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『晋書』列傳59「忠義」
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5)司馬冏に周を勧める王豹
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王豹
王豹,順陽人也。少而抗直。初為豫州別駕,齊王冏為大司馬,以豹為主簿。冏驕縱,失天下心,豹致箋於冏日:
王豹は、順陽の人である。若いときから抗直な性格だった。はじめ豫州別駕となった。齊王の司馬冏が大司馬となると、王豹を主簿とした。司馬冏は驕縱な振る舞いをして、天下の心を失った。 王豹は箋(書簡)を司馬冏に送って曰く、
豹聞王臣蹇蹇,匪躬之故,將以安主定時,保存社稷者也。是以為人臣而欺其君者,刑罰不足以為誅;為人主而逆其諫者,靈厲不足以為諡。伏惟明公虛心下士,開懷納善,款誠以著,而逆耳之言未入於聽。豹伏思晉政漸缺,始自元康以來,宰相在位,未有一人獲終,乃事勢使然,未為輒有不善也。今公克平禍亂,安國定家,故複因前傾敗之法,尋中間覆車之軌,欲冀長存,非所敢聞。今河間樹根于關右,成都盤桓于舊魏,新野大封于江漢,三面貴王,各以方剛強盛,並典戎馬,處險害之地。且明公興義討逆,功蓋天下,聖德光茂,名震當世。今以難賞之功,挾震主之威,獨據京都,專執大權,進則亢龍有悔,退則蒺藜生庭,冀此求安,未知其福。敢以淺見,陳寫愚情。
私が聞くところによれば、王の臣下が蹇蹇として慎ましいのは、困窮しているからではありません。主君を安んじて、時代を定め、社稷を守り立てようと思うからです。
〈訳注〉「蹇」というのは、原意は足なえ。足が伸縮して不自由なこと。ここから、とどこおる、つまずく、素直でないなどを表す。
人臣のくせに君主を欺く人は、刑罰は誅殺しただけでは不充分(なくらい罪深い)です。君主の誤りを諌める人は、死後に諡号を贈っても不充分(なくらい立派)です。
司馬冏さまは、謙虚に人材を招き、心を開いて善行を取り入れ、款誠は明らかです。しかし耳に逆らう良言を、聞き入れたことはありません。私が思うに、晋の政治はだんだん欠点が広がり、元康(291-)以来、宰相が位にあっても、1人が政治を完全にやり遂げられません。時勢に任せて為政者がコロコロと失脚するのは、不善の人が政治を行なうからです。
いま司馬冏さまは禍乱を勝利して平定し、国を安んじて家を定めていますが、前任の失敗を繰り返して兵乱を招きそうです。長く政権担当でいたいくせに、人の話を聞かれません。
いま河間王(樹根)は関右にいて、成都王(盤桓)は旧魏にいて、新野王(大封)は江漢に居られます。3人の血筋の貴い王は、それぞれ方剛強盛で、戎馬を率いて攻撃力が強く、險害の地に赴任して防御力も強いです。司馬冏さまが義を興して(司馬倫を)討逆したから、功は天下を蓋い、聖德は光茂し、名は當世を震わせました。いま司馬冏さまは(他の2王を差し置いて)難賞之功をもって、恵帝を手中に収めて、1人で洛陽で大権を執っておられます。 もし軍を進めれば亢龍は悔いることになりますが、退けば庭に蒺藜が生じて長く政権を担当できます。これを願って平安を求めていますが、今の司馬冏さまのやり方では、まだその福を知ることはありません。淺見ではありますが、愚情をありのままに申し上げました。
〈訳注〉「亢」とは、高ぶる、頭を高く持ち上げる、の字意。龍が目覚めたように、官軍を動員することの例えか。「蒺藜」は海岸の砂地に生えるハマビシという草の名。夏に黄色い花を付け、10本のトゲがある。マキビシと同じ用途の武器として使う。「庭に蒺藜が生じる」とは、軍を動かさずに自重すれば、自然と防御が固まると言いたいのだろう。
昔武王伐紂,封建諸侯為二伯,自陝以東,周公主之,自陝以西,召公主之。及至其末,霸國之世,不過數州之地,四海強兵不敢入窺九鼎,所以然者,天下習於所奉故也。今誠能尊用周法,以成都為北州伯,統河北之王侯,明公為南州伯,以攝南土之官長,各因本職,出居其方,樹德於外,盡忠於內,歲終率所領而貢于朝,簡良才,命賢俊,以為天子百官,則四海長寧,萬國幸甚,明公之德當與周召同其至美,危敗路塞,社稷可保。顧明公思高祖納婁敬之策,悟張良履足之謀,遠臨深之危,保泰山之安。若合聖思,宛許可都也。
むかし周ノ武王が紂を伐ったとき、諸侯を封建して「二伯」としました。陝(関中)より東は、周公が自ら治めて、陝(関中)より西は、諸公に治めさせました。周代の末期、霸國之世(春秋時代)となると、周の支配は数州にしか及ばなくなりました。しかし四海の強兵は、あえて周室に進入して、九鼎の軽重を窺う(簒奪する)ことはありませんでした。周がこのように存続できたのは、天下が周の長い歴史を重んじたからです。
いま周室のやり方をマネして、成都王(司馬頴)を北州伯にして、河北の王侯を統べさせなさい。あなた(司馬冏)は南州伯となり、南土の官長を摂りなさい。 諸王は現在の王号にちなみ、その地方に出鎮させなさい。德を外に樹立し、忠を内に満たし、諸王は領国を治めて、洛陽に朝貢すべきです。良才や賢俊を選んで天子の百官とすれば、四海は長く平寧で、萬國は幸甚、あなた(司馬冏)の德は周室が春秋の諸侯に奉られたのと同じように、賛美されるでしょう。 高祖(劉邦)が婁敬之策を聞き入れて、張良の策謀を採用したように、私の話を聞いて下さい。国家が深い危機に臨む状況を遠ざけ、泰山のように安定するはずです。もしあなたの聖思に合ったなら、全て許可してほしく思います。
〈訳注〉王豹は、司馬倫を討った功績のある3王の誰か1人が執政するんじゃなく、全員が洛陽から出て、恵帝を領国から守り立てることを勧めている。それを春秋時代に例えた。これは実は正解で、1人の執政者を選ぼうとするから、後に3王が順番に潰しあい、西晋の国力を削ぐ。
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このコンテンツの目次
>『晋書』列傳59「忠義」
1)「忠義」の立伝動機
2)命を救った嵇紹のオーラ
3)嵇紹の血だ、玉衣を洗うな
4)劉備をかすった嵇含
5)司馬冏に周を勧める王豹
6)王豹と司馬冏の死
7)スイートな屍肉の劉沈
8)匈奴の捕虜になったとき
9)子の矢傷を代わりたい
10)きみは義士だなあ!
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