| |
『漢書』元后伝で、王莽を知る
|
3)頼れる父性、王鳳
|
◆うちへ帰れ事件
成帝は、皇子ができず、病気になった。
定陶共王は、かつて成帝と皇位を争った傍流の皇子だ。 成帝は、
「私はどうやらダメだ、後は定陶共王に」
と思った。かつてはライバルだったけれど、それは過去の話。成帝は、定陶共王に他の王の10倍の賞賜を与えて、長安に引き止めた。
「あいつ、危険だな」
と定陶共王を疎ましく思ったのは、王鳳。日食があったので、こじつけて提案した。
「日食は、陰(月)が日(陽)を侵しているシグナルです。もともと国許にいるはずの、定陶共王が長安にいるから、日食が起きたんですよ。定陶共王は、帰国して下さい」
これを聞いた成帝が、
「けっ。日食は、定陶共王ではなくて、キミの横暴を表しているんじゃないかね、伯父の王鳳さん」
と言えたら、今夜のビールは美味かろうが、できない。成帝は、定陶共王と泣く泣く別れた。
この一節で思い出すのは、西晋の司馬炎が、弟の司馬攸を斉に行かせた事件です。もしかしたら次の皇帝になるかも知れない、傍流の有能者は、都にいるべきか、領国に帰すべきか・・・
成帝の意に反したから、王鳳が傍若無人に見える。だが、皇位継承に混乱をもたらすかも知れない人を、中央から遠ざけるのは、わりに賢い判断だったりする。
王莽のことが、ムカついてムカついて仕方がないという『漢書』のバイアスを潜り抜け、王鳳の真意を知るのは難しい・・・
また注意したいのが、このときの元后の態度。
元后は、定陶共王を厚遇することに賛成だった。のちに王莽が漢を滅ぼすとき、
「私は王莽の伯母であるより、漢室のおばあさんです」
と言っている。
元后が大切にするのは、漢室の血統の維持である。王鳳と意見を違えることは厭わない。
「嫁いだ後は、実家に帰属意識はないよ」
と、嫁入り婚を前提とした日本風に理解しちゃダメだろう。「元后伝」を読み終えるころには、仮説はできているかなあ。
◆私はバカでいらっしゃる
人が言えないことを、言える人がいる。王鳳の独断に怒り、成帝を代弁する人が出てきた。
「この前の日食は、王鳳のせいです」
と言い始め、王鳳が定陶共王を帰藩させたことや、ライバルの大臣を追い落としたことを非難した。
「ああ、よく言ってくれた」
成帝は喜んだ。
「王鳳には、引退してもらおう。王鳳の代わりとなる人材を探してくれ」
やがて忠賢で名声のある人材が抜擢された。 成帝は、王鳳に気づかれないように、新しい側近とこっそり会った。これを立ち聞きした人がいて、王鳳にチクッた。
「このままでは、失脚してしまう」 王鳳は、成帝に詫びた。詫びというスタイルは取っているが、脅しているような雰囲気でもあるんだけど。
「私はバカですが、外戚なので一族を7人も列侯にしてもらいました。この7年間、私は政事を任されて、バカはバカなりに、頑張ったつもりです。しかし私がバカだから結果が出ず、むしろ日食が起きてしまいました。私のようなバカは、追放されて、ミジメに死ぬべきです。どうか、このバカを憐れんで下さい」
成帝は幼少のときから王鳳を頼っていたので(と『漢書』は理由づけしている)、王鳳がいなくなるのが怖ろしくなった。
成帝が、
「黄霧も日食も不作も、私のせいだ。王鳳は悪くない」
と謝るかたちで、和解した。
『漢書』を信じるなら、成帝は反発しつつも、根っこでは王鳳を認めている。父を信頼している息子のような構図です。王鳳の政治手腕は、7年も国家を切り盛りしたんだから、ホンモノだ。
王鳳は卑屈な文書を、平気で発行する。
へりくだって、へりくだって、それでも要求はきっちり通す。王莽の後年のやり方は、伯父の王鳳を真似たのかも知れません。
◆初産の子は殺すべき
このたび王鳳を批判した人は、本当にズケズケ発言をする人でした。王鳳を告発するとき、こんなことも言っている。
「王鳳は、自分の妾の妹が妊娠しやすいと聞くや、皇帝のそばに送り込みました。結婚歴・出産歴のある女を皇帝に抱かせるなんて、王鳳はけしからん奴です」
これだけでも、テレビドラマ化して放映したら、視聴者の受け止め方によってはクレームが来そうなんだが、、これだけじゃない。
っていうか、「王莽」っていうドラマなんて誰も見ないだろうし、まして伯父の王鳳の時代だし、、ニーズはないだろうが。韓国かどこかのドラマ「朱蒙」と間違えて、見てくれるか?
曰く、
「西北の野蛮な異民族は、女を娶ったら、初産の子を殺します。なぜなら嫁入り前に、外でタネをもらった可能性があるからです。初産の子を殺し、子宮の中を消毒させた後で、2人目以降の子を可愛がります。異民族ですら、こういう気の利いた処置をするのに、王鳳は人妻を陛下に抱かせて私利を図りました」
やはりこれは言いすぎだったようで、成帝との信頼関係を強めた王鳳に裁かれた。不適切な発言の代償として、獄死した。
王氏の栄華は、揺るがないものになった。
◆王鳳の遺言
11年間の執政をして、王鳳は病に倒れた。成帝が、
「あなたと血筋の近い人を、後任にしよう」
と申し出ると、
「いいえ。たしかに彼は、私との血のつながりが濃いですが、人を敬うことができないので、政治はやれません。抜擢しないで下さい」
と断った。
王鳳は、私利ばかりの人じゃないなあ!と感動もできるが、王氏の中の人選をやっているだけなので、美談パラメータはあまり上がらない。
病床にいる王鳳を、献身的に看病したのは、王莽でした。王莽が頭角を表すのは、このベッドの傍らからです。
「元后伝」と言いながら、半分以上は「王鳳伝」になってしまっている。だが、王莽が登場する舞台背景の説明という意味では、これで正解なのかもしれない。
王鳳は死ぬとき、
「ひとつ、王莽をよろしく」
と言い残した。 成帝は、ひき続き王氏に政治を任せて、大司馬を歴任させた。王氏のあまりの贅沢に、成帝が怒ることがあったが、謝罪の顔つきで逆に圧倒するというお家芸をやられて、王氏が勝ち続けた。
| |
|
|
このコンテンツの目次
『漢書』元后伝で、王莽を知る
1)『漢書』のいじわる
2)偶然の外戚権力
3)頼れる父性、王鳳
4)伝国璽を投げた心境
5)壊された元帝の廟
6)王莽はなぜ恩知らずか
|
|