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- 『水滸伝』第76回~、童貫・高俅・方臘の故事より
三国志と『水滸伝』が融合した話をつくる計画
という遊びをしています。『水滸伝』の駒田信二訳を見ながら、漢末・三国に比定していく作業をします。『漢末水滸伝』というタイトルを考えています。
『水滸伝』は、前半の列伝ものと、後半の紀事本末ものに分けることができる。ぼくは、とくに境界線を設けず、ゴチャ混ぜにする。できごとは、基本的に『水滸伝』の原典に沿わせるけれども、終盤の戦闘もの(童貫・高俅、遼国・田虎・王慶・方臘)は、エピソードを解体して、個別の話のなかに、おもしろそうなネタを散りばめる。なぜなら、戦闘ものばかり続くと、つまらないからです。途中で、本を置きたくなる。
第74~77回 童貫の戦い
張譲らは、「党錮を解除すべき」という意見を耳にする(74回末)。
宋江の招安は、党錮の解除に対応させます。第75回、ある高官(陳宗善にあたる)は、「党錮にあった士大夫は、国家のために働きたいと考えている。優しい言葉で、礼を尽くして士大夫を迎えなければ、漢王朝は立ちゆかない」という。
宦官に味方する高官
『水滸伝』蔡京にあたる。
ぼくは、これを袁隗としたけれども、袁隗が「党錮の禁、すばらしい」というはずがないので、べつの人物を立てなければ。宦官派の高官といえば、曹操の父にしたら、あざとくて面白いかも。陶謙の恨みを買ってもらおうw高官の曹嵩は、党錮の解除には、否定的である。ともあれ、招安の使者は、袁紹集団の心を氷解させるために、使者をだす。使者を迎えるひとびとは、無礼を働く。かってに贈り物の酒を飲んでしまい、劣悪な田舎酒に変える。使者が読み上げた詔書は、袁紹集団をけなしたような高圧的なものだった。
『水滸伝』で梁山泊は、阮小七が勅使をのせた船を浸水させて、びっくりさせる。高級な酒をのんで、わるい酒にすり替える。わるい酒を(朝廷からの下賜品と思い込んだ)宋江・呉用は、「やはり朝廷は、われらを招安するつもりなどない」と、かってに時期が熟していないと思いこむ。
第76回、袁紹集団と宦官集団は、戦闘にうつる。
袁紹たちの「あじと」を設定していない。それは史実を重視したから。しかし、あじとがなくて、なにが「水滸」なものか。為政者たる霊帝に徳がないから、黄河が氾濫をおこして経路を変えて、漢末に水塞が現れることにしようか。黄河が、為政者に感応して暴れた事例は、ちかく王莽の時代である。
霊帝が崩じて、袁紹たちが『三国演義』を演じ始めると、その水塞は枯れてしまうとか。この物語を象徴するものとして、兗州あたりに「水たまり」ができてもいい。
これを悩む理由は、袁紹と宦官の戦いを、どこまで物理的なものにするか、迷っているから。袁紹らに、あじとがなければ、戦いは起こらない。もしくは、洛陽の市街戦である。いやそれ以前の、諜報戦・暗闘だけになる。盛り上がりに欠ける。
宦官は、水塞の破壊を命じる。
歴史地図集の後漢を見ると、のちの『水滸伝』の舞台になる梁山湖は、後漢の東郡と東平国のあいだぐらいか。もっと黄河の下流の、済南国あたりに、架空の水たまりをつくるか。曹操は、黄巾討伐の功績で、済南相となる。汚吏・邪教を禁止する。これを活かそう。
袁紹が水塞にいると、都合がわるい。べつのものが代行して、ここに籠もっているといい。いや、もっと中央に近くないと、使い勝手が悪いのか。76回は、武将がせいぞろいして終わり、77回は、十面埋伏をして、宦官の送った軍を退場させる。
『北方水滸伝』で童貫は、ラスボスでした。せっかくなら、大きく扱いたいのだが……、水たまりを作るのか否か、どこに置くか、という設定を決めないと、童貫の戦いの意義が固まらない。
第78~82回 高俅の戦い・招安
第78回、宦官軍(童貫にあたる)の敗戦は、「熱いから引き返してきた」と、天子に報告された。10路の節度が袁紹集団を攻めるが、勝てなかった。1回目。
第79回、宦官軍は、賢人を軍師として招く。
聞煥章である。『水滸伝』では、官軍の軍師として招かれる。呉用を破ることを期待される。だが、梁山泊に人質として取られる。中央官僚へのパイプを持っており、梁山泊が招安を受けるための斡旋をする。敵対する両者を結びつける、媒介のような存在。
