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『漢書』元后伝で、王莽を知る
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5)壊された元帝の廟
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◆伯母の心、甥知らず
王莽は伝国の璽を手に入れると、酒盛りをした。元后が、泣いたり怒ったりしたことを、まるで理解していない。
「ついに漢室は滅び、新室が建ったのですから、伯母上の称号を変えなければ」
王莽は言葉にこだわる人だから、称号にも敏感である。
これまで、分かりやすくするために「元后」と書いてきた。 小役人の娘だった時代から、のちに嫁ぐ皇帝の諡号付きで呼んでいたから、書いてて気持ち悪かったけど、今日は固いことは抜きで。いま彼女を呼ぶなら、「太皇太后」が正解。 まず王莽は、
「もう漢じゃないので、伯母上は太皇太后(前の前の皇帝の皇后)ではありません。称号を剥奪すべきだという意見がありますが・・・」
と打診した。
「私もそう思うわ」
元后は合意した。元后は、漢室に殉じてしまいたかった。漢が滅びれば、ただのおばあさんである。 だが王莽は、伯母を庶民に落とすことなんて、したくない。 ちょうど、
「天から下った奇跡でしょうか。たまたま発見された銅製の宝石に、『新室文母太皇太后』という文字が刻まれていました。なんと麗しい称号でしょう。しかも宝石は、文字を誰かが刻んだように見えず、描いたようにも見えず、自然のままにそう読めるのです」
と言って銅璧を献上してきた人がいたから、王莽は乗った。 元后は、そう呼ばれることになった。
――なんで人の手を経ずに漢字が表れるのか? なんて突っ込みは、してはいけない。天意なんだ(笑) 例えば「母」という字は、乳房を連想した字形だから、百歩譲って、天然100%で浮き上がるかも知れない。だが「太」は、「大」という漢字に意味を付け加えるために「、」が加えられたものだから、天然100%ということはなかろう・・・
ともあれ、王莽は「元后の称号を無くせ」と言った人を毒殺し、銅璧を返上した人を高い位につけた。
◆陵墓を取り壊した理由 前漢末、
王莽がまだ元后に頼っていたとき、 「元帝は貴い方ですから、高宗の廟を立てましょう。もし伯母上が亡くなられたら、合祀しましょう」
と言っていた。
だが漢から新に移ると、
「漢は滅んだ。元帝の廟を壊せ」
と王莽は命じた。言っていることが、正反対である。『漢書』は、これに腹を立てているようだ。
先にも書いたが、元后はお出かけが好きだ。新代になっても外へくり出し、王莽は元后を招いて酒盛りを開いた。
「そうだ。亡き夫(元帝)の廟に、お参りしたいわ」
と元后が言い出した。王莽は廟を壊した張本人だから、廟は存在しないことを知っている。しかし止めなかったようだ。 元后は高宗廟に着くと、 「これは、どういうことですか」 と驚いて、大泣きした。廟は跡形もなく、建材が土にまみれていた・・・
元后曰く、
「これは漢室の宗廟です。歴代皇帝の、神霊が宿っているのです。漢の皇帝に、いかなる罪があって、取り壊されなければならなかったのですか。それから莽、あなたは漢室にどんな関わりがあって、取り壊したのですか」
これは悲痛だな・・・
「私は人の妻です。どうして夫の廟が辱められているのに、供物を捧げられましょうか。もし莽が、神霊をあなどり穢すなら、神明からの助けは得られないでしょう」
元后は、落ち込んで帰宅した。
王莽は、つくづく人の心が分からない奴だ。いくら至尊の権力者とは言え、元后はひとりの老女だ。無力な老女を、ここまで痛めつけなくてもいいだろう。元后のセリフは、1つ1つが極めて人間的で、ジュクジュクした心の傷を見せつける。
だが王莽の思考に波長を合わせれば、
「漢が征服王朝のときは、皇室である劉氏を祭るべきだ。だから私は、高宗廟を尊んだ。いま漢は滅んだんだから、劉氏の祭りは不要になった。首尾一貫していますが、何か?」
という言い分が聞こえる。 「矛盾のない私の判断に、いちいち感情的に反応されても、理解できない。何がいけなかったのか、論理的に教えてほしいなあ」 王莽の思考は、こんなところだ。
もし王莽にいわゆる「人情」が宿っているのなら、元后が高宗廟に行きたいと言い出したとき、適当な理由を付けて延期させただろう。少しも悪いと思っていないから、元后を連れて行ったのである。
王莽は「真皇帝」にはなったが、ちっとも「真人間」的ではない。このズレぶりが、ぼくはけっこう共感できる。
◆元后の晩年
「伯母上は、私を憎んでいるらしい」
王莽はそれを知り、ますます元后に媚びた。
っていうか、遅いよな。 元后は伝国の璽を投げたり、新しい称号を喜ばなかったり、高宗廟の前で嘆いたり・・・平均なみに人の痛みが分かるならば、わざわざ「聞いて知る」というプロセスを踏まなくても、伯母との付き合い方を修正できそうなものだが。
王莽は、冠の色を改めた。漢の侍中は黒い貂(テン)の尾を頭に付けていた。王莽の新では、黄色の貂を定めた。
元后は漢代を懐古して、黒い飾りを付けて、漢の暦で生活した。王莽への、完璧な当て付けである。
・・・84歳で、元后は死んだ。
◆編集者のことば
司徒掾の班彪(班固の父)曰く、
「夏・殷・周は、君主が女性を寵愛しすぎたために、滅びた。漢は、美女のせいで滅びたのではないから、珍しい」
たしかに!
「元后は、漢の4代にわたって天下の母となった。弟たちが代わる代わる権力を握った。王莽が漢を滅ぼそうとしても、伝国の璽を握り締めていた。婦人の仁(なさけ)とは、悲しいものだなあ」
せっかく列伝は面白かったのに、このコメントの面白くないことよ。 察するに班彪は、王莽のことを考えると、漢臣として怒れてきて、気分が悪くなるから、適当に終わらせたかったのでは?
そう思ってしまうほどに、投げやりな編者の寸評でした。
次回、「元后伝」を素材にして、王莽について考えます。
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このコンテンツの目次
『漢書』元后伝で、王莽を知る
1)『漢書』のいじわる
2)偶然の外戚権力
3)頼れる父性、王鳳
4)伝国璽を投げた心境
5)壊された元帝の廟
6)王莽はなぜ恩知らずか
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