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こころの格差社会、後漢
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無責任に、思ったことを書き留めます。
海原純子『こころの格差社会』という角川書店の新書を読みました。三国志でも何でもありません。1ミリも関係ありません(笑)でも三国志を理解するヒントになりそうでした。
◆『こころの格差社会』
本の内容をまとめます。
日本は格差社会と言われる。勝ち組は、地位や金銭を持っている。
しかし勝ち組は、「もっと地位やお金がほしい」と足掻くから、欠乏感で苦しい。もし何かを得ても、行動や思考のパタンを変更してしまい、現状が当たり前になる。獲得した喜びがすぐに失せる。また「もっとほしい」という渇いた状態に戻り、幸せになれない。
負け組と言われる人たちは、地位やお金が得られないから、当たり前に苦しい。勝とうが負けようが、外的要因に幸せを求める限り、不幸に終わりはない。
勝ち組と負け組の間では、コミュニケーションの不全が起こる。勝ち組は、負け組に対して、 「私は受験勉強をがんばり、ビジネスをがんばり、今を勝ち取った。日本は、やればできる社会だ。負け組は努力が足りないんだ」
という感想を持つ。
しかし勝ち組に分類された人には、親の年収や愛情など、本人が意識していない好的な条件が与えられている。家庭環境の無惨を共有せず、想像しようともしないから、負け組とは交流が成立しない。
社会のモデルとして典型的なのは、アメリカとアフリカだ。アメリカ社会で貧困者が富裕者を見ると、
「オレもチャンスを勝ち取り、ああなってやる」
と言うらしい。アフリカ社会では、
「コネでインチキでもして、金持ちになりやがったんだろ」
と言うらしい。
日本はアフリカほど極端ではないにしても、アメリカほどのドリームを抱けるような流動的な社会ではない。
日本で幸せに生きるには、外的要因に幸せを求めず、内発的にヤリタイコトを見つけることだ。
マズローの唱えた4段階目の社会的な承認欲求を40歳ぐらいまでに片付け、5段階目の自己実現欲求に取り組め。そうすれば、勝ち組や負け組の区別を越えて、人は幸せになれる、と。
◆後漢を思い出す
「努力しても報われない。無力感と不服感が蔓延して・・・」
格差を強調した日本社会とは、まるで後漢末期と同じじゃないか!と思ったのです。宦官の子弟ばかりが要職を占め、世襲して財産を蓄える。精錬な学者官僚が諫言をしても、返り討ちにあうだけだ。
後漢は初め、三輔や南陽の豪族たちが「合議」でもしているような、危なっかしい皇帝権力しか持っていなかった。有力豪族には、外戚として後漢の支持側に回ってもらった。
やがて「外戚との対決」という闘争の形態を取りながら、豪族の力を削ぎ、皇帝権力を強めた。
「無能な皇帝を利用する、小ずるい宦官」 そうやって対立構造で捉えては、実態を逃すだろう。宦官が力を持つ源泉は皇帝だから、宦官が強いとは、皇帝が強いことだ。
「外戚を葬った宦官を列侯とする」
という人事が、順帝や桓帝・霊帝のときにあります。あれは、皇帝が自分の手足を伸ばせるスペースを増やしたと解釈すべきだとぼくは思う。
皇帝の周辺ばかりに特権が集まると、豪族たちは、
「努力しても報われないぜ」
と倦み始めた。党錮ノ禁なんて最たるもので、豪族に無力感を味あわせた。
宦官が私腹をこやしたから、
「後漢末は腐っている」
と物語的に単純化して捉えられているが、そうではない。強化された皇帝権力の側にいる「勝ち組」と、皇帝権力に敗北した豪族という「負け組」との間に格差があるだけだ。
現代日本に置き換える。合法的に企業努力をして勝ち組になった人が、いくらお金を蓄えていたからって、
「社会が腐敗している」
