読書 > 李卓吾本『三国演義』、孟達・黄権の登場場面を訓読

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劉備が益州を平定(第60-65回)

第60回にも、たくさん出てくる。第60回の訓読を参照する。

第62回上

◆黄権が、劉備に軍資を供給することに反対
〈劉備が〉関前に来到するや、楊懐・高沛 此の事を聴知し、遂に高沛をして関を守らしめ、楊懐一同 使者として成都に入りて劉璋に見ひ、書信を呈上す。
劉璋 楊懐に問ふ。「何の為に来たるか」
楊懐曰く、「専ら此の書の為に来る。劉備 自ら入川して従り、恩徳を広布し、以て民心を收む。此の人の意、甚だ是れ善からず。今 軍馬・銭糧を求む。切に与す可からず。如若し相助すれば、乾柴を抱きて烈火の上にあるに似る。難を急とし滅ぶなり」
劉璋曰く、
「吾 玄徳と弟兄の情を与にす。廃す可からず」
一人 昂然として出でて曰く、
「劉備 梟雄の人なり。若し久しく蜀中に留めて之を去らしめざれば、是れ縦ままに虎に室に入らしむなり。
今 更に之を助くるに軍馬・銭糧を以てすれば、是れ虎狼に羽翼を添ふ。切に之を允す可からず」
衆人 之を視るに、乃ち零陵の烝陽の人なり。姓は劉、名は巴、字は子初。此の人 近く交趾自り蜀中に転入す。
階下の黄権 又 諌む。劉璋 遂に允量し、才弱の軍の四千・米一万斛を撥す。段五千匹の軍器・車仗を彩り、少し許り発す。

これに対して、劉備が怒るのである。


◆黄権が、劉備との対決開始を勧める
劉璋 張松の全家を斬り、文武に商議して曰く、
「劉備 吾の基業を奪はんと欲す。当に之を如何すべき」
黄権曰く、「事 宜しく遅かるべからず。即ち便ち人を差はし、各処の関隘に告報し、兵を添へて守把し、並せて荊州の一人一騎とも入関するを許放するなかれ

第62回下

◆孟達が、広漢の守備に霍峻を推挙する
却説 玄徳 黄忠・魏延をして、各々一寨を守らしむ。涪城に回りて自り、軍師の龐統と商議す。細作 報説す、「東呉の孫権 人を遣はして東川の張魯と結搆す。将に葭萌関に来攻せんと欲す」と。
玄徳 驚きて曰く、「若し葭萌 失なふ有れば、後路を截断せらる。吾 進退すること得ず。当に之を如何とすべき」
龐統 孟達を喚びて曰く、
汝 蜀中の人なり。多く地理を知る。

孟達の地図だけじゃ、足りなかったのか。

却りて去き、葭萌関を守ること如何」
達曰く、「某 一人を保つ。広く漢書に通じ、深く民心を知る。某と同に関を守すれば、万にも一失無からん」
玄徳 問ふ、「何なる人や」
達曰く、「荊州に在りしとき、曽て劉表 中郎将と為す。南郡の枝江の人、姓は霍、名は峻、字は仲邈なり」

なぜ孟達が霍峻をもちだすのだろう。正史では、荊州時代から劉備に仕えているが、『三国演義』では、孟達の人脈として登場する。
孫権と張魯が結ぶなんて、どうせ実現しない。この記事が、ここに置かれているのは、まったくのランダムだろう。だいたい、この辺りにしとけば、問題なかろう?くらいの。前後の記事も、関係なかったし。
とりあえず、霍峻伝も読んでおこう。

玄徳 大喜し、遂に即時、孟達・霍峻を遣はし、葭萌関を守らしむ。

第64回下

◆黄権が劉璋の使者として、張魯との同盟を試みる
却説 馬超 龐徳・馬岱と与に張魯に来投す。
張魯 馬超を得て大喜し、其の西を以て益州の東を吞併し、以て曹操を拒む可し、永く漢中の基業を保つ可しとす。商議し、女を以て超を招き〈張魯の娘を馬超に嫁がせ〉壻と為さんと欲す。
大将の楊栢 諌めて曰く、
「馬超 父母・妻子すら皆 顧恋せず。豈に能く他人を愛するや」
是に於いて張魯、遂に其の事〈縁組み〉を罷む。人有りて馬超に対して曰く、
「張将軍 女を以て汝を招き、壻に為さんと欲す。楊栢に之を阻まる」
超の心 喜ばず。楊栢を殺すの意有り。
楊栢 之を知り、兄の楊松と商議し、尋いで害を遠ざけ身を全うするの計を欲す。
正値、劉璋 使を遣はして張魯に救ひを求む。魯 従はず。忽ち劉璋に報ず。
又〈劉璋は〉 黄権を遣はし、先に到りて〈黄権が〉楊松に見ひて説く、「東西の両川、実に是れ唇歯なり。若し西川 一たび破るれば、東川も亦 保ち難し。若し相救を肯ずれば、当に二十州を以て相ひ酬ゆべし」
〈楊〉松 大喜し、即ち黄権を引きて張魯に来見し、唇歯の利害を説き、 更に二十州を以て、相謝すとす。
魯 其の利を喜び、之に従ふ。
巴西の閻圃 諌めて曰く、
劉璋 主公と積世の讐なり。今、事 至急に在りて、詐りて割州の事を言ふ。之に従ふ可からず」と。

やばい。黄権の説得が失敗しそうだ。

忽ち階下の一人、昂然として進みて曰く、
「某 不才なると雖も、願はくは一旅の師を乞ふ。劉備を生擒し、割地を務要し、以て還らん」
其の人 是れ誰ぞ。下回便見。

第65回上

◆馬超が、黄権の作戦に強引に乗っかる
張魯 疑を持し、未だ决せず。

直前で、「もしも黄権の提案がウソでも、張魯さまのために、ゴリ押しで実現させて見せるから、ご安心ください」と、割り込んだ者がいた。これが馬超であった。

馬超 挺身して出でて曰く、
「主公の恩を感ずるも、上報す可きこと無し。 願はくは一軍を引き、葭萌関を攻取し、劉備の後を襲ひ、之を生擒す可し。此の時、必ず二十州を要割し還る。主公の心下 何如」
張魯 大喜す。
先に黄権を遣はし、小路に従ひて回る。兵二万を點し、馬超に与ふ。

張魯を主役にして、黄権と馬超が共同作戦を採っている。

此の時、龐徳 臥病し、行きて漢中に留まる能はず。張魯 楊栢をして超と弟の馬岱とを監軍せしめ、日を選びて起程す。

◆馬超が、孟達の守る葭萌関を攻撃する
玄徳 遂に綿竹に入り、兵を分けて成都を取るを商議す。
忽ち流星馬 急報して言ふ、
孟達・霍峻 葭萌関を守るに、今 東川の張魯 馬超を遣はして領兵し、攻打せらること甚だ急なり。救ひ遅ければ、則ち関隘 休むかな」
玄徳 大驚す。
孔明曰く、「須らく是れ張・趙〈張飛・趙雲〉の二将 方に敵す可し」と。
人有りて張飛に報ず。飛 外に在りて大喜す。
孔明曰く、「主公 且に言ふ勿れ。亮を容れ之を激せ」
張飛 外従り大叫して入りて曰く、
「哥哥〈劉備〉に辞し、便ち去きて馬超と戦ふなり」

