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『晋書』列傳59「忠義」 2)命を救った嵇紹のオーラ
趙王倫篡位,署為侍中。惠帝複阼,遂居其職。司空張華為倫所誅,議者追理其事,欲複其爵,紹又駁曰:「臣之事君,當除煩去惑。華曆位內外,雖粗有善事,然闔棺之責,著於遠近,兆禍始亂,華實為之。故鄭討幽公之亂,斫子家之棺;魯戮隱罪,終篇貶翬。未忍重戮,事已弘矣,謂不宜複其爵位,理其無罪。」

趙王の司馬倫が恵帝の代わりに即位すると、嵇紹は侍中になった。恵帝が復位しても、侍中のままだった。
司空の張華が司馬倫に殺された。ある人が道理を説いて、
「張華を元の爵位に戻してやるべきです」
と言った。嵇紹は言った。
「臣が君に仕えるというのは、君主の煩雑な悩みを取り除くことだ。張華は内外の官位を歴任し、全体的に粗く見れば善事をやった。だが彼の死後(闔棺)に、遠近で禍いの兆しが起こり、乱が始まってしまった。これは実に張華が招いてしまった結果だ。張華は臣にあるまじく、君の心配事を増やしたダメな人間なのです。
〈訳注〉「闔」は閉じること。「闔棺之責」とは、棺を閉じてからの責任、すなわち死後招いてしまった事態への責任です。
むかし鄭は(周末期の君主)幽公を討って、春秋時代の戦乱を始めてしまった。魯(孔子)は、鄭が乱世のきっかけを作ったという間接的な罪を咎めて、歴史書にてこき降ろした。鄭の故事と同じように、張華が戦乱を招いた罪を許してはいけません。張華の棺を斫つべきだ。
〈訳注〉 「斫」とは、斧で切ること。「甘寧伝」に、彼が前営を襲撃したときに、この漢字が使われている。あのイメージで張華の棺を痛めつけろと、嵇紹は言っている。
張華の罪状を重ねて追及し、責任の在り処を明らかにしないから、戦乱の火はすでに広まってしまった。張華の爵位を戻して名誉回復してはダメだと私は言うが、これは有罪と無罪の道理を明らかにするものです」

時帝初反正,紹又上疏曰:「臣聞改前轍者則車不傾,革往弊者則政不爽。太一統于元首,百司役於多士,故周文興于上,成康穆於下也。存不忘亡,《易》之善義;願陛下無忘金墉,大司馬無忘潁上,大將軍無忘黃橋,則禍亂之萌無由而兆矣。」

あるとき恵帝は、正しい道理に反したことをしようとした。嵇紹は上疏して諌めた。
「私が聞くところによれば、一度やってしまった失敗を改めれば、皇帝の政治はうまくいくものです。元首が国を一統し、百官に優れた人材を置いたから、周ノ文王は上に興り、成康穆公は下に興りました。
〈訳注〉成康穆公って誰だっけ?
『易経』に書いてある、善義を忘れてはいけません。どうか陛下は、金墉城に幽閉されたときのことを忘れず、大司馬は潁水を漂ったことを忘れず、大將軍は黄橋で起きたことを忘れず、禍乱のきっかけを作らないで下さい」
〈訳注〉このときの大司馬と大将軍を調べなければ。頴水と黄橋で何か良くないことが起こったんだろうが、すぐに分からない。

齊王冏既輔政,大興第舍,驕奢滋甚,紹以書諫曰:「夏禹以卑室稱美,唐虞以茅茨顯德,豐屋蔀家,無益危亡。竊承毀敗太樂以廣第舍,興造功力為三王立宅,此豈今日之先急哉!今大事始定,萬姓顒,鹹待覆潤,宜省起造之煩,深思謙損之理。複主之勳不可棄矣,矢石之殆不可忘也。」冏雖謙順以報之,而卒不能用。

