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- 32~41回、花栄=黄忠、李逵=張飛、李俊=孫堅
三国志と『水滸伝』が融合した話をつくる計画
という遊びをしています。『水滸伝』の駒田信二訳を見ながら、漢末・三国に比定していく作業をします。『漢末水滸伝』というタイトルを考えています。
ふと気づきましたが、176年(この物語の開始の翌年)、
閏5月、永昌太守の曹鸞が、上書した。「党人をゆるせ」と。霊帝は大怒した。すぐに司隷校尉と益州に命じ、曹鸞を槐裡で獄死させた。ここにおいて、さらに州郡は、党人の関係者を禁錮した。門生、故吏、父子、 兄弟は、官位をやめた。禁錮は、党人の五屬まで及んだ。
とある。『通鑑』より。世相をあらわす事件として、これをはさむことで、場面転換に使うことができるなあ。
177年秋、霊帝は鴻都門学を設置する。
北宋の徽宗による花石綱(石あつめ)と同じように、腐敗した王朝の事業として、話の転換につかうことができる。
黄忠と劉備がであう
河東の商圏を追われた劉備は、北で顔見知りに再会するのを恐れて、南陽に流れる。南陽の属吏である黄忠(南陽の人)を頼る。このころ荊州には賊の反乱がおおく、馬の販売先として、黄忠が南陽の窓口を務めていた縁である。
『水滸伝』花栄が、理由は分からないが、宋江の知り合いとして登場する。駒田訳399ページ。
花栄が弓の名人ならば、黄忠を充てるのが、もっとも順当。『水滸伝』では、花栄が宋江との関係性をもつことで、官を追われる。黄忠も失職すればいい。のちに、ここに赴任してきた劉表に、再度、ひろってもらえばいい。
ちなみに『水滸伝』では、宋江と武松が分かれて、武松が二龍山に投ずるが(400ページ)、ムリやりなご都合主義の編纂結果なので、無視してよい。
劉備は、盗賊にであう。
『水滸伝』32回では、燕順・王英・鄭天寿が登場する。「女好きの王英」が、物語の重要な旋律になる。王英にあてはめる人物を、おもしろおかしく決めなければ。盗賊は、劉備の名声を聞いており、心服する。盗賊は、高官の妻をラチしており、慰みものにしようとするが、劉備に止められる。
この「高官」というのが、『水滸伝』では劉高であり、この妻は宋江に救われたにも関わらず、宋江を陥れようとする。南陽郡あたりで贅沢している、わるそうな官僚を充てたい。
172年、南陽の新野のひとである曹節は、勃海王の劉悝がワイロをよこさなかったとして、劉悝を葬りさる。南陽は、曹節のホームであるから、曹節に悪さをさせてもいい。曹節の一族のものの妻、もしくは娘とか。
曹節は、一族のものを南陽の属吏の主要部分に据えて、郡政を撹乱していた、とか。
劉備は、女好きの盗賊(王英に該当)に、曹節の一族の女(以下「曹氏」とする)を我慢させる代わりに、いつか女を世話すると約束する。
『水滸伝』のヒロインである扈三娘は、だれなんだ。曹氏は、劉備のおかげで、ぶじに帰れた(ここまで32回)。
劉備は、黄忠に会った(ここから33回)。劉備が黄忠に、「私が、曹氏を救ってやった」と話したら、黄忠は、「救わなくて良かったのに」と文句をつける。宦官の曹節に対する反感が、黄忠にこれを言わせたのだった。
劉備が、現地でお祭りを見ていると(『水滸伝』の元宵節)、曹氏のさしがねで、劉備は捕らえられた。黄忠が、劉備のために、「誤認逮捕するな」と弁明しても、曹氏はみとめない。黄忠は、弓の腕をつかって劉備を救出した。黄忠は劉備に、「となりの頴川は、都市である。前過を洗い流して、出直すにはちょうどいい」といって、頴川ゆきを勧める。
『水滸伝』花栄は、宋江に清風山を勧める。劉備は逃げたつもりが、また曹氏に捕まってしまった。
ここまで、駒田訳416ページ。
175年、三互の法が議論される。つまり、このとき親類を地方長官にして、政治を腐敗させることが流行っていたことが、裏返しによって知れる。「南陽太守を、曹節の娘むこがやっている」という設定にして、これを黄忠の上官にしよう。
南陽のとなりは、潁川郡である。頴川太守は、何進(南陽の人)である。南陽での騒ぎに関心を持った。
179年、宋皇后が廃されて、何皇后が立てられる。このイベントを、生かさない手はない。曹操も絡むだろうし。
劉備は、いちど頴川に逃げこみ、南陽と頴川の両側から、摘発されるのもよい。何進は、宦官と気脈を通じることで、妹を後宮にあげた。何進は、宦官に利する行動をとる。
『水滸伝』では、青州府尹の慕容彦達が介入してくる。これが慕容貴妃の兄である。だからぼくは、何進をこれにあてた。何進は、劉備・黄忠を討伐しようとするが、失敗する。
この討伐に加わり、失敗するのは、黄信・秦明である。秦明は、方面軍のトップとして、強力な存在。黄信はその部下。どちらも、劉備にほんのりシンパシーを懐かねばならない。該当する人物を、探している最中です。
秦明は、花栄と一騎打ちをして、戦って敗れる(花栄の戦さのうまさが、このあたりの見せ場)。秦明は、短気で大声でどなる。
文聘・魏延・韓玄あたりを考えるが、ぴんとこない。
『水滸伝』は、宋江が、3人の盗賊(燕順・王英・鄭天寿)を味方につけながら、花栄とともに、2人の官軍(秦明・黄信)をやぶって、官軍をじぶんに味方させる話。ぼくが思うに、劉備がもう少し勢力を拡大したあとに、この話をやったほうがいいのかも。
第34回まで、この戦いに費やされる。