こうして物語は、張飛と馬超の戦いへと移行する。
もともと、孟達が葭萌関を守っていたのは、『三国演義』の架空設定である。この架空の上に、更なる屋上屋を架して、張飛と馬超の対決につながる。


第65回下

◆馬超が降伏し、孟達が葭萌関に戻る
馬超 〈李恢に説得されて〉大喜して楊栢を喚び、一剣を入れて之を斬る。頭を将て、恢と共に一同、関を上りて玄徳に来降す。
玄徳 親自ら接し入待し、上賓の礼を以てす。超 頓首して謝して曰く、
「今 明主に遇ふは、乃ち雲務を撥ひて青天を見るなり」
賓・主 大喜す。
孫乾 已に回り、玄徳 霍峻・孟達を復命し、関を守らしむ。便ち撤兵して成都に来取す。子龍・黄忠 綿竹に接入す。

馬超に攻められるという非常時が去り、孟達はもとどおり、葭萌関を守ることになりましたと。史実では、江陵・宜都にいるんだけど。


◆黄権が、劉璋の降伏を留める
劉璋曰く、「吾が父子 蜀に在ること二十余年、恩徳 以て百姓に加ふる無く、攻戦すること三年、血肉 草野に捐つ。皆 我が罪なり。我が心 何にか安ぜん。如かず、投降して以て百姓・衆群を安ずるに。之を下聞せよ」
墮泪せざる無し。
忽ち一人 進みて曰く、
「主公の言、正に天意に合ふ」
之を視るに、乃ち巴西の西充国の人、姓は譙、名は周、字は允南、此の人なり。素より天文に暁るし。
璋 之に問ふ。周 劉璋に曰く、
「某 夜に乾象を観るに、群星 蜀郡に聚まる。其の大星の光 皓月の如し。乃ち帝王の象なり。况して一載の前、小児 謡して云く、『若し新飯を吃するを要さば、須らく先主の来るを待つべし』と。此れ乃ち預兆なり。天道に逆らふ可からず」
黄権・劉巴 皆 之を砍らんと欲す。劉璋 当に人をして住〈とど〉むべしとす。

黄権は、劉巴とペアになり、弱気になる劉璋を、なかば強引に励ます役割を振られている。


◆黄権が、劉備への臣従を拒む
玄徳 成都に入るや、百姓 香花・燈燭もて門に迎へて接す。
玄徳 公㕔に到り、陞堂して坐定す。郡内の諸官 皆 堂下に拝す。惟だ黄権・劉巴 閉門して出でず。衆武官 忿気して往きて之を殺せんと欲す。玄徳 慌忙して伝令して曰く、
「如し此の二人者を害する者有れば、其の三族を夷す」
此に因り、蜀中の文武 尽く皆 歓服す。
玄徳 親自ら登門し、此の二人に出仕を請ふ。二人 玄徳の大恩に感じて乃ち出づ。
……
玄徳 自ら益州牧を領す。其の降る所の文武 尽く皆 重賞せられ、名爵を定擬す。厳顔 前将軍と為り、法正 蜀郡太守と為り、董和 掌軍中郎将と為り、許靖 左将軍長史と為り、龐義 営中司馬と為り、劉巴 左将軍と為り、黄権 右将軍と為る。其の余 呉懿・費観・彭美・卓膺・李厳・呉蘭・雷同・李恢・張翼・秦宓・譙周・呂義・霍峻・鄧芝・楊洪・周群・費禕・費詩・孟達、蜀中の降将は、文武官 同に六十余人、並びて皆 処用せらる。141020

やはり霍峻は、荊州からの付き合いではなく、蜀の降将という扱いである。

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漢中で劉備と曹操と戦う(第70-72回)

第70回上

◆張飛に敗れた張郃が、葭萌関を攻める
〈曹洪〉曰く、「吾〈南鄭を〉保つ。汝 葭萌関を取れ。功を将て罪〈張飛への敗北〉を折らん、郃よ、若何」
曰く、「願はくは往かん」
衆 之を視れば、乃ち太原の陽興の人なり。姓は郭、名は淮、字は伯済。曹洪に入見して曰く、
「三軍 得易〈えやす〉く、一将 求め難し。張郃 然る〈張飛に敗れた〉罪有ると雖も、乃ち魏王の深愛する者なり。之を誅す可からず。再び五千の兵を与へ、葭明関を逕取せしむ可し。則ち各処の兵を漢中に𪻖動しむれば、自ら安たり。如し成功せずんば、二罪もて俱に罰せよ」

郭淮が、張郃の取り扱いについて、意見してる。いつのまに、そんなに偉くなったんだ。初登場のくせに。

曹洪 之に従ひ、又 兵五千を与へ、張郃をして葭萌関を取らしむ。郃 力に努めて去く。

葭萌関は、馬超の標的になり、張郃の標的になり、そのたびに危険になる。孟達は、要衝を任されているのだ。


却説 守関する将の孟達・霍峻 張郃の兵 来ると知き、霍峻 只 要を堅守す。孟達 要を定め、敵を迎ふ。軍を引き、関を下り、張郃と交鋒し、大敗して回る。

孟達が、張郃と一騎打ちしたw

霍峻 急ぎ申し、文書 成都に到る。
玄徳 聞知し、軍師に商議を請ふ。孔明 衆将を堂上に聚めて問ひて曰く、
「今 葭萌関 緊急なり。必ず閬中を須ち、翼徳を取りて方に張郃を退く可し」

孔明は、張飛を閬中から移動させ、また張郃にぶつけろという。張飛なら勝てるから。

法正曰く、「今 翼徳の兵 瓦口に屯し、閬中を鎮守す。是れも亦 緊要の地なり。取回す可からず。帳中の諸将内より一人を選び、張郃を破らしめよ」
孔明 笑ひて曰く、
「張郃 乃ち魏の名将なり。等閒に非ざれば、及ぶ可し。翼徳を着けずんば、人 当つ可き無し」
忽ち一人、厲声して出でて曰く、
「軍師 何ぞ人を視ること、草芥の如くするや。吾 不才と雖も、願はくは張郃の首級を斬らん」
衆 皆 之を視るに、乃ち老将の黄忠なり。

第70回下

◆孟達が、黄忠が老人なので笑う
却説 黄忠・厳顔 関上に到す。孟達・霍峻 二老に見ひて、将に心中にて亦た笑ふ。
「孔明 此の如く調度す。豈に能く人を用ゐるや。這般 緊要にして、去く処 如何。只だ両箇の老的をして来随せしめ、即ち牌印を交割す」

