表紙 > 読書録 > 渡邉義浩『三国政権の構造と「名士」』を再読する

02) 釣りバカで理解する、先行研究

渡邉先生の『三国政権の構造と「名士」』の、序章と1章を再読。
前回は、問題の立て方について考えたら、1ページしか進まなかった。

日本における貴族制研究の展開_006

中村圭爾は、封建制とした。貴族が地主であり、国家も地主であると。魏晋南北朝時代が、古代から中世かという議論をした。

井上章一『日本に古代はあったのか』角川選書2011が、東京と京都の対立をジクにして、ザックリ解説してた。


郷里社会か皇帝か_007

内藤湖南は、貴族の二面性をいう。1つ、貴族を地方の名望家とする。郷里社会の郡望がある。2つ、貴族を天子を階級として共有する、支配層である。

先行研究を『釣りバカ日誌』に例えて理解する。以下『釣りバカ』という。建設会社の平社員だが、釣りのうまい浜崎。浜崎の会社の社長だが、釣りの下手な鈴木。この設定以外は、例えに使わない。(ぼくが知らない)
貴族の二面性は、釣りを趣味にする会社員、と捉えることができる。郷里社会の郡望とは、趣味社会の「彼はうまいよ」という評判。天子をいただく官僚は、社長をいただく会社員としての身分。ほら、二面性がある。

貴族の二面性は、九品官人法でつながる。
宮崎市定はいう。三国から唐代は、封建制が出現すべき社会だが、君主権がつよいので、貴族制という特殊な形態をたもった。九品官人法は、純官僚的な精神をもち、個人の才能にふさわしい官位につける目的があった。だが個人だけでなく、個人の背後にある、宗族親戚を合わせて評価させられた。

九品官人法は、建設会社の人事ルールである。もとは、仕事の能力がたかい人間を採用し、昇進させるルールだった。だが仕事の能力だけでなく、趣味社会の人脈や評判が、採用や昇進ルールに混ざりこんだ。
『釣りバカ』の建設会社は、釣りの能力にもとづき、昇進をさせない。九品官人法が出てきた時点で『釣りバカ』の話筋から乖離するけど、理解の助けにはなるはず。
っていうか、もし会社で、趣味にもとづく人事考課が行われたら、違和感がある。趣味がいやしいのでなく、「仕事と関係ないじゃん」という不満である。釣りをしないが、仕事ができる人は、腐るだろう。
この「おかしさ」を、九品官人法も含んでいることが、ぎゃくに浮かび上がる。
予想される反論は、「釣りは建設会社に関係ないが、郡望は皇帝政治に関係がある。この比喩は破綻している」だ。ぼくは再反論する。この比喩で、適切なのだ。だって『釣りバカ』の建設会社は、社長が釣り好きで、釣りのために道理をまげる話がある。 社長の鈴木が、釣りの師匠である浜崎を、妙に重んじる。つまり『釣りバカ』の建設会社では、釣りが仕事と無関係でない。

宮崎はいう。強大な皇帝権力が残り、封建制度を成立させなかった。西欧中世の封建領主のように、郷里社会を領土として「所有」できなかったのが、中国中世の貴族である。

会社のもつ、生活への影響が大きかった。「趣味だけで食っていく」という生活には移行しなかった。会社を辞められなかった。

なぜ郷里社会の領主でない貴族が、皇帝からの自律性をもちつつ、郷品を官品として、国家の官制に反映したか。

なぜ趣味だけでは食えない社員が(その立場は弱さに関わらず)、会社からの自律性を保ち、趣味の優劣なんかを会社の人事考課に反映させることができたか。


矢野主税は、中国貴族が、皇帝からの俸給に依存するという。歴代官僚の家は史料で「貧」である。後漢の官僚も、魏晋の官僚も、中央に寄生する。後漢と魏晋は、官僚の顔ぶれが変わるが、皇帝に寄生するという性格はおなじだ。貴族は、社会的・経済的に自立しない。

釣りが趣味の連中は、会社からの給与に依存する。釣り道具を買うためには、会社からの給与が必要である。浜崎はいつも「コヅカイがほしい」と言うではないかと。
(『釣りバカ』で浜崎が金欠を訴えるのか、ぼくは知らん)
浜崎は、釣りで食っていくだけの経済力がない。だから会社を辞められない。

