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- 「陸機の「封建」論と貴族制」を小説に仕立てる
いつもと違う形式で文章をつくります。「西晋の陸機に仮託して、爵制に関する構想をねる」と書いたとおり、ぼくが爵制について考えていることを、陸機の口を借りた、小説風の形式で書き留めます。
小説形式なのは、根拠をしっかりと示せない(まだ準備中)のことを、たくさん書きたいからです。
論文形式はとてもムリ。かといって、気ままなエッセイ風にするにしても、「ぼく」が主語になるため、なんだか責任がとれない。そう思うから、小説というかたちにします。
前半は、渡邉義浩氏の「陸機の「封建」論と貴族制」(『西晋「儒教国家」と貴族制』所収)を参照しながら、この論文で言われている内容を「解凍」して、陸機の台詞に置き直します。
後半は、今村仁司『交易する人間』に基づいて、ぼくが考えている最中のことを、好き勝手に書き散らかします。
話し手は陸機さんだが、聞き手は成都王の司馬穎。このように、聞き手を設定でき、つっこみ役をやってもらえるのが、小説形式にする利点です。
はじめに_151
成都王の司馬頴は、武帝の司馬炎の子である。いまの天子の司馬衷(諡号は恵帝)の弟である。冀州の中心・鄴県を本拠とし、のちに「八王の乱」とよばれる司馬氏の内部での抗争に参加している。
「きみのような名士を得られて、ほんとうに嬉しい」
司馬穎は、自身の政庁である大将軍府で、ひとりの男を迎えた。
「呉郡の陸機と申します」
彼は、旧呉の名臣の子孫である。すなわち、陸遜の孫であり、陸抗の子である。
陸機伝の和訳が読めます。長谷川滋成「六朝文人伝 : 陸機・陸雲伝(晋書)」
http://ci.nii.ac.jp/naid/110003819365
もともと斉王の司馬冏(司馬衷と司馬穎の従弟、司馬攸の子)に仕えていたが、意見を入れてもらえず、司馬穎のもとに移ってきたのだ。司馬冏と司馬穎は、かつて政治において味方であったが、今日では対立している。
「いろいろと意見を聞きたいが・・・」
と言って、司馬穎は言葉を切った。
「爵位の制度について、陸機はひとまとまりの見識があるようだな。まずは、それを聞かせてもらいたい」
「はい」
陸機は、あたらしい上官の前で、持論の展開を始めた。
「もともと私が斉王さまに、諫言しておりました。功績を上回る爵位を、安易に受納してはならないと。ただ傲慢に陥って徳を失うという、印象の議論ではありません。もっと根底には、爵制の原理が潜んでいると考えております」
「斉王は執政したが、爵位をもてあそんで、たちまち威信を失った」
「そうです。功績を上回る爵位を得てしまうと、ひとは身を滅ぼすのです」
「なぜかな」
「それをご説明するには、話が長くなります」
「付き合おう。こういう話を聞くために、私は陸機を招いたのだ。そして、この晋家を立て直さなければならない。皇族としての責務である」
「ありがとうございます」
陸機は「五等諸侯論」とでも言うべき議論を始めた。
陸機はいう。
といいながら、渡邉氏の論文を抜粋・要約するのですが。本朝において、国家の統治方法は「郡県」「封建」という概念で議論された。漢制は郡県であり、それは『公羊伝』を中心とする今文系経学に基づき、白虎観会議で正統化された。
後漢末に提唱された「封建」論は、『左氏伝』を典拠に、同姓諸侯を皇帝の藩屏とするもの。漢魏交替期より、社会の分権化に対応して、皇帝権力を諸侯に分権した。各地域で、同姓の諸侯が(分担して)支配を浸透させるが、同姓として再統合することで、結果的に国家全体の権力を増やすことが狙いだった。
皇帝権力と国家権力を分けて考えよ、というのが渡邉氏の視点。皇帝の直轄できる範囲は、社会が混乱して狭くなるかも知れない。しかし、同姓の諸侯が分担すれば、国家の総体としての権力は増える。
たとえば司馬炎は、皇帝1人の権力をまもるため、弟の司馬攸を国にゆかせた。だがこれは、国家の権力を損なうことになった。皇帝権力と国家権力はイコールではない。という枠組で、諸侯の制度が論じられている。『左氏伝』は、王(皇帝)には諸侯への礼遇を、諸侯には尊王(皇帝を尊ぶ)を求めた。だが西晋の実態は、この『左氏伝』から乖離した。
司馬穎を見つめて、陸機はいう。
「『左氏伝』を典拠とした、同姓諸侯=司馬氏の諸王の封建は、今日のような戦乱を引き起こしてしまいました」
「それはそうだが。まさか、漢魏に戻せと言うまいな。つまり、天子と同姓の私たちから、政治や軍事の権限を取りあげるなんて」
もしそんな類いの主張であれば、続きを聞く必要はない。司馬穎は、身体を前に傾け、立ち上がるふりをした。この姿勢は、陸機への脅迫でもある。
「まさか、まさか。私は、異姓の者も、封建すべきだと考えています」
「高祖の約で、異姓王の封建は禁じられているぞ」
「それは漢代ですけど――」 陸機が青ざめた。
「戯れただけだ」 司馬穎が笑った。「きみの意見を、聞いてみようじゃないか。いかな理論に基づいて、異姓の諸侯を立てるのか」
「はい。お話いたします」
1 「封建」論の系譜_153
後漢末より盛んになる「封建」論の最初は、200年の荀悦『漢紀』である。『漢紀』巻5 恵帝紀に、同姓諸侯の封建による国家権力の強化を主張した。
皇帝権力は、国家権力を構成する要素にすぎない。同姓諸侯に「分土」すれば、「分民」することなく、国家権力を拡大することができる。
荀悦は『公羊伝』隠公3年・宣公10年にもとづき、「世卿を譏るも、世侯を改めず」という。つまり、異姓諸侯をそしるが、同姓諸侯はたもつ、と。
『申鑑』時事で荀悦は、州牧が権力を握ることが、国家権力を弱めるとして反対する。
荀悦の「封建」論は、後漢と曹魏の基調となった。
西晋における議論は、司馬朗の「封建」論から始まる。
『三国志』巻15 司馬朗伝。五等爵と井田制の復興をいう。すぐには難しいので、州郡の兵を置くべきとする。実現しなかったが、おいの司馬昭による五等爵制の施行、その子の司馬炎による占田・課田制に影響を与えて行く。
曹植は231年「求通親親表」で、同姓諸王の封建と優遇をもとめた。『左氏伝』僖公 伝24年を根拠とする。
西晋における段灼も『左氏伝』を根拠とする。
明帝期の高堂隆は、同姓諸侯王の封建だけでなく、諸王の軍事力の保持を主張した。高堂隆がこのような危険なことを言ったのは、司馬氏の台頭を危惧したから。
243年、曹冏が、異姓からの権力の奪取を主張した。『三国志』巻20 武文世王公伝 注引『魏氏春秋』、『文選』巻52 論2「六代論」にもある。『左氏伝』僖公 伝24年、『尚書』堯典、『詩経』大雅 板をふまえる。ただし内容は、荀悦と同じ。
司馬昭は五等諸侯を封建した。国家身分制としての貴族制の成立である。ただし、異姓の五等諸侯が高官を独占した。
『晋書』巻48 段灼伝にて、異姓の五等諸侯の廃止を提案した。同姓の諸王の封国を拡大せよといった。
陸機の主張と正反対である。劉頌は、同姓諸王に軍事権をもたせ、封土と領民を世襲的に支配させよと主張する。『晋書』劉頌伝によると、君主は賢者である必要はなく、政治に精通する必要もない。恵帝が不慧だからである。
302年、斉王の司馬冏が権力を掌握すると、司馬冏の主簿・王豹は、同姓諸王による分陜をいう。「分陜」とは、周宣王の中興より前に、周公と召公が二伯として天下を治めたという、『公羊伝』隠公5年にある。劉頌を継承するものである。
君主の支配意思としては、臣下に土地を与える代わりに、貢を出させる。だが司馬冏は、長沙王の司馬乂が「骨肉を離間させる」封建論だというので、王豹を殺してしまった。
陸機の「五等諸侯論」は、同時期に司馬穎のために書かれたものである。
2 「五等諸侯論」の特徴_160
陸機に概説を聞かされた司馬穎は、
「私は成都王に封じられているのだが、漢末からの封建を議論を、きちんと参照したことがなかった」
と、すなおに白状した。
「そして、きみの意見を聞けるわけだな」
「はい。恐れながら申し上げますと・・・」
ついに陸機は、自分の考えを述べた。
「成都王を目前にして言うのは、気が引けますが。これまでの封建論は、焦点がずれています。同姓諸王の処遇でなく、地方統治の問題と見るべきでしょう」
「私たち司馬氏の処遇など、どうでも良いと」
「いちいち水を差さないでください」
「すまなかった」 司馬穎はふくれた。
「封建も郡県も、ともに国を分けて世を治めるという点では、同じです。国家権力を持続するという目的に、違いはありません。ただ手段が異なるだけです」
「そうかも知れないな」
「五等の諸侯を置くことは、国家権力を分権化するためでなく、天子の制を広めるためです。つまり、天子の任務を軽くする一方で、国家全体の権力を隅々まで広めることが目的です」
「漢末の荀悦と比べて、なにが違うのか」
「荀悦は、君主権力を同姓に分権化することで、君主権力を集権化することを主張しました。私もまた、分権化すべきという点では荀悦と同じです。しかし異姓に分権化することで、君主権力の分権化を防げると考えております」
「おかしいな。荀悦の言うことは、分からないでもない。分権化するといっても、諸侯は同姓であるから、結果的には集権できると。しかし陸機は、異姓に分権化するというのだから、結果的にも分権化するだろう。分権化を防ぐことはできまい」
「そうおっしゃると思いまして。これをご覧ください」
陸機は文書をだした。
「『詩経』大雅 板です。「宗子は維れ城」とあります。これが私の論拠です」
「これのどこが」
「鄭箋にあります。「宗子とは、王の適子を謂う」と」
「王の適子とは、同姓のことだろう。同姓を城におく。異姓諸侯の典拠にはならない。邪悪な議論を押し通すために、『詩経』を曲解するなら、私はお前を斬らなければならない。われら司馬氏を離間させる者として、段灼のように」
司馬穎が剣をぬいた。
「急いではいけません」
陸機は咳払いをした。
「たしかに『詩経』のこの部分は、魏代に曹冏「六代論」にて、同姓諸侯を封建するための典拠として、引用されていたほどです。成都王さまのご理解は、まったく正しい」
「やはりそうだな。死ににきたか」
「ですから、急ぐなと申しております。『詩経』はこのように続きます。「宗・庶 雑居して、維城の業を定めしむ」と。宗とは、もちろん同姓のこと。では、宗と並んでいる「庶」とはなにか」
「なんだ」
司馬穎は、儒学を修めた「諸生の家」である司馬氏に生まれた者である。こういう議論の行く末を待つことができる。
「『周礼』夏官 都司馬の鄭注にあります。「庶子は、卿・大夫・士の子なり」と。つまり「庶」とは、異姓も含む臣下の子を意味しています」
司馬穎は、だまされたような気がした。しかし、こういう思考の形式、議論の展開こそが、儒者の模範である。司馬穎その人は、儒者としての素養がない。文化資本から疎外された者として、「儒学の議論は、このようなもの」と諒解するしかない、と割り切っていた。陸機の議論を覆すべく、典拠が口から流れ出すことがない。
「ほお」
などと言いながら、司馬穎は剣を収めた。
「それだけではありません」
陸機は、司馬穎に近づいた。
「諸侯には実際の封地をあたえ、それを世襲させるべきです。人事・財政・賞罰を専断させます。これは『礼記』礼運の「世及」という語につけた鄭注が根拠です」
