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- 9.延康十年 曹丕が五丈原に崩ず
前年は、蜀軍が第一次北伐を成功させた。こんな感じ。
http://twitpic.com/d14pxg からいただきました。
上:延康五年末、 下:延康九年末
前年、遼東の公孫氏が降る
思いついた順が前後したので、ここに書きます。蜀ばかり勢力を拡大するのは、話の展開として好ましくない。魏にもプラスの材料がほしい。
本作で曹丕が天子即位した延康五年、(史実よりも勢力が弱いので)妥協的・柔軟な外交を行う。孫権に呉王・呉帝を贈ったように、公孫恭にも高い爵位(燕王にしよう)を与える。遼東は、もとは魏と親和的な国である(曹操に袁尚の首を送るなど)。「燕」は忠実な藩屏である。
曹丕の称帝にはメリットもなくちゃ。この公孫恭は、延康八年(王の冊封を受けてから五年後)、野心あふれる従子の公孫淵に廃される(時期・内容は史実なみ)。曹丕は、公孫淵を糾弾する声明を出す。遼東の豪族は、公孫淵が魏との対決を始めかねないので、不支持を表明した。公孫恭が自ら、曹丕にお伺いを立てる(史実よりも優しくなった曹丕を頼った)。曹丕は協力してやる。
公孫恭は、豪族と語らって、公孫淵に逆クーデター。このとき魏将の力を借りた。軍閥としては解体。公孫氏は鄴都に入る。父の公孫度が、董卓に遼東太守にしてもらってから、40年弱の軍閥であった。
曹操が劉表を降したときと同じ方式。遼東には、力を貸した魏将が魏の「平州牧」として留まり、この地を治めることになる。北方異民族からの兵馬の供給が促進して、史実よりも強い魏になる。
『反三国志』で曹丕が遼東に逃げるが、いち早く和解・解体しておく。本作において、蜀が馬超の力で西域に通じるなら、魏は邪馬台国とつながる。魏呉同盟があり、やがて呉は吸収される予定だから(ネタバレ;SLGの弱者連合)、南海との交易もスムーズ。海の方面を全て制圧して国力を増強した。
がんばれ、海洋大国?の魏。遼東半島~山東半島あたりに海運を発達させ、「統一蜀」への抵抗を試みる、海賊みたいな魏の残党とか、いま思いついた。
邪馬台国から卑弥呼を連れてくる、というのが『卑弥呼対諸葛孔明』である。倭国の描写はザックリ省き、大陸に来てからの卑弥呼の動きを、都合で借りてこよう。邪馬台国の入朝は、史実より早まる。史実では、司馬懿が遼東を得てから、数年以内に到着した。
平州牧は、邪馬台国との外交もやるが、誰がやるか考え中です。
魏は、烏丸・鮮卑を、積極的に取り込む。
呉蜀は異民族から兵を供給した話が印象にあるが(異民族を「開拓」するしか国力を増やせない?)、魏は異民族を弾圧した印象が強い(あくまで印象です)。本作で、魏が「開拓」にしか国力を増やす方向を見出せなければ、史実では南方開発に向かった「漢民族の移動・開拓の圧力」が北方に向かうだろう。
すごく重要なことに気づきました。
晋代に五胡十六国をつくった異民族は、大抵が魏に支配された民の子孫(一部は蜀)。北方の異民族は、漢代の匈奴や、晋代の十六国の例があるように、南方の異民族に比べると、中原に対する影響力を持っている。魏が彼らと交わることで、歴史が変わる可能性がある。もしも魏が本腰入れて統治を工夫すれば(分断統治をやって、単純に弾圧して放置しなければ)、史実よりマシかも。
『反・反三国志』で蜀に追い詰められた魏が、慎重に異民族の利用(ときどき融和)をやれば、魏の国力は史実を上回る粘りを見せるかもしれないし、五胡十六国を予防する方向に歴史がシフトするかも(最後に勝った蜀が、漢民族の代表として、異民族統治の成果を頂くという結末は変えられませんが)幽州・平州牧が、誠意と計略を駆使して、史実よりも一生懸命、北方の異民族と関わる。五胡十六国の祖先(といっても祖父や父)と結んでゆく!
史実で袁紹とその子たちが北方の異民族と協調したように、史実で呉蜀が異民族の統治によって兵力を供給したように、魏が異民族をうまく活用して、いち早く、胡漢融合の「北魏」になれないか。
作中では、長安城のなかで兄弟が語らい、異民族と戦歴のある曹彰がヒントを出すことで、曹丕が胡族の重要性を再認識して、政策を立案する。北方の異民族を取り込んだ北魏の路線なら、曹丕→曹彰への帝位継承があるかも! とにかく力が強い曹彰なら、胡族を心服させることもできる。
遼東の平定により、北方に目が開かれた魏であるが、当面は関中の失陥が大問題である。曹丕・曹彰は、長安のなかで、蜀軍を撃退する方法を考えている。
曹丕・曹彰が、関中の奪回をめざす
本作の延康九年は、西暦に換算すると229年。
延康+220年=西暦。偶然だけど、アラ便利(作者にとって)史実では、前年に諸葛亮が第一次北伐して馬謖が登山し、前年末に郝昭に陳倉をブロックされ、この年の春に陳倉が武都・陰平を平定する。
本作の延康九年のタイムテーブルは、五丈原の戦いを意識する。諸葛亮が持久戦の結果、勝つほうの五丈原の戦い。史実を逆転して、スカッとする。そうだ。史実は「孔明の死で撤退」だが、本作では「曹丕の死で撤退」としよう。
こうやって、ネタバレの順番で発想するのだが、物語をつくるときは、うまく(努力目標)伏線を張って、納得性とリアリティを与えたい。
春2月、孔明は郿県(趙雲・馬謖)を支援するため、五丈原まで進んで屯田を開始した。急速に領土を拡大したばかりの蜀は、大決戦よりも新たに得た領土の安定が大事。時間稼ぎをしたい(史実の反転)。
孔明の動きを見て、長安の城のなかで兄弟げんか。
曹丕 「鄴都を空けてると危ない。河南郡の諸県を張飛が侵攻してる。象徴的な価値のある帝都『洛陽』を奪還して、その足で鄴都に帰るわ!」
居ても立ってもいられなーい!