盗賊(王英にあたる)は、曹氏を殺して、スッキリする。
劉備と黄忠は、幽州に逃れようと思い、北を目指す。辺境ならば混乱しており、ひそむ余地があるだろうと。道中、つよそうな人物がケンカをしているが、黄忠が腕前を見せて、仲裁する。戦っているのは、呂布と夏育であった(35回)
『水滸伝』で仲裁されたのは、呂方(呂布もどき)と、郭盛(薛仁貴もどき)である。このシーンを、ほんものの呂布にやらせるために、劉備と黄忠のふたりを旅行させて、黒山のふもとに近づける。
176年、鮮卑が幽州に侵入。177年、護烏丸校尉の夏育らが鮮卑を攻撃して大敗する、という史実がある。郭盛を夏育にしてもいいかも。
百度百科によると、夏育は、「夏育早年身為段熲在護羌営的司馬,在与羌人的戦闘中屡次立功,……他為了将功折罪賄賂当時的大宦官王甫,撺掇漢霊帝向鮮卑開戦。在漢霊帝的支持和王甫的斡旋下,夏育从高柳県出兵,破鮮卑中郎将田晏従云中郡……」と、王甫に賄賂を送って出撃したことがわかる。
鮮卑に向けて出撃しつつある夏育に、呂布がちょっかいを出して、一騎打ちをやっていたところだったと。後漢の夏育は、しょぼい人物だが、周代の同姓同名の人物とイメージが重なり、強そうに思えてくる。呂布と薛仁貴の一騎打ちという、夢のシーンとなる。
のちに呂布が、劉備と紀霊を、矢によって仲裁するのは、このときのお返しという伏線になる。うまいなあ。
幽州に向かっていると、ある好感が現れ、「わたしは皇室の、ほんとうに高貴な血を信望している。わたしが頭を下げる相手は、劉虞と劉備だけなのだ」という。
駒田訳438ページ。いま『水滸伝』35回。
石勇が、「戴宗と柴進にしか頭を下げない」といって登場する。この好感は、だれにしよう。石勇は、地醜星で、「石将軍は民間伝承上の悪神であり、彼の粗暴な性格と「石」という姓とをかけたことに由来する。容姿は背が高くごつごつした顔立ちの若者で、髭は一本も無い」とある。荊州から劉備を追いかけてきた魏延とか? 劉備が逃げたことを知り、「それなら劉虞さまを頼るべきだ」という、勝手なアドバイスを届けにくる。もしくは、劉備が好きすぎて、劉備の故郷まで押しかけ、劉備の母(『水滸伝』では宋江の父)が危篤という伝言を託されてくる。魏延は劉備に、「幽州にいる劉備の母が危篤だ」という。劉備は、黄忠と別れることにして、帰郷した。黄忠は、荊州で反乱が起きていることを聞いて、駆けつける。
『水滸伝』35回では、宋江だけが分離して、みんな梁山泊に流れてゆく。つまり、話を進める都合上、彼らの役割が終わったことを意味する。駒田訳の442ページで、宋江から分離することになるのは、花栄(宋江の盟友)、秦明と黄信(花栄と宋江のせいで官職に居られなくなった)、燕順・王英・鄭天寿(女を襲ってた3人の盗賊で、花栄と宋江に協力)、呂方・郭盛(道ばたでケンカしており、花栄に仲裁される)、石勇(宋江に父の危篤を伝達)。宋江が、花栄を頼るところから、雪だるま式に広がった人材が、退場してゆく。
ぎゃくにいえば、彼らが宋江=劉備の手駒としてストックされなくても、劉備物語を賑やかすためのフローとして活躍すれば、それで「おもしろさ」は維持されるのだ。
黄忠は、飛ぶ雁を串刺しにして、腕前を見せつつ、去っていった。みんなと別れた劉備は、久しぶりに帰郷した。
駒田訳444ページで、宋江は帰省する。
宿題を確認すると、秦明と黄信は、頴川太守の何進に駆りだされる官僚で、劉備にやや共感を持っている。王英には、女好きの人物をあてて、燕順と鄭天寿はセット。鄭天寿は、『北方水滸伝』で犬死にするので、アホな死に方をする人物にできたらベスト。「女好きで仲間が犬死にするひと」が王英である。
劉備は、家に帰ると、母親に怒られる。「おまえが、ちっとも漢室のために働く気配がないから、情けなくて呼び出してやったんだよ」と、種明かしするのは、いとこの劉徳然。
宋江の弟の宋清は、劉備のいとこの劉徳然とする。劉備が在宅していると、追っ手が現れた(35回まで)
劉備が南方に逃れ、孫堅に会う
劉備は、おとなしく涿郡で監禁された。
監禁されているところを、袁紹のグループが救ってくれた。
『水滸伝』では、劉唐・呉用・花栄などが現れる。しかしこれは、宋江を物語のメインストリームに留めようという編者の苦労であって、必然性がない。けっきょく宋江は、梁山泊に合流せず、江州に流されるのだ。おとなしく劉備は、遠方に移ろう。日南にでも流されよう。劉備が、南へ南へと移動していると、徐州で呼び止められ、現地の役人に手厚くもてなされる。これこそ、戴宗=孫乾である。
『水滸伝』36回(駒田訳451ページ)で初出する戴宗は、呉用の紹介ということで、宋江を手厚くもてなす牢役人である。しかし、呉用(荀彧)は、劉備と接点をもつチャンスがない。ふつうに、名声を慕っており……でいいだろう。史実でも、なぜ孫乾らが、劉備を持ち上げるのか説明がないのだ。
なぜ孫乾かといえば、戴宗はおつかい要員だから。
さらに南下して、下邳の国に入ったとき、劉備は毒まんじゅうを食わされる。そこに、孫堅が駆け込んできて、「劉備を殺したらいかんよ」という。
南方の水軍の首領たる李俊は、孫堅とする。『水滸伝』の後日談で、南方で独立した王国を立てるというのも、孫堅らしい。
ぼくは思う。孫堅に「劉備を殺すな」と言わせるためにも、劉備には、南陽郡か頴川郡あたりで、士人たちの注目を集める手柄を立てねばらならい。『水滸伝』慕容氏・黄信・秦明を倒した戦いを、劉備のためにアレンジして、孫堅の耳に入るようにしなければならない。そのためには、やはり「宦官の陰謀を砕いた」がベスト。
