天。惟爾多方罔堪顧之。惟我周王靈承于旅,克堪用德,惟典神天。天惟式教我用休,簡畀殷命,尹爾多方。
今我曷敢多誥?我惟大降爾四國民命。爾曷不忱裕之于爾多方?爾曷不夾介乂我周王享天之命?今爾尚宅爾宅,畋爾田,爾曷不惠王熙天之命?爾乃迪屢不靜,爾心未愛。爾乃不大宅天命,爾乃屑播天命,爾乃自作不典,圖忱于正。我惟時其教告之,我惟時其戰要囚之,至于再,至于三。乃有不用我降爾命,我乃其大罰殛之!非我有周秉德不康寧,乃惟爾自速辜。」

周公旦がいう。天が夏室を捨てたのでなく、天が殷室を捨てたのでない。君主が気ままに振るまったので、天命を失ったのだ。殷室の君主は、清潔な供犠を怠った(圖厥政不蠲烝)。いま天命を受け、秩序にかなっているのは周室である。

ぼくは思う。周室に従わない人を「お前らが悪いくせに」と逆ギレして、抑えこむ論法である。もし殷室が秩序を保っていれば、わざわざ周室が殷室に代わることはなかっただろ?と、悪質に、なすりつける。周室を責める前に、自分を責めろよ、と転嫁する。


周室にしたがえば、天も褒めてくれる

王曰:「嗚呼!猷告爾有方多士暨殷多士,今爾奔走臣我監五祀,越惟有胥伯小大多正,爾罔不克臬。自作不和,爾惟和哉!爾室不睦,爾惟和哉!爾邑克明,爾惟克勤乃事。爾尚不忌于凶德,亦則以穆穆在乃位,克閱于乃邑謀介。爾乃自時洛邑,尚永力畋爾田,天惟畀矜爾,我有周惟其大介賚爾,迪簡在王庭。尚爾事,有服在大僚。」
王曰:「嗚呼!多士,爾不克勸忱我命,爾亦則惟不克享,凡民惟曰不享。爾乃惟逸惟頗,大遠王命,則惟爾多方探天之威,我則致天之罰,離逖爾土。」
王曰:「我不惟多誥,我惟祇告爾命。」又曰:「時惟爾初,不克敬于和,則無我怨。」

周公旦はいう。諸国の多士と、殷室の多士につげる。きみらが周室に臣従して5年たった。洛邑で周室のために働けば、天もきみたちを賞賛するだろう。
もし周室に従わなければ、私が天に代わって罰するだろう。周王の命令を敬い、人民を和合させよ。さもなくば、罰を受るだろう。わが周室を怨むなよ(則無我怨)。

ぼくは思う。周公旦が言うのは、周室に従えというのでなく、上帝に従えと。上帝に従うとは、周室に従うことである。だから周室に従えよと。あれ、結論が反転したけれど、気にしてはならない。この反転こそが、周公旦の論法の特徴だから。周室に罰せられても、周室を怨んではいけない。なぜなら周室は、ただの代理の執行者だから。まさか上帝を怨むわけにもいかないよね。だから周室を怨んではいけないよと。
ぼくは思う。『尚書』が儒家の基本文献だと知らなければ、ただの征服者に都合のよい詭弁である。っていうか、この理解で「正解」なのかもなあ。

