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『晋書』列傳59「忠義」 6)王豹と司馬冏の死
王豹伝の続きです。前回で王豹は、人心を失ってしまった司馬冏に、政治体制を変えるように提案した。
あなた1人で執政してはダメだ。三王で恵帝を鼎立せよ」と。

書入,無報,豹重箋曰:
豹書禦已來,十有二日,而聖旨高遠,未垂采察,不賜一字之令,不敕可否之宜。蓋霸王之神寶,安危之秘術,不可須臾而忽者也。伏思明公挾大功,抱大名,懷大德,執大權,此四大者,域中所不能容,賢聖所以戰戰兢兢,日昃不暇食,雖休勿休者也。昔周公以武王為兄,成王為君,伐紂有功,以親輔政,執德弘深,聖思博遠,至忠至仁,至孝至敬。而攝事之日,四國流言,離主出奔,居東三年,賴風雨之變,成王感悟。若不遭皇天之應,神人之察,恐公旦之禍未知所限也。至於執政,猶與召公分陝為伯。今明公自視功德孰如周公。且元康以來,宰相之患,危機竊發,不及容思,密禍潛起,輒在呼噏,豈複晏然得全生計!前鑒不遠,公所親見也。君子不有遠慮,必有近憂,憂至乃悟,悔無所及也。


王豹は上書したが、司馬冏から返事がなかった。王豹は重ねて手紙を書いて曰く、
豹(わたし)が書状を差し上げてから12日が経ちますが、聖旨は高遠で、いまだ采察を垂れず、一字之令も賜っておらず、可否之宜を聞いておりません。
〈訳注〉回りくどいが「早く返事くれ」という催促だ(笑)
霸王が重んじるべきものは、政治を安定させる秘術で、短期間で反故にしていいものではない不変のものです。
伏して思うにあなたは、大功を挾み、大名を抱え、大德を懷き、大權を執っています。この4つの大なるものは、気安く飲み下してしまえるものではありません。だから賢聖は戰々兢々として、朝も晩も食事がのどを通らず、休みたくても休めないほどプレッシャーを感じるのです。
むかし周公は、武王を兄とし、成王を君としました。紂王を伐つ功が成ると、親族に輔政させました。周公が德を執ることは弘深で、聖思は博遠であり、至忠・至仁・至孝・至敬でした。
ところが政治を見ていたとき、四國は流言し、周公は都を追われて、東方に3年間逃れました。風雨之変を頼る心細い生活で、成王は感悟しました。もし皇天之應、神人之察に遭うことがなければ、おそらく周公旦が経験する禍いは、もっと計り知れなく酷いものになったでしょう。これを踏まえ、周公は執政するに到って、諸公を召して陝(関中)を分割して伯に封じたのです。
いまあなた(司馬冏)がご自身の功德を振り返ったとき、周公とどちらが上ですか。
〈訳注〉 翻訳の体裁になってませんが、王豹が言いたいのは、「理想的な政治をした周公でさえ、権力を集中して失敗し、伯に権力を分掌させた。まして司馬冏が専権して、うまくいくワケがない」だ。
元康(291-299)以来、宰相が政治を失敗してきました。危機は気づいていなくても密かに起きています。遠いところまで見通す必要はなく、あなたが親しんでいる近くから見直して下さい。君子の思慮が遠くまで及ばないときは、必ず近くに憂慮があるものです。憂慮を悟って修正すれば、後悔することにはなりません。

今若從豹此策,皆遣王侯之國,北與成都分河為伯,成都在鄴,明公都宛,寬方千里,以與圻内侯伯子男小大相率,結好要盟,同獎皇家;貢禦之法,一如周典。若合聖規,可先旨與成都共論。雖以小才,願備行人。昔廝養,燕趙之微者耳,百里奚,秦楚之商人也,一開其說,兩國以寧。況豹雖陋,大州之綱紀,加明公起事險難之主簿也。故身雖輕,其言未必否也。

もし豹(わたし)の建策を採用なさるなら、みな王侯を任国に行かせ、黄河より北を成都王(司馬頴)に与えて伯とし、鄴城に留まらせて下さい。あなたは宛城に都を置き、四方千里を寛がせ、伯・子・男の爵位を持つ人たちを率いて協力させ、みなで皇室を守り立てる体制とします。これが「貢禦之法」で、周の文献にあるものです。
もし周代に倣って聖規どおりに政治をするなら、まず成都王(司馬頴)と相談をすべきです。
私は小才の人間ですが、政治の成功を願う者です。むかしの廝養という人は身分の低い人だったし、百里奚は、秦楚の商人でした。しかし彼らの言説によって、両国は安寧となりました。ましてや豹(わたし)は田舎者ではありますが、大州の綱紀で、あなたが(司馬倫を倒す)険難を起事したときに主簿を務めました。私は軽い身ではありますが、私の発言まで軽いとは限りません。私の話を採用して下さいね。