渡邉先生は、「貧」が実際の経済力を表さないという。矢野説のように、貴族の皇帝に対する自律性を捨てたのは、正しくないと。

浜崎が「コヅカイがない」というのは、半ば本当だが、半ばポーズであると。ぼくが知っている範囲でも、既婚者の男性は「コヅカイがない」という。実際には、妻が財布を握っているのだ。マジで困窮しているわけでない。
矢野説だと、浜崎は鈴木社長の奴隷となる。だが浜崎は、釣りの場面において、鈴木社長にへつらわない。 「浜崎は会社に食わせてもらうだけの男だ」は、言い過ぎである。一面的な理解でしかない。休日、楽しそうに釣っているではないか。


谷川道雄は、宮崎説についていう。貴族の地位は、本源的には郷党社会における地位・権威にもとづく。皇帝権力は、事後的に承認しているだけだ。貴族はひとりで郷党社会の支配層である。ただし貴族が、官僚的な性格を帯びるのかという問題がある。

谷川説で理解すると、浜崎の生き様は、本源的には、釣りである。会社生活は、釣りの楽しさを事後的に支えているだけだ。浜崎は、会社があろうがなかろうが、釣りがアイデンティティである。ただし浜崎が、会社員としての従順さを持ち合わせるか、という問題がある、、って感じかな。
ぼくは思う。純粋な釣りマシーンだったら、出社そのものを辞めるだろう。浜崎は、出社拒否まではせず、職場で遊んでいる。(たしかそんな話だった)
ただし会社員は、転職できるし、転職しても趣味を変える必要はない。これは南朝貴族が、東晋、宋斉梁陳の革命に対応したことに似ている。また、定年後も趣味を続けるだろうから、趣味の性格が、仕事にのみ根拠づけられてるとは言えない。
(ただし会社勤めの遺産=年金をもらうことは必要である)
ぼくは思う。よくサラリーマンが、仕事と同じくらい(もしくは仕事以上に)熱中する趣味をもつと、言われることがある。「趣味の道で食っていけばいい」と。だが大抵の場合、会社をやめない。中国中世の貴族だって、皇帝の官僚であることを辞めなかったではないか。2つの顔を持つことも、悪くない。どちらか1つ、に限らなくてよい。
「貴族は、領主か官僚か」と、性質を1つに収斂させるような問題の立て方をするのは、学者の傾向かも知れない。理由は2つ。1つ、「本質は1つであるべき」という学問の厳密さによる。2つ、「興味関心のあることを、仕事に選んだ」という、学者自身の人生の選択による。もしくは、そういう絞り込みの人生の選択をするような性格による。2つめは邪推でした、すみません。
ぼくは会社員をしつつ『三国志』を勉強するから、1つに収斂させる必要性を感じない。むしろ「どうして領主と官僚という2つの性質が両立するか」という、並立の仕組みそのものに興味がむかう。「2つの性格が、いかに関係しあったか」という問題を立てたくなる。


貴族の基盤は郷里社会だが、貴族は郷里を「所有」する領主でない。この課題を解決するため、川勝義雄と谷川道雄は、分析視角「共同体」を措定した。

浜崎は釣りが生き甲斐だが、釣りだけで食っていない。こういう単純でない性質を、渡邉先生は「課題」と書く。渡邉先生ご自身の言葉じゃなく、先行研究の言葉づかいなのでしょうが。これを「課題」と捉えるのが、ぼくにとって自明でない。上述。

「共同体」の内的発展により、中国史を理解しようとした。
川勝はいう。豪族の領主化がすすみ、郷邑の秩序が崩壊した。崩壊を阻止して、郷論(民の輿論)にもとづいて共同体の関係を維持し、再建する動きがおきた。矛盾のなかから、郷論が積みあがったと。

漁業の商業化がすすみ、魚の乱獲がひどくなった。釣りの趣味が、存続できないほどだ。そこで趣味サークルをつくり、乱獲を阻止するようになった。釣りを趣味としない人(中国中世における「民」をぼくはあてる)にも支えられ、趣味サークルは存続したと。漁業関係者(豪族)に対抗して、マスコミや地元の人(民)を味方にして、釣りの趣味サークル(貴族)は、釣り場を守りぬいたと。

渡邉先生は「共同体」を批判する。貴族は、所有に根源的な存立基盤をもとめない(輿論が存立基盤だ)が、所有とは矛盾しない(所有を、本来の存立基盤とする)認識がのこっていた。「所有」の論理に縛られていた。