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『尚書』周書・立政 第47

周公旦が3代の立政をのべる

周公若曰:「拜手稽首,告嗣天子王矣。」用咸戒于王曰:「王左右常伯、常任、準人、綴衣、虎賁。」
周公曰:「嗚呼!休茲知恤,鮮哉!古之人迪惟有夏,乃有室大競,籲俊尊上帝迪,知忱恂于九德之行。乃敢告教厥后曰:『拜手稽首后矣!』曰:『宅乃事,宅乃牧,宅乃準,茲惟后矣。謀面,用丕訓德,則乃宅人,茲乃三宅無義民。』
桀德,惟乃弗作往任,是惟暴德罔後。亦越成湯陟,丕釐上帝之耿命,乃用三有宅;克即宅,曰三有俊,克即俊。嚴惟丕式,克用三宅三俊,其在商邑,用協于厥邑;其在四方,用丕式見德。
嗚呼!其在受德暋,惟羞刑暴德之人,同于厥邦;乃惟庶習逸德之人,同于厥政。帝欽罰之,乃伻我有夏,式商受命,奄甸萬姓。
亦越文王、武王,克知三有宅心,灼見三有俊心,以敬事上帝,立民長伯。立政:任人、準夫、牧、作三事。虎賁、綴衣、趣馬、小尹、左右攜僕、百司庶府。大都小伯、藝人、表臣百司、太史、尹伯,庶常吉士。司徒、司馬、司空、亞、旅。夷、微、盧烝。三亳阪尹。
文王惟克厥宅心,乃克立茲常事司牧人,以克俊有德。文王罔攸兼于庶言;庶獄庶慎,惟有司之牧夫是訓用違;庶獄庶慎,文王罔敢知于茲。亦越武王,率惟敉功,不敢替厥義德,率惟謀從容德,以並受此丕丕基。」

周公旦が周成王にいう。「世嗣の王にいいます。高官に訓戒します」
はじめ夏室は、慎みぶかい高官を選んだが、桀王のときに、気ままな者を高官につけた。殷室も、慎みぶかい高官を選んだが、紂王のときに道理をはずれた者を高官につけた。周室は、文王、武王が、訴訟や刑罰をうまくできる人材を高官に選んだので、王業が完成した。

周公旦が今後の立政をのべる

嗚呼!孺子王矣!繼自今我其立政。立事、準人、牧夫,我其克灼知厥若,丕乃俾亂;相我受民,和我庶獄庶慎。時則勿有間之,自一話一言。我則末惟成德之彥,以乂我受民。
嗚呼!予旦已受人之徽言咸告孺子王矣。繼自今文子文孫,其勿誤于庶獄庶慎,惟正是乂之。
自古商人亦越我周文王立政,立事、牧夫、準人,則克宅之,克由繹之,茲乃俾乂,國則罔有。立政用憸人,不訓于德,是罔顯在厥世。繼自今立政,其勿以憸人,其惟吉士,用勵相我國家。
今文子文孫,孺子王矣!其勿誤于庶獄,惟有司之牧夫。其克詰爾戎兵以陟禹之跡,方行天下,至于海表,罔有不服。以覲文王之耿光,以揚武王之大烈。嗚呼!繼自今後王立政,其惟克用常人。」
周公若曰:「太史!司寇蘇公式敬爾由獄,以長我王國。茲式有慎,以列用中罰。」

周公旦がいう。わかい成王よ。訴訟と刑罰を正しくできる官僚を任命せよ。
さらにいう。「太史よ、司寇の蘇公よ。訴訟と刑罰を、慎重にやれ」と。

平凡はいう。太史とは、『礼記』王制によれば、礼を正し、文書をつかさどり、日の忌みを奉ずる。太史とは、『周礼』では、宗伯に属して、国家の六典をつかさどる。法典に従わない者を刑罰する。ここでは『周礼』の職掌をもつ、太史のことだろう。
平凡はいう。司寇とは、『礼記』王制によれば、刑罰の法規をただし、被告の罪状を明らかにして、訴訟を裁判する。

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『尚書』周書・顧命, 康王之誥 第50,51

周成王が死に、召公奭に託する

惟四月,哉生魄,王不懌。甲子,王乃洮頮水。相被冕服,憑玉幾。乃同,召太保奭、芮伯、彤伯、畢公、衛侯、毛公、師氏、虎臣、百尹、御事。 王曰:「嗚呼!疾大漸,惟幾,病日臻。既彌留,恐不獲誓言嗣,茲予審訓命汝。昔君文王、武王宣重光,奠麗陳教,則肄肄不違,用克達殷集大命。在後之侗,敬迓天威,嗣守文、武大訓,無敢昏逾。今天降疾,殆弗興弗悟。爾尚明時朕言,用敬保元子釗弘濟于艱難,柔遠能邇,安勸小大庶邦。思夫人自亂于威儀。爾無以釗冒貢于非幾。」
茲既受命,還出綴衣于庭。越翼日乙丑,王崩。