曹彰 「兄貴、現実を見ろ。東方に割ける兵力なんてあるのか。蜀軍は、大挙して長安に向かってくるかも知れない。関中から蜀軍を追い払うほうが先」
曹丕 「本拠地が……」
曹彰 「そう簡単に落ちるなら、魏はそこまでの国だったということさ。さて、蜀が領土を得たのは腹が立つが、直近、さらに打って出る気配なし。支配が安定する前に、取り返しておこう。李傕・馬超が荒らした関中だが、鍾繇・張既が統治してきた。彼らの徳がほんものなら、魏はすぐに領土を回復できる」
曹丕 「今日では蜀軍のほうが、戦場に投入できる兵数がおおい。魏軍は集中して、関中・洛陽を各個撃破していこう」
曹彰・曹丕は、長安に最低限の守備を残すと、2人とも出撃して、郿県を取り返したい+孔明を駆除したい。曹彰が郿城を攻略し(猛将の趙雲を引き受け)、曹丕が五丈原にゆく(軍事に不得手な政治家同士の対決)。
魏軍が動いたころ、蜀軍も動く。
孔明が渭水の南に進軍する。司馬懿曹丕は渭水をわたり、背水して塁をつくり、諸葛亮をふせぐ。司馬懿曹丕は諸将にいう。
「もし諸葛が武功に出て、山に依って東すれば、憂うべきだった。もし諸葛が西して五丈原(郿県の西、渭水の南)に登れば、諸将は無事である」と。諸葛亮は五丈原に屯した。
曹丕は、ギャラリー野郎(外から批判ばかりするが、自分でプレイしない迷惑な評論家)である。この見立てが、史実の仲達と同じように、正解になるのか。
本作で蜀軍が奪った郿県から見ると、武功は西に進んでおり、五丈原は東に退いている。 孔明は、郿県からさらに進行するため、ここに出たのではない(出たことにならない)。あくまで郿県の後方支援、支配の「線」をつなぐために五丈原に屯している。
史実と同じ五丈原に屯することアリキで、本作は孔明に五丈原に屯させた雍州刺史の郭淮は、
司馬懿曹丕にいう。「諸葛亮はかならず北原を争う。さきに魏軍が北原を占拠しよう」と。反対された郭淮は、再反論した。「もし諸葛亮が渭水をわたって北原に登れば、兵を北山につらね、隴道を遮断するまた馬超を呼びこむかも知れない。これは魏国に不利だ」と。司馬懿曹丕は郭淮を北原にいかせた。塹塁が完成するまえに、蜀軍の魏延が北原にきたが、郭淮が迎撃した。
秋8月、曹丕は五丈原に陣没す
秋まで、曹丕と孔明は、1百余日も向き合う。孔明は、いま屯する場所で粘って、曹丕を撤退させれば、涼州支配が既成事実となる。守るだけで勝てる。曹丕は、孔明を挑発するため、女物の服を送ったり、「働いたら負け」というTシャツを送ったりするが、蜀軍は動かない。
孔明は魏の使者に、曹丕の飲食の状況を聞く。少食+激務で、曹丕は弱っているという。曹操の後を嗣いで、重い任務に堪えてきた。連続する戦役では、勝ちを得ることができず、責任を感じている。
尚書僕射の李福侍中の辛毗に、遺詔を託す。
曹丕 「私の後は蒋琬、つぎは費禕私の後は曹彰、つぎは曹楷(曹彰の子)」
辛毗 「曹叡じゃないんかい?」
曹丕 「(母の甄氏とケンカしたもん)蜀が攻めこんできた今日、若い庶長子の曹叡では務まらない。だから例外的に曹彰に委ねる」
辛毗 「曹彰は分かりましたが、その次は曹楷ですか? 曹植は?」
曹丕 「(ヤツは漢臣に抱き込まれたし)嫡子の相続が原則だ」
辛毗 「よくぞ申された。乱世ですから、例外的に曹彰さまに兄弟相続して、この代のうちに蜀を平定する。以降は原則どおりに(キャラの知名度を無視してでも)嫡子が嗣いでいくと。私心を廃した、ナイスな判断です。魏は、とこしえに栄えるでしょう。曹彰さまの血統で」
曹丕 「……最期くらい、気持ちよく死なせてくれよ」
辛毗 「未練があれば、また生き返って、80歳まで生きるかなーって」
史実に遅れること3年、曹丕は陣没した。
孔明には、まだ寿命の余裕がある。史実の死まで5年あるし、馬良が助けてくれる。史実の仲達のように、曹丕が力尽きるのを、老獪に待ち続けた。
曹丕の去った後の陣を見て、孔明は「天下の奇才なり。私は彼の才の十倍もなかった」と感嘆する。
崩御の報せを聞いて、曹彰は郿県の包囲を解き、長安に撤退。
曹彰 「……(哭)」←顔文字みたいになってる
賈逵 「『印璽はどこか?』と聞きなさい」
曹彰 「……(人事不省)」
賈逵 「魏帝の印璽のありかを尋ねろ、と申し上げています。あなたが魏帝として頂点に立たねば、魏軍は混乱するでしょう。蜀が勢いを得てしまう」
こうして諸葛亮は、第一次北伐で得た領土を、盤石に固めたのでした。長安にいる曹彰を残して、それより西は蜀の領土となりました。曹彰は、魏帝となったものの、長安を離れるに離れられず、挽回をねらう。
留守の鄴城では、仲達・陳羣が固めており、動揺ゼロ。
同年夏、孫権が皇帝になっていた
史実では、この歳の4月、孫権が称帝。
本作でも時期を揃える。五丈原・郿城を、曹丕・曹彰が攻めている期間である。魏蜀が動けなくなったときに、漁夫の利のように尊号を称した。
孫権が帝号をほしがったキッカケは、曹丕から勧進されたから。魏の対等の国としての名誉がほしい。他ならぬ曹丕から勧進されたのだから、即位するしかない。
曹丕の言葉が外発的な要因ならば、内発的には、君主権力の強化を狙っている。呉は、世兵制の仮説(棄却されたらしい)が唱えられるほど、将軍・豪族の独立性がつよい。
曹丕が勧進をすることで、孫権のフリーハンドを奪おうとしているのも知らずに。おそらく本作の孫権は、称帝までは、無表情に魏蜀とのあいだを泳ぎ回る策士。しかし称帝してからは、報いを受けるべき勘違いキャラ。諌止する張昭・陸遜。
孫権は、夏口に出張った陸遜(蜀を防いでる)にイジメ書翰を出して(二宮なみ)、即位を敢行。名士層から見放される。
陸遜の離反フラグ。孫権は君主権力をゴリ押し。後に弱体化して曹丕を頼っていくとか? しかし陸遜の離反は、重要なイベントなので、念入りに描きたい。なぜ孫権が史実なみの時期に称帝したのに反発されるか。
①領土が史実より狭い、②史実より強い蜀を敵に回す、③献帝が在位中である、④曹丕との関係が壊れるかも(曹丕の勧進でも)、⑤外交の柔軟性を失う。
③が最大の要因だろう。本作で蜀が許を得たことより、史実どおりのイベントの意義が変わってくる。この作品らしくて、嬉しい展開。
孫権「漢の祭祀を継ぐために称帝する」
陸遜・張昭「献帝がおるやん。領土が一地方だけやし」
孫権「漢の祭祀と無関係でも、こじつけて即位するのは史実なみ。領土が一地方だけってのも史実なみ。史実通り、付いてこいや」
陸遜・張昭「さすがにムリ……」
呉から蜀に、孫権の即位を告げる使者。
蜀臣A 「孫権は僭逆の心をもって久しい。同盟を切るべき」
蜀臣B 「魏と戦うためには、呉との関係を壊すことができない(史実の孔明なみの発言をしたから、オレの意見が通るだろうな)」
五丈原の孔明 「上に天子(献帝)を頂き、わが漢中王国は、漢室の復興を国是として掲げております。孫権を許すことはできない」
蜀臣B 「(史実と変わっとる)リアルなパワーゲームとして、呉を真っ向からの敵と認定するのは、不都合ではありませんか」
孔明 「漢の反逆者と結ぶくらいなら、辛苦に耐えて北伐をするだろうか。いや、しない。孫権とは、永遠に組むことはない。魏も呉も同罪である。帝位を称していない、劉禅さまだけがジャスティス」
蜀臣B 「……(魏との戦いで有利だから、こんなことを言えるんだ。まあ本作では、有利だけど。後悔することにならなければ良いけど)」
呉から魏に、孫権の即位を告げる使者。
五丈原の曹丕 「めでたい。対等の国として栄えよう(マジで病むわ。このままでは、数ヶ月後に陣没してしまうわ。というか陣没すると、さっき書かれていたぜ)」
理想としては、唯一無二の天子として君臨したかった曹丕。しかし、献帝を同姓王の劉禅が守り、その外部に、弱小の魏帝・呉帝が並ぶ。だれが朝廷で、だれが賊徒なのか、明白すぎる構図。孫権と仲良くしているのを見られると恥ずかしいというのが、曹丕の本音だが……、呉と結ばないと蜀に対抗できないから、偽りの祝賀。
曹丕 「魏呉が天下を二分するプランについて語ろう(ああ私は、何をふざけたことを言っているんだ)」
乃遣衛尉陳震使於吳,賀稱尊號。吳主與漢人盟,約中分天下,以豫、青、 徐、幽屬吳,兗、冀、並、涼屬漢,其司州之土,以函谷關為界。
蜀ファンは見て見ぬふりをしていますが、曹丕のこの苦悩は、孔明が史実で抱いた苦悩だと思います。リスカシヨ……
本作に関するコメントではありませんが、
