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- 『水滸伝』第7~13回、林冲=呂布、楊志=馬騰
三国志と『水滸伝』が融合した話をつくる計画
という遊びをしています。『水滸伝』の駒田信二訳を見ながら、漢末・三国に比定していく作業をします。『漢末水滸伝』というタイトルを考えています。
林冲=張奐という、ボツ案
霊帝が即位した168年、張奐は涼州から凱旋した。
涼州の戦線は、後任の董卓にあずけてきた。董卓の動きを、どうやって物語に絡ませるかは、また考える。『水滸伝』林冲を、張奐に割り振ろうか、悩み中です。そのとき張奐は、宦官たち(本作の悪役)にだまされて、陳蕃を殺した。もしも張奐の正義に従って行動するならば、陳蕃をサポートするべきだったのに。
169年、青蛇が帝座の軒の上に現れた。雹が振り、落雷が樹木を裂いた。その意味を問われて、張奐が、「陳蕃の名誉を回復すれば、吉兆になります」といった。前年の過ちを、せめて修正しようとした行為。
張奐は、宦官にうとまれて、帰郷させられた。
このあたり、『後漢書』張奐伝をみてます。
張奐は、181年に死ぬ。ぼくの『漢末水滸伝』は、175年に盧植が中央を去るところから始めたい。175年当時に、張奐が、宦官(や宦官にくみした段熲)とトラブルを抱えていたとしても、なんら不思議ではない。
『水滸伝』で林冲は、高俅の養子に、妻を横恋慕される。張奐の妻を、張譲(もしくはその弟の張朔)が横恋慕するというのは、年齢的にリアリティがない。張譲の縁者に、妻を横恋慕されるという被害者は、べつに設けることにして、林冲=張奐で、もうちょい押してみるか。いや、洛陽で生活していて、武術がつよいイケメンを林冲にしたいな……。だれかいないかな。
張奐が宦官とトラブルを起こしているのを見て、盧植は、幽州への帰郷をきめる。というところで、『漢末水滸伝』の物語が開幕する。
いっぽうで張奐は、わなに嵌まって、誤って刀をもって、天子のそばに接近。
林冲の妻のことを省いて、張奐を造型すると、「陳蕃の事件に関して、宦官ともめる」→「宦官が張奐をワナに嵌めて、地方に追い落とす」となる。やっぱり、妻のことがほしい。林冲は、べつにひとだなー。
というか! 林冲=呂布でいいじゃないか。と思い至り、「林冲 呂布」で検索したところ、むじんさんのツイートに行き着いた。
@yunishio 2011年4月22日 『水滸伝』の林冲は異名を豹子頭といい、これは『三国演義』の張飛の風貌の形容。また小張飛とも呼ばれ、得物は同じく一丈八尺の蛇矛。林冲はもともと容姿も性格も張飛に似せられていたことが分かるが、のちに夫人の悲劇的な話が追加されたため紅顔の青年に化けた。これは呂布に髭がないのと同じ理由。
はあ、林冲=張奐で、ゴリ押ししなくてよかったw
宦官との複雑な対立関係をもった、張奐というキャラも、どこから絡ませられたら嬉しいので、これは削除せずに置いておきます。
林冲=呂布として、やり直し
張譲のやりくちが汚いのは、『後漢書』宦者 張譲伝に、
是時,讓、忠及夏惲、郭勝、孫璋、畢嵐、栗嵩、段珪、高望、張恭、韓悝、宋典十二人,皆為中常侍,封侯貴寵,父兄子弟布列州郡,所在貪賤,為人蠹害。とあるように、父兄・子弟を州郡の長官にしたこと。
のちのことですが、
南宮災。讓、忠等說帝令斂天下田畝稅十錢,以修宮室。發太原、河東、狄道諸郡材木及文石,每州郡部送至京師,とあるように、張譲は、宮殿をつくるために、并州の方面から、物資を調発するルートをつかった。張譲の身内を、并州刺史にして、呂布の妻に横恋慕させるという設定にゆくことができます。
宮殿の建設にばかり、ウツツを抜かす霊帝。それを諌めるどころか、便乗して、人民を苦しめる張譲。その手先として、并州刺史になっていた張譲の身内(張朔とか)は、呂布の妻に目をつける。
張朔は、呂布の妻に、ちょっかいを出す。