宋皇后の廃立事件につき、劉備が間接的にポジティブな影響を残している、というのがベストである。考えるべし。
劉備に毒まんじゅうを食わせたのは、孫静である。
『水滸伝』李立である。Wikipediaによると、李立は、「渾名は催命判官で、冥府の裁判官という意味。赤い蛟髭を生やし、血走った目をしている。居酒屋を営んでいるが、客を痺れ薬で盛りつぶし、金目のものを奪って殺し、肉を饅頭の餡にしてしまうという追剥酒屋」とある。孫静のイメージとあわないから、この時点までに合流していそうな呉将がいたら、交換する。
『水滸伝』李俊と李立は、同じタイミングで出てきて、同姓のくせに、血縁関係がない。分かりにくくて怨めしいので、李立を孫静に結びつけさせた。じつは孫静も、静かなふりをして、李立のように闇塩で儲けて、一族を養っていたのではないか、と妄想したりする。
『水滸伝』李俊には、童威・童猛という、まぎらわしい兄弟がいる。孫静と縁がある2人のセットの武将をあてるべき。孫静の子である、孫暠・孫瑜・孫皎・孫奐あたりに割り振って、消化してしまうのも手である。
孫静は、孫堅にいわれて、劉備を蘇生させた。ここまで、『水滸伝』36回。駒田訳458ページ。
劉備が、膏薬を販売する貧しそうな武芸者(薛永にあたる)にめぐんでやると、地元の顔役(穆春にあたる)に絡まれた。劉備が扱いかねて、地元の家に泊めてもらうと、たまたま顔役(穆春にあたる)の家に泊まってしまった。
穆弘・穆春は兄弟。比定はまだ。ザコでよし。ろくでもなく、威張り散らすのだから、穆春は麋芳、その兄の穆弘は麋竺でどうだろう。 薛永の比定も、まだだが、ザコでよし。
張横・張順の兄弟も、水辺に登場するから、ややこしい。張横は「船火児」だから、ぜったいに黄蓋。赤壁の戦いを思わせるあだな。張順は、何日でも潜っていられるという水泳の達人。孫呉でもぐる人といえば、黄祖の船を止めているイカリを潜って切った董襲である。『水滸伝』では、張横・張順は兄弟だが、『漢末水滸伝』黄蓋・董襲は兄弟ではない。黄蓋は零陵のひと、董襲は会稽のひと。ふたりを兄弟のようみ結びつけるエピソードを作らねば。
脇道にそれた。穆弘・穆春は、呉将から誰かをひろう。現地の徐州の商人である麋氏の兄弟を、穆氏の兄弟とする。
穆氏の兄弟に追われた劉備が、逃げるために船に乗れば、かっぱらい船。船頭を務める黄蓋が、ぎゃくに劉備を襲おうとする。
『水滸伝』では、李俊が現れて、「劉備を殺してはならない」と仲裁する。しかし『漢末水滸伝』では、孫堅が黄蓋を討伐して、このタイミングに、ちょうど心服させる、というのでも良いかも。
『水滸伝』穆弘・穆春にあたる人物(呉将)も、このとき(第37回)、まとめて孫堅に討伐されて、李俊こと孫堅に屈服してしまうとか。さえぎる者がいない「没遮欄」「小遮欄」という穆氏の兄弟だから、突進する系の呉将で、初期からのメンバーがいい。ザコも可。
劉備が揚州で危機に陥り、袁紹が救う
さて(駒田訳469ページ)劉備は、宦官の息の掛かったもの(原典の蔡九)の手許に、収容される。
牢役人の戴宗こと孫乾は、劉備のことに気づいて、態度を変える。
原典の38回。孫乾は北海のひと。原典は、李俊のくだり→戴宗のくだり、という順序である。しかり、劉備の移動経路を考えると、戴宗こと孫乾のくだり→李俊こと孫堅のくだり、としないと成立しない。いや、孫乾が故郷を離れて、州のあちこちで就職しているのかも。鄭玄に推挙されるくらいの人物らしいので、下邳に流れてきていても、おかしくない。戴宗=孫乾のもとには、李逵=張飛がいた。張飛は、劉備と同郷であるが、肉屋を継がずに、天下に人物をもとめて、ウロウロしていた。張飛は、同郷の人物が徙刑を受けている最中と聞いて、孫乾に頼んで、劉備に会わせてもらう。
張飛は、ばくちのカネを劉備からもらい、劉備を慕うようになる。張飛は、劉備のために、おいしい魚を捕ろうとして、張順こと董襲と水辺で戦う。董襲と張飛は、仲直りする。ここまで、38回。
ここから39回。劉備は、李逵に魚を食わされて腹をこわし、腹いせに壁に、謀反の詩を書いてしまう。孫乾が、「キチガイのふりをして、取り調べを逃れろ」という。
徐州刺史は、東海郡の郯県である。このときの徐州刺史を調べる。宦官の息のかかったひとがいい。原典では、蔡京の親族(蔡九)が仕切っている。孫乾は、徐州刺史の命令で、洛陽にいる宦官に、裁きをあおぐ。しかし途中の汝南で、袁紹のランニング・フレンドに捕まってしまう。荀彧は、判子を偽造して、劉備をたすけだそうとする。袁紹のもとには、書家(蕭譲にあたる)と、判子屋(金大堅にあたる)がいる。
蕭譲と金大堅の比定もする。蕭譲は、いくらか候補がいそうだが、金大堅はどうしよう。
『水滸伝』戴宗をとらえるのは、梁山泊のふもとの食堂の朱貴。朱貴にあたるひとを、まだ決めてなかった。奔走の友のなかから、食堂っぽいひとを探そう。兵站を担当するし、旱地忽律(かんちこつりつ)で、陸のワニという意味の仇名をもつなら、朱貴は淳于瓊がいいかも。『蒼天航路』で、ニっぽかったし、烏巣で兵糧を守るし。
朱貴の弟の朱富だが、淳于瓊に兄弟がいないので、とても困る。淳于丹という『三国演義』オリジナル武将がいて、陸遜の配下らしい。名前を借りてもいいかも。袁紹軍のなかにいたが、(袁紹軍をやぶった)関羽に恨みをもち、関羽と敵対する孫呉に味方して……ちょっとムリかなw