@bb_sabure さんはいう。諸葛亮による蜀呉の関係修復の素朴な疑問。弱体化した蜀と呉で対等の同盟、条約など結べるのだろうか。孫権は蜀の弱体化を狙って様々な事を行っているし、いくら関係が修復されたとしたって蜀呉で対等同盟はありえるのだろうか。蜀に魏に走られても困るからあまりおかしな事も要求は出来ないだろうが。
曹丕は蜀との戦いで激務に疲れ、呉との外交に自己嫌悪して、五丈原で陣没するのでした。原典で、孔明の死の周辺でわきおこった無念な感じを、曹丕で演出できればいいと思います。150720閉じる
- 10.延康十一年 魏呉が許都を急襲
史実の230年に当たります。延康が1年ズレているというご指摘を頂きました。220年=延康元年だから、230年は延康十一年。おいおい直します。
@GiShinNanBoku さんはいう。「反・反三国志」もいよいよ後半戦でしょうか。そろそろ献帝と諸葛亮の史実の寿命が来ますが、どのタイミングで決着するのか展開が読めませんね。気になった点。延康年間の計算がズレている気がします。それと使用している地図が後漢前期用っぽいので放棄地を加味すると魏領は縮みますね。瑣末な事ですが
ぼくは思う。諸葛亮は微妙に寿命が伸びるかも知れません。献帝は、劉備と会話した時点で、ほぼ役割は終わっているので、史実の山陽公のように孫に嗣がせて「飾り」を継続してもらっても、物語のなかでの役割は同じです。延康の件は、とりあえずこのワクから直し、あとで整合性をとります。
ぼくは思う。あと「放棄地」は、これから魏が北方異民族を「再開拓」するので、いちおう見えるようにしておきたい。もっとも再開拓の展開は、途中で思いついたのですが。
@GiShinNanBoku さんはいう。三国志の創作物に関してふと思ったのですが、中国的に寄ると「典礼」に関する描写が増える気がします。逆にいえば、中国的な要素が少ない作品は詔勅・祭祀・(儒学的)定型表現・様々な作法などが省かれる傾向があるでしょう。印象では一般的な日本の三国志架空戦記は後者寄りです。そのような観点から、「反・反三国志」は中国的な作品という印象です。
ぼくは思う。史実どおりの時期・内容であれば、祭祀などの記述をパクってこれるので、使えます。そして天子の正統性は、論文を読む(たまに書く)ほどの関心事なので省かずに書きます。
孫権の帝政に、名士が愛想を尽かす
前年、孫権は天子になった。衛温・諸葛直を、夷州・亶洲にゆかせる。陸遜・全琮がいさめるが、孫権は強行する。
孫権は、遼東を藩国にしようとする(史実なみ)
孫権 「遼東に船を出せ」
陸遜 「遼東はすでに魏の藩国です。彼らをそそのかして『魏に背け』というのですか。当面の敵である蜀の討伐にも、遼東は役に立たないし」
孫権 「海はオレのフィールドなのに……」
あと一押しで、陸遜はガッカリするでしょう。離反まであと一歩。
魏呉の共同作戦
本作で重要性を増した賈逵は、長安で曹彰を助ける。
曹彰 「兄は死に、蜀には勝てず……。これからどうする?」
賈逵 「他人任せのデートをする女子ですか?」
曹彰 「……だって。で、どうする?」
賈逵 「自分で考えて下さい」
曹彰 「……(哭)」←顔文字が気に入った黄鬚さん
賈逵 「朕サマ、ちゃんとして。長安を曹真に預け、陛下は洛陽を攻めなさい」
賈逵の台詞は、昨日(150719)の大阪でのレイヴ大戦、おもしろ三国志さんのライブより。テンポが悪くて、ネタが滑って、フロア(真夏の野外で立って踊ってる客たち)が冷え込んできた。そのとき客席から、何度も浴びせられたことば。朕サマは、言葉の意味を誤解しておられた。別に「酒池肉林」のパフォーマンスに関して、会場での飲食を咎めているのではないのです。「朕はいい歳だから、ちゃんとしておるぞ」って、自尊?して状況が見えなくなっているところが、末期の董卓のようでした。以上、日記でした!
で、曹真は、いつのまに長安に入ったんだ。史実なみだから、リカバリ可能。曹彰 「亡兄の作戦に近いが……(嫌な予感)」
賈逵 「前提として、陛下は即位なさったのだから、長安に出鎮せず、鄴都に帰られるべきです。儀礼をして頂かねば。しかし、タダで帰るのでは惜しい。軍略を詰め込みましょう」
曹彰 「オレが馬に乗れば、数日で鄴都に行けるのに……?」
賈逵 「個人プレイに意味はありません。天子なんだから」
曹彰 「長安を離れたら、蜀軍に追撃されないか?」
賈逵 「蜀軍は多いとはいえ、涼州・雍州を平定するには、かなりの労力が必要です。追撃はないでしょう。また彼らは、呉と敵対することを決めたので、江陵の守備兵も増やしています。戦線は伸びきっています。ちょっと突けば、破裂する」
曹彰 「でも洛陽には、張飛がいる」
賈逵 「われらは洛陽に、ほとんど守備兵を置いていませんでした。洛陽は守りに適せず、戦術的な価値は少ないからです。先帝(曹丕)は思想・政治的な関心から、洛陽に拘りましたが、すでに崩御なさった。陛下は、フラットに行きましょう」
曹彰 「洛陽に注ぎこんだ再建費は惜しいけどな……」
賈逵 「カネのことは忘れなさい。武皇帝(曹操)が作った意匠の価値など、陛下には分からないでしょう」
曹彰 「ちょいちょい、オレをケナすよな……」
賈逵 「蜀軍は、わが軍の洛陽が手薄なのを知っていました。一兵もムダにできない蜀軍は、張飛の声望をつかって威嚇し、ほぼ戦わずに洛陽を得ました。洛陽の蜀兵は少ないはずです。陛下が大軍で攻めれば、張飛とて耐えきれません」
曹彰 「そうかな?」
賈逵 「張飛が、河東・河内に進んだとは聞きません。洛陽を得て守るだけの兵しか、割かれていない証拠です。蜀軍は調練が追いついていないはず」
曹彰 「よっしゃ!洛陽を攻めよう!」
賈逵 「陛下は、壱を知って弐を知らない」
曹彰 「……(オレが洛陽を大軍で襲うだけでは、亡兄の作戦と同じだしな。亡兄は、お世辞にも戦さが上手とは言えなかった)」
賈逵 「孫権に背後を突かせます。背後とは、関羽の許都」
曹彰 「お前のことを呂蒙と呼ぼう」
賈逵 「わりと三国志に詳しいようですね」
曹彰 「三国志検定 初段だから……」
呉蜀は同盟を結んでいないから、呂蒙のときとは違うか。賈逵 「蜀は、洛陽を占領することで、天下を平定する意気を示しました。失うのは避けたいはずです。大軍が洛陽を攻めれば、関羽が援護に回るでしょう。許都が手薄になる。すでに合肥には、孫権軍の周魴が入り、手はずを整えました(史実の石亭は前年)。これから陸遜を招き、寿春に潜ませます。曹休・陸遜が連合して、寿春から豫州を縦断します。魏呉の連合軍が、許都を急襲ッ!」
曹彰 「呉軍が離反したら、寿春が陥落するよ?」
賈逵 「漢の天子を、強制的に退位させたい。さもなくば、自国の正統性があやうい。孫権が世論に苦しんでいることは、調査済みです。この点で、魏呉の利害は一致しています。利害が一致しているうちは、呉は背きません。戦地は、もともと魏の領土。呉が暴れても、鎮圧できます」
交渉をだれがやったのか。仲達と陸遜、では安易すぎる。賈逵 「関羽・張飛を討ち取れるかは、未知数です。しかし彼らとて老将。不老不死でもない限り、弱っているはずです。漢帝を得るのが、魏か呉かまでは予測できませんが、最悪の場合、呉軍が捕らえても仕方ないと思えます」
曹彰 「許都には、弟(曹植)がいる。内応してくれたら、より確実なのだが」
賈逵 「機密を優先しましょう。連絡はしないで下さい」
曹彰 「ですよね」
曹彰が洛陽の張飛を攻め、関羽の後背を陸遜・曹休が撃つの概念図
洛陽の戦い
結論から。曹彰に攻められて張飛は危機に陥る。曹彰の大軍は、隠さず(隠しようもなく)進む。関羽軍が救援に駆けつける。ただし許都は関羽自身が守って、徐庶+武将の誰か(関平・関興とか)に援軍に行かせる。
このときまでに、許都に『花関索伝』が合流しとく。関羽 「拙者は残ろう」
徐庶 「自分で張飛を守らなくていいのか」
関羽 「桃園において、死ぬときは同日と誓った。しかし劉備は、曹丕の称帝に驚いて死期を早めた(と関羽は見ている。実際は長年のムリによる老衰という設定にしよう。そのほうが劉備ファンが納得する;劉備は年齢以上に老けるほどの半生を歩んだ)。天子を詐称する曹彰は、劉備の仇にも等しい……」
徐庶 「だったら、なおのこと洛陽を救いなさいよ(張飛の兵は5千。曹彰は5万。関羽の武勇を活かして救え。もし張飛が死んだら、悔やんでも悔やみ切れないだろ。劉備の仇である曹彰を斬って、誓いを貫徹しろ)」
関羽 「行かぬ」
徐庶 「どうして」
関羽 「誓いは重い。重いが……、天子をお守りするのが、劉備の志だった。劉備の肉体が死んでも、たとえ張飛が死のうとも、志は死なない。天子を守るのが拙者の役割である」
なんで関羽の自称は「拙者」なんだろ。横山光輝?