孟達は、黄忠たちを、老人め、と侮る役目かw

黄忠・厳顔 両箇の軍人をして将に両把せしめんとし、認旗を関口の山上に竪立す。張郃をして黄忠を聞知せしむ。
厳顔に曰ふ、「你見るや。諸人の動静 我ら二人の年老たるを笑ふ。竒功を建てて以て衆心に服す〈見返す〉可し」
厳顔曰く、「将軍の令を聴くを願ふ」

◆孟達が、黄忠の作戦に動員される
次日、二将〈張郃・夏侯尚〉兵 出し、黄忠 風を望みて走げ、連敗すること数陣。黄忠 退きて関上に在り、二将 関下に扣寨す。黄忠 堅守して出でず。
孟達 暗暗に書を発し、玄徳に申報して説く。
「黄忠 連輪 五陣、見るに今、退きて関上に在り」
玄徳 慌てて孔明に問ふ。
孔明曰く、「此れ乃ち老将の驕兵の計なり

孟達は、黄忠の計略を見抜けない、まぬけな観客の役割か。この役割をするために、本来なら荊州にいるのに、孟達は、益州に置かれている。

趙雲ら未だ信せず。

玄徳 劉封を差はして関上に来らしめ、黄忠に接応す。忠 封と相見す。〈黄忠が〉劉封に問ひて曰く、「〈劉封が〉此に来りて陣を助く。何の意あるや」
封曰く、「父親 得て将軍の数敗を知り、故に某を差〈つか〉はす」
忠 笑ひて曰く、「此れ老夫の驕兵の計なり。看よ、今夜の一陣。尽く諸営を復し其の糧食・馬疋を奪ふ可し。此に是れ寨を借して彼に輜重を屯せしむ。今夜、霍峻を留めて関を守らしめ、孟将軍をして糧草を搬し、馬疋を奪はしむ。小将軍、吾の敵を破るを看よ」

黄忠の計略は、まさにこれでした。孟達も、運搬の要員として、カウントされているのね。

是の夜二更、忠 五千の軍を引きて関を開き、直下す。原来、二将 連日 関上より出でざるを見て、尽く皆 懈怠す。
黄忠 破寨し、直入せらるや、〈魏軍は〉人 甲を披るに及ばず、馬 鞍を備ふるに及ばず。二将 各々自ら逃命して軍馬を走げしむ。自ら相ひ踐踏して死する者 数ふる無し。
比は天明に及び、連ねて三寨を奪ふ。寨中より遺下する軍器・鞍馬、数ふる無し。尽く孟達をして搬運せしめ、関に入る。

第71回上

◆黄忠の突出をフォローする布陣
却説 孔明 黄忠に分付す。
「你 既に去くを要す。吾 法正をして你を相助しむ。凡事 計議して〈法正と相談して〉行へ。吾 亦 人馬を撥して接応す。你 小心〈用心〉す可し」と。
黄忠 応允す。法正と本部の兵を領して去る。
孔明 玄徳に告げて曰く、
「此れ老将 言語に着かず激す。他 去くと雖も成功する能はず。他 今 既已にして去く。須らく人馬を撥して前去して接応せよ」

黄忠が突っこんでしまうかも知れない。黄忠が突っこんだときのために、黄忠を拾い上げる武将を配置せよと。

玄徳曰く、「然り」と。
孔明 趙雲を喚ぎて曰く、「你 一枝の人馬を将て小路より出でて奇兵として黄忠を接応す可し。若し忠 勝てば、你 必しも出でず。倘し忠 失有らば、你 即ち去きて救応せよ。

趙雲が、おもり役の筆頭。おもりの布陣は続く。

又 劉封・孟達を遣はし、山中の険要に三千の兵を領せしむ。去く処、多く旌旗を立て、以て我が兵の声勢を壮せしめ、敵人をして驚疑せしめよ。各自 兵を領して去く。
又 人を差はし、下辦に往かしめ、計を馬超に授く。他を此の如く行はしめよ。又 厳顔を差はし、巴西の閬中に往き、隘を守らしめ、張飛に替ふ。魏延をして飛せしめ、延 漢中を来取せよ。三路より共同して兵を進めよ」と。

夏侯淵を斬るための図面も、孔明が引いたのだと。


第71回下

◆夏侯淵を斬られ、落胆の張郃
却説 趙雲 張郃を攔住し、一陣を大殺す。進退 門無し。敗軍を引き、路を奪ひて定軍山を望みて走ぐ。
郃 前面に見る、一枝の兵 来迎す。乃ち都尉の杜襲なり。両兵 併合す。
襲曰く、「今、定軍山 劉封・孟達に奪はる」

孟達は、キャラ立ちというよりは、ただの数合わせのコマとして使われている。黄忠との絡みだって、黄忠の活躍があるから意味があるのである。孟達を主人公とし、黄忠の活躍を省くような物語であれば、わざわざ正史から逸脱して、益州から荊州にくる必要がない。

郃 聞知し、大驚す。遂に敗兵を引き、漢水に来到す。二将を劄管し、兵を一処に合はす。
杜襲曰く、「将軍 且に暫く管せ〈方面司令官を代行せよ〉。夏侯妙才が都督の印信、以て民心を安ず」

◆曹操を追い返す
是夜、操 正に奔走するの間、忽ち劉封・孟達 二枝の兵を率ゐ、米倉山の路従り殺来し、放火して糧草を焼く。操 北山の糧草を棄てて、南鄭に忙回す。

マジで、ちょい役。劉封と共闘した、という実績をつくりたいのだろうが。正史どおり、上庸で合流するので、良いなあ。あくまで、黄忠や趙雲や孔明を活躍させるための演出である。孟達について考えるとき、ここに孟達を配置する必要がないと分かっただけ。


第72回下

◆曹彰との一騎打ちをし損ねる
曹操 曹彰の斜谷界口に引兵するに見ひ、営を安ず。
人 玄徳に報ずる有りて言はく、「曹彰 到る」と。
玄徳 問ひて曰く、「誰か敢へて去きて曹彰と戦ふ」
劉封 出でて曰く、「某 往くを願ふ」
孟達 又 説く、「去くを要す」

これって、「要す」というより、yaoだよな。

玄徳曰く、「汝二人、同に去け。看るは誰ぞ、成功を」

劉封と孟達の共闘を、正史準拠、かつ演義のおもしろさも取り込むなら。上庸の攻略のとき、『演義』に見られるおおくのエピソードを集約して盛り込めばいいのだろう。

各々兵五千を引き、来迎す。劉封 玄徳の威に仗り、先に在り。孟達 後に在り。
曹彰 馬を出し封と交戦すること、只 三合なり。封 大敗して回る。孟達 兵を引きて前進し、方に交鋒せんと欲するに、只 見る、曹兵の大乱するを。
却是、馬超・呉蘭の両軍 殺来す。

孟達さんの名場面が、馬超に奪われた!

