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『漢書』元后伝で、王莽を知る
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6)王莽はなぜ恩知らずか
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◆元后の失敗
「元后伝」を読み終えて総括するなら、
――元后は王莽に恩を与えたのに、アダで返された。
となるだろう。元后の死に際は、後悔と無念さと悲しさで、いっぱいだったに違いない。
元后が失敗したのは、王莽が突き詰めてロジカルな人間で、人の心に疎いのに気づかなかったことだ。
「そんな酷いことして、胸が痛まないかね」
と聞かれても、
「何それ?論理的に妥当なの?」
と聞き返してしまう。これが王莽キャラ。
◆王莽の地金
王莽みたいな人間は、大抵は社会で失敗する。 話は飛びますが、 生物は自然界で生きるため、競争優位な性質を獲得する。いや、優位な性質がないと絶滅して残らない。ライオンにはキバ、ヒョウには脚力。ヒトには、チームワークだ。腕力が弱い代わりに、チームで協力することで、大きな成果を出せる。
他人の心が感じ取れず、他人とうまくやれない時点で、生物の種=ヒトとしての特性が欠けているから、死ぬしかない。クビの短いキリンは餓死するし、逃げ足の遅いウマは捕まるし、痩せたアザラシは凍死する。
だが王莽みたいな欠陥種も、人にへりくだるという行動パターンを覚えるだけで、いくらかこの欠点を補える。
・・・なぜ謙遜すると、社会の中を辛うじて遊泳できるのか?
・・・さあね。 本人は、この問いの答えを皮膚感覚から察知することは、永遠にできない。でも、ひとつ覚えでいいから謙遜の姿勢を崩さなければ、それなりに人間らしく見せかけられる。根底は違っても、だいたい同じなら、それで充分だ。 知識として、ルールを丸暗記するなら可能だ。
もし王莽の父が早死にせず、王莽が若いときから栄達したら、謙遜という名の人間社会のパスポートを手に入れることが出来なかった。変人の学者として、生涯を終えたはずだ。 だが幸か不幸か、苦労したから、「人間らしさ」という仮面を被る韜晦術を学べた。
「王莽は慎み深いのではない。人格者に見えるが、じつは社会性の欠落をごまかしているだけだ」
これを見抜けなかったのが、元后の失敗である。見抜けなかったから、平帝が即位したときに、大司馬に王莽を選んでしまった。
◆悪気はない
王莽は、世間一般でいう意味で、元后を騙したのではない。決して、 「元后を陥れてやろう、困らせてやろう、悲しませてやろう。恩をアダで返された無念に突き落としてやろう」 なんて思ってない。そんな感情のヒダを攻撃することなんて、王莽は関心がない。
「自分がやられてイヤなことは、他人にやってはダメです」
と子供をしつけるが、裏返せば、
「自分がやられてイヤでないことは、憎い相手にやらない」
という人間の本性が明らかになる。 王莽は、心の柔らかいところを刺されても、痛くない。だから、もし百歩譲って王莽が元后を憎んでも、心の機微を狙って攻撃などしない。
◆王莽と元后の衝突
誰にでも得意分野があり、10の労力で1の成果しか出ないことと、1の労力で10の成果が出ることがある。
王莽が他人と接するとき、エネルギー効率が最悪だ。謙遜というワンパタンの行動でも、とても疲れる。使いどころを絞らねばならない。 (儒学の研究に対して王莽は、永久機関なみの燃費を発揮する)
賢い王莽は、限られた社会性のエネルギーを、1人に注ぎ込んだ。はじめは王鳳で、つぎは元后の顔を立てた。兵力が少なければ、狭い道で戦うしかないのだ。 平均的な人なら、王鳳や元后の顔色を伺った後でも、まだあちこちに気をまわせるが、王莽はもう無理である。最大出力で、1人と折り合える程度だった。
平帝のとき王莽は忙しくなり、余裕がなくなった。だから王莽は、元后への心遣いに
少し手を抜いた。
平均的な人なら、いくらか気を抜いても、ときどき失言するだけだ。だが王莽は、もともと他人の心が分からないから、ちょっと手を抜いただけで、超KYな人間になってしまう。もし、
「元后の機嫌を伺うというタスクの、優先度を下げた理由を論ぜよ」 と王莽に宿題を出せば、彼なりの筋を通し、緻密な論文を何百枚でも書いて寄越すだろう。その論文がいかに優れていようと、元后の後悔は慰められない。
◆王莽が皇帝になった理由
もしかしたら王莽は、誰にも気を遣わなくていい立場になりたくて、皇帝になったのかも知れない。儀礼を整えて即位してしまえば、王莽はもう空気を読むという「激務」から解放される。人間関係は、古典が定めたルールが固定してくれる。
だが、
「誰にも命令されたくないから、社長になった」
という動機では、お客様との関係が長続きしないように、いくら皇帝でも、100%のマイペースは許されない。むしろ皇帝が、いちばん人間と向き合わねばならないポジションである。 王莽は、そこを見誤ったのではないか。
王莽が人間らしさを備えないから、叛乱が頻発する。とくに漢を痛めつけるつもりはなく、理路整然と政策を打っているだけなのに、
「漢室への恩を、伯母への恩を、アダで返した」
と世間に言われてしまう。
「恩とは何か。恩を返すとは、具体的にはどんな行動を指すのか。誰でもいいから、分かるように説明してくれ」
と王莽は苛立つが、一般的な人は質問の意味すら分からない。 「恩は恩だろ、自然と感じ取れるものだ」 てな具合で、会話は平行線だ。
「だれも、この素晴らしき新王朝を理解しない」
王莽は途方にくれた。そして思い出したように、元后に「謙虚」の付け届けを再開した。だが、人間の信頼は、足し算や引き算だけではないので、仲直りできなかった。
王莽は、社会との関係性を修復できずに、滅ぼされましたとさ。
◆読み終えて
「外戚伝」と「王莽伝」をつなぐということで、どうにも内容が中途半端な列伝でした。班氏が、よほど苦しんで『漢書』の目次を作ったと思うから、その悩みに敬意を覚えます。
とは言え、前半のメインに当たる王鳳は、霍光と同じような「顕臣」だった。皇帝を上回ったから、後漢の梁冀みたいに「跋扈」したように見えるが、ありきたりな外戚の1人にすぎず、特異性はないと思う。
王莽の時代については、
――漢を滅ぼした新、
というとスケールの大きな話になりますが、フタを空ければ、
――伯母を困らせた甥、
がそこにいただけです。 前漢末の朝廷は、ほぼ王莽で切り回されていた。政治面では、漢新交代史なんて平穏なものだ。 漢の血統を継続して保持していたのは、劉氏じゃない。皇子を遺さずに皇帝が死にまくるから、意識の主体がどこにもない。むしろ漢室の在り処は、王氏出身の元后だった。彼女は、宣帝、元帝、成帝、哀帝、平帝、孺子嬰と、6代の朝廷を見てきたんだ。
「漢が滅ぼされた」
というから、劉氏のために悼みたくなるが、その実は、1人の女性が、複雑な精神遍歴を歩んだだけだったのかも知れない。090718
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このコンテンツの目次
『漢書』元后伝で、王莽を知る
1)『漢書』のいじわる
2)偶然の外戚権力
3)頼れる父性、王鳳
4)伝国璽を投げた心境
5)壊された元帝の廟
6)王莽はなぜ恩知らずか
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