『北方水滸伝』では、青蓮寺の若きホープとして、扈三娘に惚れて、べつの国を作ろうとする。せっかくなので、この物語でも、立ち位置を与えたい。だれがいいかな。官軍は、船団をつないだため、火を点けられる。2回目。
『水滸伝』第79回で、官軍は船をつないで梁山泊に攻めこみ、まんまと船を焼かれる。第78回の末に「赤壁の(ように)皆殺しにあう」とあるから、パクりは確信犯。でも、聖水将の単廷珪・神火将の魏定国という、いかにも赤壁にピッタリのキャラは、この場面に出てこない。
公孫勝は、ちゃんと風を起こします。
この戦いは、曹操に見せておく(忘れてしまう)とか、荀彧に見せておく(活かす場がない)とか、三国志に絡ませたい。
梁山泊には軍師が2人いる。知恵の呉用と、道術の公孫勝(108人中、3位と4位の重要人物で、エピソードも多い)。第79回、官軍が船を繋いで攻めてくると、「火を点けろ」と命じるのは呉用で、「風よ起これ」と祈祷するのは公孫勝。『三国演義』諸葛亮は2人に分割しても、なおキャラが立つ。
作為的に詔の文の意味を改変して、袁紹集団のトップを殺してしまおうとするが、魂胆を見抜かれて失敗する。
「宋江を除き」というやつ。駒田訳11ページ。賢者の聞煥章は、「そんな小手先の不義理をやったら、招安に失敗するから」と見抜いている。
第80回、船大工(葉春にあたる)の知恵で、大きな船をつくる。袁紹集団は、火をつけて撃退する。宦官集団は、敗北した。3回目。
張譲・聞煥章が、梁山泊に捕らえられた。
この結末を、どうやって使うのか、、第81回、曹操が卞氏に「弟」として礼をとり?、霊帝に話を通して、党錮が解除される。霊帝は、官軍の敗戦について正しい情報を得ておらず、かえって宦官たちを疑うようになる。
駒田訳38ページで、宿元景と聞煥章が、同じ師匠から学問を習った、旧知だということが明らかになる。これによって、梁山泊は、宿元景を使者とした招安を受けることになる。
ぼくは思う。『水滸伝』は、徽宗が「高俅に騙されていたのか。宋江は善玉ではないか」と気づくが、高俅に阻まれて、ついに功績ある宋江を殺す。この物語では、霊帝が宦官(もしくは何進)に殺されるべきである。ほんとうのことを知ってしまったから、じゃまになって霊帝は殺された。中途半端に英邁だから、早死にするんだよ、というお話。
袁紹集団は、ためこんだ財貨をはきだして、いままで迷惑をかけてきた周囲に報いる。しかし、水塞の破壊は、ちょっと保留にする。
戦いの場所が水塞でなければ、話が成り立たない、というのは、赤壁もどきをやるときだけか。べつに水辺なら、どこでもできる。
それよりも、水塞になにか伏線を絡ませよう。なんの必然性もないのに、タイトルが「水滸」だからと、むりに水塞を置かなくても。いや、術語としての「江湖」という視点から、三国志の伏線になるか。物理的に水辺に割拠してしまった、孫呉の独立(というか、赤壁の戦いという予想外のイベントの発生)が、袁紹らの「江湖」をめぐる試行錯誤の帰結か。
それなら、諸葛亮・魯粛という、第二世代の人々を、水塞のなかに避難させるか。袁紹集団がつくった、象徴としての水塞のなかに、ほんとうに「江湖」を実現させる、つぎの世代が育つ。袁紹らは、けっきょくは既存の価値観のなかで戦う。その最終勝者(『漢末水滸伝』において、もっとも若いほうの曹操)が、ほんとうの水たまりの子供たちによって、漢の復興を阻害される……。
バラバラしてますが、アイディアが固まってきた。諸葛亮・魯粛が、そのなかに住んでいるのなら、『漢末水滸伝』のなかに水塞を登場させても、きちんと必然性がある。
諸葛亮の父・諸葛珪は、泰山丞となるが、諸葛亮が幼いとき(180年代前半)に死ぬ。その後、おじに引き取られるが、そのブランクの期間に、水塞に入っても良い。泰山郡は、済南国に隣接している。やはり済南国に、水たまりを出現させよう。
魯粛は、諸葛瑾と友人である。魯粛は171年生まれだから、170年代の後半に物心がつく。3つ年下の諸葛瑾と会わせるのか、それは決めてないけど、済南国の水たまりで生活させよう。蹇碩は、「なんの功績もないやつらに、たかい官爵を与えてはならない。むしろ彼らを殺してしまえ」という。だが、(宿元景にあたるひと)が弁護してくれる。
第83~89回 遼国=烏桓との戦い
第83回、烏桓?(遼国)の討伐という任務をもらう。