ここから40回。孫乾が、袁紹から託された偽造文書は、徐州刺史によって偽造だとバレてしまう。孫乾・劉備(戴宗・宋江)は、徐州刺史によって処刑されそうになる。そのとき、袁紹の仲間たちが、劉備を助けてくれる。水路を伝って逃げる。
袁紹の仲間と、劉備が徐州で出会ったひとたちが、「白龍廟の小聚義」をやる。
ここから41回。
孫堅軍が、徐州軍と衝突しては、史実から狂ってしまう。もともと徐州刺史に、劉備を殺せと仕向けたのは、黄文炳にあたるひとである。袁紹と劉備が、隣の家に放火して、「隣の家が火事です」といってなだれこみ、黄文炳にあたるひとを攻め滅ぼす。黄文炳にあたるひとを切り刻んでしまう。
黄文炳の家のことを知っている、通臂猿の侯健が、この作戦に協力する。服色の仕立て、図面やデザインを担当する。袁紹のもとにいる、こういう才能をもったひと、誰かいなかったっけ。
顧雍を、東晋の画家の顧愷之の祖先ということにして(←ウソ)、この活動に協力させようか。顧雍は、蔡邕にほめられた才能の持ち主。余技として、デザインもやったと。顧雍は呉郡のひと。顧雍を「現地の勝手を知るひと」にするため、劉備をおびやかしたのは、揚州刺史ということにしようか。揚州刺史のほうが、反乱との絡みがおおくて、史料に名前が残っており、悪者を設定しやすい。
徐州揚州から劉備を救い出すと、一行は盗賊らと遭遇する。
摩雲金翅の欧鵬(4人のトップ)、神算子の蒋敬(計算ができる)、鉄笛仙の馬麟(笛がうまい)、九尾亀の陶宗旺(土木工事ができる)である。この、読者を置いてきぼりにした設定に付き合うのか。必ずしも108人に付き合わないでも、いいような気がしてきた。
4人は、泰山の諸将にしよう。臧覇、孫観、呉敦、尹礼。数も合うじゃないか。
袁紹は、劉備をトップに担ごうとしたが、それは単なるポーズであり、その気もない。劉備は、それを弁えており、袁紹に礼をいって、故郷に帰る。
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- 『水滸伝』第42~50回、みなの帰郷、祝家荘の戦い
劉備・張飛・張魯が、故郷を往復
ここから42回。劉備は、いよいよ自分の行動が「賊」であるから、袁紹に頼みこんで、両親を袁紹のシェルターに入れてくれという。袁紹は、もちろんOKする。
ここで帰郷ラッシュが起こるのは、揚州であともどりできない行動を起こしてしまったため、みんな「家族をかくまおう」、「修行をやり直そう」など、臨戦態勢の準備を始めたからだろう。原作と同じように『漢末水滸伝』も話を進めればよい。劉備が故郷に帰ると、案の定、幽州で役人に捕らえられる。
逃げて、天女の廟に入ると、お告げを受ける。
原典のおつげは、宿元景を頼って招安を受けるといいよ、というものである。しかし『漢末水滸伝』の劉備は、皇帝即位について、ほのめかされて、おかしな気分になる。劉備をおかける役人は、ちょっと遅れて追いついたお供(どうせ飲酒して、はぐれたのだろう)である張飛によって、片づけられる。
原典では、欧鵬・陶宗旺・石勇・李立がやってくる。宋江がメインストリームにいることを強調するのだろうが、退屈である。さらに大勢が、梁山泊から集まってくるが、複雑になるだけで、面白くない。劉備は、母を迎えにゆく。劉備の母は、劉備に従うことを拒んだ。劉徳然が、母の面倒を見ることにする。劉備は、皇帝になれるという天女の夢を見て、言っていることがおかしい。母とケンカ別れする。
『水滸伝』32回では、宋太公と宋清が合流するという、ハッピーエンドである。しかし劉備の母は、バッドエンドでしななくては。
張魯=公孫勝は、ふと故郷に帰って修行をしたくなり、退場する。百日で帰るといって約束するが、どうせ戻ってこないのだ。
張飛=李逵も、母親を迎えにゆく。
往復している時間がもったいないから、張飛と劉備は、2人とも、それぞれ家族を迎えにいく、という当初からの目的を設定したほうが自然かも。劉備が母に断られる → 劉備が役人に追われる → 張飛が追っ手を殺す → 張飛が自分の母を迎えにいく、と。すると劉備は、張飛の母にも同行せねばならんか。要検討。
ここから43回。張飛が母を迎えにゆく条件として、劉備は3つの戒めを与える。
原典では、朱貴が李逵の同郷だといって、帰郷の面倒をみる。『漢末水滸伝』の淳于瓊は、頴川郡の出身なので、径路に入らない。「弟の淳于丹が、冀州で店をやっているから、困ったら途中で寄るように」ぐらいを申し送るか。往路の冀州で、張飛は、ニセ張飛を殺す。張肥(fei=ヒ)とか。
李逵は、ニセものの李鬼を殺す。故郷についた張飛は、マジメな兄の反対をふりきって、母を連れ出す。「袁紹のシェルターにいこう」と強引に押し切る。復路、中継地点の淳于丹の店が近づいたころ、油断して、虎に母を食われてしまう。
虎を殺した張飛は、ふもとの人々にとっての英雄になるが、張肥の女房に、「あいつは殺人者だ」とちくられる。
淳于丹は、張飛を賊だと知って、毒入りに肉を食わせる。しかし、淳于瓊が駆けつけて「張飛を殺すな」と止めたので、心変わりをする。ぎゃくに、張飛を捕らえる気が満々の張肥の女房に、毒薬を食わせた。淳于丹は、張飛が毒入りでも肉を食いたがるので、とても苦労する。ここが原典で笑うべきところ。張飛は実家が肉屋だったから、いろいろエピソードが広がりそう。原典では、李雲というひとがいて、李逵を捕らえる気が満々である。ぼくは、登場人物を節約した。そうか、張肥の女房の名前を「李雲」にしてしまえば、いいのか!ここまでが43回。