渡邉先生にもとづき、共同体を批判すると。
川勝・谷川両氏の議論だと、趣味人は、趣味で生計をたてることに、存立基盤をもとめない(だから趣味なのだ)。それよりも、マスコミや地元の人に応援されることを、存立基盤とした。釣りをしない人たちから、「楽しそうで良いですね、これからも続けて下さいね」と言われ、差し入れをもらうことが、趣味人の存立基盤だとした。
だが上で趣味人たちが、釣り場の破壊に抵抗したように、魚を捕ることには執着した。趣味だけで生計をたてるつもりはない(漁業でない)が、釣った魚を晩飯の足しにすることには、執着した。「所有」から自由でなかったと。
ぼくは思う。渡邉先生の「共同体」批判は、「名士」を先取ってしまったほうが、わかりやすい。ぼくの比喩で、捉えてみる。
「名士」は、いかなる趣味人か。マスコミや地元(民)からの支持には、拠って立たない(程昱は民をあざむいた)。代わりに、釣りをやる仲間うちでの承認を、ほぼ唯一の目標として行動する。究極的には、釣り場と釣り道具を放棄しても、仲間うちから「あいつは釣りがうまい」という評判を得ていれば、それでよい。釣った魚を食べたり売ったりすることに、執着しない。極端にいえば、仲間に腕前を認められていれば、二度と釣り竿を持たなくてもよいと。
渡邉先生はこういう発想だから、郷邑の維持につとめる「共同体」は、なお「所有」に縛られていると、指摘したのかな。
ところでぼくは、どんな事情があれ、釣り場を放棄する趣味人を想定できない。つまり、魯粛が戦略的にクラを贈与し、戦略的に郷里を去ったという話が、感覚的に納得できない。そんなムチャな、と思う。後述。


谷川1966の総括が、日本の中国貴族制研究に影響をあたえた。皇帝権力か、郷里社会か、存立基盤をどちらかに定めようとする総括である。

建設会社か、釣りの趣味か。本質を、どちらか1つに絞ろうという問題の立て方。

「世界史の基本法則」から離脱して、中国の独自性を求めた結果である。一方では、西欧にない、皇帝の専制君主制に着目した。一方では、西洋にある「所有」領主制との対峙から、郷論「民の望」にもとづく「豪族共同体」論をつくった。

「世界史の基本法則」で研究する人は、「基本法則」を疑わない(だから「基本法則」というのだ)。ゆえに、
基本法則にまったく合致しなければ、「この地域は、見るべき歴史がない」となる。マルクス史観の研究者が、そう言ってたのでない。基本法則という概念の設定からして、言外にそういう主張をふくむだろうなーと、ぼくが思うだけ。
基本法則のなかで、ある時代(史料群)が定義を満たさなければ、「まだ前の段階だ」と認定される。一方向に、一径路で発展するというのが基本法則の内容だから、部分的は不合致があれば、それは「差異」でなく、「遅れ」と認識される。同じことを再び言うけれど、「基本法則」は揺らがないのだから。マルクス史観の研究者は、中国の歴史が「遅れていない」と言うために、善意で、「所有」にもとづく領主の貴族制を見出してきたんじゃないかな。
「基本法則」の是非を論じるのでなく、「基本法則」に基づいて歴史研究する範囲では、あの難しすぎる議論は、まったく意味があった。
いま、
「基本法則」というビッグ・ピクチャーを破棄するのだから、矢野氏にも、谷川氏にも、渡邉先生にも、代わりのものを提示する義務がでてくる。「寄生官僚」「共同体」「名士」の議論は、いわゆる「史料にもとづいて実証する」という歴史学から、一次元高いレベルの戦いなのだ。そのあたりを心して見なくては。
(史料を無視して議論してよい、という意味ではない)
「基本法則」が流行した理由は、それが、全世界の史料の「実証的な研究」から生まれたからでない(マルクスは日本史など知らん)。当時の研究者たちを引きつける何かがあったからだ。では当時の研究者は、なぜ「基本法則」に引きつけられたか。いかなる偉大な研究者も、初めは20代の「初学者」だった。彼らがなぜ「基本法則」を選んだか。論理的に妥当な根拠があったとは思えない。「先験的に知覚して、選択した」のだろう。平たく言うと「なんとなく、使った」である。
研究者たちを「なんとなく」巻きこむ引力を、「名士」論が持っているのかなあ。渡邉先生は明確に定義して、史料用語との違いを記している。だが使用する側は「名声ある士人」くらいの一般名詞だと思って、勝手にカッコをはずして使用している。使いやすい言葉だしなあ。
ビッグ・ピクチャーは、個別の実証の総和でなく、そういう引力によって、強さが決まるのだと思います。これによる「名士」論の誤用は後述。