蜀ファンがスカッとする話を目指すので、型にはめる。
徐庶 「よくぞ言った!……思えば二十余年前の長阪で、曹操ではなく劉備に臣従すると決めた。でも蜀臣としての長い時間は、関羽と一緒に過ごした。魏にいかなくて本当に良かった(作者の制御を外れて、キャラが死亡フラグを立て始めた。そうか、徐庶は死ぬのか……)」
マジで勝手に手が動いてしまった。ならば死んでもらおう。関羽 「義弟を頼んだぞ(洛陽にやれるのは最大で2万。数は劣る)」
徐庶 「任せておけ」
きっと徐庶は、曹彰の大軍(もと曹操軍の本隊)と、得意の陣形の看破をやりながら戦う。北方異民族を使役する、ラスボス曹彰の強さを読者に印象づけるために死に、本作から退場する。徐庶は戦場を上空から見下ろすように見抜いた上で、「洛陽・張飛を救うためには、自分が死地に行くしかない」と判断して、死ににいく。おかげで張飛軍は勝つことができる。
もしくは、張苞をはじめとする次代の蜀将を救うため、徐庶・張飛が死地にいく。
蜀軍 「このままでは洛陽を支えきれません!」
徐庶 「××(作戦を論じ、自ら突撃orオトリ役を引き受ける)」
張飛 「お前の見通しは分かった。しかし、お前が兵を率いて死地に行ったところで、本隊を救うための働きができるとは思えねえ」
徐庶 「……」
張飛 「さては、お前……。オレも使う気だな?」
徐庶 「……(張飛を殺すための献策をするなんて、蜀臣としていかがなものか。しかし洛陽を失陥するよりはマシでしょ。それに張飛は老齢だから、最後の有効活用だ。物語から退場させるという作者のニーズにも応えられる)」
張飛 「新世代に国を託そう。九泉で、義兄もオレを待っている。義兄をがっかりさせない働きをしなくちゃ」
張飛は、目下の者を大切にする(本作による改変)から、兵から信頼されてる。劉備の時代を知る老兵が、率先して決死の作戦に協力する。范彊・張達も、「張飛とともに戦って死ねるなら本望」といって、死地のなかの死地で、張飛を庇う。
史実では、部下に殺される張飛。これだけの見せ場をつくれば、成仏するでしょう。
五虎将の死に方を決めねばならない。まず馬超は、涼州に姿を消して、死が描かれない。蜀では「墓」をつくって馬岱に爵位・兵を嗣がせるが、じつは馬超は生きている。……というありがちな設定を踏襲。
黄忠は南陽で、兵の訓練をしており……、史実でははぐれたまま(死に絶えた?)の家族と再会する。劉備・関羽が、史実とは異なる動きをしたから、家族が生き残る。黄忠伝は「子敍,早沒,無後」と淋しい終わり方だが……本作では黄叙が子(黄忠の孫)をつくる。孫に看取られて「畳の上で」死ぬ。
曹彰は、逆転負けして、河北に撤退する。張飛・徐庶を殺すことができたのだから、本望だろう。
賈逵 「戦果は上々ですが……、関羽が出てこなかった。許都に、思いのほか武将・兵を多く残したということか」
曹彰 「後方をガラ空きにしないなんて、関羽は成長してやがる」
賈逵 「(あんたも本作で、史実を上回る成長をしなさい。ラスボスに認定されたから。「北魏」の実質的な建国者になるのです。曹操の功績が霞むほどに)」
許都の戦い
曹休が10万、陸遜が8万など、暴力的な兵数で、魏呉同盟が許都を攻めてくる。許都を守るのは、関羽の1万。
関羽は魏呉の攻撃を予測できておらず、慌てる。自分が許都に残ると言ったのは、ただの心構えだけの話であった。万が一のことがあったら敵将と刺し違える!という覚悟だけの話であった。
冷静なふりをして、慌てふためいた関羽。防戦をするが、城壁に取りつく大軍を、防ぎきれない。ふと、洛陽に向かう前の徐庶から、錦の袋を授けられていたことを思い出す(←そういう場面を作る)。なかには「植」の文字が。
関羽 「植林? 植毛? 植田駅?」
関索 「廷臣の重鎮、曹植のことではありませんか」
関羽 「知ってる」
徐庶は、きっと魏呉同盟の動きを見抜いている。見抜いた上で、洛陽はありったけの兵を送らないと守れないと判断して、錦の袋を残して、許都を去った。許都は、政治的な解決策があると見通している……という話でしょう。涼州・雍州を主戦場としたため、どうしても中原は兵が少ない。少なくせざるを得ないから、関羽・張飛という「名」だけで1州が治まる猛将が置かれている。
曹植が何をしてくれるのか。作者がいま考え中……。関羽が神サマになるためには、もっと「裏切りにあう」などの苦難が必要。
関羽は曹植のところに会いにゆく。……
まだ展開が思いつきませんが、結論はある。
まず関羽は、史実なみに(きっと陸遜に)追い込まれる。
陸遜は、同時に進軍した曹休すら騙しており(史実の石亭なみ)、許都で呉をひとり勝ちさせる計画がある。呉は裏切り担当。
呉の計画を切り崩して、魏蜀を同時に救ってくれるのが、曹植。……というのは思いつくが、まだ中身がない。曹植は、魏帝の弟として、漢の高官として、陸遜の撃破という一点においては、関羽と利害が一致している。
呉の計略により、
関羽は、生命を失うかと思いきや、「美髯」を失う。これは象徴的な死である。たとえば首桶のなかに、ニセモノの首を入れて、美髯だけを外にはみ出させる。読者も敵軍も、関羽の首だと疑わない(ように描写する)。よかった、関羽の首が届けられた……、と安心した敵将の隙を突いて、逆転するとか。
洛陽で張飛が死んだ。関羽は、2人とも義兄弟を失って……どうするんだろ。
裏切りをした(しかも失敗して、関羽・曹植に逆転された)陸遜の報いとは、呉のなかで立場がなくなること。
関羽は、陸遜を罰しない。呉の卑劣な作戦は、陸遜自身のものではなく、孫権に圧迫されてやった(もしくは国情から、せざるを得なかった)ことを見抜いている。関羽の「義」によって帰国を許された陸遜。呉臣が陸遜を弁護するから、夏口の駐屯地にもどる。しかし陸遜の心は、関羽の「義」と、関羽から聞かされた&体現する蜀という国の理想・正統性に傾いている。投降する3秒前。
漢中の戦い
史実では、この歳の7月、曹真・夏侯覇が漢中に攻めこむ。洛陽の戦いと連動させよう。そして曹真は、見せ場を作って退場する(史実なみ)。
全体の見通し。史実の北伐は、孔明から攻め上がる戦いだが、本作では魏の失地回復である。そして、いずれも孔明が守り通す。このように魏軍の圧力を受けながら、「雨降って領土が固まる」方式で孔明が腕前を発揮する。
張郃は、蜀の守る郿県を担当する。
史実では、前年に趙雲が死ぬ。趙雲は、史実から特に変化がないので、死ぬ。つまり郿県は、趙雲抜きで、張郃を戦わねばならない。誰が守将を引き受けるのかは、また考える。『後三国演義』のノリだと、趙広・趙統という息子が、順調に成長しており、後任を務める。
史実で曹真が敗れるように、本作でも曹真が敗れる。洛陽・許都・漢中の同時作戦は、魏が領土的な成果を得られずに終わりました。蜀が順調に勝ち進むのは、塗り絵ゲームである先行作品を踏まえてる
『北伐戦記』だけは、アホみたいに蜀領が陥落するけど、それほど物語的に意味があると思えないから採用しない。しかし魏は北方に拡大の余地をもっている。あらすじでは描けていないが、魏の北方統治は順調に進んでる。蜀との最終決戦に向けて。150721
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- 11.延康十二年 劉禅が病んで孔明が撤退
史実の231年にあたります。
本作では、洛陽・許都の危機を、張飛・徐庶・関羽が救った。
龐統が陸遜を降す