「異姓も世襲するのか」
「はい。驚かれるでしょうが。国家の滅亡の原因が君主にあっても、異姓の諸侯がいれば、それを救うことができます。周家の滅亡は、名君がいないことが原因でした」
「それは、つまり・・・」
「これ以上、私は何も言いません」
陸機は、天子(恵帝)の不慧を批判することを控えた。天子に主体性がないことが、今日の戦乱の元凶である。これは共通の前提である。
陸機はたたみかけた。
「周宣王・周襄王・周恵王は、異姓の諸侯を封じることで、国家を栄えさせることができました」
「例えば、異姓の諸侯とは誰か」
「周宣王のとき、周公と召公。周襄王と周恵王のとき、晋国と鄭国です」
「そうなのかな」
司馬穎は首をかしげた。司馬穎の知識では、いま陸機があげた「異姓の諸侯」の事例は、すべて姫姓、つまり「同姓の諸侯」である。異姓が国家を栄えさせた事例としては、不適切なはずである。しかし司馬穎は経書の学習を怠っており、自信がない。呉郡の名士が主張するのだから、まさか単純な事実の誤認ということはあるまい。生半可なことを言って、恥をかくのを嫌った。
「ほお」
と、また言って、あごをなでた。
陸機は、背中にびっしょりと汗をかいている。司馬穎がいぶかるように、異姓の事例は、じつは全てが事実誤認である。周代の話は「同姓の諸侯」の話である。ただし、もしこれを指摘されたら、「周公や召公は、異姓にも等しい」と切り返すための準備をしてあった。複数の経書とその注釈から、都合のよい部分を結びつければ、何とか裏づけられなくもない。
陸機は、口早に議論を締めくくった。
「郡県制よりも封建制のほうが、すぐれた地方統治の制度です。なぜなら、郡県の長官は、一時の利益と名声のために、百姓を損なう。だが五等諸侯は、異姓であっても、封地を子孫に伝えるため、百姓の統治につとめるでしょう」
3 八王の乱と貴族制の堅持_165
司馬穎は、経書の議論に連れ込まれることを嫌って、話題を横すべりさせた。
「なぜ陸機は、異姓の諸侯を勧めるのだ。われら司馬氏だけでは、やはり国家を子孫に伝えることはできないか」
「私の祖父は陸遜。私の父は陸抗といいます」
陸機は、直接に晋家の話をすることを避け、すでに滅ぼされた祖国の話を始めた。陸機の祖国は、司馬穎の父・司馬炎によって、二十余年前に平定された。
「大帝(孫権)のように、臣下を親任すれば、国家が隆盛します。わが祖父も、大帝に親任していただき、夷陵で劉備を破りました。いっぽう、帰命侯(孫晧)は臣下を親任せず、このような結果となりました」
「臣下への親任が、異姓諸侯の封建だと」
「はい。くわえて近年、汝南王(司馬亮)と趙王(司馬倫)は、爵位を濫授しました。高官の冠の飾りである、貂蝉が不足するほどでした。これは国家的身分制としての晋家の爵制が、すでに崩壊したに等しい。封地の裏づけがなく、爵位の称号のみが飛び交いました。秩序を整備するどころか、爵位が秩序を破壊しています」
「耳の痛い話だ」
「そこで。そこで、です。異姓の者も含めて、実際の封地に割り付けてゆけば、濫授された爵位は裏づけがなく、自然と一掃されるでしょう。近年の政乱の弊害を、取り戻すことができます」
「異姓、異姓というが」
司馬穎が、かたほうの口角をあげた。
「きみも異姓だな」
「は、はい。それはそうですが」
「呉郡に陸氏あり。陸氏のほどの名族が、晋家において五等爵を得ていない。これは旧呉の臣という経歴があるから、仕方がないのだが。そろそろ、前世代のしがらみを解除してほしい。要するに、そういうことなのかな」
「おっしゃっている意味が・・・」
「陸機は、呉地に封地がほしいから、こんな議論をしている。そうであろう。経書に詳しくない私でも、それくらいは洞察できるぞ」
「いま交州では――」
「話をそらすな。見え透いている」
「よく聞きなさい。交州では、丹陽の陶氏が刺史をやっております。孫呉が滅びる前も後も、陶氏がそのまま累代、刺史をやっております。いまだに旧呉の地は、もと呉臣の規制力を侮ることができません。まして中原は、皇族の抗争により、荒廃する一方です。もと呉臣の規制力を動員することもまた、晋家にとって良いことです」
司馬穎は目を細めた。
「たしかに陸氏を通じて、呉地から補給を受けられることは嬉しい。だから見返りとして、陸氏を、呉地に封建せよと言いたいのだろう」
陸機が顔をおおって泣いた。
「わが友人の顧栄は、もと呉臣です。彼は私に、呉地に帰るようにと勧めました。しかし私は、荒廃した中原を去り、晋家を離れて、自分の一族だけを保全したくはありません。だからこうして、成都王に意見を申し上げているのです」
「もう良い。わかった。きみを大将軍の参事としよう。私のために働いてくれ」
のちに司馬穎は表して、陸機を平原内史とした。
八王の乱は、さらに情勢が転がった。
司馬穎は、長沙王の司馬乂を討伐することになった。司馬穎は陸機を、後将軍・河北大都督に任じ、本拠である鄴県を委任するという。陸機は辞退したが許されず、やむなく拝命した。
司馬穎が軍装に身をつつんだ。
「爵制の議論よりも、当面の政敵を討たねば」
陸機は、司馬穎のすそを引いた。
「政敵といっても、同姓の諸王でしょう。助けあわないで、どうしますか。同姓と権勢を削りあうよりも、まずは制度を整備すべきです。いまの晋家の制度では、不可避的に諸王が衝突する。これは今日の状況が、もっとも雄弁に語っています。一人ひとりの素質の問題ではなく、制度や構造の問題なのです」
「だからといって、異姓の諸侯を封じれば、解決するのか。お前を諸侯とすれば、解決してくれるのか」
「そういう短絡的な話をしているのではありません」
などと話すうちに、陸機は殺されてしまった。えー! 131107
なぜ斉王の司馬冏が威信を失ったか。伏線を回収しそこねた。このページの後半で、きっちり説明します。閉じる
- 今村仁司『交易する人間』から爵制を発想する 1
今村仁司『交易する人間_ホモ・コムニカンス』講談社選書メチエ 2000
を抜粋しながら、爵制の話に牽強付会をしていきます。
1 「社会的なもの」とは何か
陸機が、まだ大将軍の参事だったころ。酒席で泥酔して、語り始めた。
「人間が社会生活をするとき、多種多様な相互交換を行う。それらの行為は、複合的であり、混在的であり、重層的である。むしろ単独的のほうが珍しい」
成都王の司馬穎は、不審がった。
「陸機よ。言葉づかいが変だが。呉地の方言か」
「いいえ。これはモダンの言葉づかいです」
「もだん、とは何か。やはり方言の一種だろう」
「杜預に左伝癖があったように、私にはモダン癖があります」
「けっきょく方言じゃないか。よい、続けろ」
司馬穎は関心を失って、近くの者と話し始めた。
陸機はいう。
「交換、法と権利、取引、再分配、掠奪または戦争、贈与、等価の交換、平等、貨幣、階層性、支配と服従、労働。人間は、相互行為について、名前を付与せずには生きられない。命名は人間の自己理解の仕方である。人間とは、相互行為の集合である_036」
同じ席にいた盧志が、口をはさんだ。
「受命、賜爵、任官、立功、そして禅譲。これもまた、相互行為に与えられた一つの名と言うべきか」
彼は盧植の曽孫であり、中原で名高い儒者である。呉地から合流した陸機を、虐げたいと思っている。恥をかかせてやろうと、議論を挑んだ。
そうです、と陸機は盧志を肯定してから、
「ひとつの相互行為は、ほかの相互行為をふくむ。部分が自立することはない。ある行為は、同時にほかの行為でもある。経済的行為に見えても、同時に政治的であり、法と権利的であり、宗教的あるいは儀礼的であり、審美的である。」
盧志が周囲の反応を確かめてから、
「もっと分かりやすく言えないのか」
と要求した。
「われわれが、交易、貢納、とよぶ全てのものが、当初は供犠だった。供犠は、宗教でもあり、商売のようにも見える」
陸機は、さらに説明を続けた。
「例えば、われわれが始祖の廟に生贄を差し出すとき。これは宗教的な行為であり、また財産の供出であるから経済的である。また祖先を尊ぶ姿勢は、道徳・規範的な行為である。祖先を尊んで名声を得られるため、政治的な行為でもある。経書の規則を守るので、法的な行為とも言える。また、傍流の者が始祖を祭れないのだから、祭祀は権利にまつわる行為でもある」
生贄の話は、ぼくなりにオリジナルに入れた。もとの本では、サーリンズ『歴史の島々』の事例が引かれている。「きみのいう宗教、というのは何かな」
盧志が噛みついた。
陸機は苦笑して、弁明した。
「モダン癖が出てしまいました。例えば禅譲を正統化するとき、符命や瑞祥に頼れば、神秘的で宗教的であるという。『尚書』堯舜禹の前例に基づけば、思想的で”理”に基づき、宗教的でないという。モダンにおいて、宗教とはこんな意味でつかうのです」
渡邉義浩「王粛の祭天思想」のまとめにおいて、宗教的・神秘的「天」を持つ鄭玄説から、「理」に基づく天へと変貌していく天観念の転換点、、とある。419頁。「呉地ではそうなのだな」
「いいえ呉地の方言ではなく、、まあ良いでしょう。さて、符命を宗教といい、堯舜を宗教でないという。この言説は果たして正しいでしょうか」
盧志が首を傾げたので、陸機はたたみかけた。
「厳密にいうと、正しくないのです。正しくなることができない。ある文化圏(たとえば魏晋)において営まれていることを、べつの文化圏(たとえばモダン)の価値観の分節の仕方で切り分けると、必ず取りこぼしが起きる。だがこのようにしか、人間は異なる文化圏の行為を理解することができない。宗教というのは、モダンにおける分節の仕方の一つだと思って、この概念を使うことを許してほしい」
「よろしい。モダンというのは、呉郡の方言だとして、容認しよう」
と、盧志は意地悪く笑ってから、
「もし禅譲の理論的背景を、鄭玄のごとき感生帝説に頼った宗教的なものから、王粛のごとき理的なものに変遷したと言った場合、それは一つの分析の切り口であり、誤りではないが、だが同時に全体を言い表してもいないと。こういうことか」
と質問した。
「さすが名儒です。モダン癖にも追いつかれるのが早い」
「では王粛は、脱・宗教の思想家なのか。つまり、宗教をまじえることなく、魏晋革命を正統化した思想家とすべきか」
と、かさねて盧志が確認した。
「宗教という言葉の定義によるでしょう。宗教という分節の概念を使わなくても、王莽から漢光武、漢魏革命と魏晋革命にいたるまでの変遷を、説明することができるはずです。ある変化が、決して言語では捉えられないところで推移している。それを、どの角度から、どういう言語を使って照らし、どこの平面に投影させて像を結ばせるか。という違いだけがあります」
陸機は咳払いして、話を補った。
「もっとも、宗教という名の光源とスクリーンを使うことで、鄭玄と王粛のあいだに切れ目が見える、という言説は有効です。宗教という特殊な概念に、限界があることさえ忘れなければ」
なるほどな、と言って、盧志は周囲を見渡した。
周囲の者は、盧志を注目している。ただし、議論の過程には興味がなさそうである。モダン癖に付いてこられる者は少ないだろう。勝敗が決まるのを待っているようだ。
いきなり陸機が、
「そもそも禅譲は――」
と叫んだ。
盧志は箸をおとしてしまった。成都王の司馬穎が、こちらを向いて睨んだ。かまわず陸機はつづけた。
