構造にかんする追加考察
構造主義にヒントを得て、「190年代の構造」を考えています。
下の図の説明は、こちらのページにあります。
この絵で考えるメリット
本業?の史料から離れ、ワケの分からん図をつくっておりますが、
(史料も読んでます。史料の読解も並行して更新していく予定)
図をつくるメリットを、考えてみました。
・わかりやすく、説明できるかも知れない
・史料の矛盾や空白を埋められる
ひとつめは、わかりやすさ。
このページで、おもに言いたいのは、ふたつめです。
190年代は、すごく複雑です。紀伝体でたどるしかないから、余計に手がつけられない。なぜなら紀伝体は、ひとつの事件の記述が、あちこちに散らばるから。
ぼくが『後漢書』『三国志』を読んでいると、2つの対立する軸をめぐって、群雄たちが動いているように見える。
具体的には、漢室の永続を支持するか(聖漢 vs 革命)と、献帝の正統を支持するか(献帝 vs 空位)という構図です。
これをマトリクスにとり、人物がどこにいるかを整理したいな、と。
ふたつめは、史料の補完。
主役どころは、史料がたくさんある。曹操とか袁紹とか。
しかし脇役は、史料がすくない。脇役が、なにを考えて動いていたのか、分からない。っていうか、脇役氏が、どう動いたのかすら、よく分からないことがある。
脇役を推測するために、ぼくの絵がつかえないか。
主役の動きから、190年代の傾向がつかめる。おなじ士大夫の社会に属していた人ならば、だいたい同じワク内で、発想&行動したはずだ。パンの生地をのばすように、主役の傾向を、脇役にも当てはめたい。
注意したいのは、主役の個人的な特徴を、ひろく当てはめすぎないこと。全員が、個性のカタマリ・曹操のように考えたはずがない。
そこで、上に書いた2つの対立軸をつかい、脇役の目鼻をつけてゆきたい。構造主義の考え方を借りてます。
この手法は、史料の矛盾を、自分なりに解釈するときにも、つかえる。はず。
史料が矛盾するのは、後世の評価が分かれた、主役級の人物だ。代表が曹操。裴松之の注釈で、まったく反対のことが書いてあることがある。自分の頭のなかで、ひとつの三国志を描くならば、この矛盾に、何らかの説明をつけねばならない。片方を無視するもよし。アウフヘーベンするもよし。笑
ともあれ、矛盾と向き合うとき、根拠や方針がほしい。「恣意的に切り捨てた」「故意に曲解した」とだけ、読者に思われても、おもしろくない。そこで、ぼくは上の図をつかいます。
図で考えることの限界
図をつかうことについて、予想される反論は、すでに構造主義が受けたものと重なる。
・固定的な見かただから、時間の変化が考慮されない
・過度にワンパターン化し、個別のちがいを無視している、強引だ
・ワクに当てはめ、主体性を否定するから、冷たい感じがする
いちおう、再反論しておきます。
時間の変化について。ぼくは、後漢が崩壊してから、西晋が統一するまでを、ひとつの時代だとまとめます。
190年代も、三国鼎立もテーマはおなじ。大陸を統治する方法、皇帝のあり方、皇帝を正統化する思想について、ひとつの試行錯誤の過程だと見る。だから、ひとつの構造で、説明したい。
殷周から民国まで、この図を当てはめようというなら、たしかに時間の変化を無視した方法です。しかし「漢帝国のつぎ、どうするか」というテーマに、一貫して取り組まれた時代を「固定的」に見ることは、まだ妥当性があると考えています。
個別のちがいの無視について。
ぼくは、三国志の登場人物の個性を、否定しません。むしろ、いろんな人がいるから、おもしろい。しかし、いくら個性的な人だって、時代の制約を受けたはずで。まったく現実から超越した個性なんて、証明するほうがむずかしい。すでに先人が解決済と考えます。
制約があるなかで、個性が羽ばたくから、おもしろいのです。
主体性の否定も、おなじ文脈。
主体性が全くゼロで、人間は歯車だというのではない。どんな制約を受けているか説明し、どんな自由が留保されているか説明することで、三国志を知ることができると思います。
サッカーは、手を使えないという制約のしたで、いかにボールを回すか考えるから、おもしろいのです。