渡邉先生はいう。谷川「共同体」論がいう、皇帝権力や郷里社会でなく、貴族そのものの内側に、貴族の本質を求めていく必要がある。

「名士」論の内容でなく、問題の立て方に関する疑問。
なにかを分析するとき、そのものの内側から分析するのと、外側から分析するのでは、どちらが有効か。ぼくが読む本では、後者を強調するものが多い気がする。
(「名士」論は、内側を見よという)
下世話な例にすると。AKBの本質は、彼女らの実力にあるのか、彼女らの人気にあるのか。ビジネスモデルがロコツ過ぎるせいで、後者のほうが重いと考える人が多いのではないか。少なくともぼくは、そう思う。
(後年この部分を読み返したら、AKB??ああ!と思い出すのだろう)
むかし読んだ人間関係の本が言ってた。「あの人、苦手だなあ、逆らえないし」と思っていたとき、じつは「あの人に」に権力を付与しているのは、自分自身だと。あの人自身に、誰もを振り向かすオーラがあるのでない。ことがおおい。
不朽の論題が「貨幣」論だ。1万円札の原価は数十円なのに、みんなが1万円の価値があるというから、あの紙キレに、1万円の価値がある。1万円札の内側に価値がなく、外側に価値がある。云々。
実在で捉えるか、関係で捉えるか。「寄生官僚」「共同体」と、「名士」との戦いは、20世紀の思想史の代理戦争なのかも知れない。
『釣りバカ』の比喩でまとめ。
浜崎の特徴は、「基本法則」のいうように、どれだけ物理的に魚を釣れるかでない。「寄生官僚」のいうように、会社員としての地位や勤務態度でない。「共同体」のいうように、釣り場のある地域の住民からの支援でない。「名士」のいうように、釣り仲間の内々からの承認であると。浜崎の特技は釣りなのだから、釣りをやる仲間の目利きに基づいて、浜崎を把握すべきだ。


貴族の自律性_010

貴族がもつ皇帝権力からの自律性は、岡崎文夫がいう。南朝には、士族と庶民がいる。士族は、政治・軍事・経済の主役になる。士族のあいだに統制があり、一階級たらしめる。相互に階級意識がある。

社会には、釣りをする人と、しない人がいる。釣りをする人は、同好サークルを形成して、1集団となる。釣りをする人の中にも、うまい下手により、階級意識がある。

森三樹三郎はいう。貴族は、経済的基盤を拠りどころにして、朝廷と対立しない。朝廷が与えた秩序のなかで、心ゆくばかりの文化生活をする。官僚貴族、教養貴族である。

釣り人は、釣りの腕前や、釣果を売ったお金を武器に、会社で偉ぶらない。出社すれば、会社が与えた秩序に逆らわない。だが休日は、心ゆくばかりの文化生活をする。会社員であり、趣味人でもある。

さらに森はいう。ただし六朝貴族は、世襲をつよめたのが特徴。貴族の身分を支えたのは、国家の官職でなく、家柄や教養などの私的な秩序。

釣り人は、父に釣りを教わり、子供に釣りを教える。会社で偉かろうが、偉くなかろうが、関係ない。家庭で、出世の教育などしない。しかし、釣りは仕込む!
なお『釣りバカ』で浜崎は、父親でなく上司から、釣りを教わったらしい。子供は釣りが好きでないらしい。浜崎の釣りは一代限りだが、この比喩は使い続ける。


越智重明は「共同体」論と異なる、貴族制を論じる。

こちら:越智重明『魏晋南朝の貴族制』序言+漢+曹氏政権
いま思い出したが、『釣りバカ』の社長役は「三國」連太郎だなあ!