斉王の司馬冏が輔政すると、大いに屋敷を建築し、驕奢はひどかった。嵇紹は書によって、司馬冏を諌めた。
「夏禹は、質素な建物を美としました。唐虞は、茅屋によって徳を表しました。セレブな建築は、無益で危亡です。ひそかに聞いたところでは、太樂舎を壊して廣第舍とし、司馬倫を倒す功績のあった3人の王(司馬冏・司馬顒・司馬頴)の邸宅を建設しているそうですね。乱世になりそうな今日に、家作りはそんなに優先順位の高いことですか!いまは政治を安定させる大切な時期です。国家繁栄のために、どうぞ建築に手間を割くのをやめて、謙損之理について考えてみて下さい。恵帝を復位させたあなたの功績を棄ててはいけないが、矢石之殆も忘れてはいけません
〈訳注〉「矢石」とは、戦争のこと。「殆」とは、今にも悪いことが起こりそうや危うさ。嵇紹は八王ノ乱を見通していた。
司馬冏は、謙順な態度で嵇紹に返事をしたが、建設をやめなかった。

紹嘗詣炯諮事,遇炯宴會,召董艾、葛旗等共論時政。艾言於炯曰:「嵇侍中善於絲竹,公可令操之。」左右進琴,紹推不受。冏曰:「今日為歡,卿何吝此邪!」紹對曰:「公匡複社稷,當軌物作則,垂之於後。紹雖虛鄙,忝備常伯,腰紱冠冕,鳴玉殿省,豈可操執絲竹,以為伶人之事!若釋公服從私宴,所不敢辭也。」冏大慚。艾等不自得而退。

嵇紹は司馬冏に諮問されたことについて、会議の席で、董艾や葛旗らとともに時政を話し合っていた。
〈訳注〉「炯」とは、明らかにするという意味。そういう名の宴会ないしは議論の場が設定されていたようですが、よく分かりません。
董艾は言った。
「侍中の嵇紹さんは、絲竹(弦楽器と管楽器の総称)がお上手だそうで。司馬冏さまにお聞かせになってはどうですか」
左右の人が琴を差し出したが、嵇紹は押し返して受け取らなかった。
司馬冏が言った。
今日はいい気分だったのに、どうして嵇紹は演奏をケチったのか!オレの気分を害すとは、嵇紹は空気の読めない奴だ」
嵇紹は答えた。
「司馬冏さまは恵帝を戻し、社稷を復活させました。あなたは規範を守って行動し、後世の手本となるべき立場です。私は卑鄙な田舎者ですが、忝くも官位を頂戴して、いま公務用の服装で出仕しています。どうして琴なんて演奏して、伶人(楽隊)のような振る舞いをやれましょうか。公服を脱いで私宴で演奏を頼まれたなら、断りませんよ」
〈訳注〉「伶」とは、演奏するという動詞です。芸能職は、学者役人に比べると低俗な身分です。「卑鄙な私だが」と断ったのは、楽隊が「卑鄙」な仕事であることに引っ掛けて、皮肉交じりにわざと謙遜したんだ。
司馬冏は、おおいに恥じた。
董艾らは、嵇紹があまりにズバズバ言うものだから、気まずくて退出できなかった。

頃之,以公事免,冏以為左司馬。旬日,冏被誅。初,兵交,紹奔散赴宮,有持弩在東閣下者,將射之,遇有殿中將兵蕭隆,見紹姿容長者,疑非凡人,趣前拔箭,於此得免。遂還滎陽舊宅。

このころ嵇紹は公職を罷免された。司馬冏は嵇紹を左司馬にして、手元に置いた。10日としない内に、司馬冏が誅された。
司馬冏を兵が討つために兵が乱入すると、嵇紹は奔散して宮殿に行った。東閣の下で、弩を持っている人がいた。嵇紹を射ようとしたが、たまたま殿中で將兵がまばらになったとき、嵇紹の容姿が長者のオーラを持っているのを見て、凡人ではないと疑った。
〈訳注〉「蕭」はヨモギだが、心細かったり、まばらである様子も指す。
だから嵇紹は射抜かれることなく、逃げられた。ついに、栄陽の旧宅に帰還した。
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このコンテンツの目次
>『晋書』列傳59「忠義」
1)「忠義」の立伝動機
2)命を救った嵇紹のオーラ
3)嵇紹の血だ、玉衣を洗うな
4)劉備をかすった嵇含
5)司馬冏に周を勧める王豹
6)王豹と司馬冏の死
7)スイートな屍肉の劉沈
8)匈奴の捕虜になったとき
9)子の矢傷を代わりたい
10)きみは義士だなあ!