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『三国志集解』翻訳、五虎将軍 6)趙雲伝-下、評
(趙雲伝のつづき)
劉備の時代には、法正だけに諡号があった。
劉禅の時代に、諸葛亮は功徳が世を蓋ったから、諡号をもらった。蒋琬、費禕は、国の重責を担ったから、諡号が贈られた。
つぎに陳祗は寵愛を受けたから、特別の栄誉を与えられた。 夏侯覇は遠国から帰順したから、諡号が付けられた。
ここにおいて、関羽、張飛、馬超、龐統、黄忠および趙雲に、栄誉を与えることが検討された。
李慈銘が曰く。魏から降伏した夏侯覇よりも、関羽や張飛ら6人への追諡が遅いというのは、記録漏れだろう。蜀漢には、歴史を編纂する役所がなかったから、証拠文書がないだけだ。ちなみに華陽国志は、夏侯覇の追諡を記していない。
盧弼が考えるに、龐統を「靖侯」としたのは、劉備の生前だろう。法正だけが、追諡をもらったということはない。




陳寿の評に曰く。関羽と張飛は、どちらも1万人に匹敵する強さがあり、当世の虎臣だった。
〈訳注〉ちくま訳では、虎臣を「勇猛の臣」としている。日本語として意味は取りやすくなったが、台無しである。
関羽は曹操に報い、張飛は厳顔を許し、国士の風格があった。だが関羽はプライドが高すぎ、張飛は粗暴すぎ、短所のせいで身を滅ぼした。これは道理である。
王鳴盛が曰く。関羽が国士である理由は、ただ王室に心を尽くしたからだ。馬にムチを打って顔良を斬ったから、関羽は国士だと言うのではない。曹操に恩義を返した後に、劉備のところに戻ったから、関羽は素晴らしい。曹操に報いたというだけでは、関羽の価値を理解したとは言えず、不充分である。
張飛のことを悪く言うつもりはないが、厳顔を許したというだけでは、国士と呼ぶには不足である。
〈訳注〉厳顔のエピソードには、劉備への忠義という要素が含まれていない。まあ張飛は劉備に忠実だったから、1つのエピソードの出来が悪いからと言って、国士という評価を取り上げるのは、過酷だ。少なくとpもぼくは、そう思う。

趙翼曰く。漢代以後、人が勇者の名前を挙げるなら、関羽と張飛である。関羽は顔良を斬った。張飛は長阪で曹操を圧倒した。2人の威名は、魏と呉に轟いた。
程昱は「関張は、万人敵だ」とビビッた。劉曄は、漢中から巴蜀に攻め進むことを止めた。周瑜は孫権に、「関張は、熊虎だから注意しなさい」と言った。
こんな化け物はなかなか登場せず、数百年経っても朽ちていない。


馬超は、勇猛だから調子に乗り、一族を亡くした。惜しいことだ。涼州で困窮したが、益州でゆったり過ごせたから、まだマシか。
郝経が曰く。馬超父子の勇猛さは、西方では韓遂と並んでトップだった。董卓により、三輔(長安周辺)が荒らされ、漢室は滅んで天下は分裂した。曹操が各地を平定したが、勇猛な攻め方をして、信義がなかった。馬超は曹操のやり方に反発し、潼関で戦ったが、勝てなかった。関羽や張飛と同列に並んだのだから、馬超は豪傑である。

何シャクが曰く。馬超は幸いにも劉備のところに落ち着いたから、賊として名を残さなかった。


黄忠と趙雲は、灌嬰やトウ侯のような武臣だろうか。
李光地が曰く。灌嬰は項羽をガイ下で破った。トウ侯は、彭城を脱出するときに、幼い恵帝を拾った。それぞれ、定軍山、当陽の戦いに対応する。



◆訳語の感想
もし趙雲に『趙雲別伝』がなかったら、馬超や黄忠のように、『集解』の注はつまらないことになっていただろう。
『演義』で活躍する趙雲も、元ネタはほとんど『別伝』から。『別伝』の作者さまさまである。
『集解』で、『別伝』がさんざん責められているが、裏を返せば『別伝』の書き方を指導してくれているようであり(笑)ぼくも誰かの別伝を作ってみたくなる。
そんなことしなくても、裴松之が『別伝』を叮嚀に引いてくれている人物を、次の調べ物のターゲットにしよう。

『集解』の注のパタンが、だいたい読めてきた。
1)用語の説明
地名、官名を説く。地名解説はくどく、まるで観光案内。
2)別の列伝へのリンク
紀伝体の弱点を補うべく、『三国志』内の関連記事を引用する。
『後漢書』や『晋書』で、前後関係を補う。
3)史料批判、研究史の紹介
先人たちが述べたことを、くっつける。
諸本の異同を言い、ウソくさいことに突っ込む。

今回の翻訳では、1)と2)は省略しまくり、3)に力点を置きました。次回以降も、こんな感じにしようと思います。
ちなみにタイトルの「五虎将軍」という呼称が、正史にないことは、さすがに知っています。今回のページが正史まみれのくせに、タイトルが『演義』の方向にもたれかかっているのは、何となくです(笑) 090712
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このコンテンツの目次
『三国志集解』翻訳、五虎将軍
1)関羽伝-上
2)関羽伝-下
3)張飛伝
4)馬超伝、黄忠伝
5)趙雲伝-上
6)趙雲伝-下、評