史実では2月、孫権が藩濬に五谿蛮を撃たせる。史実どおり交州を得ている孫権は、荊州の南部から、異民族の反乱をあおって、蜀の地盤をおびやかす。
しかし国内の反乱をあおるという意味で、本作の蜀は負けていない。前年、重要な戦いに敗れた陸遜。呉臣らの弁護があって、夏口の駐屯を継続しているが、心はグラグラ。
呉臣たちと人脈を維持しているのが龐統。今回、陸遜が罰を受けないように、世論を誘導してくれたのは、じつは龐統のおかげでもあった。
龐統に説得されたころ、突然の召還命令があった。陸遜は恐れて(史実の歩闡が272年に西陵ごと晋に降ったように)蜀への降伏を申し入れる。蜀では、高い官位を与えて陸遜を迎える。
『北伐戦記』では、陸遜は最期まで孫権を護衛して、荊州の南部を逃げ回った。しかし本作では、陸遜を蜀に降らせることで「救う」ことを選びました。夷陵で劉備を焼いてないし、いいかなあと。(上記の史実では陸抗が歩闡を撃つ。本作では、史実のこの時期に陸遜とともに西陵を任された)歩隲が陸遜を撃ちにくる(陸抗と歩闡の件からすると、親子が入れ替わり、立場が逆転した)
陸遜は兵略をもって、歩隲を追い返す。
史実では、武昌に藩濬がいる。藩濬・陸遜・歩隲の3人のからみを、列伝を読んで膨らませよう。
陸遜の投降は、呉の世論を揺るがせた。
諸葛瑾は最後の最後まで、孫権の臣であることを貫きますが(史実なみ)、「漢臣」を標榜する旧世代の知識階層は、荊州を長江を遡っていく。
荊州の全域が、蜀のものになった。
『破三国志』のやった、第二の赤壁を、やるヒマがなくなった。魯粛の子の魯淑も、どこかで役割を与えたいのだけど。ただし、周瑜・魯粛の描いた、呉蜀同盟は、とっくに役割を終えているから、思い起こしても慨嘆するだけだが。張昭は、さかんに蜀行きを予想されながら、かつ孫権に「蜀に行ってしまえ」と言われながら、なぜか呉に残る。真っ先に蜀に行きそうな人物なのに。張昭が残っているから、辛うじて呉は、国の体裁を保てる。なぜ張昭は呉に残るか。遠くない日に、孫権が蜀か魏に降るだろう(と張昭は見ている;さすが降伏論者)。そのとき孫権の生命を守るため、そばにいる。
李厳が孔明を呼び戻す
孔明は、李厳を中護軍として、成都を中心とした兵站・通信網を管轄させている。北伐や多方面作戦は、李厳のおかげで成り立っている。
という状況説明を、『資治通鑑』を見ながら挟みつつ……
延康十二(231)年の春、曹真が病気になる。代役として仲達が長安に入る。洛陽は蜀が抑えているので、安邑を防御拠点に仕立てつつ、北から回らねばならない。仲達は、何らかの計略をつかって蜀軍の目を欺きながら、やっと入城。その困難さ(猛将に追われるなど)から、長安を維持することに疑問をもつ。孔明は、史実の第四次北伐に準えたを戦いやる。史実では、上邽(長安のはるか西)をめぐって、仲達・張郃と戦うが、本作では、もっと食い込む。長安に兵糧を供給している、近隣の地域の麦を刈りとる。
史実の祁山は、華山(長安の東・潼関の南)に読み変えて、孔明がここで指揮を執ってもいい。
仲達は、蜀漢を虎のように恐れる(史実なみ)。諸将の反対を押し切って長安を放棄を主張。5月、仲達が大敗(史実なみ)して、長安を諦める。
『三国演義』で孔明が仲達を爆殺しようとする(そして雨のために失敗する)のは、ここだっけ。仲達は、『反三国志』ように爆薬を食らってもらう。死なないけど。長安を蜀が支配して、孔明は追撃の態勢に入る。
豫州・兗州などを落とす?
もう魏軍がダメかと思いきや、夏6月、蜀軍が撤退の動きを見せる。張郃が、史実で木門で死ぬタイミングで、蜀軍を追撃して死ぬ。
なぜ蜀軍が停戦・撤退したのか。
成都から帰還命令が入ったのだった。
史実で、李厳が兵糧の輸送をサボって、孔明の北伐が挫ける時期と、タイムテーブルを合わせる。なにが起きたか。劉禅が病気になった。
趙雲が阿斗を救い、劉備が阿斗を投げる。徐庶が受け止めたとき、徐庶がつけていた装身具?(劉備or孔明との重要な因縁を持つものがいい)に頭をぶつけて、不可抗力でダメージを負う。みたいな事故を想定してます。また変わるかも。史実では見えにくいが、
劉禅は、孔明の北伐や、蜀の拡大策を支持して、益州の郡臣を抑えていた。しかし、魏呉に対して大勝してしまえば……、
「関内を抑えたなら、もう北伐は必要ないよね。益州のまわりはバリアが出来た。魏呉が一手で攻め込める場所がない」というのが、劉璋の旧臣(本作の初めで曹操に寝返った人々)の総意である。李厳がそれを代表して、孔明を呼び戻した。
孔明が勝利したところで、たまたま呼び止められたのではなく、孔明が勝利するのを待ってから、呼び止めたのである。 孔明は、王命とあれば、帰還するしかない。
益州豪族と揉めながら、孔明はストレスをためる。史実なみに、李厳と議論しつつ、孔明は劉禅のありがたさを思い知る。
豪族 「天子を成都に迎えれば、絶対に安全。そして戦いを辞めることができる」
孔明 「漢の都が、益州だった試しなどない」
豪族 「(首都を地元に誘致できれば、経済的に潤うし、一族が栄達できる。そう願えばこそ、劉備・孔明の支配に耐えてきたんですけど)」
孔明 「(前途多難だ。本当の戦いは、むしろこっちだったか。孫権は豪族と揉めているが、他人のことを笑えないな。そして、北方の開拓に熱心な魏が、みるみる強くなりつつある)」
きっと後半に入っている『反・反三国志』。もうちょいで完結します。150721
活動の計画。『反・反三国志』あらすじの完結(1週間以内)。『反・反三国志』を書くために必要な『三国志集解』の拾い読み(1ヶ月以内)。同時に、「呉が天下を取る話」のイフの設定と、その内容の妄想(随時)。どういう設定なら、呉ファンがもっともスカッとする話が展開できるか。
魏が天下を取るイフとしての『曹丕八十歳』。蜀が天下を取るイフとしての『反・反三国志』。呉が天下を取るイフとしての……(設定を募集中)。という三部作を2015年内に完成させたい。
呉が天下から遠ざかる分岐点としては、孫堅の死・孫策の死・周瑜の死。しかし理由もなく呉に有利なイフを設定しても、おもしろくない。曹丕は彼の寿命に関する望気者の言葉。蜀は先行作品としての『反三国志』があった。呉はいかに…。袁術との絡みを書きたいので、孫堅か孫策にイフで活躍して欲しいが…。シミュレーションゲームでは、孫堅が洛陽に留まっていたなあ。
@shion_faust さんはいう。やはり、「孫策が生きていれば…」ですね。人を見る目は項羽より上だったと思います。
ぼくはいう。イフのドミノ倒しによって、孫策が生き残るという展開にしたいです(暗殺を回避とか、于吉を撃破とかじゃ設定が安易すぎて、その後の想像力が制約されます)。1枚目のドミノをいかに設定するか…。なんで(何が史実と食い違って)孫策は生き残るのでしょうかね…? 宜しければ妄想ネタを下さい!
ぼくはいう。三国志を初読したときの【肩すかし】トップ3。①関羽と張飛が天下を取らずに死ぬ、②孔明が仲達に勝ち切れない、③孫堅の早すぎる死。とくに③は、曹操・劉備・孫堅という同世代のライバルの戦いを描くのが三国志だと先入観を持ち、呉帝がソンケンと聞きかじるから、孫堅と孫権は誤植の関係かと思う。
『皇帝孫堅』みたいな題名で、孫堅が死なず、同世代の曹操・劉備とともに後漢末(二袁の間)を引っかき回し、無事に生き残って220年前後に(諡号でなく)皇帝になる話が読みたい&書きたい。孫堅が劉表を圧倒(死なず)、袁術が荊州を掌握、孫堅が(史実の袁術なみに)揚州に移動…から始まるストーリー!