『水滸伝』7回にある。『水滸伝』では、魯智深とつるんでいる林冲だが、べつに魯智深がなくても、この話は成立する。
呂布が、女性がらみで悲劇性を帯びるのは、『三国演義』で貂蝉のことが起きるとするなら、ぜんぶで2回になる。この『漢末水滸伝』で、「董卓が貂蝉にそういうことしたら、もう呂布は董卓を斬るしかないよな」と、いかにもありそうな伏線を張ることができたら、林冲からの移植は成功。
ところで、『水滸伝』で林冲の並走者(会話役)として、魯智深がいる。魯智深は韓当を割り当てたが、この作品では韓当を出せない。なぜなら、韓当は幽州、呂布は并州だから。上官の丁原に、ときどき呼び出され、「勤務に身が入っていないみたいだが、どうしたの?」と聞かれればよい。
呂布は、だまされて剣を買わされ、その剣をもって誤って作戦会議する場所に立ち入ってしまう(『水滸伝』7回)。呂布は朔北に追放されることになる。
徒歩で行かされるが、足のウラが痛くなる(『水滸伝』8回)。呂布は、護送役の役人に、殺されそうになる(『水滸伝』9回)。
『水滸伝』だと、林冲は魯智深に救われる。しかし魯智深はいない。様子を怪しんだ丁原が、助けにきてくれる。丁原と呂布の親愛を描いておくのも、なかなか悪くないと思うのです。丁原は、呂布の待遇改善をもとめて、護送役に承諾してもらうが、徙刑そのものを中止するだけの権限はない。張譲・張朔の目が光っているから。
「有能な右腕の呂布を、どうして失うのだ」
と、丁原自身も、宦官に敵愾心をつのらせる、、というのは、史実に連結して、なかなかいい設定。
『水滸伝』9回では、つぎに林冲は、柴進のところにゆき、洪教頭をうちなおして、腕前を確認する。しかし、呂布が強いことなんて、自明なので、このシーンをむりに挿入する必要はない。
朔北に到着した呂布は、牢獄に入る。丁原が、カネを出してくれたから、待遇は悪くない。(異民族の進攻に対する)見張りなどのラクな仕事をさせられる。
しかし、張譲の魔手は、こんな辺境にも及んでおり、雪のなかで見張り小屋がつぶれて、火まで点けられる(『水滸伝』10回)。うっかり、殺人事件をしてしまった呂布は、いちばん良い馬を盗んで、丁原のところに駆けこむ。
『水滸伝』では柴進がこの役割を果たす。しかしぼくは、柴進を劉虞にしてしまったから、ここに登場させることができない。丁原は、黒山に逃れることを提案する。
『水滸伝』11回では、梁山泊が出てくる。梁山泊にならぶ、反乱の拠点といえば、黒山かなーと。并州から行けるし。『水滸伝』の王倫にあたる人物は、張牛角にしよう。彼は、少なくとも黄巾の乱までは生きていたという設定だが、さらに先代の頭領の名が分からないので、前倒しで死んでもらう。
『水滸伝』で、朱貴・杜千・宗万にあたる人物は、黒山賊のなかから選出する。朱貴は、弟の朱富とともに108人に含まれるので、モレなく割り振る。
『水滸伝』では、王倫が林冲に斬られるけれども、そのトップの首を交換する時期を、184年よりも遅らせれば、張牛角が黄巾に呼応でき、史実との齟齬は防げるのか。王倫の下で、悶々とする呂布。けっきょく、張燕が入山したときに、いよいよバカらしくなって、丁原のもとに帰っていく。これが、180年代の後半。よし、これだな。
張牛角が提示した、呂布が黒山に入る条件は、通りがかりの人を殺すこと。呂布は、もともとこの地域で、建築資材の調発があったことがキッカケで、張譲とのトラブルをかかえた。どうせ襲うならば、建築資材を運搬する部隊がいい!と考えた。
物語の全体を通じて、張譲がきちんと悪役になってほしい。そこに通りかかったのは、馬騰の輸送隊だった。
楊志こと馬騰については、ちょっと事情が複雑です。
楊志は、『水滸伝』よりも前の『宣和遺事』で、花石綱の運搬に失敗する。その失敗の仕方は、運搬の途中に、同行者である孫立(孫立のキャラは『水滸伝』とは異なる)とはぐれる。孫立を待っているうちに、雪は降るわ、資金は尽きるわで、帯刀を売ろうとするが、値段交渉でもめて、相手を斬ってしまう。殺人をしたんだから、この輸送は失敗ね、というオチがつく。まあ、原因をつくった孫立は、あとで護送される楊志を救い出してくれるのだけど。