4月、周成王が病気になった。太保の召公奭らをあつめた。
周成王はいう。「文王と武王は、徳を輝かせ、法を布いて、殷を討った。わたしが死んだら、太子の姫釗(康王)を助けてくれ」と。王の遺命を受けて、みなが退出した。周成王が死んだ。

姫釗(康王)の即位を準備する

太保命仲桓、南宮毛俾爰齊侯呂伋,以二干戈、虎賁百人逆子釗於南門之外。延入翼室,恤宅宗。丁卯,命作冊度。越七日癸酉,伯相命士須材。 狄設黼扆、綴衣。牖間南嚮,敷重篾席,黼純,華玉,仍幾。西序東嚮,敷重厎席,綴純,文貝,仍幾。東序西嚮,敷重豐席,畫純,雕玉,仍幾。西夾南嚮,敷重筍席,玄紛純,漆,仍幾。越玉五重,陳寶,赤刀、大訓、弘璧、琬琰、在西序。大玉、夷玉、天球、河圖,在東序。胤之舞衣、大貝、鼖鼓,在西房;兌之戈、和之弓、垂之竹矢,在東房。大輅在賓階面,綴輅在阼階面,先輅在左塾之前,次輅在右塾之前。
二人雀弁,執惠,立于畢門之內。四人綦弁,執戈上刃,夾兩階戺。一人冕,執劉,立于東堂,一人冕,執鉞,立于西堂。一人冕,執戣,立于東垂。一人冕,執瞿,立于西垂。一人冕,執銳,立于側階。

太保の召公奭らが、兵士を連れて、太子の姫釗を迎えた。太子は翼室に入って、宗(みたまや)で喪に服することになった。丁卯、作冊官に命じて、王位を継承する儀礼の計画を立てた。

ぼくは思う。この『尚書』顧命で見るべきは、ことの順序である。いちいち出てくる固有名詞とか、細かな描写などは、あまり関係ない。即位儀礼がどのような順序で行われるか。皇帝即位が先か、天子即位が先か、を後漢で考えるときのカギになる。後漢では、皇帝が先で、天子が後である。

建物を装飾し、道具を準備し、護衛がスタンバイした。

王麻冕黼裳,由賓階隮。卿士邦君麻冕蟻裳,入即位。太保、太史、太宗皆麻冕彤裳。太保承介圭,上宗奉同瑁,由阼階隮。太史秉書,由賓階隮,御王冊命。曰:「皇后憑玉幾,道揚末命,命汝嗣訓,臨君周邦,率循大卞,燮和天下,用答揚文、武之光訓。」王再拜,興,答曰:「眇眇予末小子,其能而亂四方以敬忌天威。」乃受同瑁,王三宿,三祭,三吒。上宗曰:「饗!」太保受同,降,盥,以異同秉璋以酢。授宗人同,拜。王答拜。太保受同,祭,嚌,宅,授宗人同,拜。王答拜。太保降,收。諸侯出廟門俟。

康王(太子の姫釗)がかんむりをつけ、階を登った。太史は、成王の遺命の文書をもって、康王にむけて伝達した。「周室に君臨せよ。文王と武王の教訓をまもれ」と。康王は再拝してから、遺命にこたえた。「うまくできるか不安です」と。
康王は、上宗から酒を受けとった。成王の霊前に進み出て、酒をしたたらせて祭った。康王が酒を供えた。上宗が「前王の霊が、酒をお受けになった」という。
(上宗が酒を手にとり)、太保の召公奭が、上宗から酒を受けとった。召公奭は、その酒の器(同)をすすいで、その場に置いた。べつの器をもち、返礼のための酒をくんだ。召公奭は、宗人に器を持たせ、康王に拝礼した。康王は答礼した。
召公奭は、宗人から器を受けとり、酒をしたたらせた。召公奭が酒に口づけし、器をその場に置いた。ふたたび召公奭が器をとりあげ、宗人に持たせ、召公奭が康王に拝礼した。康王が答礼した。

平凡はいう。宗人とは、儀礼をつかさどる者。宗人のなかの長官が、上宗であろう。
ぼくは思う。平凡版318頁に、酒がめぐる考察がある。おもしろそう。ちょっといま、頭が働かないので、後日に絶対やる。

こうして、王位の継承がおわった。

康王が諸侯に即位を宣言 (康王之誥)

