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『晋書』列14、漢魏からの名族
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5)成都王の頭脳、盧志
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盧志
志字子道,初辟公府掾、尚書郎,出為鄴令。成都王穎之鎮鄴也,愛其才量,委以心膂,遂為謀主。齊王冏起義,遣使告穎。穎召志計事,志曰:「趙王無道,肆行篡逆,四海人神,莫不憤怒。今殿下總率三軍,應期電發,子來之眾,不召自至。掃夷凶逆,必有征無戰。然兵事至重,聖人所慎。宜旌賢任才,以收時望。」穎深然之,改選上佐,高辟掾屬,以志為諮議參軍,仍補左長史,專掌文翰。穎前鋒都督趙驤為倫所敗,士眾震駭,議者多欲還保朝歌。志曰:「今我軍失利,敵新得勝,必有輕易陵轢之情,若頓兵不進,三軍畏衄,懼不可用。且戰何能無勝負,宜更選精兵,星行倍道,出賊不意,此用兵之奇也。」穎從之。及倫敗,志勸穎曰:「齊王眾號百萬,與張泓等相持不能決,大王逕得濟河,此之大勳,莫之與比,而齊王今當與大王共輔朝政。志聞兩雄不俱處,功名不並立,今宜因太妃微疾,求還定省,推崇齊王,徐結四海之心,此計之上也。」穎納之,遂以母疾還籓,委重於冏。由是穎獲四海之譽,天下歸心。朝廷封志為武強侯,加散騎常侍。
盧志、あざなは子道。はじめ公府掾に召され、尚書郎となった。出でて鄴令となる。
成都王の司馬穎の出鎮先が鄴で、(県令として赴任した)盧志と出会った。司馬頴は、盧志の才量を愛して、心膂を委ねて、ついに謀主(ブレイン)とした。
齊王の司馬冏が起義すると、使者が起義を司馬頴に告げた。
「司馬冏に味方すべきかどうか」
司馬頴は、盧志を召して計った。
盧志は言った。
「趙王の司馬倫は無道で、ほしいままに簒逆を行ないました。四海の人神で、憤怒しない者はありません。いま殿下(司馬頴さま)は、総じて三軍を率いておられます。期に応じて、電撃のように洛陽へ出発すれば、子飼いの兵は召集せずとも従いて来るでしょう。凶逆を掃夷するのです。必ずや戦わずに征伐できるでしょう。 しかし、兵事(軍事行動)は最も重大なことです。だから聖人は、兵事に慎重になりました。どうぞ賢才ある人を参謀にして、時望を收めて下さい」
〈訳注〉盧志は、三王起義を積極的にプロデュースした!
司馬頴は、盧志の発言に深く納得した。司馬頴は、盧志を改めて上佐に選び、高く掾屬に召した。盧志を諮議參軍として長史を補左させ、文翰を1人で掌握させた。
〈訳注〉盧志は、文武どちらもトップになった。
司馬頴の前鋒都督である趙驤が司馬倫に敗れると、兵たちはブルブルと震駭した。
「勝ち目はありません。退却して、朝歌を保つべきです」
多くの人が言った。
盧志は反論した。
「いま我が軍は利を失い、敵は新らたに勝を得た。必ず輕易陵轢之情があります。
〈訳注〉「輕易陵轢之情」とは、軽く容易に、力づくで踏みにじれる情勢。陵は、しのぐことで、轢は踏みにじること。すなわち、司馬倫(敵)が司馬頴(味方)を、赤子の手を捻るように潰せそうな形勢だと、盧志が言ったのだ。
もし兵を留めて進まなければ、三軍は畏衄して懼れ、使い物になりません。勝ち負けのない戦さがどこにありますか(負けることもあり、今回の敗戦を必要以上に重視する必要はありません)。更めて精兵を選び、二倍速で進軍すれば、賊の不意を突けます。これは用兵之奇です」
司馬頴は、盧志に従った
司馬倫が敗れると、盧志は司馬頴に勧めた。
