02) 類型はほどほどに粗雑で
升味準之輔『なぜ歴史が書けるか』千倉書房2008
読みました。
3000円で320ページだが、要点は少ない。抜粋します。
3章 ドラマ、主体と状況
トインビーはいう。
「原因-結果でなく、挑戦-応答の構図でとらえよう」
無生物を分析する科学みたいに、規則性を探しても仕方ない。出来事の個性を、理解しましょうと。
偶然と必然の区別は、歴史家の思うがままだ。
偶然の積みかさねは、あとから振り返ると、必然と見なされる。原因が分からない結果は、あとから偶然と見なされる。追求して原因が分かれば、因果の説明に組みこまれる。
歴史家がつくった因果の説明から漏れたら、偶然と見なされ、さらに放置される。放置された雑音が、じつは影響力が大きいとき、歴史家は「偶然だ!」とさわぐ。英雄の出現が、この最たるものだ。
升味氏は「敗者の怨恨が生きかえる可能性」をいう。
「潰れた可能性(=敗者)の研究がきわめて重要であるのは、その可能性がなぜあったかばかりでなく、他の可能性(=勝者)がなぜ現実化したかを説明するからである」と。
=敗者、=勝者というカッコ書きは、ぼくが挿入しました。
4章 伝記研究_119
歴史の最小単位は、個人の伝記だ。
デュルタイはいう。
「個人が、環境に規定される。個人が、環境に働きかける。その作用のつながりを、理解することだ。これが歴史家の仕事である」
5章_全体と部分、物語
トインビーはいう。
「神話は虚構だが、現実をより的確に表現する」
歴史には、神話的な構想力だって、不可欠だ。
プラトンは『神話』を書いた。
人間の直観と理解には、限界がある。論理的な思考作用にも、限界がある。この限界をこえるため、プラトンは意図的に神話をつかった。
トインビーは、さらにいう。
「神話とは、精密な測量図ではなくて、イラストマップだ。地形の特徴を単純化して、強調する。重要だと思ったら、目印をうつ」
歴史家は全体を直観し、神話を語るように構成する。
7章 比較研究とメタヒストリー_269
比較は、作戦をたてたり、利害を判断する根拠になる。
歴史でも、類似&相違したことに関心をもつ。新しい知見が得られるなら、何と何を比べてもいい。歴史家の自由である。
トインビーは、ヘレニック文明を、西洋文明や中国文明とくらべた。超マクロな法則を発見した。
せっかくの比較からみちびかれた、超マクロな法則は、あまりにも大きくまとめ過ぎたみたいだ。笑
8章 歴史と社会科学_289
19世紀に、自然科学が発達した。歴史研究は、自然科学に刺激をうけて、独自の対象と方法を見つけた。自然科学とちがい、内面や個性や意味を研究した。再現しないことを研究した。
鉄球は物理法則にしたがうが、紙ふぶきは空気抵抗で、よく分からない動きをする。歴史は、紙ふぶきと同じである。
ところで「複雑系」で歴史を理解する!とか、どうかなあ。笑
19世紀以来の歴史に対し、出来事を定量的にみようとしたのが、社会学だ。デュルケイムは、出来事を反復させる「集合意識」を想定する。出来事をモノとして扱い、自然科学の分析手法を借りてきた。
レヴィンは、社会学を科学にするため、「べつの場所でも同じ結果」「人が入れ替わっても同じ結果」が出ることを主張した。毛沢東がアメリカの大統領であれば、ニクソンのように行動するだろうと。
ラッセルはいう。
「定量的にはかるために、類型は、ほどほどに粗雑でなければダメだ。細かく分類すると、すべての出来事が1回きりになる」
むすび_308
歴史家は、なぜ歴史が書けるか。
なぜか歴史が書ける。これが著者の30年越しの結論である。
読後の感想
持論を固定することの、大切さを教えてくれた本。
小難しいことを考えず「歴史とは」という問題に、一定の答えを出してしまう。単純でもいい。反論が予想されてもいい。開き直ってしまう。そうすることで、楽しく歴史を書くことができる。
これを感じました。
ぼくは、もう少し、悩もうと思います。100915