この戦闘の経過は、劉虞・公孫瓚・劉備・趙雲と、それに付随するひとたちが、時期を選んで行う。水塞を破壊して、遼国にゆく。
朝廷の使者が、下賜品をぴんはねした。これをみた袁紹集団の武将(項充と李袞にあたる)の兵が、使者を斬った。それをみた劉備?は、兵を斬った。「朝廷に仕えるからには、みずからの正義のとおりに動くことはできないのだ」という。駒田訳60ページ。
呂蒙のような軍令のきびしさ。
劉備が、黄巾の乱の恩賞をもらうとき、こういうトラブルがあればいい。
第84回、石つぶてで烏桓を圧倒しつつ、潜入して建物に火をつけて(駒田訳75ページ)、勝ち進む。烏桓の知恵者(遼の丞相の褚堅)は、朝廷の賞罰がおかしいことにつけこみ、劉虞軍を追い返そうとする。 第85回、烏桓から「でたらめな漢に仕えるのは、バカらしいだろう」と誘われる。劉備は、従うふりをして、烏桓に入城する。そのとき、「軍師(だれ?)が遅れてるから、彼が到着したら、彼も入れてやってほしい」と約束する。あとから軍師がきたとき、そのまま軍勢を突入させて、烏桓から城をうばう。
『水滸伝』では呉用。この作戦の有効性よりも、そこで行われる議論がおもしろい。呉用は、「遼国に降ったほうが、精神衛生によい」というと、宋江に「なにをいうのだ」と叱られる。駒田訳83ページ。
劉備が、荀彧をレンタルして北方で使っているという話にしたら、呉用=荀彧という比定を貫けるのだが、、田畴さんとかに登場してもらう?張魯(公孫勝)の師匠と会って、張魯が離脱する準備をさせられる。ぎゃくに、離脱するからには、活躍しなければならない。
宮崎市定は、「公孫勝を退場させるために、遼国の討伐というエピソードを作った」とまでいう。やはり、これは言い過ぎだと思う。原作を読むかぎりは。計略のヒットは、駒田訳87ページから。
第86回、副将(盧俊義)が、妖術によって道に迷わされ、孤立したところを、元猟師(解氏の兄弟)が路を現地人に教えてもらい、救い出す話。あと、妖術も。
第87回、陣を見せ合って、烏桓を圧倒してから、
司馬懿と諸葛亮である。趙雲(史進)が突出して危機におちいり(駒田訳111ページ)飛び道具に助けてもらう。
孫立が、体を倒して遼国の矢を避けるのだが、ぼくは孫立を陽球としてしまったので、このに居るはずがない。
第88回、烏桓の変幻自在の陣に苦戦する。張飛が捕虜になる。朝廷から援軍がくるが、見栄を張って殺される(駒田訳122ページ)。劉備が夢を見て、天女に破り方を教えてもらう。
第89回、烏桓は、ワイロによって解決しようとする。劉備が、「ワイロなんか通用せん!」と断る。しかし中央官僚がワイロをもらって、烏桓を許してしまう。駒田訳131ページ。
だから漢末に、混迷が深まるのだ!という、公孫瓚の憤りの物語になる。劉虞の施策は、ワイロとはまた別の視点からの、烏桓の懐柔策。こういう後漢末の問題を、小説で書けるのは、楽しそう。
第90~回 田虎の乱
韓当の師(魯智深の師)が出てくる。
韓当は、下邳に行ったことになってる。そこで孫堅に出会ったと。『水滸伝』で魯智深の師=智真長老に、教えを授けられるのは、孫堅にしよう。徐州は、後漢末にも仏教がある。韓当が、ほんとうに仏教に帰依してしまうのもいい。
孫権の母?だかも仏教とだった。徐州時代に、孫堅の周囲で、仏教が流行してもいい。やがて呉の地方に仏教が根付くのは、孫堅がここで仏教に出会ったからだと。孫堅は、長老から預言を受けとる。
曹操は、旧知の人物(橋玄か。許貫忠が該当する)から、巻物をもらう。これは地図であり、のちに曹操の役に立つ。
黄巾との戦いで使う?
許貫忠の役割は、引退して、世間を相対化してみせること。これから世に出て行く曹操に、いろいろ問いかけるのは、おいしいストーリー。
第91回、地図をもとに快進撃をすると、イシツブテ(張清を誰にしよう)が退場する。
『水滸伝』張清は、夢のなかで、瓊英にイシツブテの投げ方を教えてあげて、あとで結婚をする。『北方水滸伝』では、日本との貿易をする夫婦になる。
だれを張清にあてるのか、ほんとうに決まらんなー。
以後、109回までは、百二十回本が挿入した逸話。本筋に影響しないので、後回しにする。
第110~120回 方臘の乱 を再読してみたら、方臘そのひとの生い立ちや、勢力の成り立ちについて、ほとんど描写がなかった。ただの戦いならば、ホネグミに組みこむ必要はないので、またあとでみる。150509