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『晋書』列傳59「忠義」
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10)きみは義士だなあ!
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列伝「忠義」は、終盤戦です。
辛勉
辛勉,字伯力,隴西狄道人也。父洪,左衛將軍。勉博學,有貞固之操。懷帝世,累遷為侍中。及洛陽陷,隨帝至平陽。劉聰將署為光祿大夫,勉固辭不受。聰遣其黃門侍郎喬度齎藥酒逼之,勉曰:「大丈夫豈以數年之命而虧高節,事二姓,下見武皇帝哉!」引藥將飲,度遽止之曰:「主上相試耳,君真高士也!」歎息而去。聰嘉其貞節,深敬異之,為築室於平陽西山,月致酒米,勉亦辭而不受。年八十,卒。
勉族弟賓,湣帝時為尚書郎。及帝蒙塵于平陽,劉聰使帝行酒洗爵,欲觀晉臣在朝者意。賓起而抱帝大哭,聰曰:「前殺庾瑉輩,故不足為戒邪!」引出,遂加害焉。
辛勉は、あざなを伯力といい、隴西は狄道の人である。父の辛洪は、左衛將軍だった。辛勉は博學で、貞固之操の持ち主だった。懷帝のとき、累遷して侍中となった。洛陽が陥落すると、懐帝に随って、平陽に行った。
劉聰は辛勉に、署を將いさせて光祿大夫にしたが、辛勉は固辭して受けなかった。劉聰は、彼の黄黃門侍郎である喬度を遣わして、藥酒を持たせて、勉度に仕官を迫った。 〈訳注〉どうやら毒酒で脅迫したようです。
辛勉は言った。 「大丈夫たる人間は、どうして數年之命が欲しいばかりに高節を曲げて、二姓(二君)に仕えて、武皇帝(司馬炎、亡国の始祖)を下に見るようなことをするもんか!」
辛勉が薬酒を引き寄せて、今にも飲もうとした。喬度は制止して言った。
「主上(あなた)を試しただけなんだ。君はまことの高士だ!」 歎息して、喬度は去った。 劉聰は、辛勉の貞節を褒めて、深く敬い、際立ったものだと認めた。居室を平陽の西山に築造し、月ごとに酒米を支給した。だが辛勉は、辞して受けなかった。80歳で死んだ。
〈訳注〉列伝「忠義」は、名台詞の一発勝負みたくなってきた。
劉敏元
劉敏元,字道光,北海人也。厲己修學,不以險難改心。好星曆陰陽術數,潛心《易》、《太玄》,不好讀史,常謂同志曰:「誦書當味義根,何為費功於浮辭之文!《易》者,義之源,《太玄》,理之門,能明此者,即吾師也。」永嘉之亂,自齊西奔。同縣管平年七十餘,隨敏元而西,行及滎陽,為盜所劫。敏元已免,乃還謂賊曰:「此公孤老,餘年無幾,敏元請以身代,願諸君舍之。」賊曰:「此公于君何親?」敏元曰:「同邑人也。窮窶無子,依敏元為命。諸君若欲役之,老不堪使,若欲食之,複不如敏元,乞諸君哀也。」
劉敏元は、あざなを道光といい、北海の人である。
己を厲しめて學を修め、險難なシーンでも変節しなかった。星暦・陰陽の術數を好んだ。《易》や《太玄》に没頭したが、讀史を好まず、つねに同志に言っていた。
「書物の音読は、まさしく義の根本を味わうものである。どうして浮辭之文(世俗的な歴史の本)なんかに、エネルギーを費やすものか!《易》は、義の源である。《太玄》は、理の門である。この両書に詳しい人は、ただちに私の先生になってほしいものだ」 永嘉ノ亂のとき、齊から西に奔げた。同縣出身の管平は、七十余歳だった。管平は劉敏元に随って西に向かい、滎陽に着いた。賊に持ち物を盗まれて、管平は劫された。
〈訳注〉「劫」は、パワーにものを言わせて脅すこと。
劉敏元は逃げることができたが、戻ってきて賊に言った。 「この身寄りのないご老人は、余命が数年もない方だ。敏元(私)が身をもって代わりなりたい。諸君は私を捕らえてくれ」 賊は聞いた。
「この老人は、君の親なのか?」