「禅譲は、魏家から晋家への贈与でした。天子という地位の贈与でした。贈与とは、全体的社会的事実として把握することが可能で、さきに述べた諸行為の要素を含むものとして、設定することができます。贈与行為は、経済的行為でないし、政治的行為でもなく、また宗教的行為でもなくて、それらの全てである。観察者が注目する観点によって、ちがって見える」
陸機は、手酌で酒を補充して、さらに言う。
「贈与の当事者は、その行為を、当事者なりの観点で分節(機能分化)させて認識する。贈与の観察者は、その行為を、観察者なりの観点で分節して認識する。複数の観点が、互いに包摂しあい、ドミナント(主要因)であろうと競い合っている。ぎゃくに覆い隠されて見えなくなる要因もあるだろう」
「たとえば禅譲のなかには、経済的行為としての側面もなくはない。だが主要因とはなりえず、政治的な側面が前に出てくると」
「それは盧志どのの見方であって、禅譲は宗教的な儀礼である、と観察する者がいてもおかしくない。もしくは、演劇性のある遊戯、と言う人もあるかも知れない」
言い返された盧志は、むっとして、
「陸機は、魏晋革命を批判しているのか」
と徴発した。
「滅相もない。いきなり、何を言われるか」
陸機は首を縮めて、さらに酒をあおった。モダン癖が加速した。
2 交易の構造_049
陸機はいう。
「社会は種々の交換のかたまりである。交換のたばに還元できる。交換される者は、女性・財・記号あるいは象徴である。このように分析した者がいた」レヴィ=ストロースです。だが私は、と陸機は言葉を補った。
「社会は交換だけではない。さきの言説の欠点は、もっぱら人と人の関係にのみ着目するところだ。神々や自然との交換が抜け落ちている」
これが今村仁司氏の言い分です。「天のことか」 盧志が質問した。
「そう、私たちの言葉では天という。人は、天との相互行為を、想像的に生き抜いてきた。人間は、天を感じとってきた。天の意志は、天候に現れるし、収穫の多寡にも現れる。人間は、天を交渉相手として設定し、擬人化して理解してきた。天との会話が成立しているのであり、ただの人間の独言ではない」
「漢代の董仲舒を起点として、私たちは天人相関説をおもな価値観とする。天を意識する私たちの価値観は、人と人の話だけで完結するものではない。この理解で良いのか」
いかにも、と陸機は満足そうに頷いた。
「漢魏を生きる私たちにとって、モダンにおける自然とは、儒学における天と置き直せるものです」
盧志は顔をゆがめ、「自然」という言葉に違和感を表明して、
「これだから呉人とは話にくい」
と毒づいてから、陸機に先をうながした。陸機はいう。
「所与の世界としての社会(天下)も、第二の自然と見なすべきでしょう。天下というものも、擬人化されて理解される。天下から声望を集める、というとき、人格のようなものを想定している」
「おおむね同意できる」
盧志は話を聞きながら、関心が沸いてきた。すぐに陸機を叩き潰すのでなく、もっと喋らせてみようと考えた。陸機は、もと呉臣という弱い立場なので、いつでも恥をかかせて、黙らせることができるのだ。
陸機はいう。
「天を人格化した私たちは、自然が恵み深いとき、好意ある贈与として受けとる。反対に、災厄が起きたときは、人間が自然に対してふさわしい行為をしなかったから、そういう行為に見合った悪い贈与が帰ってきたと感じる。この感じ方こそが、自然を人格化する_065」
今村氏は、天人相関説の話しかしていないように見えるが、そうではない。スピノザ『エチカ』が引かれている。古今東西、人間の脳の構造は一緒だから、発想することも似てくるのだなあ、と安易に断じてしまいたくなるw「陸機の話は、ここにきて、私たち魏晋の価値観に接近してきたな。董仲舒そのままであろう」
「盧志どのがそう思われるなら、都合がよい。儒家の言説を再点検するものとして、私の話を聞いてください」
「私」というのは、今村氏をアレンジした陸機の台詞としてのぼくの意見。なんだか、ややこしくて、すみません。「陸機がこだわるモダンにおいて、天=自然と、人との関係はいかに」
「天を人格化することは、自然を人間と対等にすることではない。天の人格的存在は、人間以上の人格として見なされます。天の人格は、大きくて超人的なので、恩恵や災厄を与えることがあります」
「まだ董仲舒の範疇だな」
「天は人間に、存在=生命を与えたとすら観念します。人は、始原における贈与(生命を贈与してくれたこと)に負い目を感じる存在です」
「何を言ってるんだ。天が人を創っただと」
「ええ」
「呉郡の邪教だろうか。却下だ。べつの話をせよ」
盧志の血走った目をみて、陸機は話を変えた。
「失礼しました。われら魏晋における、祖先の話に置き換えてください。私たちは祖先によって生命を贈与され、祖先に対して負い目をもっている。何らかの返報が必要だと感じている」
「孝は人間として当然のことだ」
「そうです、当然と感じるのです。だから私たちは、祖先にサクリファイスを行います」
「方言がきつい。何だって」
「サクリファイスとは、供犠です。私たちは日々、寿命を減らしていきています。生きていること自体が、自然――と言うのが許されないのであれば、天や祖先――に向けて、生命を小出しにして供犠・返報しているのです。みずからの生命以外にも、動物を殺して捧げることで、負い目を解消しているのです」
「大牢を捧げるだけで、祖先に対する恩恵に報いられるか。果たして大牢だけで充分だろうか」
「充分とか不充分とか、そのように計量的に捉えられるものではありません。生命を付与されたという圧倒的な負い目があるから、焼け石に水であっても、供犠を差し出さずにはいられない。それが儒家の発想ではありませんか」
「納得したわけではないが、祖先との関係を、供犠によって取り結ぶ。その背後には、負い目を返報せねばという義務感があるというところは同意してやろう」
成都王の司馬穎が、まわりとの雑談にくぎりをつけて、陸機に合流した。
「孝といったな」
「言いました」
「わが父――武皇帝は、至孝な人であった」
司馬穎は、司馬炎のことに言及した。
「ご両親のため、ながい服喪を成し遂げられました。あのときは、臣下たちは心を痛めたものでした」
盧志が横から補った。司馬炎が服喪しているとき、まだ陸機は孫晧に仕えていた。その事情を知るまい、という配慮である。この配慮は同時に、陸機を仲間はずれにする口調も帯びた。
「至孝であることを、陸機はどう考える」
「駆け引きです_069」
「何だと。詳しく言ってみろ」
「お答えします。人間には、自分の価値(自己尊敬・尊厳)を他人に認めさせようという欲望があります。承認されたいという、社会的欲望があります。自分を他人の欲望の対象にしたいと考えます」
「武皇帝は、見栄を張って、自己の尊厳のために、至孝な態度を周囲に見せつけた。陸機はそう言っているのだな」
「そうです」
「大逆である」
司馬穎は立ち上がり、陸機の肩を蹴った。陸機は倒れたが、首だけを起こして、言葉を吐き続けた。
「社会的な承認の欲望は、”貴族的な決闘”をひきおこします。腕力と暴力により、同輩のなかで自分の位置を上昇させようとする_070」
陸機は座り直し、さらにいう。
「武皇帝は至孝であることにより、自己の威信を獲得しようとしました、自分は誰よりも祖先に対して孝である。これは、同じように儒教の孝のコードのなかにいる士大夫たちのなかで、自らを優越させることに等しい。また、同じ司馬氏の皇族のなかで、自らの圧倒的に優位な地位を、さらに盤石にすることができる。武皇帝は至孝として、祖先に対する負い目を、誰よりも盛大に解消することで、社会的に承認される欲望を達成しようとしました」
「黙りなさい」
と盧志が遮ったが、陸機は続けた。
「武皇帝は、至孝であることにより、皇族のなかでの地位を高めた。だが武皇帝の子供たちは、単純な暴力によって、威信を競っている」
「黙れい」
こんどは司馬穎がさえぎった。司馬穎こそ、単純な暴力の当事者である。陸機の主張は、司馬穎への批判になっている。
司馬穎のどす黒い顔を見て、陸機は、
「その怒りこそが、社会的な承認の欲望が、成都王の心身を焼いていることの証明です。承認されるためには、暴力を衝突させる方法が、もっとも安易です。だが武皇帝のように、過剰な返報=贈与によって、威信を高める方法がある。承認の欲望を満たすこともできる。私はこれを言いたかったのです」
と、弁明にもなっていない弁明をいい、陸機は、
「盧志どのは成都王に、洛陽から去って、政権を斉王さま(司馬冏)に任せよと進言されましたね」
と、近年の出来事に話題をすべらせた。
そうでした、といって盧志が司馬穎の表情を確認してから、
「趙王さまの僭越を阻止するため、三王が起義なさった。成都王の功績は、三王のなかで最も大きかった。だが官職を辞退して頂き、鄴県の鎮府にもどって頂いた。これは私の献策だった。この慎み深い行動により、成都王は、威信を拡大なさった」
と、現状をなぞった。
陸機は、盧志の献策と、それを受容した成都王の度量をほめて、
「まさに、私はそれを言っているのです。承認の欲望は、誰にだってあるもの。欲望を満たすためには、武皇帝のように至孝の態度をとり、成都王のように高い官職を辞退する方法がある。遠回りに見えるが、じつは平和的な方法である。人は、このような仕方で競うことができるのです。これ以上、王爵をもった皇族が、諸鎮の兵力をつかって闘うべきでない」
陸機は成都王に向けて、額ずいた。
「興が冷めた。私は寝る」
成都王の司馬穎は、この席から去ってしまった。酒宴に参加した、半数近くの人々が、成都王のあとを追って、この場から退いた。
贈与と返報と、爵制について
盧志は席に残っており、陸機に話しかけた。
「陸機は成都王に、爵制について提言をしたそうだな」
「はい」
「内容は、きわめて政策的なことなので、いま問うのは止めよう。今日は陸機が、爵制をどのようなものと分析・把握しているか聞かせてほしい」
「心得ました」
「さっきまで話していた、交換・交易・贈与・返報など、きみの爵位の議論は、関係があるのか」
「関係があるどころではありません。爵制の議論を展開するために、贈与・返報について、日頃から考えていると言っても良いほどです」
「陸機の考えを話してほしい」
陸機は姿勢をただして、それでは、と前置き、
「盧志どのは、爵位というものが存在しない天下を想像することができますか」
と問いかけた。
この質問は、ページの作者であるぼくと、読者である皆さまは、陸機の言葉を「貨幣というものが」と読み換えると、理解できそうな内容です。「できない。もしくは、天下の秩序が、まるごと変わってしまうだろう。そんなことをいう陸機は、反逆の罪ではすまないぞ」
「反逆の罪ではすまない。良いご指摘です。少ない功績で、司馬氏の生まれでもなのに、たかい爵位を要求する。もしくは、爵位の上下を逆転するよう提案する。これらが普通の反逆の罪です。しかし爵制そのものを無化せよという言説は、反逆の罪を上回るものです」
粗悪な商品を高値で押し売りする。金銭を強奪する。これらは、ふつうの意味での犯罪です。しかし「貨幣の流通を、全世界で凍結せよ」と唱えるなら、資本主義の市場取引の社会から、まったく放りだされるだろう。犯罪とか、そういう次元ではない。「三族、九族を誅するだけでは足りまい。二十七族が誅されるだろう。そして陸機は、それに該当するんじゃないか」