北方三国志が踏襲したように、『三国演義』は劉備・曹操・孫堅を新世代の英雄として黄巾の乱で顔見世する。劉備・曹操は第1回、孫堅は第2回に登場。『三国演義』が物語としての装置・伏線をスポイルし、孫堅を第7回で早死させるのは、史実による強制。絶対に生き残ったほうが(少なくとも)物語としての完成度が上がる。よし、腕試し!……と150721の通勤の帰り道で考えた。閉じる
- 12.延康十三・十四年 徐州の攻防戦
思いついた順に書く。前年の出来事を増やしたい。
前年、蜀が交州を得る
史実で231年、呂岱が交州を離れる。本作ではここで、蜀が交州を奪おう。
馬良の健在で、武陵蛮は蜀の味方。南中から手を回せる(史実で呉がやった)。大々的な出兵ができなくても、蜀は版図を広げる。孫権は揚州6郡だけに縮小。あとは晋のように蜀の水軍が大挙したら降伏。というわけで、今回は呉が、テコ入れします。
呂岱は、力押しの統治をしたから(史実)反乱をあおるのは簡単そう。蜀は、すでに勝ち組であるというメリットを最大限に活かして、わりと短期間で交州を得る。
魏蜀の決戦を準備する期間
このワクの延康十三年は、史実の232年です。
本作の見通しとして、234年(史実の五丈原)に、魏蜀が最終決戦。孔明は、徐庶・馬良・龐統のおかげで、職務がラクになったから、微妙に寿命が延びるものの、余暇には新しい仕事を詰めこむタイプなので、生き延びても数年。思うに、魏を破る大活躍をさせるなら、史実の存命中にしないと、反則である。
劉禅が病んで、李厳の発言力が大きくなった2年半くらいは、北伐の大軍を出せずに、それでも蜀の国力を増すべきタイミング。時を同じくして、きっと魏でも異民族統治が進み、最終決戦に、強力な北方の騎馬隊をつれてくる。もちろん蜀も、羌族・氐族の懐柔を進めているが、魏の「歴史を変えるような」統治に比べると、史実からの大きな飛躍がない。曹彰の見せ場。
呉の徐州進攻
益州から動けない孔明は、荊州で軍艦を建造して(史実の王濬なみ)木屑で呉を圧倒。木屑で、長江が堰き止められたw
しかし、まだ呉と戦うタイミングではない。つぎに攻めるなら、呉の本拠地の揚州である。孫策の時代からの領土だから、厳しい抵抗が予想される。
呉は先年に、許都の関羽を攻めつつ、同盟軍であるはずの曹休を騙し討ちにした。魏と呉は抗争状態。関係が冷え込んだからには、いっそのこと開き直り、隙あらば、呉は魏領を切り取りたい。単純な損得で見れば(孫権は悲しいほど冷静なリアリストですね)水軍が充実しつつある蜀の荊州を攻めるのは得策ではない。だから魏を攻めるのである。……という、蜀にとっては防御面での効果もあったようです。軍艦の建造は。若き羅憲が、国境の防御を引き受けるとか。張昭 「いい天気ですね」
孫権 「そうだね、領土を広げたいねー」
張昭 「(話が噛みあわん)自重せよ。それよりも民心の安定。郡臣との協調」
孫権 「くそつまらん。蜀に勝てないなら、魏から領土を奪おう」
張昭 「いよいよ戦略が破綻しとる。陸遜は、魏の曹休を騙すことを(たとえ史実なみであろうと、本作では史実と状況が違うから;違うからこそ)寸前まで反対していた。結果、曹休を殺すことはできたが、許都は得られず、魏との同盟は怪しくなり、陸遜を蜀に奔らせた」
孫権 「陸遜の話をしたら、オヤジでも斬るぞ」
張昭 「わしの舌が、先に陛下を斬っとるわ」
孫権 「もしも(史実なみに)揚州・荊州・交州を支配する皇帝だったら、オヤジはそんな口の聴き方をしなかっただろう。悔しい。やはり広大な領土と、絶対の権力がほしい!」 ※口の聴き方は同じです
孫権 「徐州を守る魏将は、××だ。魏の本隊は河北におり、××は孤立している。徐州は呉に近いから、オレが領有するのが自然ではないか」
『破三国志』では張遼でしたが、年齢的にちょっとムリ。三国中期の武将を、史実から引いてこよう。張昭 「(やった!故郷に帰れる!と喜びたいところだが、わしは重鎮として諌めるキャラなので)自重しなさい」
孫権 「一瞬だけ、嬉しそうな顔をしなかったか?」
張昭 「しませんでした(赤壁の戦いのとき、わしは孫権とともに合肥を攻めた。徐州を領土に加えようとしたからだ。わが国には徐州から避難してきた士大夫が多い。わしも含む、わしも含むぞ。もし孫権が徐州を得たら、郡臣が喜ぶんじゃないか。陸遜の離反で、揚州人士は動揺している。だが少なくとも徐州人士は、落ち着くだろう。すでに長江の上流を、蜀に奪われた。江南に割拠することに積極的な意味を見出しがたい。背後の山越を平定しつづける国力もなくなってきたし(あとで地図に反映してます)。徐州に本拠地を移すというのは、どうだろうか。徐州の群雄は、陶謙・劉備・呂布……。いかん、あまり良い前例がない。ともあれ、帰郷のことを考えると、嬉しくて冷静でいられない)」
孫権 「独り言、もう済んだ?」
張昭 「えっ、口に出しておったのか? わし……(落胆)」
孫権 「うん。ボケたね(オレの嘘を真に受けるなんて)」
絶対に裏切らない呉臣・諸葛瑾を将軍に任じて、孫権は徐州を狙う。諸葛瑾も徐州人だし。やさしい諸葛瑾は、魯粛の子・魯淑を従軍させる。魯淑は、父ゆずりの発想力をもった軍略家に成長していた(と設定)。父が周瑜に与えた蔵を見にいくイベントとか。魯淑のみならず、主要な徐州人は、フェスティバル気分で北伐に参加する(王朝の末期症状)
諸葛瑾の卓越した用兵?により、あっさりと開城する下邳。
魏の守将は、まさか徐州が戦場になると思っていない。蜀軍の動きばかり警戒していた。これから蜀と決戦あるのだが、徐州は主要な戦場にならない、という油断があった。しかも徐州は、虐殺魔の曹操に対して悪感情がある。魏の守将が、粘る意味がない。
諸葛瑾軍は勢いに乗って、豫州の東部(曹操の故郷の譙郡など)や、兗州の南部に領土を得ていく。
諸葛瑾軍の快進撃を、成都の孔明は、喜んで見ている。兄の活躍が嬉しいのではない(でもちょっとは嬉しい)。
孔明 「魏と呉が、強固に結ばれるのが厄介だった。彼らが戦っている間は静観しよう(どうせ北伐は、李厳のせいでオアズケだし)。魏呉が痛み分けになり、潰し合ってくれるのがベストだ(史実でも本作でも、曹丕は、夷陵の戦いをこんな気持ちで眺めていたんだなー。そりゃ気分がいいよね)」
諸葛瑾の天下三分、魯淑の単刀会
さらに突撃を命じる孫権。魏領の切り取りを催促しまくる。諸葛瑾が死を覚悟で建業に還る。将軍は、魯淑が代行する。
諸葛瑾 「蜀は強国なので、にわかに勝つことができない。まずは揚州・徐州を地盤として固め、魏とはすぐに停戦して、兵を養うべきである。魏は河北から洛陽を突き、朔北から長安を突き、呉は徐州から許都を突き、建業から長江に沿って江陵まで攻め上がれば、蜀は益州だけに閉じこめられる」
孫権 「隆中対のデジャビュ?!」
諸葛瑾 「私だって言うときゃ言いますよ」
孫権 「よろしい。進攻は止めていいから、得た城はきっちり守って」
諸葛瑾が戦線に戻ったころ、魏の兗州・豫州方面の都督がくる。蜀の侵攻に備えて、力のある人物が黄河より南を一任されている。
だれだろう。少し世代を繰り上げて、登場させてもいい。都督は、諸葛瑾に会談を申し入れる。単刀会の舞台装置を使い回す。
都督 「同盟国なのに、なんで侵攻しているの? 蜀に備えるべき時期に、われらが潰しあうことは、孔明を喜ばせるだけだ」
往事の呉蜀同盟のロジックである。史実の諸葛瑾が(この作品でもやるか)夷陵を攻めようとする劉備を説得したときと、まったく同じ言葉にする。諸葛瑾 「……(主命だからさ!)」
都督 「なぜ魏が、呉軍を合肥・寿春に招き入れて、駐屯地を貸したか。呉軍は荊州を蜀に奪われ、兵を収容する場所に困っていた。共同作戦をやるために、寿春のキャパを使わせたのだ。恩をアダで返すなら、揚州に帰れ!」
これを言わせるためにも、曹丕・孫権が蜜月だったころの魏呉は、積極的に領土と兵士の交流をやろう。呉に、重要拠点の寿春を貸し与えるというくらいの寛大さを曹丕が見せるとか。いい!やろう!
