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『漢書』元后伝で、王莽を知る 2)偶然の外戚権力
◆呪い殺してシンデレラ
のちの元帝は、まだ皇太子だ。元后は、掖庭(皇太子の後宮)に入ったが、特に見向きもされなかった。

あるとき、元帝が寵愛していた女が、病気で死にかけた。元帝は、手を取って泣いた。女は、余計なことを言った。
「私が死ぬのは、天命ではありません。嫉妬に狂った他の女が、私を呪い殺すのです
女は死んだ。
死に際が美しければ、別れのシーンを思い出して胸を痛めたとき、まだ慰めになる。でも、死に際に、
「ぎゃああ、私は呪われて死病にかかった」
なんて言われては、残された方は気分が悪い。元帝は塞ぎこんで、病気になってしまった。元帝は、他の女を愛さなかった。なぜなら他の女は、元帝の中では、呪詛をやった犯人なんだから。

元帝に愛された女について。
病気を他人の悪意のせいにするとは、人格がまだ練られていない証拠だ。推測するに、元帝と女は、ろくに自我が確立してなくて、傷つけ奪いあう恋愛しかできない高校生と同じだ。
レベルのまるで違う男女が、意気投合することは少なかろうから、元帝も幼かったはず。だから他の女を逆恨みした。

元帝の父(宣帝)は、
「好きな女ができれば、気が紛れるだろ」
と思って、ランダムに女を5人見繕った。
元帝に必要なのは、大人の見識を身に付けさせるための教育であり、別の女ではないはず。だが、そんな小難しい理屈は、皇室には要らん。まずは跡継ぎをつくることが先だ。心がコドモでも、体はオトナだから、皇子は誕生するよ。
5人が元帝の前に並べられたが、元帝は憎しみに胸を焼いているから、興味なし。でも、断っても第2弾があるだけで面倒だから、
「あいつがいい」
と、視線をやるわけでも、指差すわけでもなく、言った。
「え?誰?」
なんて聞き返すのは、臣下としてマナー違反だ。指示をするなら、聞こえるように言ってほしいが、上司は往々にして発声に手を抜くものだ。迷惑な話なんだ(笑)
「っていうか、誰がいいって?」
「私も聞こえなかったわよ」
「あー、困ったなあ」
「きっとあの子じゃない?元帝のいちばん近くに座っていて、紅色の上着が目立つから、お目に留まったに違いない」

べつに種明かしを焦らしたつもりはないが、このとき投げ槍に選ばれたのが、王氏の元后だ。7、8年も元帝の相手をしても妊娠しない人が10人以上いたのに、元后は1回で身ごもった。
幸運のシンデレラストーリだが、舞踏会もガラスの靴もなければ、王子の人探しもない。あるのは、幼稚な心が生んだ逆恨みだけだ。

◆王氏が外戚となる
3年後、宣帝が死んだ。元帝が即位した。
元后の父・王禁は、陽平侯になった。死ぬと、子の王鳳(元后の兄)が重要な官位についた。
元后の子が廃嫡されそうになると、王鳳が防いだ。

元帝が死んで、成帝が立った。皇帝は、元后の子である。
王凰は、大司馬・大将軍となり、尚書のことを総領した。王鳳の兄弟は、みな関内侯になった。
成帝は、王鳳の甥である。外戚、王氏の繁栄が始まった。

◆黄砂のメッセージ
夏、黄色い霧が消えなかった。成帝は、
「この霧は、何だろうか」
と有識者に聞いた。
「黄砂ですな。なんせここは、中国ですから」
って答えてくれれば、
「洗濯物を干すときは、気をつけよ」
と詔が出て終わりです。しかし、それじゃあ済まないのが、古代人。政治的な事件にしてしまう。
有識者は、
「陰(霧)が、陽(日)を侵しています。高祖劉邦の約束では、功臣でなければ、侯に封じないことになっています。いま王氏は功績がないのに、外戚だから侯に封じられています。天は、約束違反を、霧という方法を借りて表現しているのです」
と報告した。みな同意見だった。
王鳳は懼れて、
「私は、シカバネを民衆にさらして謝罪します」
と大げさにセルフ弾劾をしたから、かえって成帝は、
「霧が出たのは、私のせいである。王鳳は悪くない。辞めるな」
と引き止めた。
王氏はますます強くなり、一族から5人の諸侯が出た。世間では、「五侯」と言った。

王莽その人の伝記が始まるのは、この頃だ。
王莽の父(王曼)は王鳳の弟だが、早くに死んだ。だから兄弟の中で1人だけ、侯になってない。王莽は孤児となり、貧乏暮らしを強いられた。

◆王鳳の最強伝説
王莽は恩恵を受けていないが、王鳳はますます強くなった。
朝廷の人たちは、劉歆の才能を買っていた。劉歆は、のちのち王莽との接点が多い人物だ。
あるとき成帝は、劉歆に会って、
「詩をやってみよ。賦も聞きたい」
と命じた。出来がとても良かったから、
「劉歆に中常侍を任せる。衣冠を与えよ」
と決めた。だが側近たちが、
「いくら劉歆が優れていても、陛下が勝手に人事を決めてしまってはいけません。王鳳さまに、諒解を取ってからにしましょう」
とすがり付いた。
「役人の1人を任命するだけだ。わざわざ王鳳に聞かなくていい」
と成帝が言ったが、
「いいえ。王鳳さまに報告してからです」
と臣下たちは頭を打ち付けて諌めた。
「わ、分かったよ」
と成帝は折れた。王鳳が反対したので、劉歆は任命されなった。決定の手順に口を出すだけじゃなく、決定の内容についてまで、王鳳は皇帝より優先した。

「皇帝の意見が最優先されない」
とは、どういうことか。
皇帝権力の絶対化とか、王朝の正統性を説く立場からは、嘆かわしいパワーバランスである。全く最低である。
だが、一歩引いた視点から見れば、是とも非とも言えて、よく分からなくなる。各ケースについて、議論は尽きないだろうけど・・・
例えば『三国志』で、皇帝権力が臣下に劣った状況に対して、
「董卓はダメで、曹操はイイ」
「いいや、曹操もダメ」
という話とか、誰が決着を付けてくれるんだ(笑)
『漢書』としては、同じように皇帝以上の発言力があった外戚のうち、霍光は忠臣で、王鳳は逆臣という扱いをする。王鳳はなぜいけないかと言えば、甥の王莽が乗っ取りをかますから。王鳳の死後の話だから、飛ばっちりだ。王鳳の功罪は、別に論じられるべきだ。
がんばれ、王鳳!
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このコンテンツの目次
『漢書』元后伝で、王莽を知る
1)『漢書』のいじわる
2)偶然の外戚権力
3)頼れる父性、王鳳
4)伝国璽を投げた心境
5)壊された元帝の廟
6)王莽はなぜ恩知らずか