盧志は、自分の冗談に自分で笑った。
「爵位というのは、私たち魏晋の人間にとって、それくらい自明のものです。政治的な序列だけでなく、天子との関係を社会的にむすび、封じられた戸数に応じて経済財をもらう。賜爵を通じて晋家の天命に接続されるのですから、爵位の授受は宗教性をも帯びる。爵位の賜与は、全体的社会的給付と言うべきでしょう」
「全体的社会的給付」とは、モース『贈与論』より。
たとえばぼくらの貨幣だって、第一義は経済的な財物のやりとりに違いないが。貨幣の授受の仕方によって(結婚式や葬式で顕著になるように)経済的な側面以外の、社会的・宗教的な要素を、貨幣が帯びていることに気づく。網野善彦をイメージすれば、史上による売り買いは、特定の人間の管理下ではなく、神の管理下(無縁)で行われる。貨幣は、不可避的に宗教的な色彩をおびる。「そう。爵位は、私たちの天下を規定している」
「では、なぜ天子は、爵位を賜与することで、秩序を作り出すことができるのでしょうか。なぜ天子は、忠を引き出すことができるのでしょうか」
「逆に陸機に問おう。なぜ爵位を賜与されておきながら、天子のために働こうと思わずにいられようか」
「まさにそれ、それです。盧志どのは本質を言いました」
「どういうことだ」
「漢代において、二十等爵の制度がありました。天子は、民に至るまで、爵位を賜与しました。これは民爵と官爵に分かれ、もちろん民爵のほうが下です。天下の人間は、二十等爵という共通の枠組のなかに、秩序づけられました」
西嶋定生氏の話です。「知っている」
「魏代に、上のほうの官爵の再編を試みましたが、いまひとつ徹底されませんでした。文皇帝(司馬昭)において、五等爵制が整備され、今日に至りました」
「今さら言うまでもないことだ」
「天子は、爵位を賜与することで、それを受納した者を、国家的身分制のなかに位置づけることができる。天子が用意した枠組のなかに、天子だけが人を配置して、序列をつけることができる。これが天下の秩序です」
「国家的身分制」は渡邉先生の言葉です。「そうに違いないが」
「爵位を賜った私たちは、天子に対して、どのような感情を懐くか。ずばり、天子に対する負い目です。天や祖先に対して人間は負い目を感じ、供犠をせずにはいられないように。私たちは爵位を賜与してくれた天子に対して、爵位に応じた返報をする義務を感じる。天子に対して追っている義務の大きさ、天子とのあいだに解説された、取引口座の上限額の大きさによって、私たちは秩序づけられるのです」
取引口座、というのは、21世紀のための比喩です。陸機は、なかなか台詞が揺れまくる。でもイメージのしやすさ優先でいきます。「漢代の二十等爵制により、天子が個別人身支配をねらった。現代の五等爵制により、天子が国家的身分を形成した。これは、賜爵に返報する義務を、天子未満の私たちが感じるからとな」
「そのとおりです。武皇帝の至孝と同じように、同輩よりも返報に熱心な者、つまり爵位に釣り合わぬほどの功績を立てる者は、社会から承認されます」
「至忠は、良いことじゃないか。天子は、丸もうけだ」
そう言ってから、盧志は、しまった、という顔をした。
陸機はいう。
「議論はそんなに単純ではありません。功績ある者に爵位を与えなければ、天子は不徳をそしられます。天子は、充分に気前が良くなければ、失うのです。これは、楚や越、さらに遠方の海域の神話や歌謡に歌われていることです」
20世紀の人類学の分析対象になった民族です。「楚や越だと。さすが呉郡の辺境の人士だな」
いちいち盧志が皮肉をいうが、陸機は受け流した。
「天子から臣下に、つねに”貸し”がある状態にしておかねば、天子としての威信が失墜し、社会的な承認を得られなくなります」
「孫晧のことを言っているのか」
盧志は、孫呉を滅亡させた皇帝の名をだした。陸機のもとの君主である。孫晧が臣下をうまく使いこなせず、とくに陸機の父・陸抗は苦しめられた。
「いいえ。私は開闢以来、すべての人間に、返報の義務がセットされ、その義務を怠る者は威信を損なう、という公式が適用されると考えているのですよ」
「きみの思想は、孫晧が亡国させた経験のなかで、形成されたものと見える。だが、あまり過剰に適用範囲を広げないほうが、良いと思うぞ」
などと言いながら、再会を約して、二人は席を立った。131109今村仁司『交易する人間』の1-2章にあたる部分が終わった。3章「交易としての労働」は飛ばす。デュルケームの聖俗の議論は、いずれ帰ってこなければならないかも。つづきます。
これを言っても仕方ないのだが、今村氏の本は、ひとつのテーマを、順序よく掘り下げるものではない。エッセイというと語弊があるが、言ったり戻ったり、飛んだり降りたりする。ぼくが陸機にさせている話も、重複するような、飛躍するような感じになる。そのあたりは、小説の文章は全てがノイズである(@平野啓一郎)ということで、お見逃し下さい。論文じゃないのです。
日常の会話だって、このように支離滅裂です。なんとなく中心を定め、そのテーマの周りを、ぐるぐる回っているものなんだと思う。もしくは、なんとなく、ぐるぐる回っているうちに、その中心の場所が決まってきて、その場所に落ちていた石が、テーマだったことになるのだ。いよいよ次からが「本題」ですw
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- 今村仁司『交易する人間』から爵制を発想する 2
4章 交易としての贈与―共有される負債
より、話をつくります。
1-1 純粋贈与のパラドクス
陸機の邸宅を、盧志が訪れた。
「公式の場ではなく、私的に語り合ってみたい」
といって、木箱を出した。みやげだ、と盧志が言った。
「では根本から考えましょう。贈与する、与えるとはなぜでしょうか」
「先日のように、陸機に、モダン癖に振り回されるのは困る。いまは爵位の贈与、すなわち賜爵に絞って話をしてもよいか」
「望むところです」
陸機は、盧志の要請を受け入れた。
「天子は、忠誠をひきだすため、爵位を賜与する。爵位を受けた者は、功績を立てるという返報をする。天子と臣民の一連の関係を、贈与というのではないかな」
こう盧志が考えを述べると、陸機が首を横に振って、
「それでは贈与になりません。爵位と功績を交換しているだけです。原初的な労働の契約になってしまう」
「労働の契約とは何か」
「ふふふ、さっそくモダン癖を発揮してしまいました」
「またか」 盧志がほおを歪めた。「説明してくれ」
「私の聞いたところ、ある社会では、資本家という生産手段の所有者が、労働者という生産手段を持たない者から、労働という”商品”を貨幣で買い上げます。労働という”商品”を、実態よりも安価に値づけすることで、資本家は利益をあげて、自己の資本を拡大するのです。労働の契約とは、資本家の”搾取”に対して、労働者が無自覚に(もしくは自覚的に)同意署名したものです」
「窮屈で劣等な社会だな」
「私もそう思います。私が言いたいのは、天子と臣民は、かのような労働という”商品”を、市場で交換するような関係ではないということです」
「当然である」
「はい。天子が爵位を賜与するとき、見返りを想定して、利益を計算するなら、それは贈与とは言えません。ただの交換です。近年、趙王(司馬倫)さまは、爵位を濫授して、晋家の秩序を破壊しました。あれは、ご自身に対する忠誠を ”爵位で購おうとした” のであり、爵位の賜与という本来からは外れるものです」
「いかにもそうだ」
その趙王の司馬倫を滅ぼした者が、二人の上官である成都王の司馬穎である。盧志は、趙王の排除において、成都王におおくの助言を行った当事者である。陸機は、まさに現在進行形の政局について、分析を試みているのだ。
「趙王さまは特例だから排除するとしても。天子が爵位を賜与するとき、見返りを期待しているなら、それは贈与ではありません。厳密にいえば、贈与が行われていることを、贈与者・受納者が気づいてはならない。気づいた途端に、贈与者は債権を意識し、受納者は債務を意識するでしょう」
「債権と債務というのも、呉地の方言か」
「贈与者は見返りを期待し、受納者は見返りを行う義務に駆られる。それくらいの意味だと思って下さい」20世紀的な言葉使いで換喩すると、盧志は「そりゃ方言かな」と反応する。この形式は、ちょっと便利なので、続けてゆきます。
「返報を期待しない贈与か」
盧志は、自分の頭のなかを整理すべく、つぶやいた。
「なかなか想像しにくいですが。かりに純粋贈与と呼ぶことにしましょう。贈与者が、これが贈与である、と意識していない。もちろん、返報を期待するでもない」
「非現実的で無意味な想定ではあるまいな」
「浮屠の教えに、類似したものがあります。偉大な菩薩は、誰が与え、誰に与え、何を与えるか、に執着してはならないと_114」
「呉地は浮屠の受容において、先進地域だと聞いた。陸機が、純粋贈与のようなことを言い出すのは、呉地の士人だからだな」
「否定はしません。諸学を兼修してこそ、士人としての文化資本が高まると思い、浮屠もかじっております。盧志どのは、残念ながら浮屠はご存知ないようですね」
盧志は自尊心を脅かされ、奥歯を噛みしめた。
「黙れ」
と怒鳴ってから、盧志は舌なめずりをした。
「陸機は矛盾をしている。贈与する者、受納する者、贈与される者(贈物)の全てが意識されないなら、贈与という行為があるのかないのか、分からない。純粋贈与なんて概念を設定したところで、意味がなかろう。まして今日は、爵位の賜与について議論をすると決めたのだ。贈物としての爵位は、その存在が意識されている。純粋贈与を持ち込んでも、意味がない」
盧志に断定され、陸機は頭をかいた。
「いかにも。純粋贈与にはパラドクスが含まれており、社会的制度として、純粋贈与が成立したことはありません。今後も、成立することがないでしょうね」
「見たことか」 盧志が勝ち誇った。
「ただし純粋贈与に近似する行為は、存在しています。親が子の身代わりになる。聖人が自己を犠牲にするなど」
「聖人――孔子が、自己を犠牲にしたとは聞かないが」
「そうですね。聖人とは、孔子に限りません。たとえば釈迦は、自分の身体を差し出して、虎に食わせました」
「呉人の邪教、ここに極まれり」
「浮屠は呉地の宗教ではありませんが…。ともあれ爵位は、盧志どのの仰るとおり、社会制度において、純粋贈与になりえない。だが、天子と臣民は ”資本家と労働者” でない以上、爵位の授受は、市場交換ではなく、あくまで純粋贈与の数歩手前の行為として、観念されています。この宙づりな状態に、私は社会哲学的な関心をそそられるのです。うまく説明を見出していきたい」
「付き合ってやろう」
盧志は、木箱をあけた。酒の小瓶が出てきた。
1-2 贈与の義務
盧志から杯を受けて、陸機はいう。
「贈与の義務、という考え方があります」
「義務とな」
「贈与というのは、贈与者の自発的な行為として規定されます。しかし、120% ボランタリーな行為ではありません。慣習的、規範的、道徳的な強制が、社会によってなされるのです。だがそれを、自発的だと見せかけねばならない」
盧志は首をかしげ、
「爵位の事例で話せ」
と求めた。