貴族制とは、士人層がもつ礼を中核とする、郷論の自律性を認める。郷論との一体性をもつことを、政治社会の体制にとりこむ。郡中正は、おもに、官僚たる資格(個人の人才)をみた。州大中正は、郷論に示される徳が、官僚たる資格と表裏一体でおもんじられた。

もともと釣り人には、釣りの腕前を中核とする、仲間内での評判、地域での評判があった。この評判を、政治社会にとりこむことになった。
郡中正(曹丕と陳羣)の段階では、「会社は仕事をするところ」という常識的な判断が優先した。だから、仕事の能力をみて、採用活動・人事考課をした。ただし、釣りがうまいほうが、入社後に溶けこみやすく、出世しやすかった。
州大中正(司馬懿)の段階では、ついに釣り仲間の評判を、採用基準にもりこんだ。釣りだけでは入社できないが、釣りがないと入社できなくなった。

郡中正のとき、天子と郷論に一体性はない。州大中正になって初めて(司馬懿の執政から晋代)は、天子と郷論に一体性があらわれた。

司馬懿は人事担当役員になると、採用条件に釣りをくわえた。なぜか。みずから司馬懿が釣り名人であり、釣りの弟子たちを会社に送りこみたかった。また司馬懿が見るに、2人の子も、釣りがうまい。さらに孫まで、釣りがうまい。釣りを人事考課の要件にしておくのは、自分の家にとって有利だなー!と思った。
ついに司馬炎の代で、社長まで出世した。社長のもと、仕事と趣味が一体化した。だが本来、建設会社であって、釣り会社ではないのに、みんな仕事中に釣りばかりしている。釣りのケンカがこうじて(八王の乱)、建設会社がつぶれた(永嘉の乱)。建設会社なら、建設しろ。西晋は王朝なら、ちゃんと政治や軍事をやれ。という末路。
建設は複数人でやるもの。1人では、ビルを建てられない。だが釣りは、1人でできる。釣りによる秩序なんて、もとから分裂しやすさをインストールされている。

越智は西晋に貴族制をみた。

貴族制と文化_012

内藤湖南、吉川忠夫が、文化、知識、道徳をいう。
貴族制の自律性と文化につき、中村圭爾はいう。現実的・経済的な条件よりも、文化的な要因による優越性をおもんじる。文化によって社会内部に秩序を築こうとする、虚偽的意識にみちびかれ、貴族制がうまれた。
在地社会から、文化的に優位な家族がでて、社会の支持を受けて拡大した。排他的な集団をつくった。旧呉の出身者は排除された。

会社の給与でなく、釣果の分量でもない。いかに優雅に釣るか、いかに釣りの知識を語るか。そこに価値が見出された。
ぼくは思う。中村氏は文化を「虚偽」といい、渡邉先生は「虚偽」と言うなという。中村氏が「所有」を本質とする西欧型の歴史 に縛られているから、文化を「虚偽」なんて言っちゃうんだと。
これって、歴史意識の問題だけじゃないと思う。「現実的・経済的」なものを、否定するわけじゃないが、それだけを重視しない。むしろモノやカネを手放してでも、文化的であることを肯定する。「現実的・経済的」に縛られたぼくのような読者は、自分の価値観を投影して「名士」論を読めば、誤ることになる。
後漢末「名士」が「貧」を褒めたとか、そういう史料の中だけの話でない。アクセス可能な、現代の研究者としての渡邉先生が、「現実的・経済的」よりも、「文化的諸価値」を重んじて史料を読んだらどうかと、おっしゃっている。自分の価値観をカッコに入れて、史料にあたらないとなあ。さもなくば「魯粛の自滅的な移住は、意味不明。なにかメリットがあったはずだが、史料に記されてないだけ」という読みしかできない。


中国貴族が「兼通」した諸文化_015

後漢の官学は、何休の注釈した『公羊伝』。この儒教を学んでも、皇帝権力への自律性は生まれない。
史学は、帝王の記録だった。後漢が崩壊すると、自律的な秩序をいう「状」が記され、史料批判ができるようになった。