冏令曰:「得前後白事,具意,輒別思量也。」會長沙王乂至,於冏案上見豹箋,謂冏曰:「小子離間骨肉,何不銅駝下打殺!」冏既不能嘉豹之策,遂納乂言,乃奏豹曰:「臣忿奸凶肆逆,皇祚顛墜,與成都、長沙、新野共興義兵,安複社稷,唯欲戮力皇家,與親親宗室腹心從事,此臣夙夜自誓,無負神明。而主簿王豹比有白事,敢造異端,謂臣忝備宰相,必遘危害,慮在一旦,不祥之聲可蹻足而待,欲臣與成都分陝為伯,盡出籓王。上誣聖朝鑒禦之威,下長妖惑,疑阻眾心,噂遝背憎,巧賣兩端,訕上謗下,讒內間外,遘惡導奸,坐生猜嫌。昔孔丘匡魯,乃誅少正;子產相鄭,先戮鄧析,誠以交亂名實,若趙高詭怪之類也。豹為臣不忠不順不義,輒敕都街考竟,以明邪正。」豹將死,曰:「懸吾頭大司馬門,見兵之攻齊也。」眾庶冤之。俄而冏敗。

司馬冏は答えた。
「王豹が前後2回で言ってきたことを聞き、意味を理解した。しかし私には別の思量があるのだ」
たまたま長沙王の司馬乂が来たとき、司馬冏の机上で、王豹の書状を見た。司馬乂は、司馬冏に言った。
「小子(王豹の野郎)は、我ら司馬一族の骨肉を離間しようとしている。どうして王豹を、銅駝の下で打ち殺さずにおけようか!」と。
〈訳注〉骨肉を引き剥がすとは、任国に行かせることを言ったのだろう。これより先、司馬炎が諸王を赴任させたとき、みな泣いたらしいから、西晋の貴族は洛陽暮らしが好きだったのだ。銅駝というのは、ラクダの銅像で、洛陽の宮門前にあった。本件と関係ないが、『晋書』「索靖伝」に、「銅駝荊棘」という言葉がある。索靖は洛陽が陥落することを予知し、ラクダがイバラに埋もれるだろうと思って、こう言った。
司馬冏はすでに王豹の建策を聞く気はなかったが、ついに司馬乂の発言を受けて、王豹について奏上した。
「私(司馬冏)は、奸凶な奴(司馬倫)が大逆をほしいままにし、皇祚(恵帝)を顛墜(廃位)したことに怒りました。だから、成都王(司馬頴)、長沙(司馬乂)、新野王(司馬歆)とともに義兵を興して、社稷を複た安んじたのです。これはただ、皇室のために力を戮し、親親宗室(皇族の一同)とともに、皇帝に腹心從事したかったからです。これは私が夙夜に自ら誓かっていることで、神明に負い目がないほど確かなことです。
しかし主簿の王豹は、皇族の異端(仲間はずれ)を敢えて造れと言います。王豹によれば、私(司馬冏)が宰相を務めると必ず危害が起きて、不祥之聲(凶兆)が忍び寄っているとのこと。私(司馬冏)と成都(司馬頴)で、陝の地を分けて伯とし、藩王として出鎮せよと言うのです。
上には聖朝の鑒禦之威についてウソを吹き込み、下には妖惑を助長し、世論を疑阻し、でたらめを言って内外を惑わせています。
むかし孔丘(孔子)が魯を正したとき、少正を誅しました。すなわち子産相鄭、先戮鄧析。まことに交亂を利用して名實を得ようというのは、王豹は秦の趙高のような詭怪之類であります。
王豹は、私(司馬冏)を不忠・不順・不義だと言っております。きちんと吟味し、どちらが邪でどちらが正か、明らかにして頂きたいものです」
〈訳注〉結果論からすれば、王豹が正しくて、司馬冏が間違っていた。司馬冏を炊き付けた司馬乂だって、皇族同士で殺しあうんだ。
王豹が今にも死ぬというとき、言った。
「私の頭を大司馬門に懸けて下さい。軍兵が斉王(司馬冏)を攻めるのを見届けましょう」
衆庶は、王豹を冤罪だと言った。王豹が処刑された直後、俄かに司馬冏は敗れた。
〈訳注〉ぶっきらぼうな終わり方ですが、「そら見たことか」という『晋書』の筆者のツッコミが、「俄而冏敗」の4文字に籠もっています。

長らく司馬冏と王豹が戦ってきましたが、この列伝が言っていることの構図は簡単だ。
司馬冏の言い分は、
「私には恵帝を復位させた功績がある。だから、好きなように政治をやって何が悪いんだ」
ということ。
その主簿をやっている王豹は、
「司馬冏が好き放題をやっていると、せっかく安定した政局が、また傾いてしまう。戦乱が起きる前に、権力をうまく分散して戦乱を予防しよう。慎ましく振舞っている司馬頴などは、輔佐として適任だ」
と考えている。
王豹は不幸なことに、司馬冏の不興を買って殺されてしまう。王豹の話を聞けなかった司馬冏も、身を滅ぼす。結末から遡って、
「ああ王豹の言い分は、忠義だったんだなあ」
というのが、『晋書』の編者の意向のようです。結果から歴史を語るとは、少しマナー違反ですが、細かいことは言いっこなしで。
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このコンテンツの目次
>『晋書』列傳59「忠義」
1)「忠義」の立伝動機
2)命を救った嵇紹のオーラ
3)嵇紹の血だ、玉衣を洗うな
4)劉備をかすった嵇含
5)司馬冏に周を勧める王豹
6)王豹と司馬冏の死
7)スイートな屍肉の劉沈
8)匈奴の捕虜になったとき
9)子の矢傷を代わりたい
10)きみは義士だなあ!