「はい。天子が臣民に爵位を賜与するのは、天子の自発的な行為のはずです。誰かに腕を握られ、むりに爵位を発行する文書に押印するのではない。では天子は、全くの自由な意思にもとづき、自在に爵位を発行するのか。いいえ。慣習的、規範的、道徳的な強制が働いているはずです。どのような功績や人格の者に、どれくらいの爵位を授けるのか」
ここで陸機が息を吸って、間を溜めてから、
「私の関心事である、王爵を皇族だけに限定するか否か、という問題も、慣習や規範のしばるところです。天子の自由な意思だけでは決まらない」
と説明した。
「そうだな。ではなぜ、完全に自発ではないのか」
「一つは宗教的・儀礼的な信念が原因でしょう。もう一つは、構造的な贈与でしょう。社会構造の気づかれざる働きによって、当事者が知らぬ間に贈与が行われる。これは純粋贈与に近い。つまり、返報を期待しない贈与です」
「気づかれざる働きとは」
「例えば爵位は、世襲が可能です。初代の封爵は、いくらかの政治判断の結果かも知れません。しかし二代以降の、なかば自動的な爵位の獲得は、純粋贈与に近づいていく。そう考えます。漢魏にくらべ、今日の晋制では、爵位を継承できる親族の範囲が広がりました。この制度により、自動的な獲得の範囲が広がったと見なせます。しかしそれは、まったくの自動的な規定ではなく、やはり親族の範囲を定めるという ”構造” に基づくものです」
これまで話を受け、盧志が、彼なりの理解を開陳した。
「爵位の起源は、漢代までの郷村における年齢の秩序だそうだ。社会がもつ秩序の構造を、天子が丸ごと借り上げ、天子が賜爵するという制度を確立した」と、西嶋定生氏が書いていた。ええ、と陸機が行論を見守った。
盧志はいう。
「制度が固定されれば、制度の起源をいちいち意識せずとも、賜爵が行われる。また世襲は、自動的に行われる。まったく人為を廃した社会制度など、現実にはあり得ない。だが人為ばかりでもない。世代を経て、運用の事例が蓄積するほどに、自動化され、爵位の純粋贈与に近づく。”構造” とはそういうものかな」
「さすが名儒です。それが ”構造” です」
といい、陸機は補足した。
「漢魏さらに晋家の天子に即位したものは、爵位を賜与するという仕方によって、臣民との関係を構築する。賜与するのは爵位であって、例えばオリコンチャートではありません。天子もまた、爵位の贈与という関係の循環のなかに組み込まれており、爵位を投げ捨てる自由はないのです。爵位を賜与する者が天子である、という逆方向の定義も可能です」
陸機は、のどを鳴らして、盧志の酒を飲んだ。
「オリコンとは…」 と、盧志はうなったが、あえて確認しなかった。
1-3 返報の義務
「天子の話は分かったから、臣民の話をしよう」
「分かりました」 陸機の舌はなめらかである。盧志が持参してくれた酒を、陸機から盧志の杯につぎ、話を展開させた。
「私たちは、贈与に対する返報、という言い方をしてきました」
「臣民は天子に対して、功績をもって返報すると」
「はい。ですが、原理的に返報というものは、あり得ないのです」
「なぜそんなことを言える」
「返報は存在せず、ただ贈与のみがあるのです。ひとつの贈与が、べつの贈与のあとに反対方向に行われるとき、それを返報というだけです」
「もっと分かりやすく頼む」
「たとえば、武将Aが武将Bを殴ったとしましょう。つぎに武将Bが、武将Aを殴り返したとします。ここにあるのは、”殴る” という行為だけであり、”殴り返す” はありません。ただ観察する人が、そのように解釈しただけです」
「呉郡の粗野ぶりがよく分かる、よい例であった。返報が存在しない、というのは分かった。爵位の話にもどせ」
「天子は、ほとんど意識することなく、爵位を贈与する。純粋贈与に接近してゆく。これを受けて臣民は、爵位に対する負い目を持つでしょう。ですが、爵位と等価の労働によって、負債を返済するのではない。負い目に突き動かされて、新たに功績をつくり、天子に向けて贈与するのです。これは、爵位の贈与を差し引きゼロにするための返済ではなく、新たな贈与の発生です」
「分かりにくいな」
大切なことなので、ぜひ理解して頂きたいのです、と言いながら、陸機は床の上をなぞり、図式を示していう。
「たとえば、上造(民爵の第二)の爵位を受納したら、天子に対してこれだけの ”労働” をしなければならない、と計量して規定することはできません。上造を受納した臣民は、あくまで自発的に、天子の統治に協力=贈与するのです。いや自発的に見えるが、社会的な規範に拘束されて、統治に協力せざるを得ない。自発性に関する問題は、天子が爵位を賜与するという先刻の議論と、ちょうど鏡像をなしています。左右対称です」
「臣民が立てる功績というのは、自発的な贈与であるが、構造的に強制された贈与でもあると」
「そのとおりです」
「臣民から天子への贈与を起動するのは、負い目の感情でしょう。返報の義務が、新たな贈与を発生させるのです」
「返報の義務か」 盧志は斜め上をみた。
「はい。先日、成都王の宴席で話したように、私たちは祖先に対して、孝の感情を持っている。この孝は、祖先に対する恩顧に報いるものです。天子に対する負い目は、孝ではなく忠という名称ですが、だいたい同じものです」
「孝と忠をつなげて、類型的に理解する発想は、漢代からある。贈与の文脈においては、孝も忠も、負い目に対して、贈与の行動を起こさせるものだと」
陸機は、床をぱんと叩いた。
「そうです。私たちは、血脈においては、はじめに祖先から贈与を受けた者であり、負い目の感情は必然です。共通の祖先に対して返報の義務をもつ者は、宗族としての秩序をつくりだす」
「まったく納得できる」
「同じように、支配の空間において私たちは、はじめに天子から爵位を受けた者であり、負い目の感情は必然です。共通の天子に対して返報の義務をもつ者は、臣民としての秩序をつくりだす。国家的身分制の誕生です」
「ほお」
盧志は、かみしめるように陸機の言葉を反芻した。
1-4 純粋な負債
ちょっと聞きたいのだが、と問いかけた。
「陸機は、純粋贈与は存在しないと言ったな」
「そうです。純粋贈与に限りなく接近することはあっても、社会制度として、純粋贈与は起こらない。心の隅では、自分の行為が贈与であり、自分の手が離れるものが贈物であることに気づいている」
「裏返せば、純粋負債も存在しないと考えるべきだな」
「どういうことですか」
盧志が持ち込んだ術語に、陸機は耳を傾けた。
「純粋負債とは、純粋贈与を受けた状態。もらいっぱなしの状態だ。何をもらったか意識しており、誰から誰に贈物が移動したかが明白で、一方的に負い目がある状態である」
と盧志は説いた。陸機は理解した。
「そうなりますね。不完全な贈与と、不完全な負い目だけが存在する。これが現実の社会制度です。天子は、一方的に与えて、臣民に負い目を背負わせる存在ではない。臣民に対しても、何らかの負い目が残っている。それが現実でしょう」
陸機はこれを言いながら、不慧の天子(司馬衷=恵帝)のことを思った。天子は、彼自身が統治を行うことなく、いたずらに政治を混乱させ、おおくの人命を奪ってきた。いま天下の臣民は、天子に「貸し」があると言えよう。
「贈与が、贈与のしっぱなしになれば、それで関係は終わってしまう。例えば・・・」
盧志は記憶を吟味してから、
「例えば袁術のような男が、天下に向けて爵位を濫発する。みなが受納だけして、開き直ったとする。すると、袁術をめぐる贈与の体系は、立ち上がらない」
「そうですね。ただし袁術の場合は、少し違うでしょう。みなが袁術からの爵位を受納しなかった。だから、袁術に対して、返報の義務を感じなかった。だから、臣民から袁術に対する新たな贈与が起動しなかった」
「比喩に、けちを付けるな」
盧志は不快そうな顔をした。陸機はさらにいう。
「たしかに返報の義務が、贈与の体系を出現・維持するための本質に見えます。しかし、贈与することが本質となる場合もあります」
「なんだ」 盧志の応答はつめたい。
「ポトラッチです」
「出やがったな、南蛮の方言」
「ポトラッチとは、贈与の競争です。名誉と威信をかけて、どちらがいかに多くの贈与をするか、競い合うのです。まさに権力が発生する現場です。多くを贈与し、負い目を限りなく減らすことで、相手に対して優位にたつ。相手には、たっぷりの負い目を背負わせ、面目をつぶす」
ふむ、と盧志は片目をつぶった。
「近年の風潮のひとつに、奢侈があります。贅沢を競い、蕩尽をする。気前の良さを見せつけて、競争者をへこませる。これは、趙王さまが行った爵位の濫授と同じ発想です。経済財もしくは爵位を、際限なく贈与することで、相手を負債たっぷりにする。自分のために働かざるを得ない状態に縛りつける」
「ポトラッチとは純粋負債をおわせる闘争、というわけか。ただし純粋負債は原理的にあり得ないから、近似的なものにならざるを得ないが」
「いかにも、いかにも」
盧志が導入した概念にうまく着地したので、二人はなごんだ。盧志の持参した酒がなくなったので、陸機が自家の酒を持ちだし、盧志についだ。
1-5 純粋贈与にもっとも近いもの
しばらく他愛もない話で、酒を酌み交わしてから、盧志が話を戻した。
「なんだか、もっとも大切な話を、まだしていない気がする」
「なんですか」
「純粋贈与は、原理的に存在しない。関わった人間が、ぞれを贈与だと気づいたら、純粋贈与でなくなってしまうから。そうだったな」
「はい」
そう応じながら、盧志もこだわるな、と陸機は思った。
「なぜ存在しないにも関わらず、人間は、純粋贈与のようなふりをするのだろうか。なぜ爵位は、単純な労働と置き換えられることなく、いくらかの神秘性をもって賜与されるのだろうか。爵位に対してこれだけの返報が必要、という割り切った言説が流布しないのだろうか」
盧志の関心が、陸機に接近しているようだ。
もしこれが成都王の司馬穎なら、
「この非常時に、爵制の議論をしている場合か」
という態度をとる。しかし非常時だからこそ、すなわち晋家の命脈が危ういからこそ、爵制の議論が重要なのである。爵制をいかに規定するかによって、王朝の性質がきまる。これが陸機の思いだった。
陸機は、
「天子は爵である」
と唐突に宣言した。しばしの沈黙をはさんでから、
「漢代の『白虎通』だな」
と盧志が指摘した。
「そうです。『白虎通』にて、天子は爵であると定められています。これは思想史上の重大事件です。それまで爵位は、上位者から下位者に賜与するものだった。天子というのは、塞外の異民族に対して、皇帝が称する名号だった。これを漢家は、爵位だと規定した。つまり、”天子” もまた上位者から賜与されるものだと定義された」
「天子は天の子である、というくらいだ。孝と忠の原理が、同じ構造をもち、重ね合わされる。天子は天の子というのは、天子が天に対して負い目をもち、返報の義務を負うということを、必然的に導きだす」
いつしか盧志は、陸機のように爵位を語る。
陸機は負けじと自説を拡張した。
「もし純粋贈与があるとしたら、天と天子のあいだの贈与です。天は、王朝の始祖に天命を与える。だが、天というのは、観念的なものである。董仲舒によって、擬人化されるということは、もとは天に人格がないということを意味する。また天命とは、いかなる贈物なのか。分かるようで分からない。また、だれが天命を受信したのか、分かるようで分からない」
「天子は世襲される。何代か世襲されて、事後的に、始祖による受命が確信されると」