「齊王(司馬冏)は兵は百萬と号し、張泓らと兵力が拮抗して、優劣が付きません。大王(あなた)は濟河を渡って、鄴から洛陽を攻めました。あなたの大勳に、匹敵する人はおりません。しかし齊王(司馬冏)は、いまあなたと共に朝政を輔けようとしています。私が聞きますに、両雄は一処にはおれず、功名は並び立たず。いま太妃(司馬頴の母)の微疾(軽い病)ですから、鄴への帰国を願い出て下さい。齊王(司馬頴)を推崇して、四海之心を徐結させて下さい。これが上計でございます」
〈訳注〉「司馬倫を倒した勲功2位の司馬冏が、我が物顔である。勲功1位のあなたは洛陽から去り、衝突を避けなさい」と言ったのだ。
司馬頴は盧志の意見を採用した。 母の病気を理由にして、鄴に帰藩して、政治は司馬冏に委ねた。これにより、司馬頴は四海之譽を獲て、天下の心は司馬頴に歸した。朝廷は、盧志を武強侯に封じて、散騎常侍を加えた。
及河間王顒納李含之說,欲內除二王,樹穎儲副,遣報穎,穎將應之,志正諫,不從。及冏滅,穎遙執期權,遂懷觖望之心。以長沙王乂在內,不得恣其所欲,密欲去乂。時荊州有張昌之亂,穎表求親征,朝廷許之。會昌等平,乃回兵以討乂。志諫曰:「公前有複皇祚之大勳,及事平,歸功於齊,辭九錫之賞,不當朝政之權,振陽翟饑人,葬黃橋白骨,皆盛德之事,四海之人莫不荷賴矣。逆寇縱肆,猾擾荊、楚,今公掃清群難,南土以寧,振旅而旋,頓軍關外,文服入朝,此霸王者之事也。」穎不納。
河間王の司馬顒が、李含の説得を受けて、洛陽の二王(司馬冏と司馬乂)を除きたいと考えた。司馬顒から司馬頴に、誘いがきた。
〈訳注〉二王って誰?司馬冏と、もう1人は?
「司馬頴さんを、政権の2位に据えますよ。共に二王(司馬冏と司馬乂)を討ちませんか」
「よし、やろう」
司馬頴が、司馬顒に応じそうになったとき、
「いけません!」
と盧志は正面から諌めた。だが司馬頴は、盧志を無視した。
司馬冏を滅すと、司馬頴は時政を担当して、ついに觖望之心を懐けた。
〈訳注〉觖望之心とは、欲求不満のストレスだ。
長沙王の司馬乂が洛陽にいたから、司馬頴はほしいままに行動できなかった。司馬頴は、ひそかに司馬乂を亡き者にしたいと思った。ときに荊州では、張昌之亂が起きていた。司馬頴は上表して親征(司馬頴が平定に行く)を求めた。朝廷はこれを許した。たまたま張昌らが平定されたから、司馬頴は兵の進行方向を変えて、洛陽の司馬乂を討とうとした。
盧志は諌めた。
「公(あなた)は前に、(恵帝を復位させた)複皇祚之大勳があります。恵帝が落ち着くと、功績を齊(司馬冏)に譲って、九錫之賞を辞退し、朝政之權に当たりませんでした。陽翟で饑人に施して、黄橋で白骨を葬りました。
〈訳注〉陽翟も黄橋も、司馬倫との合戦で傷ついた土地。
全ての盛德之事により、四海之人で、あなたを頼りに思わない人はいません。逆寇をほしいままにした荊楚の擾乱(張昌らの挙兵)は、あなたが掃いて群難を清めました。南土(荊楚)が安寧になったので、軍隊を旋回させて、洛陽城の関外に駐屯させ、あなたは文服で入朝して下さい。これが霸王の行いです」
司馬頴は、盧志の説得を納れなかった。
及乂死,穎表志為中書監,留鄴,參署相府事。乘與敗于蕩陰,穎遣志督兵迎帝。及王浚攻鄴,志勸穎奉天子還洛陽。時甲士尚萬五千人,志夜部分,至曉,眾皆成列,而程太妃戀鄴不欲去,穎未能決。俄而眾潰,唯志與子謐、兄子綝、殿中武賁千人而已,志複勸穎早發。時有道士姓黃,號曰聖人,太妃信之。及使呼人,道士求兩杯酒,飲訖,拋杯而去,於是志計始決。而人馬複散,志于營陣間尋索,得數乘鹿車,司馬督韓玄收集黃門,得百餘人。志入,帝問志曰:「何故散敗至此?」志曰:「賊去鄴尚八十裏,而人士一朝駭散,太弟今欲奉陛下還洛陽。」帝曰:「甚佳。」於是禦犢車便發。屯騎校尉郝昌先領兵八千守洛陽,帝召之,至汲郡而昌至,兵仗甚盛。志喜於複振,啟天子宜下赦書,與百姓同其休慶。既達洛陽,志啟以滿奮為司隸校尉。奔散者多還,百官粗備,帝悅,賜志絹二百匹、綿百斤、衣一襲、鶴綾袍一領。