この花石綱の失敗が、『水滸伝』では描写されず、ただの説明として、「嵐のせいで、船が沈没した」という、不可抗力なものとなり、過去に押し込まれる。『漢末水滸伝』では、リアルタイムで、楊志こと馬騰に失敗をしてもらいたい。
馬騰は、并州方面の輸送に駆りだされていた。黒山のそばを通ったときに、呂布から声をかけられて、一騎打ちをする(『水滸伝』11回)。一騎打ちの最中に、資財は黒山賊に盗まれて、輸送に失敗する。
楊志こと馬騰が、刀の販売をして、トラブルを起こしてしまうのは、また別の機会にやる。『水滸伝』でも、次に出てくる。
楊志=馬騰の転落人生
張譲に、建材の運搬を失敗したことを攻められて、腐った馬騰は、とりあえず故郷に帰ろうとする。祖先の馬援から伝わる、宝剣をともなって(『水滸伝』12回)。
馬騰の吹毛剣を、むりやり安く買おうとしたガキが現れ、馬騰はガキを斬ってしまう。罪せられた馬騰を、処刑してしまうのは惜しいと目を付けたののが、涼州刺史の孟他。張譲にワイロを送ることで、今日の地位を手に入れた人物。
『水滸伝』12回では、北京大名府の梁中書です。梁中書は、高俅にマカナイをする。孟他といえば、張譲へのワイロ。完全に一致。孟他は、罪を許す代わりに、馬騰の腕試しをする。馬騰は、呂布には一騎打ちで劣ったけれど、涼州の軍官たちを、どんどん撃破する。
『水滸伝』12回で、梁中書のきりふだは、急先鋒の索超である。急先鋒の索超にあたる人物を設定しなければ。
@osacchi_basstrb さんはいう。索超の比定難しいですが世代違いでも徐晃を討ち取った孟達(演義の)をイメージしました。寝返りの急先鋒孟達。
出身地から見ても、そこにいて不自然ではないので、アイディアを頂戴します!腕自慢の息子をくり出してみる、という孟他は、いいキャラになりそうです。馬騰を評価した孟他は、生辰綱(誕生日プレゼント)を送るための、輸送隊を馬騰にまかせる。
しかし、馬騰の運ぶワイロを、洛陽の手前で奪い取ろうとする、ひそかな計画が、洛陽の高官の子弟たちのあいだで、練られていた。150501閉じる
- 『水滸伝』第13~22回、晁蓋=袁紹、宋江=劉備
袁紹の初期メンバーがそろう
孟他が張譲へのワイロを準備しているのはさておき。
『水滸伝』は13回の途中で、朱仝・雷横の目線にかわる。朱仝・雷横が、劉唐を捕らえて、それに晁蓋が結びつき……と、「本紀」の話が始まる。『漢末水滸伝』においては、ついに袁紹が登場する。関羽・徐晃は、ともに河東郡の属吏であった。
ふたりとも河東郡の出身なので。
朱仝を関羽として(朱仝は見た目が関羽という描写がある)、雷横を徐晃とする(関羽と同郷の有名なキャラだから。徐晃は暫定)。
関羽・徐晃は、霊官廟で、あやしい人物を捕らえた(ここまで13回)。その人物とは、顔良である(ここから14回)
劉唐(赤いあざから赤毛が生えている)を、かりに顔良とする。袁紹軍に属するひとで、知性よりも腕力のひとを探して、てきとうに文醜にした。文醜もどこかで合流させたい。登場して早々に、「関羽と戦う」というシーンを作れるから、『三国演義』のいい伏線になると思う。
袁紹は、宝塔をかついで声望を得た名士である。同士を天下に求めるために、各地を旅していた。
袁紹=晁蓋とする。これは固定。関羽・徐晃に捕らえられた顔良。袁紹が「顔良は私の従子である」と口裏をあわせて、徐晃にワイロを払ったので、顔良は釈放された。
そのころ袁紹は、荀諶(荀彧の兄)に、生辰綱を奪うことを提案される。「涼州から洛陽に、財宝の行列が運びこまれる。人民から搾取した財産なので、奪って再分配すべきだ」と。袁紹は、義に感じて賛同する。
