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『晋書』列傳59「忠義」 8)匈奴の捕虜になったとき
列伝「忠義」は、時代が下っていきます。

麹允
麹允,金城人也。與遊氏世為豪族,西州為之語曰:「麹與游,牛羊不數頭。南開硃門,北望青樓。」洛陽傾覆,閻鼎等立秦王為皇太子于長安,鼎總攝百揆。允時為安夷護軍、始平太守,心害鼎功,且規權勢,因鼎殺京兆太守梁綜,乃與綜弟馮翊太守緯等攻鼎,走之。會雍州刺史賈疋為屠各所殺,允代其任。湣帝即尊位,以允為尚書左僕射、領軍、持節、西戎校尉、錄尚書事,雍州如故。

麹允は、金城郡の人だ。遊氏とともに代々の豪族で、西州ではこのように語られていた。
「麹氏と游氏は、牛羊を無数に持っている。南に硃門を開き、北に青樓を望む」
〈訳注〉牛と羊は財産そのもの。金銀より西方では説得力がある。
洛陽が傾覆して懐帝が捕らえられると、閻鼎らは秦王を長安で皇太子に立てた。閻鼎は摂政をした。
麹允はこのとき安夷護軍、始平太守となった。しかし心の中では閻鼎の功績をウザいと思っていた。閻鼎は權勢を振りかざして、京兆太守の梁綜を殺した。麹允は、梁綜の弟で馮翊太守の梁緯らとともに、閻鼎を攻撃して逃走させた。
たまたま雍州刺史の賈疋が殺されたので、麹允は雍州刺史を代行した。
湣帝が即位すると、麹允は尚書左僕射、領軍、持節、西戎校尉、錄尚書事となり、雍州刺史であることは元のままだった。

時劉曜、殷凱、趙染數萬眾逼長安,允擊破之,擒凱於陣。曜複攻北地,允為太都督、驃騎將軍,次於青白城以救之。曜聞而轉寇上郡,允軍于靈武,以兵弱不敢進。曜後複圍北地,太守麹昌遣使求救,允率步騎赴之。去城數十裏,群賊繞城放火,煙塵蔽天,縱反間詐允曰:「郡城已陷,焚燒向盡,無及矣。」允信之,眾懼而潰。後數日,麹昌突圍赴長安,北地遂陷。

ときに劉曜、殷凱、趙染らは、数万で長安を攻めてきた。麹允はこれを破り、捕虜を取って凱旋した。劉曜はまた北地郡を攻めてきた。麹允は、太都督、驃騎將軍となった。ついで青白城を救援した。
劉曜は麹允が着任したと聞いて、矛先を上郡に転じた。麹允の軍は靈武(地名)にいたが、兵が弱いから敢えて進まなかった。
劉曜がのちに再び北地郡を包囲すると、太守の麹昌は使者で救援を求めた。麹允は歩騎を率いて赴いた。麹允が城から數十里のところに来ると、群賊は城を囲んで放火した。煙塵は天を蔽った。敵は麹允にニセの情報を伝えた。
「郡城はすでに陥落しました。焚燒がひどくて、近づくことができません」
麹允はこれを信じたから、兵たちは懼れて潰走した。
数日後、守将の麹昌は包囲を突破して長安に駆け込んだ。こうして北地郡はついに本当に陥落してしまった。

允性仁厚,無威斷,吳皮、王隱之徒,無賴凶人,皆加重爵,新平太守竺恢,始平太守楊像、扶風太守竺爽、安定太守焦嵩,皆征鎮杖節,加侍中、常侍,村塢主帥小者,猶假銀青、將軍之號,欲以撫結眾心。然諸將驕恣,恩不及下,人情頗離,由是羌胡因此跋扈,關中淆亂,劉曜複攻長安,百姓饑甚,死者太半。久之,城中窘逼,帝將出降,歎曰:「誤我事者,麹、索二公也。」帝至平陽,為劉聰所幽辱,允伏地號哭不能起。聰大怒,幽之於獄,允發憤自殺。聰嘉其忠烈,贈車騎將軍,諡節湣侯。