司馬乂が死ぬと、司馬頴は上表して、盧志を中書監とした。盧志を鄴に留めて、相府の事(司馬頴の政事)を一任した。
(司馬越は恵帝を奉戴して、鄴にいる司馬頴を北伐した)
司馬頴は蕩陰で、司馬越を破った。
「オレたちは勝った。この勢いに乗じて、天子をオレの本拠である鄴に迎えよう。盧志よ、兵を率いて恵帝を迎えに行け」
司馬頴は、盧志を遣わした。
王浚に鄴を攻められた。
「司馬頴さまは、天子を奉って洛陽に還って下さい」
盧志は勧めた。ときに甲士(甲冑を着た兵士)は、萬五千人いた。志夜部分,至曉,眾皆成列。だが程太妃(司馬頴の母)は、
「私は鄴が恋しい。去りたくない」
と言い張った。
「母をどうしたものか」
司馬頴は決められなかった。
にわかに司馬頴の兵が潰走した。味方はただ盧志と、子の盧謐、兄の子の盧綝と、殿中の武賁1000人だけとなってしまった。
「早く鄴城を脱出して下さい」
盧志はふたたび司馬頴に勧めた。
ひとりの道士がいた。姓は黄氏で、聖人と号していた。程太妃は、この道士を信仰していた。盧志は道士を呼ばせた。
「酒を2杯くれ」
道士は酒を飲み干すと、杯を投げ捨てて鄴を去った。これにより、(程太妃を鄴から去らせる)盧志の計略は決した。
人馬は散り散りだった。盧志は陣営の中を探し回り、数台の鹿車を得た。司馬督の韓玄は、兵を黄門に集め、百余人を得た。
盧志は恵帝の玉間に入った。恵帝は盧志に聞いた。
「なぜ盧志は、散々となって無様なのに、朕の前に出てきたのか?」
盧志は答えた。
「賊は、この鄴城から80里のところまで去りましたが、味方の人士は一朝にして駭散しました。太弟(司馬頴)は、いま陛下を奉戴して洛陽に還ろうとしております(洛陽に連れ出すために、私は陛下のところに来たのです)」と。 「甚だ佳し」
恵帝は盧志の答えを喜んだ。
盧志たちは、恵帝の乗った犢車を禦して、ただちに鄴を出発した。
屯騎校尉の郝昌が先回りし、兵八千を領して洛陽を守って、恵帝を迎える用意をした。汲郡(地名)に至ると、司馬頴の軍勢は復活し、兵仗は甚だ盛んになった。盧志は振り返って喜び、天子に上啓した。
「恩赦を発行なさい。また百姓にも、(兵と)同じように休慶を与えて下さい
恵帝が洛陽に達すると、盧志は滿奮の働きをしたから、司隸校尉となった。逃げ散った人が、多く司馬頴の元に還った。百官の顔ぶれが、あらかた整ったから、恵帝は悦んだ。恵帝は盧志に、絹二百匹、綿百斤、衣一襲、鶴綾袍一領を賜った。
初,河間王顒聞王浚起兵,遣右將軍張方救鄴。方聞成都軍敗,頓兵洛陽,不敢進,縱兵虜掠,密欲遷都長安,將焚宗廟宮室,以絕人心。志說方曰:「昔董卓無道,焚燒洛陽,怨毒之聲,百年猶存,何為襲之!」乃止。方遂逼天子幸其壘。帝垂泣就輿,唯志侍側,曰:「陛下今日之事,當一從右將軍。臣駑怯,無所雲補,唯知盡微誠,不離左右而已。」停方壘三日便西,志複從至長安。穎被黜,志亦免官。
はじめ河間王の司馬顒は、王浚が起兵したと聞いて、右將軍の張方を鄴の救援に遣わした。張方は、成都(司馬頴)の軍が敗れたと聞くと、兵を洛陽に留めて、鄴へ進まなかった。洛陽でヒマになった兵は、ほしいままに虜掠した。
張方は、密かに思っていた。
「天子をオレの本拠である長安に遷したい。洛陽の宗廟や宮室を焼き払え」
司馬顒が火を放とうとすると、人心は張方の元から絶えた。
