表紙 > 考察 > 呉書九(周瑜・魯粛・呂蒙伝)のウソを読み解く

02) 周瑜と魯粛の「反逆」

呉書九のぼくなりの読み方を、まとめます。
孫権バンザイの『呉書』から、お化粧を剥ぎ取る作業です。
以下は、10年3月に書いた諸ページのダイジェストです。
元ネタへのリンクは、また今度貼ります。。

名門・周瑜の立ち居振る舞い

周瑜の家は、後漢の名門。三公を2人出した。
おおくの名士の家と同じく、周氏は董卓と敵対した。
袁術は、董卓を攻撃。周氏は、同じ三公の家柄・袁氏に共感。

周氏の祖・周栄は、袁氏の祖・袁安の故吏だ。旧恩がある。

周氏は、袁術の部将・孫堅の家族を保護した。袁術への協力だ。
しかし孫堅が戦死したため、保護を打ち切る。孫策は徐州へ。

周氏の主だった人は、董卓や李傕に殺された。
周氏は、献帝のそばで弱体化。残された周氏は、故郷の揚州に逼塞。

袁術が荊州を追い出され、揚州にきた。
周氏は、再び袁術を頼る。周瑜の叔父・周尚が、袁術の丹陽太守に。
孫策が徐州から下り、再び袁術を頼る。
孫策と周瑜は、ともに袁術の一部将。同僚。ほぼ対等の立場かな。

この孫策の下に、幼き呂蒙がいる。しかし兵卒でしかない。


袁術が、君主権力の集中を図った。丹陽太守が、袁胤に代わる。

権力の集中は、狂気ではない。のちに孫権もやる。

周瑜は袁術と距離を置き、居巣長に。周瑜は人に使われたくない。
孫策を頼り、初めて臣従する。不本意だが、孫策のカリスマは異常。
周氏の立場の危うさを補うには、いまは孫策を頼るしかない。
しかし周瑜は、独立の気概を失わない。
各地を回り、独自に人材を発掘する。例えば、魯粛を迎えた。

孫権は魯粛を、高額で飼い殺す

徐州は荒れた。陶謙や曹操が荒らした。

策士・劉曄ですら、身の振り方を誤るほど、徐州は行き先が不明。

富豪の魯氏は、戦乱を生き残る手段が分からず、ジリ貧。軍事は稚拙。
たまたま訪問した周瑜と、刺し違える覚悟で、蔵を供出。
魯粛は、袁術の臣民をやめ、周瑜の食客となる。

孫策の臣ではない。


孫策が死に、孫権が立った。
孫権は、孫策よりも多くの人の支持を得たい。
鶏鳴狗盗の魯粛ですら、食客として招いた。周瑜から横取りした形。
だが魯粛は、危険な革命を唱えた。漢臣・孫権と、意見は対立。
孫権は魯粛を持て余す。
ただし度量を見せるため、周瑜より多く金品を、魯粛に与える。

周瑜は、孫権に従わない。手腕を観望してる。

臣下が栄達するには、君主が広い領土&高い官位を持っている必要がある。
なぜなら臣下は、君主から領土を割いてもらうから。君主より高位に上れないから。曹操が魏王になったときと同じ理屈ですね。
孫権は、孫策のときと領土は同じなのに、人を増やした。周瑜は孫権に仕えると、損をする。だから様子見だ。

孫権が黄祖を殺し、荊州への突破口を開いた。
周瑜は、やっと孫権に仕えるメリットを、見出した。行動再開。
ちょうど曹操が南下してきた。
周瑜は、曹操と戦わなければ、新天地に勧めない。タイミング最悪。

荊州で独立しようとした、周瑜

孫権は、曹操に降伏するつもりだ。漢臣として当然だ。
だが魯粛が勝手に、劉備と結託してしまった。
劉備は曹操の敵。よって、孫権も曹操の敵。孫権は、漢室の敵。
孫権は魯粛を斬ろうとしたが、魯粛が提案する。
「周瑜に働かせてみましょう」

周瑜は、曹操を迎撃すれば、荊州を自分のものにできる。

東晋の「西府」と同じものが作れる。桓温だ。

周瑜は曹操を破った。
劉備が荊州に残った。周瑜の荊州支配に、劉備は邪魔である。
「劉備は、孫権さんが閉じ込めてください。関羽と張飛は私が使う」
周瑜のワガママを、孫権は却下。
たまたま周瑜が死んだので、荊州の独立は実現しなかった。

劉備を傭兵として使い倒した、魯粛

周瑜は、魯粛に継がせた。周瑜は思っただろう。
「周氏は次に人材がいない。荊州を得る資格があるのは、魯粛だ。
 なぜなら赤壁の勝利は、魯粛が持ってきたものだから」
孫権なんかに荊州を接収させるより、魯粛のほうがマシである。
魯粛は、変人だ。
周瑜が心理的に対抗した、孫権を撹乱してくれるに違いない。

魯粛は、軍事が下手である。
そこで劉備を傭兵として使い、魯粛は自分の弱点を補った。

いま思いついた。魯粛は、もし孫権が漢室を倒すことにOKしなければ、荊州の国力&劉備の兵力を使って脅迫したかも知れない。「皇帝につけ」と。

だが劉備は、孫権や魯粛に使われるのが御免だと、益州に逃げた。
魯粛がつぎに傭兵として使うべきは、関羽。

魯粛は、関羽と「単刀会」して、傭兵の契約を結びなおした。
関羽は領土の割譲を話し合っているつもりだが、
魯粛は、関羽の責任感を逆手に取り、自分のために働かせたい。

だが関羽は、魯粛の手を噛んだ。関羽は人に使われる男ではない。
関羽の使い道を考えているうちに、魯粛が死んだ。

孫権による、荊州の接収

魯粛は、呂蒙を後任に推薦していない。
呂蒙を置いたのは、孫権だ。

周瑜の独立心とか、魯粛の綱渡りに、孫権はウンザリしていた。
でも赤壁の手柄は、間違いなく彼らなので、荊州に手が出せなかった。
しかし2人が死んでくれたから、あとは子飼の呂蒙を配置できる。
呂蒙は、戦略を描かず、戦術を描くだけの武将だ。
なぜ戦略を描かないか。戦略を描くのは、孫権の仕事だから。
君主からして見れば、じつに使いやすい臣下だ。

呂蒙は、孫権の怪しげな外交を遵守し、関羽を殺した。

おわりに

こんな感じで「呉書九」を読めば、周瑜、魯粛、呂蒙を、粒のそろった軍師たちだと論じることはできないと思う。彼らの内なる対立を、小説にしてみたいなあ。途中で投げ出してしまうだろうなあ。100401