「そうです」
陸機は、会話が噛みあってきたので興奮してきた。
盧志はいう。
「宣帝(司馬懿)が晋家の天命を受信した。これは現代における常識である。しかし宣帝の生前、どれだけの人がそれを確信したか。宣帝ご自身も、どこまで自覚なさっていたか、わからない。これぞ純粋贈与と言うべきだろう」
「私はいまだに、宣帝が受命したとは思えません」
「呉賊が言いやがる」 と盧志は笑った。
「宣帝の生前において、魏帝がおり、蜀帝がおり、そして呉帝がおりました。魏帝を差しおいて、重複して宣帝に天命が降るというのは、どうにも理解できない。呉帝がいらっしゃったという事実以前に、魏帝との関係が明らかでない」
「おいおい、死にたいのか」 盧志は苦笑した。
陸機はくじけずに、意見を言い切る。
「ともあれ宣帝が天から受納した ”爵位” としての天子は、晋家が臣僚に賜与するための、爵位の原資となった。五等爵という形式をもち、臣僚に賜与されました」
ふたたび陸機は、指で床に図を描いた。
「始原において純粋贈与が起きた。つまり無から有が発生するように、晋家の天命が贈与された。これを切り分けた晋家の爵位は、純粋贈与の体裁・建前・諒解をもって配分されるものです。ただし、天子という人間と、臣僚という人間のあいだの贈与では、どうしても意識が入り込み、返報の期待が入り込み、純粋贈与になりえない。純粋贈与でないが、純粋贈与のようでもある。この両義性は、宣帝の受命に遡って理解すべきだと思います」
「宣帝からつづく晋家の天子は、天からもらいっぱなしか」
「いいえ。供犠による祭天。あとは、ただ祈るのみ」
「それで良いのか」
「宗教的な儀礼を行ったところで、逆方向の贈与(返報)が充分であるか否かを、計量によって判定しない。だから純粋贈与ではありませんか」
「うーむ」 盧志は腹に落ちない様子である。
「純粋贈与とは、厳密には名づけることのできない行為です。贈与や返報、という言葉は、すべて比喩であり、擬人法的な言葉です。天子を筆頭とした、爵位を持つ者(すなわち天下の臣民の全員)は、何らかの負い目がある。だがそれを分析して、贈与だ返報だというと、とたんに指示すべきもの、言い表したかったものから、ずれてしまう。うまく言えないから、爵位をめぐる行動によって示している。これ以上は言えません」
「そんなものかな」 盧志は疲れてきた様子だ。
「天から天子に爵位を贈与する。天というのは、人間に対して、思考せよ!と刺激する。爵位とは何か、ひいては王朝とは何かを考えさせる。このように爵位の問題に、私たちが夢中になるのは、根底に負い目があるからでしょう」
「どうだろうか。そんな説明を、もし生前の宣帝に申し上げたら、どう仰るだろうか」
「ふはははは」
「そうか、ふはははは」
と笑い転げて、盧志は眠ってしまった。131110閉じる
- 中沢新一『愛と経済のロゴス』から爵制を発想 1
純粋贈与という言葉は、中沢新一『愛と経済のロゴス』にも出てくる。
小僧の神様_350
陸機が呉郡の酒をもち、盧志を訪ねた。
「先日のお礼に参りました」
「宜しい。一緒に飲んでやろう」 盧志が快諾した。
「今日は呉郡の伝承を、話にきました」
「爵位に関係するのだろうな」
「関係します。お付き合い下さい。あるところに、貧しい少年がいました。建業の飯屋で、ある品物を注文しましたが、値段を聞いて払えないことに気づき、品物を押し戻しました。これを見た呉郡の名士が――」
「呉郡の四姓か」
「は、はい。まあそう思って頂いて結構です」
「名士がどうした」
「名士は、少年に食わせてやりたいと思いました。そこで店主に銅銭を渡して、こんどあの少年がきたら食わせてやれと頼みました。後日、その少年は、腹いっぱい食べることができました」
志賀直哉『小僧の神様』を、中沢氏がひいている。寿司が題材なのだが、呉郡の高級な食品って、わからなかった。「名士は思ったそうです。少年に心から同情して、食わせたいと思った。少年は満足したはずだ。人を喜ばすのは良いことだ。だがへんに寂しい、いやな気持ちである。人知れずに悪いことをしたときと似ている。善事だと思ってしたことだが、じつは自分で自分を批判しているのではないかと」
「ほお、そんなもんかね」 盧志は納得しない。
「少年のほうも、周囲に言っていたそうです。だれが銅銭をくれたのだろう。彼が品物を押し戻したことを見て、憐れに思ってくれたに違いない。とても人間のしわざに思えない。天のしわざ、もしくは神仙である。世俗をこえた者が、自分を見守っていると」
「美談じゃないか」
「そうとも限りません。少年は、同じ店の前を通れなくなりました。また自分を見守っているであろう神仙を思い、励みとも慰めともしたそうです。姿も知らぬ神仙だが、いつか再び自分を助けてくれると信じたそうです」
「施した名士は、その後、どうしたのか」
「少年が神仙の話を吹聴し、それを聞きました。だが、自分は神仙ではないから、後ろめたい気持ちになりました」
「その後、陸機は少年に会ったのか」
「いいえ、会っていま――あ、これは呉郡の伝承です。私の話ではない」
「隠さなくて良い。そこまで名士の内面に踏み込んだ伝承があるものか」
「ばれてしまったなら、仕方ありません。この話は、ものの授受に関する3つの形態に触れています。まず、銅銭と食品を等価で往復させる、市場交換。これは等価ですから、授受の成立は、貨幣の有無によって単純に決まります。少年は貨幣がないから、食品を買えない。名士は貨幣があるから、食品を買える。等価のものを瞬間的に往復させるので、後腐れがない。難しくない」
「ひとつ、市場交換」
「はい。つぎには名士から少年への贈与です。少年の身を憐れみ、見返りのない贈与をしようとした。市場交換が(貨幣のない)少年に課した禁止を、乗り越えさせてやるものです。少年に直接に銅銭を渡さず、店主に仲介させたのは、自分を特定されて、感謝されたくなかったから。少年に、負い目を背負わせたくなかったから」
「ふたつ、贈与」
「そうです。しかし名士は――私は、煩悶しました。贈与だと気づかせては、返報が伴ってしまう。だから私は、少年から私への返報が起こらぬように、店主を仲介しました。これは、純粋贈与に近い」
「みっつ、純粋贈与」
「だが、私のやった純粋贈与のまねごとは、善行として賞賛される行為です。じつは自分では、それが分かっていました。私から善行を言いふらすことはありません。だが少なくとも店主は、私からの贈与だと知っている。また自分の行為を、神仙のしわざだと解釈されるのが恐ろしい。私は神仙ではなく、孫呉の官僚の子に過ぎないのだから」
「素直に誇れば良いものを」
「いえ。純粋贈与のふりをしたが、実態は少しも純粋贈与ではない。私は、私が少年に銅銭を恵んでやり、食べさせてやった、と意識しているのです。私は神仙にはなれない」
「陸機は少年から、返報が欲しかったのか」
「そういう吝嗇の話ではありません。銅銭は、少年からすれば大金でしょうが、陸氏にとっては小銭です。返報など必要ない。また、もし少年から返報を受けてしまえば、贈与ですらなくなる。出世払いとすれば、それは支払を遅延させた市場交換に過ぎません」
「陸機が苦しむことなく、贈与をするには、どうすれば良かったのだろうな」
「当面、わかりません」
逸話を聞き終わり、盧志はいう。
「先日、私たちは爵位の話をした。無から有を発生させる。つまり天子ならざる者を天子にすべく、天命を下せるのは、天だけだ。漢魏の官僚に過ぎない司馬氏に天命を純粋贈与できるのは、天だけであった。天は、天命をあげたのだから、これこれを返報せよ、と要求しない。もし晋家の天命が、だれか人間が与えたものであれば、その与えた者は、銅銭を与えた陸機のように苦しむだろう」
「そうです。人間は、返報なき純粋贈与を行うことができない。できるのは、せいぜい贈与まで。贈与には返報の期待が、不可避に付きまといます」
「例えば、晋家に天命を贈与したのが人間であれば、このように悩むわけだ。晋家に天命を授けたのは私だから、司馬氏は私に返報してほしい。いや返報など欲しくもないが、司馬氏が返報を望んだら、私は断って良いのだろうか。そもそも私に天命を授ける資格があったのだろうか。傲慢だったのではと」
「はい。だから天命は、専ら天がくだします。もしくは、人間ならざるものが贈与したという、言説の形式を取らねばならない。建業の市場における、私のような存在を作り出さないために」
盧志はひげをつまんで、
「でも、ちょっと待てよ。晋家の天子のとしての地位は、魏帝から譲られたものではないか」
と問題を提起した。
「そうですね。そして魏帝は、漢帝から禅譲されました」
「武皇帝が即位するとき、漢から魏への禅譲についても言及されたはずだ。司馬氏の天命を論じるだけなら、司馬氏の話だけで良い。百歩ゆずっても、魏帝の話までで良い。なぜ漢帝の話が出たのか」
盧志は、司馬炎が即位するときの文書を想起した。
「私はこう思っています。始原における純粋贈与は、漢帝が受納しました。おそらくは董仲舒の時代、つまり漢武帝のとき、遡及的に ”漢高帝が純粋贈与を受けた” という論理がつくられた」
「儒学の思想史においては、そうだろうな」
「その天命は、人間である漢帝から魏帝、魏帝から晋帝に贈与されました。だが、魏帝が受納したのは、漢帝がゼロから創出した天命ではない。漢帝が天から受納した天命を、パスされたに等しい。曹魏が建国されるとき、漢家の天命が消滅して、新たに純粋贈与が起こったのではない」
「天命が消滅して、新たに受信されたなら、それは放伐と言うべきだろう」
「そうです。あくまで禅譲でした。今のところ純粋贈与は、漢代に一度きりで、あとは人間のあいだの贈与に違いない」
「魏帝は漢帝に、返報をしたのかな」
――魏晋の話は、盧志どののほうが詳しいでしょう、
と言いたかったが、陸機は堪えて、自説を述べてゆく。
「董卓より以後、あれだけ荒廃した天下を、魏武帝が漢の丞相として立て直した。また革命ののち、劉氏を山陽王としておき、皇帝の一人称を許すなどしたと聞いています。魏帝から漢帝への贈与は、充分に行われています。むしろ、漢帝から魏帝への禅譲が、魏武帝が行った贈与に対する返報である、と言っても良いかと」
「漢帝から魏帝に譲ったのは、他ならぬ天子の爵位だ。魏武帝・曹操の功績が大きいといっても、それで足りたのだろうか」
いよいよ陸機は、
――漢魏革命を支持したのは、盧志の父祖だろうが、
と思った。知ったことか、と片づけてしまいたい。だが盧志その人が、漢魏革命を推進したのではない。父祖の判断について、彼もまた知らないのだ。彼なりに納得のいく話を、求めているのだろう。陸機はいう。
「もし漢帝が魏帝に純粋贈与をするのなら、その程度の功績では足りないでしょう。いや純粋贈与には、贈与と返報が多い・少ないという議論すら無用です」
「ふむ」
「漢帝が純粋贈与をすれば、魏帝は漢帝に対して、盧志どののいう ”純粋負債” を追うわけですから、負い目は累代にわたって解消しないでしょう。曹氏がそんな不利なことをするとは思えない」
「ほお」
「しかし、漢帝の天命は、天から純粋贈与されたもの。それを一時的に保持する権利を、スライドさせるだけです。だから、魏武帝の功績で充分だったのでは。贈与の本質は、ものの移動です」
なるほど、と盧志は唇をなめた。