曹兵 先に自ら肝落し、三路の軍 衝殺して来る。超の兵 歇養すること、日に久し。此に到り、耀武・揚威の勢 当たる可からず。曹兵 敗走す。正直し、呉蘭 住まらず。彰 一戟もて蘭を馬下に剌す。

孟達の代わりに、呉蘭さんが死んでくれた。ヨカッタナー。

三軍 混戦す。
操 兵を斜谷界口に退け、扎住す。超の侵刧を被け、晝夜 安ぜず。
劉封 惶恐す、父に面見する無きを。孟達の建功するを聴知し、深く恨み、結讐す。20141020

孟達と劉封の対立は、ここが起点となる。ところで、ずっと孟達とセットだった霍峻さは、もう後方を守って、ご退場したのだろうか。渡辺精一先生の『三国志人物事典』によると、第70回が最後だった。 あとは、五虎将が戦い、鶏肋へと移ります。
ぼくは思う。正史の孟達と演義の孟達のズレは、「劉備軍の一員として益州に入るか」にある。はじめ、劉璋の兵を預かって劉備に合流した孟達。正史では、劉備の入蜀とすれちがって、荊州の留守番に合流し、以後ずっと荊州にいる。演義では、劉備の張魯攻めに再合流し、張魯・劉璋・曹操との戦いに顔を出す。
「劉備軍として益州にいる孟達」はフィクション。演義の編者は、「架空」の孟達に、重要な役割を与える。編者として、使い勝手がいいからね。広漢を守れば、張魯の将の馬超に攻められて、張飛に助けを呼ぶ。張郃に攻められて援軍を呼べば、黄忠・厳顔が来て「老人かよ」と笑う。【張飛と馬超の一騎打ち】【老黄忠】という見せ場のお膳立てをする。
演義の孟達は、正史とは違って益州の戦場に登場し、なんども劉封と共闘して、因縁を形勢する。曹操との戦いで、「劉備の威光を利用し、孟達から先陣を奪った」劉封は、曹彰の一騎打ちに敗れて恥をかき、孟達を恨む。という後年の伏線も張られる。だが正史では、建安二十四年に上庸の城下で初対面。じつは因縁は浅い。
史実と物語を比べても仕方がないが。ことに孟達と劉封との関係の描写においては、『演義』のほうが「優れている」と言えましょう。

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関羽が荊州を失い、劉備が復讐する(第73-86回)

第73回上

却説 玄徳 劉封・孟達・王平らに命じて、上庸の諸郡(上庸 湖広に属す)を攻取す。申躭ら 操 已に漢中を棄つると聞き、走ぐ。遂に皆 投降す。

正史にある戦いなのに、一瞬で終わったw

玄徳 大喜し、就ち東川の地に於いて三軍を大賞す。安民 已に定め、玄徳 癒々愛惜を軍士に加ふ。衆 交々皆 有 玄徳を推尊して帝と為すの心有り。

第76回下

◆廖化が助けを求め、孟達が断る
関公 救出し、父親 重囲を脱す。
平 告げて曰く、「軍心 乱る。必ず城池を得て暫せよ。且に屯住して以て援兵を待て
関公 之に従ひ、軍兵を催促す。前みて麥城に至る。
公曰く、「此の城 小なると雖も、足て屯兵するに以る」
遂に入城し、兵を分けて其の四門を緊守す。
公 将士を聚めて商議す。
平曰く、「此の近く、上庸の劉封・孟達 寸を把す。速やかに人を差はし、救を求む可し。若□□、枝の軍馬、接済姑待川、兵 来りて軍を救はば、心 自安す」

早稲田大学の李卓吾本が欠落してて、字が分からない。

正に議するの間、忽ち報ず、城下の呉兵 四面より囲定し、水 洩れても通ぜず。公 親ら城に登り、之を観る。呉兵の八面に分布すること、整整・斉斉たるを見る。人馬 雄壮たり。
公 問ひて曰く、「誰か敢へて再び上庸に往き、劉封に救ひを求めんか
廖化 声に応じて出でて曰く、
「某 願はくは往かん」
公曰く、「但だ恐る、重囲を透出するを得ざるを」
化曰く、「死を誓ひ帰せざれば、何ぞ至らざる所あらん」
公 即ち書を修め、化に付し、身中に飽食を蔵し、上馬す。開門して城を出で、正に呉将の丁奉 截住するに遇ふ。関平に一陣を衝殺せられ、奉 大敗す。
廖化 勢に乗じて重囲を殺出し、上庸に投ず。
去き訖はり、関平 城に入りて堅守して出でず。

且説 劉封・孟達 自ら上庸を取り、太守の申耽の率ゐる衆の帰降する有り。此に因り、漢中王 劉封に加へて副将軍と為し、孟達をして上庸を同守せしむ。
関公の兵 敗るるを探知し、二人 正議するの間、忽ち報ず、廖化 至ると。封 請入して之を化に問はしめて曰く、
「関公の兵 敗れ、至急 麥城に困す。八面 皆 是れ呉兵なり。囲遶し、水 洩もるとも通ぜず。望む、二将軍 速やかに上庸の兵を起し、以て其の危を救へ。倘若し遅延すれば、公 必ず陷せん」
封曰く、「将軍 且に歇容せよ。某 計議す」
化 歇め訖る。
封 孟達に曰く、「今 叔父〈関羽〉 困せらる。之の如くんば、奈何」
達曰く、「近く聞く、東呉の精兵 三・四十万 俱に荊州の九郡に在り、已に呉に属す。地 止むるは、麥城に有り、乃ち弾丸の地なり。又 聞く、曹操 親ら大軍 四・五十万を督し、江漢を縦横す。勢 泰山の若しと。我ら山城の衆を量るに、以て両家の強に敵すれば、兵 正に羊を駆りて虎穴に入るが如きのみ

このセリフが、孟達の運命を決める。正史では、ここまで描写してないから、嬉しいですね。

封曰く、「吾 亦た之を知る。奈るに関公 是れ吾が叔父なり。安んぞ忍坐視して、救はざるや」
達 笑ひて曰く、「公 彼を以て叔と為すも、彼 公を以て草芥と為すのみ。昔者 漢中王 登位するの時、後嗣を立てんと欲し、孔明に問ふ。孔明曰く、『此れ家事なり、関・張に問ふ可し』と。王 遂に書を致し人を遣はして荊州に往かしめ、関公に問ふ。彼 勃然と曰く、『嫡を立てて庶を立てざるは、古の常理なり。又 何ぞ必ず我に問ふや。封 乃ち螟蛉の子なり。山城の遠に住めしめば、親なる骨肉 遺禍より免るるなり』と。此を以て之を観るに、安にか公を以て草芥と為さざるを得るや。天下 皆 知る、公 何をか隠すや」と。
封曰く、「君の言 是と雖も、将た何ぞ之を却てん」
達曰く、「但だ言ふ、山城 初めて附し、民心 未だ定らず。敢へて造次せず興兵すれば、守る所を失ふを恐る」