〈訳注〉洛陽が使い物にならなければ、長安に行くしかない。どこかの誰かと同じ発想で、奇しくも盧志がそれを指摘してくれます。
盧志は張方に説いた。
「むかし董卓は無道で、洛陽を焚燒しました。董卓への怨毒の声は、百年たっても消えておりません。なぜ董卓と同じことをしますか!」
張方は放火を止めた。
張方は天子に迫って、自分の防塁に閉じ込めた。恵帝は垂泣して輿に乗った。ただ盧志だけが、恵帝のそばに侍った。
盧志は、恵帝を慰めた。
「陛下よ、今日のところは、ただ右將軍(張方)に従って下さい。私は駑怯して、これ以上のことは申せません。しかし私は、これだけは知っています。微かな誠意でもいい。それを尽くせば、左右の人は君主を離れないのだと」
張方の防塁に3日停泊して、西に行った。盧志はまた恵帝に従って、長安に至った。司馬頴が官位を失い、盧志も主君に連座して免官された。
及東海王越奉迎大駕,顒啟帝複穎還鄴,以志為魏郡太守,加左將軍,隨穎北鎮。行達洛陽,而平昌公模遣前鋒督護馮嵩距穎。穎還長安,未至而聞顒斬張方,求和於越。穎住華陰,志進長安,詣闕陳謝,即還就穎于武關。奔南陽,複為劉陶所驅,回詣河北。及穎薨,官屬奔散,唯志親自殯送,時人嘉之。越命志為軍諮祭酒,遷衛尉,永嘉末,轉尚書。洛陽沒,志將妻子北投並州刺史劉琨。至陽邑,為劉粲所虜,與次子謐、詵等俱遇害於平陽。長子諶。
東海王の司馬越が、恵帝の大駕を奉迎した。司馬顒は恵帝に提案した。
「(無官になっている)司馬頴を、元のように鄴城に還して下さい。盧志を魏郡太守にして、左將軍を加え、司馬頴に随行させて北方を守らせましょう」
恵帝は洛陽に到着したが、平昌公の司馬模は、前鋒督護の馮嵩を遣わして、司馬頴の入城を拒んだ。
司馬頴は、(洛陽に入れないから)長安に戻ろうとした。まだ長安に到着する前に、司馬頴は、
「司馬顒が張方を斬って、司馬越に和睦を求めている」
と聞いた。
司馬頴は華陰に留まり、盧志は長安に進んだ。盧志は司馬顒に暇乞いをして、陳謝した。
「申し訳ないが私は、右腕たる張方を斬って、敵の司馬越に甘えているあなた(司馬顒)を支持できません。お暇を頂戴したく」。
ただちに盧志は、武關にいる司馬頴のところに戻った。 司馬頴と盧志は南陽に逃げたが、また劉陶に追撃された。(かつて本拠だった鄴のある)河北に行った。
司馬頴が薨じると、司馬頴の官屬は奔散した。だが盧志だけが、親しく自ら司馬頴を殯送したから、時人は盧志の行いを嘉した。
司馬越が命じて、盧志を軍諮祭酒とした。盧志は衛尉に遷った。永嘉末(313年)、盧志は尚書に転じた。洛陽が陥落した。盧志は妻子を連れて、北方の並州で刺史をしている劉琨を頼ろうとした。陽邑に至ると、劉粲に捕らわれて虜となった。次子の盧謐と盧詵らは、(劉聡が都した)平陽で殺害された。
盧志の長子は、盧諶である。
列伝の充実ぶりは、西晋の短い期間に盧氏が栄えたから。 「劉備の先生だ」と一瞬書かれたから盧植が有名だが、子孫の繁栄ぶりは、盧植の名を霞ませる。
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このコンテンツの目次
『晋書』列14、漢魏からの名族
1)司馬昭が脅した鄭袤
2)武帝と同格、鄭黙
3)海難の孫、李胤
4)ミニ曹操、盧欽
5)成都王の頭脳、盧志
6)晋臣にこだわる盧諶
7)魏恩を忘れぬ華表
8)王導の口利き、華恆
9)歴史家の華嶠
10)街で暮らせぬ石鑒
11)温恢の孫、温羨
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