王出,在應門之內,太保率西方諸侯入應門左,畢公率東方諸侯入應門右,皆布乘黃朱。賓稱奉圭兼幣,曰:「一二臣衛,敢執壤奠。」皆再拜稽首。王義嗣,德答拜。
太保暨芮伯咸進,相揖。皆再拜稽首曰:「敢敬告天子,皇天改大邦殷之命,惟周文武誕受羑若,克恤西土。惟新陟王畢協賞罰,戡定厥功,用敷遺後人休。今王敬之哉!張惶六師,無壞我高祖寡命。」

康王が廟から出た。東西の諸侯がならんだ。召公奭らがいう。「天子にお告げします。文王と武王は、大命を受けて、西方の諸国を安定させた。成王は、賞罰をととのえた。成王の遺命を守りなさい」

王若曰:「庶邦侯、甸、男、衛,惟予一人釗報誥。昔君文武丕平,富不務咎,厎至齊信,用昭明于天下。則亦有熊羆之士,不二心之臣,保乂王家,用端命于上帝。皇天用訓厥道,付畀四方。乃命建侯樹屏,在我後之人。今予一二伯父尚胥暨顧,綏爾先公之臣服于先王。雖爾身在外,乃心罔不在王室,用奉恤厥若,無遺鞠子羞!」
群公既皆聽命,相楫,趨出。王釋冕,反喪服。

康王が答えた。「同姓王たちよ。助けてくれ」と。みなが退出すると、康王はかんむりを脱ぎ、喪服にもどった。

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『尚書』周書・呂刑 第55

周穆王が、刑罰の歴史をいう

惟呂命,王享國百年,耄,荒度作刑,以詰四方。
王曰:「若古有訓,蚩尤惟始作亂,延及于平民,罔不寇賊,鴟義,奸宄,奪攘,矯虔。苗民弗用靈,制以刑,惟作五虐之刑曰法。殺戮無辜,爰始淫為劓、刵、椓、黥。越茲麗刑並制,罔差有辭。民興胥漸,泯泯棼棼,罔中于信,以覆詛盟。虐威庶戮,方告無辜于上。上帝監民,罔有馨香德,刑發聞惟腥。皇帝哀矜庶戮之不辜,報虐以威,遏絕苗民,無世在下。乃命重、黎,絕地天通,罔有降格。群后之逮在下,明明棐常,鰥寡無蓋。 皇帝清問下民鰥寡有辭于苗。德威惟畏,德明惟明。乃命三后,恤功于民。伯夷降典,折民惟刑;禹平水土,主名山川;稷降播種,家殖嘉谷。三后成功,惟殷于民。士制百姓于刑之中,以教祗德。穆穆在上,明明在下,灼于四方,罔不惟德之勤,故乃明于刑之中,率乂于民棐彝。典獄非訖于威,惟訖于富。敬忌,罔有擇言在身。惟克天德,自作元命,配享在下。」

これは呂侯が伝達した、刑法の命令である。
周穆王は100年も君臨した。刑法をつくった。
穆王はいう。苗君が、5つのむごい刑罰を定めた。冤罪が流行ったので、上帝があわれんだ。上帝は苗君に、 冤罪をしないように命じた。伯夷は、公正な裁判を行った。裁判の目的は、刑罰でおどすのでなく、徳を勧めることである。

穆王が、刑罰を慎ませる

王曰:「嗟!四方司政典獄,非爾惟作天牧?今爾何監?非時伯夷播刑之迪?其今爾何懲?惟時苗民匪察于獄之麗,罔擇吉人,觀于五刑之中;惟時庶威奪貨,斷制五刑,以亂無辜,上帝不蠲,降咎于苗,苗民無辭于罰,乃絕厥世。」
王曰:「嗚呼!念之哉。伯父、伯兄、仲叔、季弟、幼子、童孫,皆聽朕言,庶有格命。今爾罔不由慰曰勤,爾罔或戒不勤。天齊于民,俾我一日,非終惟終,在人。爾尚敬逆天命,以奉我一人!雖畏勿畏,雖休勿休。惟敬五刑,以成三德。一人有慶,兆民賴之,其寧惟永。」