「天子は爵である。すなわち天から純粋贈与されたものである。漢家がこの規定を確立したとき、漢家の正統性を説明する意図しかなかったはずだ。だが漢家の天命が、漢帝によって創出されたのでなく、純粋贈与されたものだと規定した時点で、他氏が純粋贈与されても良いではないか、という論理的な帰結を用意してしまった。儒家の言説は、漢家を強めるつもりが、漢家の終焉を用意してしまった」
と、盧志なりに言い直した。
「私もそう考えています」
「だから魏帝から晋帝への移行も起きた」
「そうです」
「ということは・・・」
「いいえ、この次は言うべきではないでしょう」
陸機と盧志は、晋家の天命が、さらにべつの氏に移行することを言いかけて、相互に制しあった。今日の政乱を見ていると、ついつい想定せずにはいられない。またこの大陸の君主をめぐる思想が、天命の移行を保証していることに安心感を覚えた。
それから一言だけ、と陸機がことわり、
「交換を合理的な表音文字とすると、贈与は漢字のような表意文字に相当する。純粋贈与は、意味されるものを持たない純粋なシニフィアンの活動として、神の領域に触れている」
と言った。
「なんだって?」 盧志があきれた。
「いいえ、言ってみただけです_360」
交換と贈与_361
陸機は、酒を入れた箱から紐をほどき、3つの輪をつくった。
「ボロメオの輪です」
ボロメオの輪は、このなかに図を載せました。当てはめる概念は、このページとは違いますが。 ラカンによる羅貫中(三国志ブログのすすめ)陸機は、紐をさわった。3つは鎖のように繋がっている。ただし鎖と違うのは、1つの輪を切れば、他の2つも離れてしまうことだ。3つの輪は、互いに依存し合って、危うい連帯をしている。
「3つの輪を、市場交換、贈与、純粋贈与と見立てます。三者は、密接に関わり合っています。そして――」
陸機は輪を盧志から取りあげ、床においた。
「床の上に置くと、それぞれの輪が重なり合った部分が、面積を持ちます。まずは贈与と市場交換とが交わった部分について、考えてみたいと思います」
「爵位の話なんだろうな」
「もちろんです。贈与と市場交換が交わった部分は、天子未満の爵位を意味します。つまり王爵より以下、五等爵をへて、最下層の民爵まで」
「聞いてやろう」
「市場交換と贈与は、どちらが先にあったか。モダンにおいては、錯誤されがちな問題です」
「先にあるべきは、贈与だな」
「そうです」
「私はモダンなどという、辺境の貧民にありがちな思考の癖に染まっていない。正しく判断できて当然である。市場における等価交換など、日々の経済財の移動だけに着目しても、比率が微々たるものだ。まして経済財に限定せず、人間の諸活動を捉えるというのが、陸機の関心であった。なおのこと贈与を先とすべきだ」
「そこまで仰って頂けるなら、追加はありません。盧志さまにとって馴染みが薄いであろう、市場交換について、その特徴をお話しておきます」
「鄴県の市場でも行われている、売り買いの分析か」
はい、と答えて陸機は説明した。_363
「商品はものです。製造者やまえの所有者の人格や感情は含まれない。同じ価値をもつと見なされるもの同士が交換される。販売者も購入者も、ものの価値を諒解しており、等価の支払があると諒解している。ものの価値は確定的であろうとし、価値は計算可能なものに設定されねばならない」
「改めて言われれば、そうだろう」
「市場交換は、共同体と共同体の接点、共同体の外部で行われました。その場限りで決裁が終わるものです」
「さすが呉郡は、辺境である。市場交換とそれに伴う分析が発展したのも頷ける」
「たしかに呉郡は、漢家の辺境だったかも知れません。しかし呉大帝が登場してから、ひとつの中心となりました。市場交換は、呉蜀の接点でとくに活発でした。三国の交わる荊州もそうです。呂蒙が商人に扮して、関羽の足下に入り込んだのは、市場交換の境界性のなせるわざです」
陸機は、祖父たちの功績をさりげなく滑りこませて誇った。
「市場交換がそのようであれば」 盧志が話を本筋に戻した。「市場交換に先立つという贈与はどういうものか。贈与とは、爵位の授受の仕方である。贈与の性質を語るとは、爵位の性質について語るにも等しい。そういう意味で、とても関心がある。先ほどの市場交換と対比させながら、説明してくれるのだろうな」
もちろん、と陸機は自信たっぷりに応じた。
「私たちの経験には、市場交換の原理では扱うことのできない関係性が、広大に残っています。人格と人格が結びついている場では、贈与の原理が。たとえば、以前に盧志どのがお持ち頂いた酒は、市場で買われたものですか
「まあそうだ」 盧志がうろたえた。
「しかし価格の表示を外して、持参なさったはずです。市場交換の原理のに支配されないものとして、その酒をお持ち頂きました」
「心情として、当然であろう」
「その当然という心情が、贈与の根幹なのです。また私は本日、呉郡の酒をお持ちしました。つまり贈物をもらい、即座に返報するのは失礼であり、日を改めて返報するものです。同じ価格のものを持参することができません。なぜなら私は、盧志どのの酒の値段を知らないのですから。盧志どのが情報が伏せたから、私には分かりません。そこで私は、呉郡の酒という、中原の方が入手できないもの(値段のつかないもの)を返報しています。時間の間隔をおいて、等価であるか分からないものを返報すれば、関係が持続します」
「敢えて説明するなら、そうなろうな」
「私たちは前近代、アルカイックな社会(魏晋)を生きているから、贈与の原理は身体化しているのです」
「アルカリ、、だと。また方言だな」
「贈与と返報は、等価でないこともあります。あえて少し高価そうなものを返報する。しかし、ロコツに高価な印象を与えても失礼です。行き過ぎを警戒しながら、なにかが増殖していくという感覚を共有したいのでしょうか」
盧志は、間接的な親しみの表現に、腰がひけた。陸機をやりこめようと、彼の話に付き合ったのである。だが、酒を持参しあっているうちに、贈与と返報の関係が立ち上がり、親しさが増殖しているというのか。否定できないだけに、
――党派争いにおいて、陸機を殺しにくくなった、
という感想をもった。
「贈与について、まだ市場交換との対比という形式で整理されていないが」
盧志は襟を正して、論客としての態度を保った。
陸機はいう。
「贈与は単なるものではない。ものを媒介にして、人格的ななにかが移動する。相互に信頼する気持ちを表現するかのように、返報は適当な時間感覚をおいて行われる。ものを媒介にして、不確定で決定不能な価値が動いている。そこに交換価値の思考が入り込んでくるのを、デリケートに排除することによって、贈与は初めて可能になる。価値をつけられないもの(神仏から頂戴したもの、めったに行けない外国の産物などが適する)、あまりに独特すぎて他と比較できないもの(自分の母親が身につけていたものを伴侶に贈るなど)などが、贈物として適している」
「良い説明だ」
と盧志は努めて冷淡に答えた。
陸機に呉郡の酒を注ぎ足され、拒むこともできず、自然に腕が伸びて受けてしまった。手持ちぶさたなので、陸機の酒を口に運んだ。身体に、南方の酒の香りが広がり、うっとりする反面、陸機と命運とともにする予感が生じ、慌てて打ち消した。
陸機が厠所にたち、戻ってきた。
「市場交換と贈与は、人間のあいだをものが動くという点で類似しているが、じつは正反対です。贈与は、ものと人格を分離しておらず、一種の中間的対象なのです。自分から分離された途端に、ものとして扱われるものとして、大便などがあります」
厠所から帰って、その比喩をつかうか、と盧志はあきれた。
陸機は構わずに続けた。
「市場交換の場合は、ものと人格の分離は徹底的です。輪郭と境界が明確です。いわば、ものを ”去勢” するのです」
「ものを宦官にするだと」 盧志は混乱した。
「私たちの社会の宦官の話ではありません。元来そなえている機能をくじく、という比喩だと思ってください」
「陸機は、下半身の比喩が好きなのだな」
「精神分析学の語法がこのようなのです」
「よく分からないが、説明は要らない」
「話を前進させましょう。人格を備えたものを去勢するために、まず私たちは、神仏が支配する空間に市場をつくりました。所有者からものを引き離し、神仏の所有物にするのです。そうすることで、ものは抽象的なものとなり、貨幣の価額に換算することも可能になります。つぎに市場から神仏を追放し、市場から税金を取ることで、寺社に莫大な富が集まってきました。それを解放したのが、楽市楽座でした」
中沢氏の「叔父さん」網野善彦が、うらで糸を引いている。「さっぱり分からない」
そうですか、と苦笑して、陸機はいつわって咳をした。
「贈与において、ものの使用価値も交換価値も、わざと不確定のままにしようとします。等価が保証されないかわりに、信頼、友情、愛情、威信などの力が、流動的で連続性をもって、ものを人々のあいだで移動させます。あたかも、ものに霊力が宿っているように。ハウの霊力です」
モース『贈与論』が発見した概念。サーリンズ『石器時代の経済学』にも登場する。盧志は、わけの分からない言葉をつかう陸機にいらだち、空になった杯を投げつけた。陸機のそばの床に落ち、杯は砕け散った。陸機は、
「ハウッ!」
と驚いた。
「わかるように、爵位に引きつけて語れ」
「賜爵と立功は、労働という商品の市場交換ではない。そういう話を、以前にしました」
「ああ、した」
「殷周などの古代のいて、王権は貝殻などを賜与することで、ほかの城市の支配者と関係を結びました。その貝殻を売り買いする市場などなく、ただ威信のやりとりが貝殻を媒介にして行われていました」
「そうらしいな」
「この貝殻をもらったら、どれだけ殷周の王に協力する、という計算などできません。貝殻は一つずつ異なり、それを比較する市場などありません」
「そうだろう」
「貝殻は、やがて爵位という形式を獲得しました。爵位は貝殻に比べれば、比較しやすい。漢代の二十等爵は、自分が天下においてどの高さにいるのか、よく分かってしまう。贈与を去勢して、市場交換に引きずり込もうとする働きは、堪えず働いているのです。それほどに贈与のみの関係は、人格だのみで、危なっかしい」
「貝殻だけでは、今日の天下を治める規模の王朝を作ることはできないだろう。贈与の去勢は、先人の知恵でもある」
「そう。人間の知恵は、贈与を去勢する方向に働きがちである。ただし今日においても、天子がこれだけの爵位を贈与したから、臣民はこれだけの働きをする、という労働市場は存在しません。また存在してはならない。天子は、行政サービスの販売者ではないのです」
「今日の爵位とは、古代の貝殻による首長たちの関係構築と、陸機のいう労働市場とのあいだに位置して、両者の綱引きのあいだで、絶妙に成り立っているものだと」
「そこまで思い到って頂ければ、もう充分です」
陸機は帰りがけに、言い加えた。
「贈与から市場交換への過程は、言葉に似ています。隠喩と換喩ということばの詩的機能がさきに生まれました。詩的機能を、平準化・合理化することで、通常の話し言葉が作られました。話し言葉をひねることで、詩が読まれると思いがちですが、それは錯覚です。もしくは、才能がない後発者が、むりにやっていることです」
「『尚書』より先に、『詩経』ありきと」