呉用を、荀諶(荀彧の兄)とする。荀諶が袁紹と合流した時期は明らかでないらしく、袁紹に冀州をうばう策を授けた以外、あまり記録がない。袁紹の初期からの軍師として、荀諶を設定する。
呉用は人気キャラなので、中途半端な袁紹軍の策士を充てることができない。荀彧の兄ならば、大活躍しても、みんなが納得(だと思います)。
ただし、宋江=劉備は、『漢末水滸伝』のなかでは袁紹=晁蓋と、つかず離れずで行動させる予定。劉備を援助する名士を設定して、呉用の役割を分担させる必要がある。
@osacchi_basstrb さんはいう。呉用については荀諶の大活躍も凄く見たいのですが、うっかり軍師荀彧もカワイイので見たいとも思います。しまった!ハンコ間違えた!なんて
ぼくは思う。呉用は軍師としての本命なので、荀彧にしましょう。ほかに軍師らしいキャラが出てこないので、荀彧を割り当てないと、もったいないですね。顔良は、「北斗七星が屋根におちる夢をみた」といえば、荀諶は、「生辰綱を奪うには、星の数に合わせて、7人が必要だ」と決めつける(ここまで14回)
人数を集めるために、人材に思いを巡らせていると、袁紹がいう。「冀州刺史の劉焉は、私の志に理解がある。彼に協力を求めたら、人数が集まるのではないか」と。
劉焉は、3人の子を、袁紹にゆだねる。劉範・劉誕・劉璋が加入。
三男の劉瑁を、かりに削除している。ただし、劉備の妻になる呉氏のはじめの夫というキャラが活かせそうなら、劉瑁を復活させて、劉誕を削除する。劉誕の行動は、兄の劉範に近いため。
『水滸伝』阮小二・阮小五・阮小七という3兄弟を登場させるために、劉焉の子供たちをひいてきた。阮小七(劉璋に比定)は、方臘の乱の平定後、天子の衣を着用してふざける。劉璋に似ていると思います。
そして劉焉を登場させるのは、『水滸伝』公孫勝に該当するひととして、張魯を登場させるため。のちに劉焉は、張魯を漢中において、五斗米道の基礎をつくらせる。劉焉と張魯が、この段階で知りあいだったという想定。晁蓋・呉用・公孫勝を、袁紹・荀諶・張魯とする。
劉焉は、江夏郡の出身である。水際の出身なので、彼らの兄弟が、船の扱いに慣れていた……、という設定を加えるか。『水滸伝』阮氏の兄弟は、船を扱ってサポートする。劉焉の紹介で、袁紹は、沛国の張魯を味方にする。
『水滸伝』公孫勝を、張魯とする。
ここまで第15回、駒田訳では179ページに登場。16回に入って、ついに生辰綱を奪う作戦が整い、『水滸伝』は輸送者のがわの視点(楊志)にもどる。駒田訳で184ページ。ろくでもない人物、許攸も参加する。
『水滸伝』白勝は、拷問を受けて、仲間の名前を吐いてしまうひと。この裏切りのロクでもない感じと、にも関わらず活躍の場があることから、白勝=許攸 としてみた。
馬騰が、袁紹に生辰綱を奪われる
馬騰は、涼州から、長安をとおりすぎて、洛陽にいくまでの道を検討する。炎天下で疲れてしまう。袁紹たちに、しびれ薬を飲まされて、馬騰は荷物を失った(第16回)。
荷物を失った馬騰は、孟他に顔向けできず、やけ酒を飲んでいると、○○が現れ、「あそこにいけ」と案内してもらう。
○○は、曹正である。居酒屋をいとなみ、武芸もできて。物語としては、後漢の官僚がわの人物がいい。なぜなら馬騰は、黄巾の乱の時点では、官軍に属するから。
『水滸伝』17回で楊志は、ここで魯智深に出会う。というのも、魯智深は放浪を続けており、二龍山の鄧龍に拒まれたところだと。鄧龍とは、Wikipediaによれば、二龍山の山賊の頭領。魯智深の入山を拒否したが、楊志の策略にかかって魯智深に殺され、二龍山を奪取される。
本作では、魯智深=韓当は、徐州に落ち着いている。ここで楊志=馬騰が会うのは相応しくない。
ところで、偶然だが、『三国志』には、劉表の配下に鄧龍という人物がいる。荊州北部に鄧龍が陣取っており、そこに馬騰が転がりこむという話にしようか。すると、馬騰の荊州入りを斡旋する人物(『水滸伝』曹正に該当)としては、張済にしようか。張済は董卓の死後、荊州北部に拠る。荊州北部は、張済が若いときに出稼ぎにきていた、ゆかりの地だったと。