なぜなら、「劉備に荊州を貸した孫権」と同じ状況をつくるため。劉備に借りパクされた孫権は、曹丕から借りパクする。孫権のタフさを描きたい。魯淑 「夫れ!土地は、ただ徳のある者が領有するのみ。ましてや曹操は、徐州に対して徳を発揮したことがあったか。徳のない者が、土地を失うのは摂理である」
諸葛瑾 「黙っていなさい」
史実では、呉人が口をつっこみ、魯粛が叱る。関羽も叱る。本作で魯淑には、魯粛の役をやってもらいたかったが、なりゆき上(作者にも制御不能)叱られる役になった。でも、あとでちゃんと効いてくるので、許して下さい。都督 「国家のことを話している。お前に何が分かるか(私情にかまけて、蜀軍との戦いを見ようともせず発言する若造め。ひっこんでいろ)」
魏が本気を出せば、徐州から呉を追い払う体力があるが、敢えて妥協。国境の引き直し等の条件交渉。前よりも強固な再同盟の必要性を説く。
現状を追認して、徐州は呉領とする。代わりに、寿春(史実の魏の揚州)、豫州(曹氏の故郷の譙郡など)から、呉軍は出ていく。曹丕の時代に、渾然となった魏呉の両軍を分けた。孫権は、史実よりも徐州を得たのだから、同盟を破ったおかげで、まる儲けである。
タフな交渉の結果。蜀という外敵がいるからこそ、魏から譲歩を引き出せる。かつて劉備は、曹操という外敵がいるからこそ、呉から譲歩を引き出した。このときの教訓を活かして、孫権は立ち回っている。
孫権は「皇帝病」のバカトノではなく、計算高いひとに描きたい。おもしろくないのは魯淑。
おなじ徐州人してシンパシーのあるはずの諸葛瑾は、「主命、主命」しか言わない。魏の都督だって、徐州をかけひきの材料としか思っていない。かつて父の魯粛が、荊州をかけひきの材料に使ったが、地元のひとにとっては、とてもイヤなことだったのだな……、と気づきがあった。
「子孫を残す地じゃなくなった」といって、魯粛は徐州を去ったわけだが……、あれから1世代を費やしても、まだ戦乱は混迷するばかりか。本当に、それ以外に道がないのか……。
史実の単刀会で、「土地は徳のある者に帰する」とヤジを飛ばしたのは、きっと荊州出身の呉兵だろうな。というのが魯淑の思い。
関羽が徐州を平定する
魏呉が停戦した。これで両者が協調したら、蜀にとっておもしろくない。孔明は、阻止したい。関羽に手紙を書いた。
「関羽将軍ならば(史実の前例もありますし)益州の世論を無視して、軍を動かせますね。呉は新たに、魏から徐州を奪いました。長駆して、下邳を陥落させてください。魏軍の主力が長安を捨てて河北に撤退したので、関中・荊州北部の兵力を許都に移してあります。使って下さい。兵力にものを言わせて、豫州の東部(譙郡や沛国など)を攻めましょう」
この状況をつくりたくて、諸葛瑾の北伐のことを、ごちゃごちゃ書いた。つまらなければ、もうちょっと短縮もできる。蜀が出てこない場面を長々と書くのは、『反三国志』の常套手段だが、下手クソである。本作では最小限に減らしたい。
関羽が徐州を攻撃。魏呉を地理的に分断。『破三国志』なみ。これが『破三国志』では、天下収斂の計だった。しかし本作では、きちんと魏を河北に逃がしたので、徐州の攻略だけでは終わらない。
関羽が、年齢による衰えも見せずに(関帝を殺すことなんてぼくにできない。どうしよう)下邳に到達。一昼夜が経過したころ、城門が開いた。
魯淑 「関将軍、お待ちしていました」
関羽 「裏切り者は許さない(魯淑の首に青竜刀!)」
魯淑 「(動揺しない)聞きなさい。われら徐州人は、曹操軍によって焼き出され、孫権軍のなかで軍役に耐えてきた。しかし願いは単純で、故郷で子孫を残すこと。先日も魏呉は、この徐州を、貴国と戦う後方基地にするための相談をしていた。そんなのは、もうたくさんだ。幸いにして天下は貴国の一強であり、しかも貴国には『徳』がある。徐州を裏切ったのが魏呉であって、われらが魏呉を裏切ったのではない」
関羽 「おみごと」
諸葛瑾は兵をまとめて撤退した。しかし、諸葛瑾が優しさによって連れてきた徐州人が、わりと重臣まで含めて、魯淑のアジテーションに共感し、徐州に残りたがった。再び呉に帰るよりも蜀に帰順することを選ぶ。
『破三国志』では、魯淑が第二の赤壁で、呉を裏切って蜀につき、呉軍は致命的なダメージを食らった。「呉を裏切る魯淑」は、モチーフがあるので大切にしたい。
関羽が黄河の南を、一閃するがごとく横に駆け抜けて下邳を得たから、周囲は一斉に動揺する。関中から集まってきた蜀軍は、関羽の指揮のもとで、兗州・豫州を掌握する。もちろん益州では、「なぜ兵を動かしているの」とクレームが出るが、孔明は「関羽ばかりは、制御不能だから」としょげて見せる。
諸葛瑾との交渉テーブルについた、魏の都督が最後まで抵抗する。彼の死をもって、魏は黄河の北だけに押しこめられた。
魏の揚州都督(寿春にいる;満寵か)は、本土から分断されたので呉に投じた。こうして蜀は、最終決戦の準備を整えたのでした。孫権が徐州にちょっかいを出したおかげで、魏呉のギクシャクが隠しきれなくなり、逆に蜀が黄河の南を得た。150721
上:延康九年末、 下:延康十四年末
このワクで書いた、蜀が黄河の南を制圧する戦いに2年を費やす。
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- 13.延康十五年 最終決戦と内禅
魏が并州を平定
史実では、233年(本作の延康十四年)軻比能と歩度根と、魏軍が戦う。并州刺史の畢軌が対処する。このタイミングで(翌年の決戦に向けて)魏の異民族統治の目途が立つ。
曹操が減らした并州の郡を、曹彰によって再び設置する。
すなわち、蜀が232~233年に魏から漢土を奪っているとき、魏は漢土そのものを拡大している。黄河の南に執着せずに、魏が黄河の北に引きあげていくのは、曹彰の目が北に向いているから。
孔明が、魏を挟み撃ちにするために、北方異民族の諸勢力に使者を出してみるが、ひとりも生還しない。魏は、早くに遼東を得てから、北方の鎮定に年月を費やしてきた。自領より北を完璧にまとめ上げている。
魏蜀の最終決戦の始まり
魏蜀の最終決戦は、官渡の戦いと同じマップで行われる。ただし袁紹は、勢力を拡大するために黄河を渡ったが、いまの魏に渡河の理由がない。黎陽を中心として、北岸に兵力を集中して、蜀が渡河するや否や、すぐに叩く構えである。
孔明は、各地で貯蓄につとめて、益州豪族のカネを借りなくとも、外征ができる準備をした。「この北伐で魏を滅すから、二度と戦役をやらない。もしも滅ぼせねば、魏と停戦するのも仕方なし」という極端な条件を提示することで、出兵の同意を得る。国内の調整のほうが禿げる。
蜀軍のねらいは、鄴県を陥落させること。史実の曹操が、官渡の戦い以降に袁紹を追撃して、鄴城まで押しこんだときと同じ進路となる。関羽には、黄河の南を威圧していてもらうから、北伐では使えない。史実の五丈原の戦いのメンバーが中心となり、さらに五虎将の二世が勢揃いする。一世を勢揃いさせたいと思ったが、話の都合上(いくらフィクションでも)難しかった。二世ならば揃えることができた。
戦いの経過は、また考える。戦いが始まってしまえば、「あらすじ」の役割は少なくて、その時点まで自律して動いてきたキャラが、演じるに任せればいい。
「あらすじ」の本分である、物語の着地点を抑えておきたい。
呉の滅亡
魏蜀の決戦にあわせて、荊州水軍が長江を悠々と下る。荊州軍の先鋒は陸遜である。孫権は、揚州人士があらかた陸遜に従って蜀に降り、徐州人士が帰郷した先で関羽に降った。建業には、ほんとうに孫権と心を通わせた武官・文官しか残っていない。陸遜軍にしてみれば、「故郷に居座る孫権を立ち退かせ、祖先の墓までの道を確保するための戦い」である。現地豪族からの支持を失った君主というのは、ただ立ち退くべき対象である。
同じことを孔明が益州で経験した。史実なみに寿命が残り少ないのに、数年を豪族の説得に費やした。劉禅は、良くも悪くも益州政権である。ただし、「漢中王」の称号のみで、ここまで引っ張ってきたので、益州から離れるという選択肢はない。史実の王濬がそうであったように、大軍が接近すると、少数の執着派を除いて、孫権軍は瓦解する。孫策・周瑜の子孫だけが脱出して、南方で海洋帝国をつくりました……、と『水滸伝』の李俊みたいなハッピーエンドを用意しつつ(『反三国志』なみ)呉は降伏する。