ということにはならないだろう。敗北感にかまけて、金持ちを怨んだりするかも知れないし、独自の理屈を作り出して批判をするかも知れない。だが、社会が定義した「負け組」にカテゴライズされた本人は、自分の言い分が通らないことを知っている。
歴史書は文官が綴るものだから、宦官がどんどん汚い連中だと脚色されていった。しかし後世のぼくらが後漢末の宦官を見るときは、現代日本のお金持ちを見るときと同じように捉えたら、けっこう実態を正確に知ることが出来るかも知れない。
嫉妬がないわけではないが、どうしようもないんだ。
◆後漢の決着
上で紹介した著者は、
「格差社会を生きるには、内的な充実で救済を」
と訴えましたが、後漢という格差社会は、そういうメンタルな解決をしなかった。論陣を張るなり、干戈を持ち出すなりして闘争した。儒教を学んだ人たちは、マズローなんて知らないから(笑)
漢王朝と豪族たちは、本に指摘があったとおり、コミュニケーションの不全を起こした。霊帝は国庫の回復に熱心に取り組み、大金持ちになった。そして、負け組が何を考えているか分からなくなった。
「皇帝は庶民の生活ぶりを知らんなあ」
とは、当たり前のことだ。
現代日本の高額所得者と、そうでない人の間ですら、前提が自覚なくズレていて、会話が成立しないとされる。まして皇帝と豪族、さらには庶民との対話が実現するわけがない。
虐げられた豪族たちは、例えば汝南や頴川で自己組織化に励み、次代の名士や貴族に変貌していくのでした。平たく言えば、漢を否定するプロセスに参加しました。
時代は黄巾ノ乱を経て、群雄割拠の時代に移ります。
◆暗君の条件
本には「A型気質」というのが紹介されていた。タイプ・アグレッシブだ。社会的に高い地位に付きやすいとされる。
競争好きで勝ちにこだわり、のろい人が許せず、過程より結果が大切で、質より量が大切で、
スケジュールが空くと不安で、一度にたくさんのことをやり、早口・早食・早歩きだそうだ。
しかし身体は、この性格には「NO」と言っており、狭心症や心筋梗塞になりやすい傾向があるらしい。
よくある君主の話で、 「若いときは聡明で改革に取り組んだが、晩年は視野が狭くなって、ひどい暗君になった。どこでボタンを掛け違ったのか。とても同一人物とは思えないなあ」
という人が多い。
魏の明帝(曹叡)とか、呉の帰命侯(孫皓)とか、晋の武帝(司馬炎)とか、ちょっと思いついたが日本の徳川綱吉もそうだ。また彼らは、治世の最初に改革に着手するクセが、ピタリと一致している。ビギナーの時期だけは、先代までの政治を第三者的に見て、当を得た改革ができるのだろう。手を出さずには、いられないんだろう。
諡号のせいで隠されてしまったが、後漢の霊帝(劉宏)も同じじゃないか。彼ほど、財政破綻した後漢王朝を立て直した、名経営者はいなかろう。聡明なんだ。
彼らはタイプ・アグレッシブだろう。
気質としてアクセクと頑張るから、結果をきちんと出す。しかし、勝ち組として地位が固まると、前提条件が世間平均からズレてしまい、他者とコミュニケーションが取れなくなる。そして、見当はずれな権力者遊び(と糾弾されても仕方ないアホ政策)を始める。
◆おわりに
目に見える外的条件に、心の充足の拠りどころを求めたい。だって分かりやすくてラクだから。努力すれば叶うと思っていたい。だって、複雑な心理プロセスを経なくても、単純にイキイキできるから。
タイプ・アグレッシブなら、そういうシンプルな価値観で生きるとき、幸せの特急券を手にしているに等しい。だって、一心不乱に頑張るから。
そして「こころの格差社会」を作っていくのだね。
霊帝という、現代日本の「勝ち組」を100人くらい集めた巨人によって、後漢は滅びたのだと思う。090606
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