091年、袁安が、北匈奴への介入に反対
『資治通鑑』を翻訳します。
内容はほぼ網羅しますが、平易な日本語に置き換えます。
091年春、北匈奴の滅亡
春,正月,甲子,帝用曹褒新禮,加元服;擢褒監羽林左騎。
竇憲以北匈奴微弱,欲遂滅之,二月,遣左校尉耿夔、司馬任尚出居延塞,圍北單 於於金微山,大破之,獲其母閼氏、名王以下五千餘級,北單于逃走,不知所在,出塞 五千餘里而還,自漢出師所未嘗至也。封夔為粟邑侯。
091年春正月甲子、和帝は,曹褒の新禮を用いて、元服した。和帝は曹褒を、監羽林左騎とした。
『百官志』はいう。羽林左監とは、秩は600石だ。羽林左騎をつかさどる。光禄勲に属す。
竇憲は、北匈奴が微弱だから、滅ぼしたい。091年2月、左校尉の耿夔と、司馬の任尚は、北匈奴を金微山で大破した。北単于の母・閼氏を捕えた。名王より以下5千餘級を斬った。北單于は、逃走して、行方しれず。長城から5千餘里ゆき、もどった。漢室の出師では、最長の遠征である。耿夔を粟邑侯とした。
091年春、竇憲を批判するリーダーは、袁安
竇憲は、大功を立て、威名は盛んだ。耿夔と任尚らは、竇憲の爪牙だ。鄧疊と郭璜は、竇憲の心腹だ。班固と傅毅らは、竇憲のために文章をつづる。刺史、守、令は、竇憲の家門から出た。みな競って、竇憲にワイロした。
司徒の袁安と、司空の任隗は、竇憲にワイロした、太守らの罪を追及した。貶秩や免官された人は、40餘人だ。竇氏は、袁安と任隗を、大恨した。だが、袁安と任隗は、行いが高く、ケチをつけられない。
袁 安以天子幼弱,外戚擅權,每朝會進見及與公卿言國家事,未嘗不喑嗚流涕;自天子及 大臣,皆恃賴之。
尚書僕射の樂恢は、竇憲をきつく批判したから、竇憲に疾まれた。樂恢は、上疏した。「竇憲の4兄弟が、天下を私物化した。竇太后は、竇氏を優遇しすぎるな」と。竇太后は、樂恢の上疏を見ず。樂恢は、退職して長陵(京兆)に帰る。竇憲が州郡に吹きこんだので、樂恢は服毒して死んだ。朝臣は震懾し、もう竇憲に逆らわず。
天子(和帝)が幼弱で、外戚が擅權する。袁安は、朝會のたび、公卿と國家のことを話した。外戚が擅權するから、いつも袁安は、喑嗚して流涕した。天子から大臣まで、みな袁安を恃賴した。
ぼくは思う。袁安だけが、竇憲と対決できるホープだ。袁安伝を読んだとき、対決姿勢が強調されてたが、袁安への期待がどれほどか、分からなかった。だって袁安伝は、袁安が主役だから。でも『資治通鑑』を読んだおかげで、袁安の重要性が分かった。竇憲と戦うための、リーダーである。筆頭である。
091年冬、班超が西域都護、後漢の領土最大
091年冬10月癸未、和帝は長安にゆく。蕭何と曹参の近親を探し、封邑を嗣がせたい。竇憲は、和帝とともに長安にきた。竇憲がつくと、尚書より以下は、竇憲に拜して、伏して万歳した。尚書の韓稜は、正色して言った。「臣下の竇憲に対して、万歳するという礼のルールはない」と。みな万歳をやめた。尚書左丞の王龍は、竇憲に牛酒をさしあげた。韓稜は、王龍をあげて、論じて城旦をなした。
【追記】T_S氏はいう。「城旦」とは、刑罰(徒刑)の一種です。「尚書左丞王龍私奏記、上牛酒於憲,稜舉奏龍,論為城旦」は、「王龍が憲に私的に文書をたてまつったり牛酒を贈ったりしたことを、稜が劾奏したので、龍は「城旦」の刑になった」という意味です。 (引用おわり)ありがとうございました。
龜茲、姑墨、溫宿の諸國は、みな後漢に降った。
091年12月、ふたたび西域都護と、西域騎都尉、戊己校尉の官位をおく。班超を西域都護に、徐幹を長史とした。
龜茲らのうち、後漢に二心がある国を、班超はすべて平定した。12月庚辰、和帝は長安から洛陽にもどる。
091年、袁安曰く、北匈奴に中郎将は要らない
北単于が消えたので、弟が単于となる。竇憲は、北匈奴に中郎將領護をおき、南単于と同じく治めたい。公卿は話し合った。宋由らは、竇憲に賛成だ。
袁安と任隗は、上奏した。「光武帝が南単于のために、中郎將を置いたのは、北単于とぶつけるためだ。いま北方が定まったから、南単于を北方にもどすべき。今回新たに、北単于のために中郎將を置き、国費をつかうな」と。結論がでない。
詔下其議,安又與憲更相難折。憲險急負 執,言辭驕訐,至詆毀安,稱光武誅韓歆、戴涉故事,安終不移;然上竟從憲策。
袁安は、竇憲の意見がとおり、北単于に中郎将が置かれることを懼れた。ひとり袁安は、上封した。「北単于を立て、北匈奴中郎将を置くな」と。
外戚の竇憲は、ともかく後漢の領土を広げて、功績を手に入れたい。袁安は、後漢の国力、身の丈にあった領土にせよという。後世を知っている人からすれば、袁安のほうが正しい。竇憲は、野心に目がくらんでる。そう見える。
だが091年時点では、後漢が建国されて、膨張している最中だ。「袁安は、竇憲に嫉妬して、竇憲をジャマしているだけだ」と言えなくもない。
ともあれ、国費の保全を主張して、袁氏は名声を勝ちとる。もし後漢が滅びたら、かわりに漢族を守るのは、袁氏だよなあ、という方向になる。たとえば、後漢末の人は、異民族への膨張政策が、うまくいかないことを知っている。後漢末の人なら、袁安の正しさを、身をもって痛感するだろう。目の前にいる袁氏(袁紹や袁術)を、悪くは思わない。
袁安と竇憲は、互いに折れない。竇憲は焦って、言辭は驕訐となる。竇憲は、袁安を詆毀した。光武帝が、韓歆と戴涉を殺した故事を、竇憲は持ち出した。
袁安は、意見をかえず。ついに竇憲の策が、採用された。101225