本作の孫権は、つねに利益を最大化する方向に、クレバーに動いた。嗅覚が優れており、おかげで魏蜀のあいだで、潰れることなく立ち回った。
蜀を推す本作では、史実に反して夷陵で敗北した。なみの君主であれば、この時点で存在感ゼロになっても不思議ではなかった。最終回の間際まで、国が残ったことが奇跡である。孫権の器量である。
史実よりも領土が小さくなったからこそ、孫権の器量が、虚飾なしで見えやすくなった。正統性の議論という、隠れ蓑が外れ、正統性なんてかなぐり捨て(史実でも、そんなものはなかった)魏蜀に気を揉ませ、陰の主導権は呉が持っていた。……という印象を与えられたら、本作は成功。
というか、そう見えるように孫権を書きましょう、というのが作者に課せられた宿題。こういう宿題があることを明文化できた時点で、なかば以上、達成されているも同然。あらすじを先に書いてよかった。さもないと、孫権が支離滅裂になるところだった孫権の方法は、諸刃の剣でして。つねに利益を最大化すれば、行動や主義に一貫性がなくなる。外交の「文脈」を、敢えて無視することも出てくる。このあたりを、蜀に降伏した孫権が、成都における「帰命侯の宴」で、関羽(史実で一番、呉の被害にあったひと)に叱責&理解してもらう……、
というのが孫権の落としどころだろうか。
「信義なき孫権を、許すわけにはいかない。亡国は当然の報いである。思想なき未開の民のなかでは、孫権のような男が天下に君臨しただろう。しかし漢は、儒家の国である。孫権はみずから報いを受けることで、劉玄徳の『徳』こそが、天下を再統一するのだと際立たせてくれた。アンチテーゼとしての価値はあった。劉玄徳の国は、お前のようなセコい男にも居場所を与える用意がある。天子(献帝)に上奏して、爵位をもらいなおしてやる」
とか何とか、上から目線で言っちゃって。
作品としては、関羽=正義ではなくて、やや奢りの成分を混ぜながら、「蜀=正義」という単純な図式で終わらせない。
書きそびれましたが、呉の軟着陸を助けたのは張昭である。
亡国のとき、混乱&泥酔して近臣を斬りまくる孫権に「降伏しろ」と説得した。陸遜と交渉して、孫権の生命を絶対に保障することを約束させた。このおじいさんは、孫権が漢臣に戻ったのを見届けて、2年後に死ぬ(史実なみ)
本作は、『反・反三国志』というタイトルのとおり、『反三国志』を乗り越えることを標榜しています。『反三国志』で、孫亮とその臣下が、都落ちの船からピョンピョンと投身自殺するよりも、リアリティのある結末を、という願いがありました。
そのためには、あらかじめ納得感のあるかたちで呉の勢力を削っておく、という準備が仕事の9割を占めます。陸遜&揚州人の離反、という先行作品にはない要素を入れた。魯淑&徐州人の裏切りを『破三国志』とは違うかたちで表現しました。
劉協から劉禅への内禅?
革命には2種類あって、天子が異姓に移る「外禅」と、天子が同姓のなかで移る「内禅」である。ただし、「内禅」の定義が難しい。同姓の父子とか兄弟に、序列を守って継承するのは、ただの代替わりである。通常なら位を嗣ぎ得ない血縁者(父子・兄弟の順序を破るとか)に継承するならば、内禅となる。内禅の場合、簒奪と禅譲をいかに区別するのか。前任の君主とその子孫が、死なずに残っていれば、禅譲と呼べるだろう。
内禅は、中国の君主では少なくて、少数民族の王朝で見られる。北魏の顕祖が孝文帝に内禅したり、清朝の順治黄帝が内禅したり……らしい。儒家経典のなかでは、『左伝』晋景公、『史記』趙武霊王、『竹書紀年』夏帝、『左伝』荘公四年の紀侯らがあるが、やはり序列を破った継承という事例。
ぼくが思うに、内禅というのは定義が難しくて、ただの代替わりが、変則的に行われたぐらいで「革命」に含めてしまっていいのか怪しい。君主の私情、政争や戦争によって、イレギュラーを強いられることだってあろうに。
そういった意味で、劉協から劉禅に位をわたすことは、研究書にも例がないほどの、本格的な「内禅」である。親子・兄弟の序列を破るどころか、ほぼ他人というほど疎遠である。族譜があれば、理系的なDNA鑑定の結果とは無関係に、同族だと保障されるのかな……。
研究書には書かれていないが、後漢の光武帝が、戦争に勝ち残って王朝を建てたが、もし孺子嬰と友好的な交渉があれば、純粋な「内禅」になりえた。しかし前漢の皇統は、光武帝の一味がなりゆきで討伐しているので、簒奪だろうな。
……という議論を、孔明ら蜀臣にやってもらう。『仇国論』の譙周が、なにを言うのか、楽しみなところである。見習い史家の陳寿が登場するのも、ここである。
戦功の大きさを誇り、栄達を望む蜀臣は、もはや誰の目も気にする必要がない。劉禅に内禅を受けさせる、という結論に至る。孔明は軍務で疲弊しているが(史実では死んでる)、内政の機構を整備するために忙しい。素志ベースでは内禅に反対だが、「統治のためには必要悪」と思っている。
「天下統一という功績とひきかえに、天子の位を譲る」というのは、史実の曹丕が理想とした形であり、ロジックは完璧である。むしろ史実の三国の君主は、このロジックを適用できないから、苦労したわけで。劉禅は逆であり、内禅を断るロジックがない。孔明が素志にこだわったら、世が混乱しちゃうだろう。
史実では、劉協はこの歳の3月に死んでいる。史実では山陽公として後半生を過ごしており、気楽だった。本作の劉協のほうが先に死にそうだな……。
孔明が北伐を自粛させられた、232年~233年に劉協が死ぬイベントがあるのか。いいえ。話が終わらなくなるので、献帝をアホみたいに厚遇する蜀。蜀の名医に健康管理されて(そういう描写を置いて)234年まで生きていてもらおう。
235年の桃の花の季節に、内禅を行う。
劉禅は(劉備が投げ捨てて、徐庶に衝突したとき以来)頭が痛くて、長い時間、立っていることができない。史実で皇太子となる劉璿は、もう11歳だから、彼を伴っているのかも。
劉禅をいじめるために、不健康の設定をしたのではなく。史実の北伐は、劉禅のおかげで成り立っていたという話を見せて、劉禅の聡明さを描くためにこうしています。健康に不安のある劉禅は、関羽のエスコートで禅譲の土壇にあがる。劉協が漢の近臣に璽綬をわたし、蜀の近臣にわたる。劉禅は受け取る前に、演説する。
「父の劉備は、ちょうど50年前、ここにいる関羽と、亡き張飛とともに、天下を救うと誓った。ちょうど今日のように、桃の花が咲いていたと聞いている。……やがて父は孔明・徐庶・龐統という軍師を得て、馬超・黄忠・趙雲という猛将を得て……」
直立したまま、男泣きする関羽。
蜀ファンが美化するところの、そして本作では実現することができた、蜀の歴史を語る。劉備の後嗣として、いかにこの数十年間を見守ってきたか、熱心に語る。
「……というのが、この国の成り立ちである。だから……」
劉禅は内禅を受けるのか、辞退するのか。どうしよかなー。そこまで物語を書いてきて、どちらに転んだほうが、スカッとするか(あくまで判断基準はこれ)で決めよう。少なくとも、劉禅の結論がどちらとも解釈できる、という逃げの描写はしません。
ともあれ、この内禅のシーンが最終回です。
『反三国志』でお待ちかねの劉諶は、まだ生まれていない可能性がある。しかし登場させたいな。蜀臣の胸ぐらをつかんで、孔明の最後の北伐に許可を出せと説得するとか。病身の父・劉禅に代わって、孔明をバックアップする。年表のタイムテーブルを無視するのが、『反三国志』ですが、その突破力を借りてもいいかも。
あとは魏の曹氏の結末を
内禅より前、
魏との決戦を考えないといけないけど、着地点は、こんな感じで。
きっと曹彰は、「戦う天子」として玉砕するので(玉砕してほしいので)最終シーンには出てきません。後嗣の曹楷が、それなりの爵位をもらって、禅台の下に整列している。曹植・楊脩は、最後まで後漢の臣をつらぬく。150722『反三国志』に習って、若き鄧艾・鍾会を、最終決戦に登場させよう。今から『反三国志』を再読して、拾える要素があれば、肉づけします。
『演義』が、劉備の死後に登場する蜀将をいかに美化して(次代の頼れる名将として)期待を持たせているかを確認しよう。その期待は、史実の矯正圧力によって伏線倒れになるわけですが……、本作ではきちんと伏線を回収することができる。荒唐無稽だからこそ緻密な創作を。閉じる