ぼくは思う。皇帝権力からの自律性が、こまかに強調されているのを読むと、「ライフ・ワークバランス」という術語を思い出す。一時の流行語、すでに定着した?
「モーレツ社員」「企業戦士」「働き蜂」が前提にあり、これに対置する言葉だろうか。リアルタイムで知らんけど。背景には、「仕事をすることは悪だ」「仕事をすると文化性が損なわれる」という前提がある気がする。労働を罪悪と捉える。もとはそういう意味ではなかった(もっと高尚だった)かも知れないが、末端の庶民まで行き渡るプロセスで、こういうウラの意味を帯びたと思う。ぼくの経験的な感覚だけど。
皇帝権力や仕事は、そんなに悪なのかなー。釣り人は、会社から自律したくて、釣りをやっているんだろうか。もとから釣り好きなら、違うだろう。釣り自体が目的である。
いっぽうで、べつに釣りが好きでもないが、「課せられた趣味」として釣りをしている人に、渡邉先生の語り口にでてくる「自律性」を見出すことができる気がする。
どういうことか。
「ワーク・ライフバランス」という術語は、自分で発想するのが面倒な会社員にとっては、ぎゃくに負担である。ワークは天から降ってくるから良い。ライフは、自分で企画せねばならん。こりゃ面倒だよ。ライフの充実を強迫された人は、ムリにでも趣味を見つけるべきだと考え、右へならえで趣味を自分に課す。楽しくない。
趣味すら、天から降ってきてほしい、というのが本心だろう。ただし「会社」「仕事」「命令」は悪だと教え込まれた悲しさから、「趣味を命じてくれ」とは言えない。ダブルバインドである。釣りは続かない。そして休日や定年後は、無為にテレビを見続けてボケる。
話がそれた。
渡邉先生が、会社員も趣味を持て、と言っているのでない。ただし渡邉先生が貴族の自律性を語るとき、その口ぶりが、ワーク・ライフバランスの論者に似ていると感じた。この連想は、「名士」論を矮小化するし、下手すると全くの別物にする。
だが、貴族制と聞いた瞬間に、「それは難しすぎる」とフリーズする思考を、ほぐして温めて、動かす効果があると思う。ワーク・ライフバランスで感じていることを、「名士」に投影して発想できる。
ぼくが思うに、会社員はそれほど仕事を悪んでいない。目の前の会社を悪んでいる局面は(多々)あるが、仕事そのものを否定しない。仕事があるから趣味が楽しく、趣味があるから仕事もやれる。「どちらが本質か」という問題の立て方でなく、仕事と趣味の関係性に着目したほうが、自分を語れるような気がする。
(あくまで「気がする」である。)
「貴族の第一の特徴は文化。皇帝や郷論は二次的なもの」という視点は、「会社員の本質は趣味。会社や地域は二次的なもの」に似ている。確かにそういう人はいるが、不安定である。このアンバランスを、時代に普遍的なものと言うのは、難しい気がする。そんなに君主から自律したければ、とっくに皇帝制をやめているよ。とくに南朝の皇帝は、ときに、すごく弱そうだし。
荀彧に顕著なように、「皇帝とのせめぎあい」が代表的な姿だとしたら、なんてストレスフルで、不幸な人たちなんだ、貴族は。そういう貴族像の描きかたで、ほんとうに合っているのだろうか。
「あー、会社がイヤ。土日に釣るときだけが幸せ。日曜の夜に、自殺したくなる」という会社員が、世間の過半なのか。そんな社会の捉え方、ちょっとイヤ、、宦官や外戚との闘争から州大中正まで、100年以上なんて。『釣りバカ』の浜崎は、会社でそれなりに楽しくやってたはず。仕事ができるかは別として。


『南斉書』で「誡子書」は、貴族の存立基盤=文化にもどろうという。顔之推『顔子家訓』もおなじ主張をする。

疑問が1つ。南朝は、北朝との戦いで危機を味わった。文化が失われていくという危機感から、文化が強調された。この危機感を、どこまで過去に遡らせることができるか。
たとえば昨年、発電能力の不足がいわれ、電気の重要性が認識された。「現代は電気が基礎となった社会である」と、ここまでは言える。だが、「エネルギーの有効活用が図られた点で、江戸時代も電気が基礎となった社会である。たとえば平賀源内がエレキテルを用いたように」とは、言えない。電気の例は、あまりに明確な誤りだが、同じ飛躍が起きていないか。
オタマジャクシの幼生に、人間の胎児を見ていないか。