話題を変えます。図の特徴について「発見」したことをメモします。
すべての人が、左上から右下に移動する
左上は〔聖漢・献帝〕です。つまり「後漢は永続するし、現皇帝は理由なく貴い」という公式見解を、まんま信じた人です。漢族ならば、分裂時代の前夜、だれもが、このワクに所属したと思います。
右下は〔革命・空位〕です。つまり「後漢は革命で倒されるし、そもそも劉弁が殺されたときから、天下に主人はいない」という考え。
じつは三国時代という分裂状況は、右下に属します。後漢のつぎは三国時代だ。みんな、早かれ遅かれ、右下に向かっていくのです。結果論というソシリもあるでしょうが、この方向づけは、おもしろい。
左上から右下にいくルートは2つある。
さきに後漢の永続性を否定するか(たとえば董卓)。さきに献帝を否定するか(たとえば袁術)。いきなりヒステリックに、左上から右下にジャンプしない。
たどるルートによって、どんな特徴がでるか。後日考察。
もちろん、一時的な逆走もある。
董卓&献帝に歯向かっていた曹操が、いきなり献帝を担ぎ上げた。これは、逆走である。逆走が、やった本人と周囲にどんな影響を与えるのか。これも後日、考えます。
「流れるプール」で逆走すると、さながら「修行」っぽくなるしなあ。
土地、臣下、君主、戦略が属すワクが、層をなす
ぼくの絵は、群雄その人だけを、4つのワクに配置して、おわりではない。土地柄とか、臣下とか、群雄でないものも、配置できる。
土地については、たとえば涼州は、はじめから後漢の永続に懐疑的だろうなあ、とか。臣下については、魯粛みたいに、漢室に見切りをつける人が出てくる、とか。
土地-臣下-君主と、3つの階層を想定します。3つが属すワクが一致していれば、領土支配も人間関係も安定する。しかし対立したとき、それこそ「せめぎ合い」が起きる。
たとえば益州は辺境だ。益州は〔革命・空位〕の土地だと思う。だから、おなじワクの劉焉はなじんだが、諸葛亮はなじめない。とか。個別例の検討は、また後日。いまの益州の例も、じつはあやしい。笑
層のいちばん上にくるのは、君主ではないと思う。渡邉義浩氏のいうような、名士でもない。群雄としての大方針だ。グランドプランだ。勢力の存在理由だ。
曹操は「エピソード」で天下を取ったのではない。これはどこかで読んだ話。ぼくが思うに、曹操も荀彧も「個人」で天下を取ったのではない。個人から生じた「組織」とか、それがもつ「方針」で天下をねらった。
大方針は、制定直後は、君主とよくフィットする。大方針をつくるのは、たいてい君主と、いちばん仲良しの軍師である。だから、方針-君主-臣下に、齟齬はない。
しかし、思わぬ敗北をするとか、君主が加齢するとか、君主が代替わりするとかすると、大方針がズレてくる。ズレた大方針は、君主や功臣をおおいに困らせる。国是がひとり歩きして、猛威をふるう。
4つのワクのなかで、ズレる(属するワクがちがう)パターンは、3つしかない。すなわち、タテとヨコとナナメだ。
ズレがそれぞれ、どんな厄介ごとを起こすのか、特徴を見つけていきたい。おそらく、属するワクのちがう群雄が衝突したときと、おなじような反応が起こるはずだ。まだ煮つめていないので、これも後日です。
渡邉義浩氏は「君主」と「名士」をぶつけた。ぼくは、渡邉氏の云うところの「名士」を2つに分割して、より厳密に議論したい。
・名声がある、臣下をつとめる士大夫その人 =渡邉氏の「名士」
・ひとり歩きした大方針 =「名士」の発明品
この2つに分割して齟齬を論じることで、「名士」論にどのように関わるのか、ぼく自身、よく分からない。(まだやってないから)
「名士」という階層の存在感が、より強まるかも知れない。
そうでなく、じつは強かったのは「名士」階層ではなく、組織をしばる方針なのかも知れない。これに気づけるかも。きっと、すでに施行された方針は、一流の「名士」にすら、制御することができない。
なぜか。
もし方針を否定したら、君臣の対立どころか、組織そのものが空中分解する。せめぎ合う場がなくなったら、いかに「名士」さまでも、どうしようもない。
「曹操&荀彧 vs 荀彧のつくった方針」なんて、どうでしょう。笑
今日の思いつきは、ここまでです。100910