麹允の性質は仁厚で、威斷がなかった。
(愍帝のとき)呉皮、王隱のような奴らは、無賴の凶人だったが、みな重爵を加えられた。新平太守の竺恢、始平太守の楊像、扶風太守の竺爽、安定太守の焦嵩は、みな征鎮杖節、侍中を加えられた。常侍や村塢の主帥のような小者ですら、假銀青の杖を持ち、將軍の号を名乗り、人心を得ようとした。
〈訳注〉 地方政権の悲哀です。長安を逃亡した後漢ノ献帝が、夜盗上がりに高位高官をホイホイ授けてしまったのと同じだろう。
諸將は驕恣で、恩は下々に及ばなかったから、人情は頗る離れてしまった。それゆえに羌胡は跋扈し、関中は淆亂した。
劉曜がまた長安を攻めたとき、百姓の飢えは甚だしく、死者は太半に及んだ。包囲が長引くと、長安の城中は窘逼した。愍帝は劉曜に出降するに臨んで、歎じて言った。
「私をミスリードしたのは、麹允と索氏の二公だ」
愍帝が平陽につくと、劉聰に幽閉されて辱められた。
麹允は地に伏して號哭し、立つことが出来なかった。劉聰は大怒し、麹允を獄に幽閉した。麹允は發憤して自殺した。劉聰は、麹允の忠烈を嘉し、車騎將軍を贈り、節湣侯とおくりなした。

〈訳後の感想〉
捕虜となった愍帝のために大泣きしたから、列伝「忠義」に加えてもらったのだろう。
姓の「麹」というのを、音読みで何て読むのか知らない(笑)この翻訳を作成中も、訓読みの「こうじ」で入力していたほど。 マイナーな姓も仕方ないことで、長安周辺のママゴト政権の有力者なのです。
戦績は大したことなし。当人に有利に書く傾向がある列伝ですら、(麹允が理由だかどうか分からない)劉曜の進路変更の話しか書いてない。
虚報で城の救援を辞めてしまったり、どうしても二流な人物で。愍帝に恨み言を言われているし。亡国の皇帝の幽閉地で切なくなって泣くくらいなら、ぼくでも出来ますよ(笑)

焦嵩
焦嵩,安定人。初率眾據雍。曜之逼京都,允告難於嵩,嵩素侮允,曰:「須允困,當救之。」及京都敗,嵩亦尋為寇所滅。

焦嵩は、安定郡の人。はじめ郡を率いて雍州を拠点とした。
〈訳注〉麹氏と同じで、ローカルな豪族なのでしょう。
劉曜が洛陽に迫ると、麹允は焦嵩にピンチを告げた。焦嵩はふだんから麹允を侮っていたが、こう言った。
「麹允が困まったなら、救ってやらねば」
洛陽が陥落すると、焦嵩も異民族に捕らえられて殺された。
〈訳注〉麹允伝のおまけだろう。国家の非常時には、日頃のいさかいを水に流すということだろうが、面白くない話だ(笑)

賈渾
賈渾,不知何郡人也。太安中,為介休令。及劉元海作亂,遣其將喬晞攻陷之。渾抗節不降,曰:「吾為晉守,不能全之,豈苟求生以事賊虜,何面目以視息世間哉!」晞怒,執將殺之,晞將尹崧曰:「將軍舍之,以勸事君。」晞不聽,遂害之。

賈渾は、どこの郡の人だか分からない。太安(302-303)中、介休令になった。劉淵が作亂すると、劉淵の配下の喬晞に捕らえられた。賈渾は縄目を受けるのを嫌って投降せず、言った。
「私は晉守となったのに、任務を全うできなかった。どうして賊の捕虜として命を求めようか。どんな面目で生きながらえるのか!」
喬晞は怒り、賈渾殺そうとした。喬晞の将軍である尹崧が言った。
「將軍よ、賈渾を生かしておいて、君主(劉淵)に仕えるように勧めてはどうですか」
喬晞は許さず、賈渾を殺害した。
〈訳注〉このセリフ1つを載せたいために、出身地不明の人を引っ張ってきたようで。
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このコンテンツの目次
>『晋書』列傳59「忠義」
1)「忠義」の立伝動機
2)命を救った嵇紹のオーラ
3)嵇紹の血だ、玉衣を洗うな
4)劉備をかすった嵇含
5)司馬冏に周を勧める王豹
6)王豹と司馬冏の死
7)スイートな屍肉の劉沈
8)匈奴の捕虜になったとき
9)子の矢傷を代わりたい
10)きみは義士だなあ!