劉備の跡継ぎとか、関羽の発言とか、そういう問題をわきに置いても、兵を出せる状況じゃないでしょうと。これは正しい。

封 之を然りとす。
次日、廖化に請ひて、言を至す。
「此の山城 之を初附する所、未だ能く救解せず」
化 大驚して頭を以て地に叩きて曰く、
「若し此の如くんば、則ち関公 喪す」
封曰く、「一杯の水、安にか能く一車薪の火を救ふや。将軍 速やかに回り別に求めよ。得て遅るる勿れ」
化 大慟し、告求す。劉封・孟達 皆 托病して出でず。
廖化 事の不諧なるを知り、尋いで思ふ、
「須らく漢中王に告げ、救を求むべし」と。
化 遂に上馬し、大罵して出城す。成都を望みて去る。

劉封・孟達は、廖化が「あなたが助けてくれないと、関公が死ぬんですけど」と泣き付かれても、「えー、病気なんで」と断った。彼らこそ関羽に呪われて死ぬべきだが、劉封は諸葛亮に、孟達は司馬懿に殺される。史実に準拠したドラマチックな死のエピソードを用意できる者には、関公の呪いも及ばない。


第77回下

◆関羽の死が、劉備に伝わる
玄徳曰く、「孤 雲長と生死を同じくするを誓ふ。彼 若し失有れば、孤 豈に能く独り生くるや」
孔明・許靖 正に勧諭するの間、忽ち近侍 奏して曰く、
「馬良・伊籍 至る」と。
玄徳 召して入れて之に問ふ。
却𦆵、表章を呈上す。未だ折観するに及ばず、侍臣 又 奏す。
「荊州の廖化 至る」と。
玄徳 急ぎ召入れ、之に問ふ。
化 哭して地に拝し、細さに前事を奏す。
玄徳 大驚して曰く、「若し此の如くんば、則ちう吾が弟 休めり」
孔明 又 奏して曰く、「劉封・孟達 此の如し。礼無く、罪 誅を容れず。王上 心を寛くせよ。亮 親ら一旅の師を提し、去きて荊襄の急を救ふ
玄徳 泣きて言ひて曰く、「雲長 失有れば、孤 豈に能く独り生くるや。孤 来日、自ら一軍を提げ、孤弟を救はん」
玄徳 一面 人を差はして閬中に赴かしめ、報知す。翼徳 一面 人を差はして人馬を会集せしむ。未だ天明に及ばず、一連・数次 報説す。
「関公 夜に臨沮に走げ、呉将の潘璋の部将たる馬忠の為に困す所となる。義 屈せず、父子を節して神に帰ると」 玄徳 聴き罷み、大叫すること一声、地に昏絶す。未だ知らず、性命 如何なるを。且聴下回分解。

第85回下

却説 魏主の曹丕 兵を起して川〈蜀〉を收めんと欲し、乃ち司馬懿に問ひて曰く、
「朕 川を收めんと欲し、当に何なる策を用ゐるべきか」と。
懿曰く、「若し只だ中国の兵を起すこと急なれば、勝を取ること難し。須らく内外を用て夾攻すべし。諸葛亮をして首尾 救応する能はしめず。神機・妙策有ると雖も、施展する能はず。大事を成さんと欲すれば、必ず五路の大兵を起し、大事を成すべし」と。

この、いい加減な(正史にない)戦略は、初読したとき、すごいと思いました。

丕曰く、「何をか五路と為す」と。
懿曰く、「書一封を修め、使を差はして遼東・鮮卑国に往かしむべし。国王の軻比能に見え、金帛を送与し、以て其の心を賂ひ、遼西・羌胡の番兵十万を起せしめ、先に旱路より西平関を取り、川を攻むべし。此れ一路なり。
又 国書を修め、赍官を差はして賞賜を誥げ、南蛮の地に直入すべし。蛮王の孟獲に見え、蛮兵十万を起たしめ、益州・永昌・牂牁・越雋の四郡〈益州も郡名である〉を攻打し、以て西川の南を撃つべし。此れ二路なり。
又 使を差はして入呉し、前事を分析して、割地を許し、隣と為すべし。孫権をして兵十万を起たしめ、両川の峽口を攻めよ。険峻・隘口に由り、涪城を逕取せよ。此れ三路なり。
又 可使を差はし、降将の孟達をして上庸に兵十万を起たしめ、西して漢中を攻めよ。此れ四路なり。
然る後、大将軍の曹真に命じ、大都督と為して兵十万を提げしめ、京兆より陽平関に逕出し、西川を取れ。此れ五路なり。
大軍五十万を以て、五路 之を進め。諸葛亮 便ち呂望の才有るとも、安にか能く之に当たらん」と。

丕 大喜して乃ち密かに能言の官 四員を遣はして使と為し、四路を前去して、起兵せしむ。然る後、曹真に命じて大都督と為し、兵十万を領せしめ、陽平関を逕取せしむ。
……
時に建興元年秋八月、忽ち近臣 禍事有るを奏す。後主 其の故を問ふ。廷臣曰く、
「今 曹丕 五路の大兵を調へ、来りて西川を取らんとす。第一路 乃ち番王の軻比能、羌胡の兵 十万を起して、西平関を犯す。第二路 乃ち蛮王の孟獲、蛮兵 十万を起して、益州の四郡を犯す。第三路 乃ち呉王の孫権、精兵十万を起して、峽口を取り、川に入る。第四路 乃ち反将の孟達、上庸の兵十万を起して、漢中を犯す。第五路 曹真 大都督と為り、兵十万を起して、陽平関を取る。此れ五路なり。軍馬 甚だし。是の利害 先に丞相の丞相に報知せんと欲すれども、何を為さんかを知らず。数日 出でて視事せず。
後主 聴き罷み、大驚して汗流 背を浹す。

第86回

◆五路の作戦を、孔明が切り崩す
後主 後に在りて立つこと久し。乃ち徐徐にして言ひて曰く、
「丞相 安ぞ楽たるや否や」
孔明 回顧す。是を見るに後主なり。〈孔明は〉慌忙して杖を棄つ。地に拝伏して奏して曰く、
「臣 万死に該る」
後主 亦 答礼して言ひて曰く、
「今 五路の兵 境を犯すこと、甚だ急なり。相父 何に縁りて出府・視事するを肯ぜざる」
孔明 大笑し、後主を扶けて内室に入り、坐定す。後主 驚慌して未だ安ぜず。
孔明曰く、「五路の兵 至るも、臣 安にか得て知らざるや。