治民の官僚たちよ。冤罪をつくった苗氏は、子孫が絶えた。公正に裁判した、伯夷を見習え。わが王族たちよ。刑罰をつつしみ、3徳を成就させよ。

王曰:「吁!來,有邦有土,告爾祥刑。在今爾安百姓,何擇,非人?何敬,非刑?何度,非及?兩造具備,師聽五辭。五辭簡孚,正于五刑。五刑不簡,天于五罰;五罰不服,正于五過。五過之疵:惟官,惟反,惟內,惟貨,惟來。其罪惟均,其審克之!
五刑之疑有赦,五罰之疑有赦,其審克之!簡孚有眾,惟貌有稽。無簡不聽,具嚴天威。墨辟疑赦,其罰百鍰,閱實其罪。劓辟疑赦,其罪惟倍,閱實其罪。剕辟疑赦,其罰倍差,閱實其罪。宮辟疑赦,其罰六百鍰,閱實其罪。大辟疑赦,其罰千鍰,閱實其罪。墨罰之屬千。劓罰之屬千,剕罰之屬五百,宮罰之屬三百,大辟之罰其屬二百。五刑之屬三千。
上下比罪,無僭亂辭,勿用不行,惟察惟法,其審克之!上刑適輕,下服;下刑適重,上服。輕重諸罰有權。刑罰世輕世重,惟齊非齊,有倫有要。罰懲非死,人極于病。非佞折獄,惟良折獄,罔非在中。察辭于差,非從惟從。哀敬折獄,明啟刑書胥占,咸庶中正。其刑其罰,其審克之。獄成而孚,輸而孚。其刑上備,有並兩刑。」

領土をもつ封王たちよ。公正に裁判せよ。

王曰:「嗚呼!敬之哉!官伯族姓,朕言多懼。朕敬于刑,有德惟刑。今天相民,作配在下。明清于單辭,民之亂,罔不中聽獄之兩辭,無或私家于獄之兩辭!獄貨非寶,惟府辜功,報以庶尤。永畏惟罰,非天不中,惟人在命。天罰不極,庶民罔有令政在于天下。」
王曰:「嗚呼!嗣孫,今往何監,非德?于民之中,尚明聽之哉!哲人惟刑,無疆之辭,屬于五極,咸中有慶。受王嘉師,監于茲祥刑。」

長官たちよ、同族たちよ。刑罰をつつしめ。天の代わりに刑罰を行うことを、おそれ慎め。天の命令は中正であるが、それを代行する者が命令に背けば、刑罰が中正でなくなる。孫たちよ、正しく裁判せよ。

ぼくは思う。ヤッツケちゃったけど、周穆王が言いたいことは、よく分かりました。刑罰は天を代行することだから、慎重にね。天命に違えるなよ。違えたら、周室が天命を失い、終わっちゃうぞと。

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『尚書』周書・文侯之命 第56

王若曰:「父義和!丕顯文、武,克慎明德,昭升于上,敷聞在下;惟時上帝,集厥命于文王。亦惟先正克左右昭事厥辟,越小大謀猷罔不率從,肆先祖懷在位。嗚呼!閔予小子嗣,造天丕愆。殄資澤于下民,侵戎我國家純。即我御事,罔或耆壽俊在厥服,予則罔克。曰惟祖惟父,其伊恤朕躬!嗚呼!有績予一人永綏在位。父義和!汝克紹乃顯祖,汝肇刑文、武,用會紹乃辟,追孝于前文人。汝多修,扞我于艱,若汝,予嘉。」
王曰:「父義和!其歸視爾師,寧爾邦。用賚爾秬一鬯卣,彤弓一,彤矢百,盧弓一,盧矢百,馬四匹。父往哉!柔遠能邇,惠康小民,無荒寧。簡恤爾都,用成爾顯德。」

王は文侯の功績をたたえた。

平凡はいう。王と文侯は、だれか。2説ある。1つ、周平王と、晋文侯の姫仇である。1つ、周襄王と晋文侯の重耳である。

「父(同族)の義和よ。文王と武王は、上帝から天命を受けた。私の代になって、上帝から咎められている。典はわが国家を傷つける。長く務める役人もいない。私は王位にいられるかな」と。