このあたり、『水滸伝』において、「楊志が盗賊になる」という結論ありきで、むりに魯智深と結びつけられた話だろうから、どうでもなる。ぼくも「馬騰が行き場を得る」という結論があれば、なんでもよいのだ。時期を遅らせるのも手である。
『水滸伝』の趣向は、曹正と楊志が「魯智深を捕まえた」と山塞の鄧龍に突き出して、鄧龍が「よし引き渡せ」と言ったところを、じつは曹正と楊志と魯智深が仲間であり、鄧龍から山塞を乗っ取ると。
馬騰が涼州で賊になるとき、使えばいいか。
馬騰は逃れて、涼州刺史の交替を待った。
楊志と魯智深は、同郷という設定。涼州の出身者で、このあたりをウロウロしている人物を、ほかに出せないか。史実ベースでもいい。
『水滸伝』は、張青とその妻(孫二娘)に合流する。しかし説明過剰になる。『水滸伝』で、人物を整理するためにストーリーをねじまげたとしか思えない。べつに、張青=劉安と合流する必要はない。
『水滸伝』は、楊志(落草者)、魯智深(落草者の先輩で鄧龍に拒まれる)、曹正(落草者をそそのかして鄧龍から山塞を奪う)、張青と孫二娘(たまたま合流)、武松(武十回のあと行き場を失い、張青との縁でこじつける)が、青州に集まってくる。
『漢末水滸伝』では、べつに青州の勢力をつくる必要がない。各人のエピソードをバラバラに紹介して、『三国演義』の伏線になればいい。のちに耿鄙が涼州刺史となる。馬騰は、耿鄙の募集に応じて、涼州の反乱を収めるために協力する。
やがて耿鄙は、不正な政治によって殺される。耿鄙を殺すとき、馬騰が『水滸伝』17回の手法を使ってもいい。女房役の、曹正・魯智深は、涼州のべつの反乱勢力(韓遂や辺章など)を充てればいい。
生辰綱を失った孟他は、馬騰が逃げたことを知った。馬騰の探索のため、責任者を決めて、期限を区切った。
『水滸伝』17回で、何濤は、ひたいに「迭配_州」と彫られて、楊志の探索を命ぜられる。
『漢末水滸伝』では、このときの京兆尹あたりが、何濤の役回りだろう。京兆尹は、楊彪としても、列伝と矛盾しない。108人の員外だけど、何濤=楊彪と。
京兆尹の楊彪は、きびしく調査した結果、袁紹らが犯人ではないかと情報を得る(18回)。そしてびっくりする。
楊彪の妻は、袁術の妹である。袁術の妻は、楊彪の妹である。袁紹と、いわば義兄弟になる。楊彪は、許攸に口を割らせる。
のち(武帝紀によれば光和末=184年)に許攸が、霊帝を廃そうとするが、曹操が断る。許攸に、こういう暴露の前過をつくれば、曹操が許攸の計画をこばんだ理由になる。たかがドロボウですら、口を割ってしまうのに、なぜ廃立なんて成功させられるのかと。楊彪は、袁紹・許攸らをこっそり逃がす。
『水滸伝』では、宋江が晁蓋をにがす。しかし『漢末水滸伝』で、宋江こと劉備が、京兆の役人をやっているハズがない。『水滸伝』何濤(取り調べる人)と、宋江(こっそり逃がす人)は、どちらも楊彪にやらせる。
袁紹は、(『水滸伝』で晁蓋が宋江に感謝するように)楊彪に感謝する。楊彪のほうでは、漢の役人としてはマズいことをしたが、ひとりの人士としては悪いことをしていない……はずだ……と悩む。その葛藤を描いたほうが、おもしろい。
『水滸伝』18回で、朱仝・雷横が、にげた晁蓋を捕らえにゆき、逃亡に手を貸す。しかしぼくは、朱仝を関羽にするために、彼らの居場所を河東にしてしまった。京兆で起きた盗難事件を、関羽・徐晃(朱仝・雷横)が調査することができない。
京兆の出身者で、袁紹の逃亡に協力しそうなひとがいたら、あとで追加する。
袁紹は、逃げて、行き場を探す。故郷の汝南を目指すとき、張譲の意を受けた、宦官の王甫の手のものに、財産を襲われる(ここから『水滸伝』19回)
『水滸伝』19回で晁蓋らは、追撃してきた何濤の耳をそぎ落としてしまう。これをどう扱うか。
