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2国志や4国志ではダメな理由

芳沢光雄『「3」の発想 数学教育に欠けているもの』
新潮選書2009

を本屋さんで見つけました。
1000円なのに、歴史の本ではないので、買いませんでした。パラッと立ち読みしただけです。近くの図書館に入ったら、ちゃんと読んでみようと思います。

蜀漢が弱小でも、安定した理由

3の重要性を説いている本です。ぼくは背表紙を見たとき、
「三国志の面白さを証明する本なのだな」
と思いました。本で三国志は、触れられてなかったが。ああ!残念!

イスを考えます。1本脚だと倒れる。2本脚でも、立たない。3本脚だと、安定する。

ぼくら三国ファンの言う「鼎立」ですね。

4本脚だと、安定するように見えて、却ってグラグラする。その理由は、頂点が4つあると、2つの面が出来てしまうからだと。

内藤誼人『パワープレイ』 SB文庫2002によれば、
交渉相手の正常な思考を奪いたければ、イスの脚の長さを、少し変えればいいそうだ。4本脚のイスは、1本でも脚が短ければ、グラグラする。心理的に安定しないんだって。
自社の応接セットが、3本脚のイスなら、使えないテクニックだ。1本だけ脚が短くても、イスが安定してしまうから。蜀漢だけが弱小でも、中国が安定したように!

1、2、多

当世、万事が単純化され過ぎることに警鐘を鳴らしてました。
1つのことしか言わないと、「こうなんだ!」とゴリ押しして終わり。
2つしか言わないと、「こうだから、こうなんだ!」と強弁して終わりになる。
でも3つのことを言って初めて、複雑な議論が可能になる。

「こうだ。なぜならこうだ。例えばこうだから」という立体的で説得力のある構成のことを言っているのか? 立ち読みだから、忘れた。
下で書きますが、項羽と劉邦のマーケットが広がらないのは、ただの2項対立だからだ。叩き合って終わりだもん。でも3項なら・・・


数学的帰納法でも、3は大切だ。
1つの代入値で成り立つルールは、まぐれかも知れない。2つの代入値でも成り立っても、特殊な事例かも知れない。

ぼくは兀突骨を英雄だと思う。あなたも兀突骨が英雄だと言う。ゆえに世間の全員が、兀突骨は英雄だと思っている。・・・とは、ならんな。

だが3つの事象で成り立つことを示せれば、ドミノ倒しの方式で(帰納して)普遍的なルールだと説明できるかも知れない。

後漢末を経て、次の時代をどうするか模索された。魏呉蜀で、べつべつに皇帝を立てて、3者3様に国家のあり方を実験したから、面白い。もし2国時代なら、比較対照がすぐ終わるだろう。
この理由で、ぼくは呉を無視したくない。孫権の晩年以降の呉をほぼ無視した『演義』は、3国の魅力を表現し切れていない。

司馬遼太郎が書いていたら・・・

芳沢氏は本に書いてなかったが、中国の思想でも3は重要。
万物の起源である1つの太極は、何の魅力もない。2つに分かれ、陰と陽の対立になっても、静的だ。しかし陰と陽が溶け合って、初めて3が誕生し、万物が生成されると、動的なこの世界が生まれる。

歴史物語でも同じ。
項羽と劉邦の楚漢戦争は、せっかく司馬遼太郎が小説に書いたのに、三国志ほどマーケットがない。2者の対立は、ともに疲弊するだけの戦いで、読み手が飽きるのです。
もし韓信をもっとクローズアップして、3者の鼎立にディフォルメしてくれたら、項羽と劉邦の人気は、爆発していたかも知れない。いま日本で項羽と劉邦のファンは、「珍しいご趣味」の領域を出ない。

「あらゆる人間のタイプが書かれている」と司馬遼太郎はあとがき?で言っていた。本当にそうなのか? ぼくは物足りない!


さらにイフを重ねれば・・・もし司馬遼太郎が三国志を書いていれば、もっと日本の三国文化は活性化したのに!

「もし司馬遼太郎が三国志を書いたら、どんな小説になったか」を考えてみるのは、面白いかも。
司馬遼太郎の文章をパクることは、指1本で逆立ちするよりムリだが、推測するだけなら、可能かも?

『資治通鑑』を書いた、編年体の聖人・司馬光より、司馬遼太郎が重んじられる日本だからこそ、あの作家に三国の作品がなかったことが悔やまれます。

4国志、5国志にしても、面白くならない

3より減らす話をしたので、次は増やす話。
3すくみの代表は、じゃんけんだ。
じゃあ4すくみ、5すくみにしたら、面白くなるのだろうか? という興味深い検証がありました。
芳沢氏の結論は、
「複雑になりすぎるくせに、面白さが変わらない」
というものでした。

3すくみだと、どれも1勝1敗だ。
だが4すくみでは、2勝1敗と1勝2敗する不公平が生まれる。正方形と対角線に矢印を書くと、わかります。
「群雄の中で最弱だが、最強の曹操にだけ、なぜか勝つ劉備」
みたいな変人が出てきます。安全に戦いたい人は、劉備のカードを出さない。でも全員が安全に走ったとき、自分だけ劉備を出せば、ひとり勝ちできる。駆け引きが生まれます。
5すくみでは、もっと博打要素の強い劉備が生まれる。

だが、勝てる期待値とか、あいこにならず勝負がスッと終わるスマートさを計算すると、3すくみと変わらないのだとか。
どのみち結果は同じなら、覚えやすいほうが良い。

公孫淵は、四国志に含まれない

よく遼東の公孫淵を捕まえて「本当は、四国志だ」と言いたがる人がいる。ぼくは違うと思う。
たしかに燕王を名乗った。でも地理的に、孫呉や蜀漢と戦えない。戦いに加われないカードは、ないに等しいのです。扱いはせいぜい、「曹魏の内患」です。
自国から荊州に出陣できる勢力のみ、じゃんけんへの参加権がある。

『三国演義』は、大衆の反応に鍛えられただけあり、数学者を先回りしている。4すくみや5すくみが「複雑になるだけで、面白くならない」から、後漢末の混乱ですら、3者の対立に単純化する。さもなくば2者の対立とする。
五胡十六国時代にファンが付きにくいのは、同じ事情が手伝っているんだと思います。

だから、五胡十六国を3者対立に、アレンジしたことがあります。
魏晋南北朝を『三国志』に強制変換する


三国志は、増えても減っても面白くない。ファンにとって自明なことを、数学の本?からも確認することができました。そもそも鼎立してくれなきゃ、陳寿のような歴史文筆家が、『三国志』みたいな奇妙な構成の紀伝体にしてくれなかっただろうしね。100214