知らないでいることが、できましょうか。

臣 観魚して思ふ所有るに非ざるなり」
後主曰く、「之をいかんせん」
孔明曰く、「羌胡の軻比能、蛮王の孟獲、反将の孟達、并びに曹真、此の四路の兵 臣 已に皆 退けり。止まりて東呉の孫権有り。這の一路の兵 臣 亦 已に計有り。但だ一の能言の人を遣はして使と為さん。未だ其の人を得ず、故に之を熟思す。陛下 何ぞ必ず憂へんや」
後主 聴き罷み、大驚して曰く、
「相父 神を労すなり。果して鬼神・不測の機有り。願はくは聞かん、相父の退兵の策を」
……
又 知る、孟達 兵を引きて漢中より出づ。達 頗る詩書の義を知り、李厳と曽て生死の交を結ぶ。昨、臣 成都に回り、李厳を留めて永安宮を守らしむ。臣 一書を作り、只だ李厳の親筆がごとく做り、

原文には「ごとく」と訓読する漢字はないんですが、意味からして欲しいので、補いました。

人をして孟達に送らしむ。達 若し見れば、便ち境を犯さず、心中に不定なるを主張し、必然、病を推して出でず。以て軍心を慢とす。此の三路 又 憂ふに足らず。

正史の改変がうまい。べつに正史では、諸葛亮による偽書ではなかった。

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孟達が仲達に斬られる(第94回下)

とりあえず、孟達だけ、やりきってしまう。
黄権の裏切りは、また別に。

曹叡が司馬懿の官職を戻す

是に於いて太傅の鍾繇 奏して曰く、
「向者、諸葛亮 師を興して境を犯さんと欲す。但だ懼る、其れ人の故に流言を散ずるを。今 陛下、其の柱石の臣を去かしめ、果然、陛下 計に中つ。

鍾繇は、「曹叡が諸葛亮の計略にはまって、司馬懿を遠ざけちゃっただろ」と言っている。もし司馬懿を召し帰せば、諸葛亮は去るだろと。

方に長駆して大進す。今 若し復た其の人を用ゐれば則ち、諸葛 自然、退く」
魏主の曹叡 之を繇に問ひて曰く、
「此の人 乃ち驃騎大将軍の司馬懿なり」
叡 長歎して曰く、
「朕 今に到り、心中に猶ほ悔ゆ、卿の言ふ所に非ず。以て発明する無し。仲達 何づこの地に在る」
繇曰く、
「近く聞く、仲達 宛城に在り、閑住す」
叡 即ち詔を降し、使を遣はして持節せしめ、仍ち司馬懿の官職を復し、加へて平西都督と為す。就ち南陽の諸路より起ち、軍馬 長安に前赴す。
叡の御駕 親征し、克日、彼の聚会するところに到る。使命、宛城を望み、星夜 去く。

却説 孔明 出師して自り以来、累々全勝を獲て、心中 甚だ喜ぶ。正に祁山の寨中に在り、会衆して議事す。
忽ち報ず、永安宮に鎮守する李厳 子の李豊をして孔明に来見せしむ。只だ道ふ、「東呉 境を犯す」と。心 甚だ驚疑し、帳中に〈李豊を〉喚入して之を問ふ。
豊曰く、「特来し、喜を報ず」
孔明曰く「何の喜ぶこと有るや」
豊曰く、「昔日、孟達 魏に降るは、乃ち已むを得ずして降るなり。彼の時、曹丕 〈孟達を〉甚だ愛し、毎に将相の才を称ふ。時に駿馬・玩器・金珠を以て之に賜ふ。曽て同輦・出入す。群臣 驚訝せざる無し。封ぜられて散騎常侍と為り、新城太守を領し、上庸・金城らの処を鎮守し、西南の任を以て委ぬ。
此の如き重任、丕の死する後自り、曹叡 即位し、甚だ相好せず。其の賜る所を絶ち、朝中の多人 孟達に嫉妬す。日夜、安ぜず。
常に〈孟達は〉諸将に曰く、『我、本は是れ蜀将なり。勢〈情勢が〉 此〈曹叡の冷遇〉に逼り、今 累ねて心腹の人を差〈つか〉はす。書を持して、家父に来見す。早晩、代はりて丞相に稟せしむ。前者〈さきごろ〉、五路 川を下るの時、曽て此の意有るは、丞相も亦 知る。
今〈孟達は〉親ら城に在り、丞相 伐魏するを聴知す。金城・新城・上庸の三処より軍馬を起こし、就ち彼〈孟達〉 挙事し、洛陽を逕取せんと欲す。丞相 長安を取れ。両京 定む可し。今 某 人を引来し、并せて累ねて書信を次ぎて呈上す」

孟達から李厳に、連絡がきた。孔明が北伐するなら、ぼくも協力しますからと。これが成功したら、蜀漢はすげー。

孔明 大喜し、李豊らを厚賞す。
忽ち細作の人 報説す。
「魏主の曹叡 一面 駕して長安に幸く。一面 詔して司馬懿をして復職せしめ、加へて平西都督と為し、本処の兵を起ち、長安に聚会す」と。
孔明 聴き畢はり、頓首・跌足して、措く所を知らず。
参軍の馬謖 問ひて曰く、
「曹叡を量るに、何ぞ道ふを為すに足らんや。若し得て長安に来たらば、就ち之〈曹叡〉を擒へよ。丞相 何故 驚くや」

ポジティブ!

孔明曰く、「吾 豈に曹叡を懼るるや。平生 患らふ所の者は、惟だ司馬懿一人のみ。今 孟達 大事を挙げんと欲す。若し司馬懿 此の大権を得れば、事 必ず敗れん。達 司馬懿の対手に非ず。必ず擒へる所となる。孟達 若し死さば、中原 得ること易からず」

どうせ孟達は負けて、孔明の計画は頓挫するが。計画の頓挫すら、予知していた孔明サマ、をアホな馬謖との会話で浮かび上がらせ、孔明の万能性を担保する。

馬謖曰く、「何ぞ急ぎ書を修めざる。孟達をして隄防せしめよ」
孔明 之に従ふ。
即ち書を修めて人を来らしめ星夜 孟達に回報す。

孔明と孟達が文通する

却説 孟達 新城に在り、専ら心腹の人 回報するを望む。

側近が届けるはずの、李厳(か孔明)からの返事を待ってだけいた。

す。時ならず心腹の人 到来す。孔明の回書を将て呈上す。孟達 折封して之を視る。書に曰く、
「近く書を得て、公の忠義の心を知るに足る。故旧たることを恩とせず、吾 甚だ喜慰を為す。公 若し此の大事を成せば、則ち漢朝中興の第一の功なり。然れば極めて宜しく謹密し、容易に人に託す可からず。兄弟・妻子と雖も亦 〈秘密を〉保つこと難し。之を愼しみ之を戒めよ。
近く聞く、魏叡 復た詔して司馬懿 宛洛の兵を起こすと。若し公の挙事を聞かば、必ず先至す。須らく万全・隄備し、視て等閑の人為る勿れ。吾 猶ほ之を懼る。公に請ふ、詳察せよ」