「そうです、そうです。のちに『詩経』を、通常の話し言葉、さらにはより整備された『尚書』の書き言葉にひきつけて理解する注釈に、儒者は取り組んできましたが。生成のプロセスからすると、はじめに『詩経』の感覚的で断片的で、一貫性のないつぶやきが先にあったはずなのです」
陸機は、今度はまた拙宅にお越し下さい、といって、盧志の家をあとにした。131112閉じる
- 中沢新一『愛と経済のロゴス』から爵制を発想 2
贈与に吹きこむ不思議な風_376
盧志が陸機の家を訪問した。
上の記事から、この記事までのあいだに、荀彧の死 勉強会と、TOEICの一夜漬け(一週漬け)をやったので、話を忘れてしまった。相互の訪問に、なにか伏線を貼ってあったはずだが、分からなくなったw「あの話、おもしろかったな」
盧志は、陸機が建業で、名前をふせて食事をおごった話を思い出して、繰り返した。
「贈与の行為には、贈与されるもの、贈与する人、贈与される人、の3つが必要です。3つの実態性・固有性が判明しているとき、不思議なところはありません。しかし、1つでも個体性や同一性が明らかでなくなると、贈与の行為の全体から、不思議な香りが立ち上ります」
「始原において、爵位としての天子というのは、贈与されるもの、贈与する人、が明らかでない。つまり、天子という称号が、いったい何なのか。触れることができない。伝国璽は、ただの象徴や代理である。策書は、ただの移動の痕跡であって、天子の爵位そのものではない」
盧志が展開させた話を、陸機がおぎなう。
「そうです。たとえば市場で交換される貨幣。銅製はただの金属片であり、貨幣そのものでない。金銭の授受を約束した文書は、移動の予定や痕跡であり、貨幣そのものでない。ただの市場交換と侮るなかれ、禅譲と同じ構造の分かりにくさが、商取引の現場で起きているのです」
「爵位としての天子を贈与する主体、天という存在も、よく分からない。儒家の文書には、頻繁に登場する。だが天がなんなのか、よく分からない。名前も告げずに食事をおごり、立ち去った名士と、同じ種類の分かりにくさである」
「はい。だから、皇帝制というのは、不思議な香りが立ちこめています」
陸機は立ち上がり、別室から珊瑚をもってきた。
「さぞかし高級なものだろう」
盧志は凝視して愛でた。なぜ陸機は、珊瑚を持参したか。理由は一つしかなさそうだ。陸機は珊瑚を、自分にくれるのだろう、と盧志は予感した。互いに酒と意見を交換しあい、関係を温めてきたのだ。
だが陸機は、珊瑚を、床にたたきつけて壊した。
「何をする」 盧志が驚いた。
「贈与と返報は、循環の原理です。この原理を途切れさせた事故現場から、異質な原理が顔を出す。純粋贈与とは、こういうものではありませんか」
ボアズはコッパー(銅製品)の破壊について報告している。「何をいう。というか、珊瑚が惜しい」
盧志は、自分の所有物を破壊されたかのように動揺して、陸機を咎めた。
涼しい顔で陸機はいう。
「純粋贈与には、4つの特徴があります。1つ、贈与と返報の循環を破壊する。2つ、純粋贈与はものの授受を拒否する。ものの物質性や個体性は、受け渡された瞬間に破壊されることを望む_383」
むぅ、うなり、盧志は黙ったままである。
陸機はつづけた。
「3つ、贈与は記憶=負い目をのこし、返報を義務づける。だが純粋贈与は、誰が何を贈ったのか、すべて忘却させたがる。返報を前提としてない。4つ、純粋贈与は目に見えない力によって行われる。物質(贈物)として出現せず、現象(贈与と返報)としても出現しない。最後まで隠れたまま、人間に何かを贈り続ける」
「まるで天の所業だ」
かろうじて盧志が追いついた。
「そう。人間がこのような贈与、すなわち純粋贈与に立ち会うと、天の所業だと思うのです。建業で私に食事をおごられた少年も、私を神仙だと解釈したようでした」
「珊瑚の破壊となんの関係がある」
盧志は、くだけちった珊瑚を見やった。
「珊瑚が破壊されたとき、私たちは、純粋贈与の原理が出現するのを感じたはずです。みごとに造形された珊瑚を破壊することで、貴重品は貴重品のまま、一瞬にして贈与の循環から飛び出した。返報を期待することなく、惜しげもなく自分からの贈物を破壊するとき、貴重品の実在感に触れるのです」
どうだろうか、と盧志は口を曲げた。
「珊瑚は破壊されることによって、力や価値を”増殖”させる能力を得ます。破壊された珊瑚から、贈与の霊が飛び出す。惜しみなく”増える”能力を授けられて、ふたたび贈与の循環のなかに返ってくるのです」
「今日は、一段と分からない」
「そうでしょう、そうでしょう。純粋贈与の原理は、現実界(ラカン)における現象なのです。理解できてしまえば、それは純粋贈与ではなくなる。現実界から、引きずり出されてしまったことになる。純粋贈与と贈与の交点には、増殖がある」
「爵位の話にせねば、分からないままだ」
今回の盧志は、簡単には頷かない。
陸機は思案してから、後漢の話を始めた。
「漢帝は始原において、天から天子という爵位を与えられた。だが漢の天子という爵位は、董卓の乱により、いちど破壊された」
「それなら分かる」
「漢の天子は、その天子という爵位を元手にして、官僚たちに官爵をさずけて、関係性を築いていた。だが天子の爵位が壊れて、号令が行き渡らなくなった。官僚の命令系統が壊れ、社会の秩序も乱れました。長安から洛陽、許昌のあいだをさまよう漢献帝は、さながら次の依り代を探す、贈与の霊だったわけです」
「贈与の霊とは」
「贈与されたら、返報の義務が生じる。この返報に駆り立てるのが、贈与の霊です。贈物には、もとの持ち主の霊が付着しており、それは贈物に付いて移動する。移動して、もとの持ち主のもとに帰りたがる。贈物がものとして破壊されれば、もはや霊だけが残る」
「李傕に追われる漢献帝は、もはや天子という爵ではなく、破壊された爵から飛び出した、霊そのものだと。分かったような、分からないような説明だな」
「霊そのものとなった漢献帝は、あちこちの群雄と接触・遊離しながら、増殖の原理を発動させました。ただの群盗が三公になったり、漢献帝とは別に袁術のような天子を生み出したり。漢の天子という爵位が破壊されることで、天から群雄への純粋贈与に制御が効かなくなり、たくさんのニワカ天子が生まれました。漢代の安定的な、贈与と返報という循環の規則は、適用されていません」
「しかし、三輔の群盗は、のちに魏武帝に蹴散らされた。袁術も滅亡したではないか」
「そうです。しかし、確かに増殖はあった。しかし人間は、現実界(ラカン)の無秩序に堪えられない。たえず、贈与と返報という規則に回帰しようとします。けっきょくは、漢の天子という爵位を修復して、漢献帝に定着させ、秩序を再建しました。増殖は富貴を生み出しますが、人間は絶えざる富貴など、じつは望んでいません」
「整理しても良いかな」
盧志が、珊瑚の破片をひろい、指さした。
「この珊瑚が破壊される前。たとえば陸機が私に、この珊瑚を贈与してくれたとしよう。すると、珊瑚という贈物に、陸機に由来する”贈与の霊”が付着している。だから、珊瑚は私の手許に置かれるが、陸機の”霊”が、私から陸機への返報を強いる。つまり、私からの返報の品に付着して、陸機の”霊”は、陸機のもとに帰ってゆく」
「そうですね」
「だが珊瑚が破壊された。すると、贈物が破壊され、”陸機の霊”は、空間に放たれる。しかし”霊”は消滅しない。むしろ、私に取り憑く。つまり、陸機は私のために珊瑚を破壊した。だから私は、その破壊に見あうだけの補償をしないと、私は威信が失墜する。これは、ふつうに珊瑚を授受したときよりも、たちの悪い取り憑き方である」
「珊瑚の破壊を、あえて分析するなら、そう言うべきでしょうね」
陸機は、気まずそうに苦笑した。
「ただ珊瑚をもらうなら、珊瑚に見あうと思われるものを返報すれば良かった。だが私は、珊瑚が破壊されたことにより、珊瑚をはるかに上回る返報をせねば、釣り合いがとれない。つまり陸機の”霊”に呪い殺される。ここに、単純な贈与と返報の循環ではおこりえない、増殖の原理が働いている」
「ええ」
陸機は、珊瑚の破壊のあざとさについて、明言されるのは、心苦しかった。だが、盧志に考えが伝わったことを、嬉しく思った。
「漢の天子の破壊は――」
陸機は、ここまで言って、つばを飲んだ。
「天および天命を増殖しました。たしかに三輔の群盗や、袁術の輩は滅びました。しかし、呉帝と蜀帝にも天命がくだり、天子が3人となりました。これを、破壊による増殖と言わずして、どのように説明ができましょうか。漢の天子を頂点とした、贈与と返報が円滑に行われていれば、こんなことは起こりません。無から有が生まれる。これが純粋贈与です。1つの天命が3つに分割したのでなく、1つの天命が3つの天命に増殖した。そう見なすべきでしょう。領土の分割とは、別の話です」
「待て、待て」
盧志が、珊瑚の破片を投げ捨てた。
「まるで陸機の言説は、三国鼎立を懐かしんでいるかのようだ。晋家による天下統一を、心の底では怨んでいるのだろう」
「とんでもない。ただし今日の情勢は、3つ分の天命を過剰に抱えこんだ晋帝が、それを退蔵して(持ち腐らせて)威信を失墜させることを嫌い、過剰に諸王に分配したように見えます。いちど増殖した天命は、行き場を探して、諸王のあいだを徘徊しているのです」
「天子は1人で良い。3つもある天命を統合するか、もしくは減少させられないか」
「また後日、考えましょう」
陸機の思考は、いまでも孫呉を分析するためのもので、晋家の救済について、あまり真剣に考えたことがなかった。
聖霊と資本_457
陸機は、先日もつかったボロメオを輪を出した。
「整理してみましょう」
といい、以下のように述べた。
人間の全体的社会的活動には、3つの側面がある。まず増幅の原理である、「純粋贈与」。増幅をやめて、贈与があれば返報する義務を伴わせれば、「贈与」になる。その贈与から、”贈与の霊”を剥がして、等価交換の決済を都度やれば、「市場交換」になる。
爵位においては、純粋贈与をするのは天。天は、特定の人物(天下を統一した人物)に、天子の爵位を純粋贈与する。天は、いちおう贈与の主体として表現されているが、じつは個体性が不分明である。また天子は、天に対する明確な返報の仕方が分からない。天は天命を増幅する原理をもつ。
天子に預けられた爵位は、臣民に対する下賜が行われる。その爵位は、どの王朝にもらったものかが重要である。魏帝から賜与されたのか、呉帝から賜与されたのかで、まったく別物である。もとの持ち主の”霊”が付着し、功績による返報を強いられる。
やがて爵位は、天子との関係が薄れて、独立した権限として流通し始める。漢霊帝は「爵位を市場交換する」という、爵位がもつ返報の機能を、根幹から否定するような政策をした。贈与と市場交換の間から「商品」が生まれる。
市場交換が、増殖の原理(純粋贈与)と接点を持つことがある。これが、呉帝や蜀帝を出現させた。つまり、劉備も呉大帝も、もとは漢家の官爵をもらい、漢帝に返報すべき存在だった。だが彼らは漢帝との関係が薄れ(彼らが漢帝から受けた爵位が、贈与から市場交換の対象物に移行し)、彼らなりに天から純粋贈与を受けて、その爵位のそなえる権威・権限を増殖させた。
純粋贈与と市場交換の接点には「資本」が形成される。蜀漢の正統性、孫呉の正統性とは、資本である。
などと言いながら、その日も眠りました。131120閉じる