ここから44回。張飛は、メス李雲を斬って、袁紹のもとに帰る。
原典では、オス李雲が梁山泊に入る。しかし入っただけで、とくに活躍はないのだ。メス李雲も、「髭が赤く瞳が青い」という特徴にしよう。
張魯を見つけるため、孫乾は旅にでる。
張魯は故郷が沛郡だが、どうやら蜀方面に行ったらしい、という不確かな情報で動き出す。
『水滸伝』では、戴宗が奔っていると、楊林に呼び止められる。戴宗は楊林に、早足の魔法をかけてやる。この「第三者に魔法をほどこす」という話はおもしろいからやりたいが、必ずしも楊林の位置づけの人物はいらない。
なぜなら、戴宗のムダあしを起点に、楊林と出会い、その楊林をハブにして飲馬川の賊との人脈がひろがり……というのは、人数を稼ぐためのイベントなのだ。とくに、おもしろエピソードもなく、人数が増えていくので、採用する必要はない。
やがて蜀漢に関係する人物と、蜀方面に向かって会っていく……というのでもいいけど。
楊林は、たまたま楊雄(病関索)に遭遇する。強引すぎるw
石秀=何顒が、楊雄=張邈をたすける
話は変わって、というか時系列を調整して。
袁紹が揚州におどりこみ、劉備を救出する話は、何進が執政して風向きが変わる直前などに置かないと、ストーリーが行き詰まる。きっと、この『水滸伝』石秀と楊雄の話は、袁紹が揚州に躍りこむよりも、前のことだろう。張邈=楊雄は、何顒=石秀に助けられた。
石秀は、人助けをするし、祝家荘に潜入して諜報もやる。これは、袁紹らをバックアップし、かつ党錮のときに洛陽に侵入した、何顒に近いだろう。「何顒グループ」なんて言い方もする。石秀というキャラに対する、最高の評価をした結果、何顒を割り当てました。
何顒とともに、袁紹の奔走の友となり、かつそれなりの大物は、張邈。楊雄とは「病関索」である。張邈の活躍を、『花関索伝』で膨らませてもいい。第44回~46回は、張邈の妻が浮気していることを、何顒があばいて、教えてあげる話。
何顒には、「友人の虞偉高が父の仇に報いずして病に倒れた時、代わりに報復してやり、その首を墓前に捧げた」という、友達思いが過剰なエピソードがある。何顒ならば、張邈の妻の浮気調査みたいな、余計なこともするだろうさ。張邈の妻の処刑が終わったところ(駒田訳116ページ)、みがるな盗人(鼓上蚤の時遷にあたる)が合流する。
だれを時遷にするか、宿題とする。三国志に、魅力的な盗みをするひとって、出てきたっけ。
奔走の友で、ネタとして残っているなら、伍瓊(伍徳瑜)か。
何顒・張邈・盗人は、ひとの家の鶏を食べる。
張邈の妻の事件は、きっと何顒が潜入しているところの、洛陽で起きたんだろう。そういうことにしよう。そして盗人が盗んだのは、官軍の資財である。
祝家荘を、独立した土豪にしたら、話が膨らまない。宦官系の長官がいる、洛陽にある兵舎みたいなところと衝突してほしい。『水滸伝』祝朝奉というのは、いかにも朝廷の味方くさい。『北方水滸伝』では、青蓮寺の聞煥章がこの戦いを仕切っていた。
宦官系の中央の秘密の軍隊の、隠し財産みたいなものを、盗賊がちょろまかして、痛快な思いをする。そこから全面戦争に転がっていく…、という話が読みたい(だから書きたい)。ここまで、46回。
47回~48回 祝家荘の戦い(前半)
宦官・何顒とは、直接は交渉しない勢力が洛陽にある。
『水滸伝』47回から出てくる、李家荘である。当主の李応、執事の杜興である。なにか祝家荘の戦いになぞらえる史実がないかな。陽球が宦官と対決する事件は、どうだろうか。179年の『通鑑』の抄訳から。
王甫と曹節らは、権力をもてあそぶ。曹節と王甫の父兄や子は、卿、校、牧、守、令、長となった。天下にみちて、貪暴した。王甫の養子は、王吉である。王吉は、沛相となった。もっとも殘酷だ。王吉は、沛相を5年やり、1万余人を殺した。尚書令の陽球は、つねに発憤して言う。「もし私(陽球)が司隷校尉となれば、王吉をこのままにしない」と。すぐに陽球は、司隷校尉にうつった。
王甫は門生に命じ、京兆あたりで、国家の財物7千余万をつかわせた。京兆尹の楊彪は、王甫を司隷校尉の陽球にチクった。4月辛巳、陽球は王甫らをすべて捕え、洛陽獄に送った。王甫の子は、永樂少府の王萌と、沛相の王吉である。陽球は、王萌と王吉も、洛陽獄に送った。みずから陽球は、王甫を裁判した。王甫の子・王萌は、かつて司隷校尉だった。王萌は、陽球を罵った。「さきに陽球は、父と私(王甫と王萌)に、奴隷のごとく仕えた。いま陽球は、私たち父子を裏切るのか」と。
陽球は、土で王萌の口をふさいだ。王甫と王萌を、杖で叩き殺した。段熲は自殺した。王甫の死骸を、夏城門に貼り付けた。「賊臣の王甫」とかかげた。王甫の財産を没収し、妻子を比景に徙した。
曹節は、王甫のハリツケを見た。曹節は慨然として、涙をふいた。「おなじ釜の飯を食べた王甫よ。王甫の体液を、犬に舐めさえてはおけない」と。曹節は王甫を片づけ、すぐに霊帝に言った。「陽球は、故酷な暴吏だ。まえ(熹平6年)に陽球を劾めたが、九江の微功があるから許した。だが陽球は、ひどい。司隷校尉をやめさせよ」と。霊帝は陽球を、衛尉とした(曹節が逃げおおせた)