劉敏元は答えた。
「同邑の人だ。この方は貧乏で子がおらず、私に命を預けた人なのだ。諸君がもしご老人を使役したいとしても、老いて役に立たない。もしご老人を食おうというのでも、敏元(私)ほど旨くないだろう。諸君には、ご老人を哀れんでもらいたい」
有一賊真目叱敏元曰:「吾不放此公,憂不得汝乎!」敏元奮劍曰:「吾豈望生邪!當殺汝而後死。此公窮老,神祇尚當哀矜之。吾親非骨肉,義非師友,但以見投之故,乞以身代。諸大夫慈惠,皆有聽吾之色,汝何有靦面目而發斯言!」顧謂諸盜長曰:「夫仁義何常,寧可失諸君子!上當為高皇、光武之事,下豈失為陳項乎!當取之由道,使所過稱詠威德,柰何容畜此人以損盛美!當為諸君除此人,以成諸君霸王之業。」前將斬之。盜長遽止之,而相謂曰:「義士也!害之犯義。」乃俱免之。後仕劉曜,為中書侍郎、太尉長史。
賊の1人が、目を剥いて劉敏元を叱った。
「オレはこの老人を解放しねえぞ。お前は、思い通りにならなかったことを憂うがいい!」
劉敏元は劍を奮って言った。
「どうして生き残ることを望むものか!お前を殺して、私も死んでやろう。その不幸なご老人に対し、神祇は哀れんで大切にしてやるものだ。 〈訳注〉「神祇なお、まさに之(窮老)を哀矜すべし」がよく分かりませんでした。 ご老人は私の骨肉(親戚)ではなく、師友の間柄でもない。ただ私を頼ってきたがゆえに、私は身代わりになりたいと思うのだ。お前が諸大夫の慈惠を持っているなら、私の願いに耳を傾けるだろう。だが、お前のような下卑た奴が私の面目を潰して、そんな戯言を言うとはね!」
劉敏元は振り返って、諸盜長に言った。
「そもそも仁義は、恒常的なものでなはない。なぜお前たちは(仁義を実行せず)諸君子を失うのか。仁義を得れば高皇(劉邦)や光武(劉秀)のようになれるものを、なぜ仁義を失って陳勝や項羽のようになるのか!まさに仁義を得る方法とは、威德が大切にされるように仕向けることだ。なぜこのご老人を捕まえて、盛美を損なうのだ!諸君のためにご老人を逃がし、諸君は霸王之業を成せ」
先鋒が劉敏元を斬ろうとしたが、盜長は制止して言った。
「義士なり!彼を害しては、義を犯すことになる」
劉敏元は逃がされた。 のちに劉曜に仕えて、中書侍郎、太尉長史となった。 〈訳注〉派手に一般論を吐いて、名もない老人を救っただけか?こういうエピソードには後日談が要るだろう。老人の高貴な正体とか、盗長が大成功したの後日譚とか。。
列伝「忠義」はまだ続きますが、以降は東晋の人なので、翻訳はいったん止めます。ちなみにここから下は、
周該(天門の人)、桓雄(長沙の人)、周崎(邵陵の人)、易雄(長沙の人)、樂道融(丹陽の人)、虞悝(長沙の人)、沈勁(吳興武の人)、
吉挹(馮翊の人)、王諒(丹陽の人)、宋矩(敦煌の人)、車濟(敦煌の人)、丁穆(譙國の人)、辛恭靖(隴西の人)、羅企生(豫章の人)、張禕(吳郡の人)が名を連ねます。
恒例の「史臣曰」と「贊曰」ですが、大したことを書いてないので省略。
この列伝は、嵇紹の話をしたかったから立てられたようなものでした。後は、一発屋の最盛期だけ断片的に紹介してました。 それにしても、ああ、長かった!090410
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このコンテンツの目次
>『晋書』列傳59「忠義」
1)「忠義」の立伝動機
2)命を救った嵇紹のオーラ
3)嵇紹の血だ、玉衣を洗うな
4)劉備をかすった嵇含
5)司馬冏に周を勧める王豹
6)王豹と司馬冏の死
7)スイートな屍肉の劉沈
8)匈奴の捕虜になったとき
9)子の矢傷を代わりたい
10)きみは義士だなあ!
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