貴族の根底「儒」と皇帝の文化愛好_023

「儒」のみの専門家を卑しんだ。西晋の九品官人制度の「状」では、「儒」以外がならぶ。だが儒を身につけないと、追放される。加賀栄治はいう。魏晋に儒学は身体化された。

「史料にないのは、身体化されたから」は、論理的に整合するが、史料だけで証明できない。史料にあることしか根拠にならないから。『三国志』に自動車が出てないのは、自動車の存在が当然とされたからだ、など、何とでも言えるから。今回の件は、喪服礼について記述があり、さすがに自動車の詭弁はあてはまらないけど。
また、「当たり前だから言わない」は、世代を経ると「言わないから存在しない」に化けやすい。ちょっと保留。
以下、脱線する。
よく「儒教文化を理解していない現代日本人は、三国志を理解できない」という言説がある。だが儒教文化につき、その振る舞いを網羅的に記述されても、よく分からない。それよりも、自分との差異を記述することで、だいたい分かった気になれる。世間にある「儒教とは」という本は、2つの視点を合わせるのだろうなあ。
史料を読み、「身体化」された儒教を探すには、前者の「網羅的な記述をする」という方法をとりにくい。後者の方法で、「自分ならこんなことは言わない、やらない」と思ったところをカギに、読み解いていくしかないのだろう。脱線おわり。

皇帝は、文化の収斂をこころみた。曹魏の『正始石経』、張魯の受け入れ、『皇覧』など。南朝梁の武帝、隋唐は、さらに収斂した。

皇帝は、貴族の存立基盤を「うばう」ために、文化活動をした。渡邉先生は直接「うばう」と書いてないが、「収斂」とは、そういうことだと思う。
むずかしい。
たとえば『釣りバカ』で、建設会社の社長(鈴木)は、釣りをやる。これは、社長自身も釣りを「愛好」したから。社員の趣味を、会社として管理するためでなかろう。もし社長が、「会社主催の釣り大会」を開いたら、これが南朝梁の武帝の編纂事業と同じである。ここに、社長と社員の対立として読むべきか?
納得ができないなあ。


おわりに_027

貴族の存立基盤を「文化」におく仮説。西洋の「所有」から切り離し、中国独自の原理をみつける。
後漢「儒教国家」をうけ、両晋南北朝は、貴族に儒教が身体化された。貴族は、文化の卓越性をもつため、ほかの文化の「通」を目指した。

もとは社員が釣りをした。社長も釣りを趣味にした。社員は、会社からの自律性をたもつため、ほかの趣味(ゴルフやボーリング)を極めるようになったと。なんだか、よく分からん。比喩が悪いのかも知れないが、そういう行動に走る社員の心情を理解できない。いっしょに(もしくは勝手に)釣ればいいじゃん。
社長に親和する傾向がある、ぼくの言い分は「寄生官僚」に取り込まれてゆくのか。そうでもないと思う。帰っても仕事、土日も仕事、なんてイヤだし。
もし「名士」論が、現代社会を「どの会社にも、労使の対立がありました」と指摘するような切り口なら、残念すぎる。経営者と労働者は、利害が重なったり、ぶつかったりする。そりゃ、対立はあるでしょうよと。対立の仕方について、他のあらゆる先行研究より深く切り込んでいる。それが読みとれないと、支持はできないだろうなあ。

皇帝権力から自律性をもち、やがて貴族に変貌する、三国時代の知識人層を「名士」とよぶ。「名士」の地位は、一族でなく個人の名声、文化的諸価値できまる。「名士」は、漢代の豪族とちがう。漢代の豪族は、「所有」と一族の結合を、力の根源とした。

この「やがて貴族に変貌する」という規定が厄介。
例えば大学の教室で、「30歳のとき1千万を稼ぐ人を、勝ち組と定義します」と宣言したとする。ところが、誰が勝ち組なのか、わからない。だってまだ大学生だからね。結果から遡り、現在を定義する。アクロバティックな問題設定。へんな魚みたいな生物に、人間の五体を見出すのと同じ発想。
わざと悪どい言い方をすれば、「名士」論は、三国時代そのものを分析する術語でない。両晋南北朝を分析する術語でしかない。
比喩で言うなら、30歳で1千万を稼ぐ人をつかまえて、「どんな大学時代でしたか」と聞いているのと同じ。これは、30歳の金持ちを分析する手法であって、大学生を分析する手法ではない
お門違いの期待を抱くことなく、読もうと思います。
思うに、
新たな術語を設定することは、2つの結果をみちびく。1つ、新たなことを自分が言える。2つ、新たなコミュニーションを閉ざす。2つめは、「私の術語は、そういう定義・問題設定でない」という話法によって成立するなあ。これは一般論です。諸刃の剣。


次回あたり最終回。今週、気になることは、だいたい書けた。120202