何顒・張邈は、盗賊とともに、王甫の取引先が買っている鶏を、盗み食いしてしまったので、王甫と一触即発となった。何顒は、司徒の劉郃に「助けて」と申し入れた。劉郃は、兄で侍中の劉鯈を、宦官の曹節によって殺されたひとだ。
『水滸伝』石秀は、李応に助けを申し入れた。
史実で、司徒の劉郃をたきつけて、宦官の弾劾にひきこむのは、永楽少府の陳球である。これも『水滸伝』に比定したいな。
さて、祝家荘=王甫、李家荘=陽球として、扈家荘はどうしよう。扈家荘は、扈三娘というヒロインを輩出しなければならない。王甫の縁者が必要になった。王吉は、曹操に挙主だとしたら、曹氏の縁者か。司徒の劉郃(=李応)は、宦官とつかず離れずの態度で、今日の地位にあるから、容易には承諾しない。何顒・張邈は、劉郃に「盗賊(伍徳瑜か)の罪を軽くするように手紙を書いてほしい」という。永楽少府の陳球は、何顒・張邈に賛同して、手紙を持ち運んで、宦官にたいして伍徳瑜をゆるすように求めた。陳球のめかけは、宦官(程璜)の娘だから(←史実)、願いを聞いてもらえると思った。
『水滸伝』では、李応が、祝家荘との宿縁があるから、きっと願いを聞いてくれると見込む。李応=劉郃、杜興=陳球としたが、この役割が逆転しても可。しかし、宦官側(曹節ら)は、陳球を無視した。ついに劉郃もみずから頼みにゆくが、宦官側は無視をした。そればかりか宦官は、劉郃に矢を射かけた。
何顒は、袁紹らの力を借りることにした。
『水滸伝』47回では、石勇・戴宗・楊林を仲介にして、石秀・楊雄は梁山泊に頼むことになる。しかし本作では、石勇を魏延にして、戴宗を孫乾にしてしまったため、使えない。楊林は比定してない。それよりも何顒と袁紹は、史実で友人なのだから、直接いって頼めばよい。袁紹は、「伍徳瑜は盗みをしたのか。奔走の友に含めておくに値しない人物である。殺してしまえ」という。しかし別のひと(原典では宋江だが、劉備は不適)が、「ぎゃくに曹節との勝負を決してしまうチャンスだ」という。荀彧(原典では呉用)が、「手足になるべき人材を斬るな」といい、袁紹に反対した。
何顒(石秀)は、宦官に接近するために、別人に化けて曹節に接近した。しかし露見して、捕らえられた。
原典では、石秀が祝家荘の迷路を解き明かすために潜入する。しかし本作では、物理的な迷路には、あまり意味がない。曹節の経歴に関するキズを求めに潜入する、ということでいいと思う。『水滸伝』で潜入は楊林・黄信も行うが、石秀=何顒ひとりで充分、同じ話が成り立つ。もしも、「先に正体がバレたやつ、次に正体がバレるやつ」という二段構えが必要なら、何顒・張邈が仲よく捕まればよい。張邈がドジで、先に捕まる役。
いま『水滸伝』扈三娘の処理の仕方を思いついた。前年の178年、霊帝が鴻都門学を設置したとき、蔡邕が朔北に徙刑にあった。この179年、大赦を受けたが、揚州に亡命する。このように地方をウロウロする大官人は、物語に絡みやすい。そして蔡邕の娘の蔡文姫は、宦官を退けて蔡邕を助ける報酬である。蔡文姫は才女として、袁紹らに憧れられている。という設定にしよう。
蔡文姫は洛陽に残っている。何顒らが「一緒に宦官を倒して、蔡邕を呼び戻そう」と説得するが、かたくなに拒む。一見すると、敵に見える(扈三娘が敵だから)。しかし実は、宦官の恐ろしさゆえに拒んだだけで、やがて心を許してくれる。しかし父の蔡邕は、いちど洛陽に戻るものの、宦官の恐ろしさを痛感しているから、蔡文姫を連れて揚州に逃げてしまう(史実なみ)
ここから48回。何顒は、曹節の不正の証拠を握ってきた。金銭の不正だけでは、弱いので、裁判の不正とか、(恐らく皇后に対する)大逆など。
翌年、皇后が宋氏から何氏に交替する。それを絡ませればよい。『後漢書』によれば、何氏は宦官にワイロして皇后になったという。いまWikipediaを調べたら、ワイロした宦官は、同郷の宦官の郭勝であるという。ただし『後漢書』霊思何皇后紀の注『風俗通』では、戸籍調査の役人へ賄賂を渡しており、恐らく宦官ではないと。
だが、話を単純にするために宦官でいいや。何氏が皇后になるには、何氏を持ち上げるだけでなく、宋氏を貶める必要がある。宋皇后に対する反逆を、宦官が企んでいる証拠を、何顒が潜入してつかむとか、脚色する。袁紹・何顒は、宦官に攻撃をする。
『水滸伝』48回では、花栄が提灯を射落として道しるべをダメにしたり、近ごろ加入した欧鵬・鄧飛・馬麟が突っこんで欒廷玉に倒されたり、物理的な戦いをやる。いらん。
『漢末水滸伝』では、劉郃・陳球が、陽球を司隷校尉に就けるように運動して、陽球をつかって曹節を攻撃する。その立案・根回しを、何顒・袁紹らがやったことにすればよい。物理的な暴力ではなく、陽球を司隷校尉に推薦するという政治運動が、『漢末水滸伝』における祝家荘の戦いである。
蔡文姫に協力を求めるが、本音を証してもらえず、かえって「宦官の側に、謀略をバラしますよ」という態度を取られて、袁紹らは心底、困り果てる。
『水滸伝』扈三娘は、梁山泊の諸将をなぎ倒したが、林冲によって捕らえられる。ぼくが林冲に比定した呂布は、ここにいないから、この話はやれない。蔡文姫と呂布のからみを、どこかで設けたい。蔡邕が朔北に徙されているから、そばを通るチャンスあり。宿題。
49回~50回 祝家荘の戦い(後半)
49回の分。曹節との対決に、援軍が現れる。陽球である。
『水滸伝』49回で、祝家荘に梁山泊が勝つ理由は、病尉遅の孫立。梁山泊の諸将をなぎなおす、祝家荘の武術教師(欒廷玉)と、旧知である。祝家荘のなかに入りこんで、梁山泊に内応してくれる。