平凡はいう。周室が食らった罰とは、西周が滅んで、東周に遷都したことをいう。このとき周室を助けたのが、ここにある「文侯」である。

「父(同族)の義和よ。きみは祖先の事業を継承しているから、弓矢などを与える。輝かしい徳を成就させよ」と。

ぼくは思う。周王の正統、もうだめじゃん。投げるなよ。

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『尚書』周書・費誓, 秦誓 第57,58

費誓:魯公が淮夷の征伐のとき、戒厳する

公曰:「嗟!人無嘩,聽命。徂茲淮夷、徐戎並興。善敹乃甲冑,敿乃干,無敢不弔!備乃弓矢,鍛乃戈矛,礪乃鋒刃,無敢不善!今惟淫捨牿牛馬,杜乃擭,敜乃穽,無敢傷牿。牿之傷,汝則有常刑!馬牛其風,臣妾逋逃,勿敢越逐,祗復之,我商賚汝。乃越逐不復,汝則有常刑!無敢寇攘,逾垣牆,竊馬牛,誘臣妾,汝則有常刑!
甲戌,我惟征徐戎。峙乃糗糧,無敢不逮;汝則有大刑!魯人三郊三遂,峙乃楨干。甲戌,我惟築,無敢不供;汝則有無餘刑,非殺。魯人三郊三遂,峙乃芻茭,無敢不多;汝則有大刑!」

魯公がいう。「淮夷や徐戎が謀反した。

ぼくは思う。『尚書』費誓は、魯公が異民族を討伐するときに出した命令。討伐すべき異民族とは、「淮夷」「徐戎」である。長江より北の、揚州や徐州あたりに異民族がいるという認識。三国ファンからすると、孫呉が虐げられているようで、おもしろい。殷代からの古民族で、古文化を伝えていたらしい。
平凡はいう。費とは、地名である。偽孔伝では、魯の東郊の地。

武具を整備せよ。牛馬を解き放て。他人の牛馬が解き放たれていても、他人の奴隷が解き放たれていても、持ち場を離れるな。持ち場を離れて、牛馬や奴隷を集まれば、刑罰をくわえる」と。

平凡はいう。なぜこの命令を出すか。牛馬を奪われる被害を小さくするため。近郊で戦闘になったら、牛馬の騒ぎで戦闘が妨害されないように。
ぼくは思う。曹操が馬超を攻めたとき、丁斐が牛馬をバラまくのを連想したけど。この『尚書』費誓とは、まったく関係なさそう。「異民族が牛馬に気を取られているスキに、打ち破る」という作戦ではない。
平凡はいう。牛馬でもこの命令が出るのだから、臨戦のときの国内は、きっちり戒厳されていたと。総力戦のためらしい。


秦誓:秦穆公が、寛容な人物を用いたい

公曰:「嗟!我士,聽無嘩!予誓告汝群言之首。古人有言曰:『民訖自若,是多盤。』責人斯無難,惟受責俾如流,是惟艱哉!我心之憂,日月逾邁,若弗雲來。
惟古之謀人,則曰未就予忌;惟今之謀人,姑將以為親。雖則云然,尚猷詢茲黃發,則罔所愆。」番番良士,旅力既愆,我尚有之;仡仡勇夫,射御不違,我尚不欲。惟截截善諞言,俾君子易辭,我皇多有之!
昧昧我思之,如有一介臣,斷斷猗無他技,其心休休焉,其如有容。人之有技,若己有之。人之彥聖,其心好之,不啻若自其口出。是能容之,以保我子孫黎民,亦職有利哉!人之有技,冒疾以惡之;人之彥聖而違之,俾不達是不能容,以不能保我子孫黎民,亦曰殆哉! 邦之杌隉,曰由一人;邦之榮懷,亦尚一人之慶。」

秦穆公が、軍士にいう。

平凡はいう。秦穆公が、鄭国に遠征した。晋襄公が、晋軍を破った。前626年のこと。秦軍が敗れて帰還したとき、この秦誓をつくった。

古人はいう。他人からの批判を受容するのは難しい。白髪の謀臣はミスを犯さないが、腕力ある勇士はミスを犯す。 他人の長所を認めて活用できるのが、優れた人材である。いま国家が危機だから、こういう人物を採用したい。

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