のちに楊彪は、宦官の王甫を摘発する。楊彪伝に、「光和年間、黄門令の王甫は門生に郡境で官の財物七千余万銭を横領させた。楊彪はその悪事を暴いて司隷(校尉)に告げた。司隷校尉の陽球はこれを受けて上奏を行い、王甫を誅殺した」とある。注釈に「華嶠の書に曰く。王甫は門生の王翹に利益を独占させた。霊帝紀に見える」とある。
逃亡する袁紹を、王甫の手のもの(王翹)が追撃して、『水滸伝』19回にあるように、袁紹らが巧みに逃亡して、王翹の耳をそぐに至る。というのは、どうかな。袁紹らは、各人の特技を披露しながら、うまく逃げおおせる。
『水滸伝』19回で、晁蓋が梁山泊に入る。そのために林冲が王倫を殺す。ぼくの『漢末水滸伝』では、梁山泊の要素をもつ拠点として、黒山を設定した。しかし袁紹が、ここにゆくのはおかしい。そろそろ、おじの袁隗が出てきて、「そろそろ就職しろよ」と叱ってくれてもいい。
器量の乏しい王倫が、『水滸伝』19回(駒田訳227ページ)で殺されるが、それは別の機会に。184年以降、張燕が黒山にくるとき、張燕が晁蓋の役割を演じて、さきの頭領の器量の小ささを笑えばよい。そのとき、呂布(林冲に比する)は、張燕が上に立つのを支持する。呂布が、黒山の頭領に推される(林冲に同じ)。しかし、そのことで名を知られ、丁原に召集されると、丁原への恩愛を重しとみて、下山する。袁紹は、地下にもぐった。
『水滸伝』20回では、晁蓋を頂いた直後、済州から討伐軍がきたり(駒田訳237ページ)、通りかかった商人から財物を盗んだり(駒田訳239ページ)する。このあたりは、適当に裁く。結論は、「われわれは人は殺さないぞ」と晁蓋に誓わせるところにある。
劉備が婆惜を殺して出奔する
幽州の劉備は、盧植(=王進)のもとで学んだが、その教訓を生かすことなく、武芸にものをいわせて、并州の張遼と組んで、北辺で馬商人をしている。
時系列からして、この話は、まったく独立しており、どこに入れてもいい。盧植(=王進)が、趙雲・公孫瓚(=史進)と出会ったあとなら、どこから始めてもいい。いちおう「主役」なので、早く登場させたい。
張遼を出すのは、『水滸伝』20回の「張文遠」に充てたいから。劉備と張遼は、ひとりの女を奪いあって、決裂するのだ。劉備は、閻婆惜と付き合っている。閻婆惜は、張遼のほうが好きだから、劉備がべつの場所に商いをしているとき、閻婆惜と遊ぶ。
『水滸伝』で、宋江が晁蓋から手紙をもらい、その手紙をカタにして閻婆惜にゆすられ……という、「志の物語」にしたのは、編者のご都合主義らしい。もともと宋江は、『水滸戯』などにおいて、ただ女とモメるだけの人物。
ただし、劉備がカネを預かって、それを閻婆惜が欲しがる、という、「カネの物語」ならば、『水滸伝』に盛りこんでもいいかも。商人として預かったカネという設定。ここで『水滸伝』第20回が終わり。
劉備は、閻婆惜を殺してしまう。
『水滸伝』21回。漢末の小説っぽくするため、「閻氏」という書き方がいいだろう。
『水滸伝』22回で、朱仝が宋江をゆるす。つまり、劉備が閻氏を殺す場所は、関羽(朱仝)が役人をつとめる、河東郡であるべきだ。北方で仕入れた馬を、河東郡に運んできて売りさばく、というルートで、劉備・張遼が商いをしていたことにしよう。閻氏は、彼らの商圏でもっとも都会である、河東郡で囲われていた。ありそうな話。閻氏の母は、娘が劉備に殺されたことを訴えた。河東郡では、関羽・徐晃(朱仝・雷横)に、劉備の捕捉を命じた。劉備は、現地に住居を構えていたが、
『水滸伝』22回で、宋江は実家におり、父の宋太公が守ってくれる。しかし、事件を并州の河東で起こしたいから、劉備の実父が出てきたらおかしい。馬商人の首領(劉備の上司)を設定するか。捜索を受けて、関羽に見つかってしまう。だが関羽は、劉備にも言い分があったことを感じており、義によって見逃す。劉備は、劉虞(=柴進)のところに匿ってもらう(22回)
ここで『水滸伝』は、武十回に移る。武十回は、「程十回」としてすでに裁いた。閉じる