『漢末水滸伝』では、孫立の役割を、司隷校尉の陽球にになってもらう。
『水滸伝』は、第47・48回と、梁山泊と祝家荘の戦いを描く。しかし第49回、いきなり時空が歪んで、話が分岐する。いわば孫立列伝が始まる。だが、せっかく盛り上がった祝家荘との戦いを、途中でぶった切られるのは、あまり愉快ではない。だからぼくは、前後を調整して、石秀列伝(何顒・張邈の話)に繋いでおきたい。石秀と孫立(何顒と陽球にあたる)は、旧知だというから。
陽球は、九江太守・平原相になって、山賊・奸吏を厳しく討伐した。厳しくやりすぎて、司徒(の張顥)に弾劾された。
以上、陽球伝にあること。地方官として、いかに陽球が厳しく振る舞ったかといえば、平原相の時代に……と、『水滸伝』と合流する。解珍・解宝のトラを、毛太公が横取りするが、その毛太公(のように利益を搾取するひとを)を厳しく罰するなど。
『水滸伝』孫立は、登州にいる。『後漢書』陽球の経歴に照らせば、地理的に近い平原相のほうがいい。175年に始まる『漢末水滸伝』のリアルタイムのどこかに、この話を挿入できるだろう(178年に鴻都門学を批判する前のできごと)。順序は要検討。
平原にて陽球は、2人の猟師が追いこんだトラを横取りしたものを罰した。それだけでなく、横取りに報復をした好感たちも罰する。
罰せられるのは、『水滸伝』鉄叫子の楽和・母大虫の顧大嫂・鄒衍と鄒潤にあたる。彼らに、キャラをつけて活躍させるなら、視点がむずかしい。
まず陽球が、毛太公にいわれて猟師2人(解氏)を捕らえる。きびしい調査の結果、毛太公が悪いことに気づいて、毛太公を捕らえようとする(陽球の心の動きは誰も知らない)。そこに、解氏を助け出すために、楽和ら(にあたる者)が押し入ってくる。楽和らは、『水滸伝』なみの活躍をして、解氏に逃がした……と思ったところが、陽球のほうが一枚上手で、楽和らを一網打尽にして、全員を処刑する。
「いたずらに登場人物を増やして、ワケが分からない!」という、『水滸伝』初級者が懐く恨みを、孫立に化けた陽球が晴らすと。
50回の分。
『水滸伝』扈成が、「扈三娘を返してくれ」といい、梁山泊が「王矮虎を返してくれるなら」という人質交換の話は、呂布の近辺に話を移したい。王矮虎に該当する女好きの人物を、呂布のそばにおかねば。
『北方水滸伝』で、扈三娘をはさんで、女に呪われた林冲と、女が好き(という意味で呪われた)王矮虎が、物語をくりひろげる。やはり王矮虎は、呂布のそばにいて欲しい。同郷の李粛あたりにキャラをつけるか?荀彧(呉用)は、陽球(孫立)をつかって、曹節ら(祝家荘)をつぶす。
『水滸伝』では呉用が「連環の計」をつかう。かりに孫立を祝家荘に味方させ、石秀と戦って捕らえ(るふりをして)、祝家荘の内側にひきこみ、梁山泊に内応する。
この呉用の計略を省くのは惜しい。陳球、「私のめかけは宦官(程璜だが、曹節であると単純化しても可)の娘なので、内応したふりをします」と、潜入作戦をやらせてもいい。ちなみに陳球は、この宦官の娘から情報が漏れて、曹節に殺される。
劉郃・陳球・陽球は、王甫には勝ったが、曹節には敗れた、というのが史実である。『水滸伝』に置き換えたら、祝家荘を半分までやぶって、双方に犠牲を出して膠着、という感じになる。史実に沿うからそれでよし。
陽球の働きによって王甫には勝ったが、曹節が残っている。劉郃・陳球は、「取りあえずは充分に効果があった」と、現実に妥協した。しかし、何顒・袁紹は、「ここで手を緩めるべきでない。曹節も殺そう」と逸る。劉郃・陳球は、「あまり急進的なことをすると、バランスが崩れる」と消極的である。
何顒・袁紹は、「劉郃・陳球は、曹節を殺すつもりだぞ」とウソのウワサを流して、彼らが後戻りできないようにする。
50回、駒田訳169ページで、呉用が「李家荘は、もう焼けちゃいましたよ」といって、ムリに梁山泊に引きこむ。退路を断って、強引に味方についけるという意味で、こんな話にしてみた。閉じる
- 『水滸伝』第51~57回、小衙内殺し、呼延灼の戦い
第51回 関羽と徐晃の出奔
話は変わって(話を載せる順序は要検討)河東郡では、雷横=徐晃が女芸人とトラブルを起こして、女芸人を殺してしまう。同僚の関羽が身柄を預かった。徐晃の行動に(なんやかんやで)義を見出した関羽は、長官には無断で、徐晃を逃がしてしまう。
関羽「国家のことよりも、ひとりの好漢としての行動原理を優先するぜ」と。徐晃「わたしも国家のことよりも、ひとりの好漢として、かならず関羽さんに返報するだろう」という。これが関羽の晩年の戦いの台詞の伏線。
時系列はともかく、そういう関羽のオトコぶりに、かってに惚れたのが、劉備である。劉備は、関羽を口説きにゆくが、断られる。関羽は、上官の息子を預かっていた。張飛は、関羽の上官の息子を殺して、関羽が河東郡に務められないようにする。
決めぜりふは、「しょうがない」と。
『水滸伝』51回、李逵が、朱仝があずかっている子供を殺す。殺された子供は、小衙内(しょうがない)という。第52回の冒頭まで、関羽(朱仝)の動向が書かれるが、けっきょくは劉備(宋江)の一味になりましたと。駒田訳189ページにも続報がある。
関羽をモデルにした人物が『水滸伝』に多いなかで、朱仝を選んだ理由は、①登場が早い、②小衙内殺しがある、です。とくに小衙内は、おもしろくなりそう。