孟達 覧畢はり、大笑して曰く、
「人 言ふ、孔明の心 多なる〈心配性〉を。今 此の事を観るに、知る可きに足る」
心腹の人 告げて曰く、
「主公 回書を修めて以て丞相の心を安ぜしむ可し。常の如く慢なる可ならず」と。
達 之に従ひ、又 回書を具へ、心腹の人をして星夜 孔明に来答せしむ。

孔明 〈孟達からの使者を〉帳中に喚入す。其の人 回書を呈上す。孔明 折封して之を視る。書に曰く、
「適 鈞教を承く。安にか敢へて少しく怠切して司馬懿の事を謂ふや。達 以為へらく必ず懼れずと。宛城 洛城を離るること約八百里、新城に至るに一千二百里なり。若し司馬懿 達の挙事を聞かば、須らく魏主に表奏すべし。往復すれば則ち一月間の事なり。達の城池 已に固し。諸将 亦 三軍をして皆 深険の地に在らしむ。司馬懿 便ち来るとも、達 何をか懼れん。丞相 寬懐し、惟だ捷報を聴け」

ああ、アホか!と。

孔明 看畢はり、之を地に擲げ、頓足して曰く、
「孟達 必ず司馬懿の手に死す」
馬謖 問ひて曰く、「丞相 何を謂ふや」
孔明曰く、「兵法に云はく、其の備へ有るを攻むるに、其の不意より出づと。豈に孟達の一月の期在るを料るを容すや。既に曹叡 已に司馬懿に委ぬ。寇に逢へば即ち除く。何ぞ奏聞を待つや。若し孟達の反を知れば、十日を須たず、兵 必ず到らん。安にか能く措手するや」
衆将 皆 服す。

孔明 急ぎ来人をして回報せしむ。曰く、
「若し未だ事を挙げざれば、切に同事する者をして之を知らしむる莫かれ。知らしむれば則ち、必ず命を喪ふ。其れ入拝し、新城に辞帰せよ」

申儀の家人が司馬懿に密告する

却説 司馬懿 宛城に在りて閑住す。魏兵の蜀に累々敗るるを聞知す。乃ち天を仰ぎて長歎すること数声。
懿に有り、長子の司馬師、字は子元。次子の司馬昭、字は子尚。此の二人、素より大志有り、兵書を飽看し、側に侍立す。懿の長歎息するを見て、乃ち問ひて曰く、
「父親 何ぞ長歎を為す」
懿曰く、「汝輩 豈に大事を知るや」
司馬師曰く、「歎くこと非ざる莫し。魏王 〈司馬懿を〉用ゐざるを」
司馬昭 笑ひて曰く、「早晩、必ず父親に宣 来るなり」
懿 大驚して曰く、「意せず、吾が家 又 麒麟児を出す」

麒麟児は司馬昭。司馬師は、駑馬のようなもの。孔明のそばに馬謖、仲達のそばに司馬師など、凡人の代表みたいな人が、会話役として必要だから、仕方がない。

言 未だ尽さざるに、忽然、天使〈曹叡の使者〉 持節して至る。懿 詔を聴き畢はり、遂に宛城の諸路の軍馬を調ふ。
忽ち告ぐ、一人 機密事を来報するを。懿 密室に喚入し、之を問ふ。其の人 告げて曰く、
「某 乃ち金城太守の申儀の家人なり。近く有り、新城太守の孟達 上庸太守の申耽 并びに某が主公〈申儀〉に商議せんと請ふ。
達曰く、『吾 乃ち大蜀の人なり。昨、時勢に因り逼る所となり、已むを得ずして之に降る。魏文帝 時に相待すること甚だ厚し。当今の魏主 吾らを以て外邦の人物と為し、之を視ること草芥の如く、之を待すること糞土の如し。

曹叡の度量のせまさが、孟達が離反する原因。曹叡の無能さを、司馬懿が補って余りある、というお話の構成か。

今 諸葛丞相 命を奉じて出師し、兵 祁山に至る。先に夏侯楙を敗り、又 曹真を敗る。魏兵を殺得し、鬼を亡し肝を喪なふ。今、天水・南安・安定の三郡、俱に已に帰順す。勢 竹を破るが如し。長安 旦夕 休するに在り。吾ら合はせて天道に従へ。就ち此に挙事し、洛陽を逕襲すれば、其の功 莫大なり。汝ら従ふや否や』と。
申耽・申儀 皆 其の勢を懼る。只だ得て勉強し、応允す。各自 城池を脩補し、軍馬を聚集す。早晩、必ず反す。申家の兄弟〈申耽・申儀〉 誠に連累するを恐れ、先に某を来らしめ、首〈司馬懿に通報〉す。孟達の心腹の人たる李輔

諸葛亮のもとに往復していた「心腹の人」と同一人物かと思いきや、それは後でムリと分かる。いや、李輔はパシリなんかしないのか。でも人物を絞りこんだ方がおもしろくなるよなー。

并びに達の外甥たる鄧賢 状に随ひ首を出し、都督の早く提兵して来るを望む。自ら内変有るなり」

司馬懿 聴き畢はり、手を以て額に加へて曰く、
「此れ乃ち、皇上・斉天の洪福なり。今 諸葛亮の兵 祁山に在り。内外の人を殺得し、皆 肝落す。今 天子 已むを得ず長安に幸す。若し旦夕 吾を用ゐず、時に孟達 一挙すれば、両京 休むかな。此の賊 必ず諸葛亮に通謀す。吾 先に之を破れば、諸葛亮 定然、心 寒からしめ、自ら兵を退けん」
長子の司馬師曰く、「父 親ら急ぎ表申を写し、天子に奏す可し」

凡人の代表の方、お約束をありがとうございます。

懿 歎じて曰く、「若し聖旨の往復するを等てば、一月の期なり。事〈蜀軍の勝利〉 已に成る。若し〈蜀軍が〉険要を把住すれば、吾 百万の之有ると雖も、急に破ること難し。即ち伝令し、人馬をして起程せしむ。一日に二日の路を行くを要す。如し怠慢する者有らば、之を斬れ」

懿 又 参軍の梁畿に令して、詔を齎らしむ。星夜、新城に去き、孟達らをして征進を准備せしめ、彼〈孟達〉をして疑はしめず。

先鋒の徐晃を、孟達が射殺す

梁畿 先行し、懿 随後して兵を発して行く。二日、山坡を下り、転出する一軍、乃ち是れ右将軍の徐晃なり。晃 下馬して懿に見ひて説くらく、
「天子の駕 長安に到り、以て蜀兵を退かしめんとす。今 都督 何ぞ往かざる」
懿 言を低くくして曰く、「今、孟達 造反す。吾 去きて擒ふるのみ」
晃曰く、「某 先鋒と為ることを願ふ」