第52回 劉虞の受難、高廉との戦い
時期はさておき。劉虞(柴進)は、宦官の縁者(高俅の従弟の高廉、その妻の弟の殷天錫)に、あらぬ疑いをかけられて、取り調べを受ける。
きっと幽州の統治が安定しているから、もっと金銭を吐き出させようとして、宦官が巡察の使者を出したのだろう。幽州は、後漢のルールよりも、劉虞の判断を頼りにしており、なかば独立国のような様相。幽州から上がる、ワイロの収入が少ないので、宦官がムカついたのだ。
高廉・殷天錫を誰にするのかは、史料を見て決める。
袁紹・劉備は、劉虞の救出にいく。
『水滸伝』52回では、李逵がメッセンジャーになる。李逵=張飛を、単純に使いまわすことができない(原典でも脈絡がなく、かなり不自然)。劉虞が、袁紹もしくは劉備、もしくは両方とどういう接点をもっているかは、きちんと話をつくる。劉虞を監禁した高廉は、魔法をつかう。
第53回、孫乾(戴宗)が、張飛(李逵)を連れて、公孫勝(張魯)を探しにゆく。張飛は、孫乾に言いつけを守らずに、足の魔法に困らされる。
ぼくは思う。公孫勝の探索は、ずっと前からやっている。探索の名目で、戴宗がウロウロして、梁山泊に帰するべき人物をかき集めている。
のちに劉備に属する人々(というか劉備)の行動原理と、目標を明らかにしておかないと。『水滸伝』は晁蓋・宋江をセットにするが、ぼくはつかず離れずとするので、詳しい設定がほしい。孫乾・張飛は、二仙山で、張魯を見つける。張飛は、下山を断った張魯の師を殺したつもりが、死んでない。
張魯に修行をつけているのは、死んだはずの張魯の相の張陵でも可。仙人は平凡な意味では死なないから。もしくは、梁冀を手玉にとった、南華老仙(荘子のばけもの)にしようか。『水滸伝』では羅真人。公孫勝がもどって、魔法をやぶって、劉虞を救出する。
この魔法の話は、184年の黄巾に置いてもよいかも。幽州にも黄巾が攻めこみ、劉虞が危機に陥った。劉虞を救うために、(そのとき、空いている誰かが)張魯のことを思い出して、引っ張りだしにゆく。もしくは、危機に陥るのが、劉虞である必要もない。
公孫勝は、「私が学んだ道術は、高廉と同じもの。ただし私のほうが正統だから強い」という。張角vs張魯の直接対決が見たい。
柴進の受難を、劉虞の受難とする必然性が薄れると……
治外法権の地としての劉虞を、もっと生かすストーリーを考えねば。『水滸伝』でも、柴進はあまり活躍の場がない。『北方水滸伝』では、かき集めた物品に執着するケチな凡人で、毒殺されてコロッと死んでしまう。もっと活躍してほしい。
第54回、張魯が魔術をやぶり、劉虞が助け出される。
第55~57回 呼延灼=檀石槐との戦い
第55回、鮮卑が国境を侵して侵入した。
『水滸伝』の呼延灼の戦いは、連環馬とか大砲とか、あやしげな装置をくり出してくる部隊との戦い。これに対抗できる人材を集めて破るという。この時点で、袁紹らが官軍と戦うと史実から逸脱する。檀石槐ひきいる最強の鮮卑の騎馬隊が、幽州に侵入してきた。劉虞は、公孫瓚をつかって撃破する。
檀石槐は、光和期(178年 - 184年)に死ぬ。つまり、劉虞・公孫瓚が、みごとに檀石槐を破って殺してスカッとしても、史実とは矛盾しない。
呼延灼は檀石槐。呼延灼の副将にあたる、韓滔・彭玘は、鮮卑の将軍とする。彼らが仲間にならなくても、ストーリーに支障なし。
凌振という砲撃手は、射程距離が長くて、命中精度も良い、投石機のようなもの。これも鮮卑の技術者である。
鮮卑はこの時期、空前の大帝国を築いている。それくらいの装備があっても、おかしくない。これを鮮卑が躍進した理由にしよう。
第56回、劉虞は、戦さ上手をスカウトする。
徐寧=魏攸かな。
Wikipediaによれば、魏攸は、異民族との交友を深めるため、劉虞に異民族へ金品を贈るよう進言し、実行させた。劉虞の人望を妬んでいた公孫瓚により、金品を奪われた。魏攸は「公孫瓚の文武は頼りになる。悪事には目を瞑るべき」と諫言したと。
たびたびWikipediaを見てますが、本作に取りかかる前に、史料には目を通す予定です。いろいろネタが見つかることが多いので。
『水滸伝』で徐寧は、お宝の鎧を盗まれて、梁山泊に入る。金品を奪う・奪われる系の話が、魏攸の周辺にある。徐寧=魏攸で。
ただし魏攸が立てるのは、連環馬を撃破したのち(『水滸伝』なみ)、異民族を懐柔するという政策を取るだろう(『後漢書』なみ)
『水滸伝』鍛冶屋の湯隆は、徐寧を呼びこむための媒介。「徐寧=魏攸という優れた人物がいましてね」と案内する人物を設定して、適当に消化しよう。劉虞伝よめ。
第57回、徐寧=魏攸のスカウトに成功した劉虞は、呼延灼=檀石槐をやぶる。檀石槐と戦うにあたり、打虎将の李忠=関靖が、公孫瓚にまつわる人物を引き連れて合流する(駒田訳254ページ)。
ぼくが余所に移動させてしまった人物は、ここに出すことができない。『水滸伝』では、魯智深=韓当、楊志=馬超、施恩=祖茂、武松=程普らが合流する。ぼくがキャラを割り振っていない、孔明・孔亮もまだである。諸葛亮の父・諸葛珪に統合してしまうか。諸葛瑾ですら174年生まれだから、諸葛亮は出せない。
なお、若き趙雲は、きっと公孫瓚の下にいる。
つぎは、晁蓋の死と、盧俊義の登場を裁かねばなりません。150506
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