徐晃さんが、死亡フラグです。

懿 大喜して兵を一処に合はす。徐晃を前部とし、二子を後軍とす。懿 中軍に在り、又 二日行く。

前軍の哨馬 孟達の心腹の人を捉住す。孔明の回書を捜出し、司馬懿に来見す。懿曰く、
「吾 汝を殺さず。汝 頭従〈よ〉り細説せよ」
其の人 只だ得て孔明・孟達 往復の事を将て一一告説す。懿 孔明の回書を看畢はり、自ら驚きて曰く、
「世間の能くする者 見る所 皆 吾が機先と同じなり。孔明に識破せらる。幸にも天子の福有るを得て、此の消息を獲る。則ち孟達 計無し」
遂に感歎して已まず。星夜、倍道し、軍行を催䟎す。

却説 孟達 新城に在り、金城太守の申儀・上庸太守の申耽と約下す。克日、事を挙ぐると。耽・儀の二人 毎日、軍馬を調練し、只だ魏兵の到るを待ち、以て内応を為さんとす。
却りて孟達に報じ、軍器・糧草の俱に未だ完備せざるを説き、敢へて期を約して事を起さず。達 之を信ず。
忽ち報ず、参軍の梁畿 来到すと。孟達 城中に迎へ入る。畿 司馬懿の令を将て伝へて曰く、
「司馬都督、今 天子の詔を奉じ、諸路の軍をして起たしめ、以て蜀兵を退けんとす。太守 本部に軍馬を集むる可し。聴侯し、調遣せよ」
達 問ひて曰く、「都督〈司馬懿〉 何日に起つ」
程畿曰く、「此の時以て之を約し、宛城を離れて長安を望みて去く
暗かに喜びて曰く、「吾が大事 成れり」

〈孟達は〉遂に宴を設けて梁畿を待し、城外に送出す。
即ち申耽・申儀に報じ、知道す、「明日 事を挙ぐ」と。
換へて大蜀の旗号を上げ、諸路より軍馬を発し、洛陽を逕襲せんとす。
忽ち報あり、城外の塵土 冲天して、何処の兵の来るやを知らずと。孟達 登城して之を視るに、只だ見る、一彪軍 打着するを。右将軍の徐晃の旗号 城下に飛奔す。
達 大驚し、急ぎ吊橋を扯起す。
徐晃 坐して下馬し、收拾して住まらず、直来して壕辺に到る。高叫して曰く、
反賊の孟達。早早に降を受けよ」
達 大怒して急に弓を開き、之を射る。徐晃の頭額に正中し、魏将 救ひて去る。城上より乱箭 射下す。魏兵 方に退く。

徐晃が死ぬという名場面も、わりとアッサリ。


孟達 恰待し、開門して追赶す。四面の征旗 日を蔽ふ。
司馬懿の兵 到る。達 仰天して長歎して曰く、
果して孔明の料る所を出でざるなり
是に於いて〈孟達は〉閉門・堅守す。

却説 徐晃 孟達に頭額を射中せられ、衆軍 救ひて寨中に到り、箭を頭より取る。医をして調治せしむるも、晩に当りて死す。時に年五十九歳。魏の太和二年、春正月なり。
後に史官 詩有りて賛じて曰く、
「降魏権成厚爭津定策高揚声攻不備陷敵戦当塵欲
虜平襄漢還屯振節旄功踰孫子右魏武過情褒」

孟達が新城を失って敗走する

司馬懿 人をして柩を扶けしめ洛陽に還し、葬を遷す。
次日、孟達 城に登りて之を視る。只 魏兵の四面を囲ふを見て、得て〈包囲の厳しさが〉鉄桶に相似る。達 行坐して不安たり。驚疑して定まらず。
忽ち見る、両路の兵 外自り殺来するを。旗上に大書す、
「申耽・申儀」
孟達 是に救軍〈孟達を司馬懿の包囲から救うための援軍〉の到ると見る。本部の兵を引き、城門を大開し、殺出せしむ。
耽・儀 大叫して曰く、「反賊 走ぐるを休めよ。早く降を受けよ」
両路 攻来す。達 事変を見て、撥馬して城中を望み、便ち走ぐ。城上より乱箭 射下す。乃ち是れ李輔・鄧賢 城池を献ずるなり。

申儀・申耽を、外からきた援軍だと思って迎え入れたら、敵だった。中にいる血縁者にも、そむかれて矢を射られた。

二人 大罵して曰く、「吾ら已に城を献ず」

達 路を取りて走ぐ。
申耽 赶来す。達 人は困し馬は乏し。措手して及ばず、申耽に一鎗もて馬下に剌さる。衆軍 其の首級を梟す。

あーあ、孟達が死んじゃった。

余軍 皆 降る。
李輔・鄧賢 大いに城門を開き、迎接す。司馬懿 入城し、撫民・労軍す。已に畢はり、遂に人を遣りて奏し、魏主の曹叡に知らしむ。
叡 大喜して曰く、
「孟達の首級を将て洛陽の城市に去かしめ、碎刴して衆に示せ」

申耽・申儀に官職を加ふ。就ち司馬懿に随ひて征進す。李輔・鄧賢に命じて、新城・上庸を守らしむ。

戦後処理と、張郃の登場

却説 司馬懿 兵を引きて長安の城外に到り、下寨す。懿 入城して魏主に来見す。
叡 大喜して曰く、
「朕 一時の不明にて、誤りて反間の計に中てらる。卿をして閑居せしむこと、許久なり。朕 之を悔ゆること無及なり。今 達 造反す。卿ら之を制すること非ざれば、両京 休めり」
懿 奏して曰く、「臣 聞く、申儀 反情を密告す。意 陛下に表奏せんと欲す。往復して遅滞するを恐る。

事後報告になったことの弁明である。

故に聖旨を待たず、星夜 去くこと八日、已に新城に到る。孟達 措手して及ばず、臣に斬らる。若し奏聞を待てば、則ち諸葛亮の計に中つ」
言ひ罷み、孔明の孟達に回す密書を将て叡に奉上す。
〈曹叡は〉看畢はり、大喜して曰く、「卿の学識 孫呉に過ぐ。金の鉞斧一対を賜る。後に機密・重事に遇へば、必ずしも奏聞せず、便ち宜しく行事すべし。就ち司馬懿をして関を出でしめ、蜀を破る」
懿 奏して曰く、「臣 一大将を挙げ、先鋒と為す可し」

徐晃が死んだから、代わりを支給して下さいと。

叡曰く、「卿 挙ぐるは何なる人ぞ」
懿曰く、「此の将 乃ち河間の鄭の人なり。姓は張、名は郃、字は旧義。右将軍なり」
叡 笑ひて曰く、「朕 正に之を用ゐんと欲す」
遂に張郃に命じて、前部先鋒と為し、即日 起行す。司馬懿 兵を引きて長安を離れ、蜀兵を破らんとす。勝負は如何。且聴下回分解。141022

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黄権が夷陵から帰れない(後日作成)

ああ

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