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『晋書』列38、呉の人たち 1)八王に愛想つきた顧榮
列伝38には、祖父あたりの代で孫呉に仕えて、西晋に飲み込まれ、やがて東晋を土着の名族として支えた人たちが書かれています。顧榮、紀瞻、賀循、楊方、薛兼です。訳していきます。
読んでて思ったのは、晋は本当の意味で「平呉」に成功していなかったということ。
蜀はもともと人材が希薄なママゴト国家だったし、呉より15年も早く滅びた。だから晋が解体したとき、「旧蜀」の勢力は存在感を持たなかった。だが「旧呉」は、晋が解体したときに存在感があり、司馬睿が懸命にオベッカを使って、仮住まいをさせてもらった。
孫呉を「孫氏の王朝」ではなく、「揚州豪族の連合」と見たとき、三国の真の勝者は呉だったかも知れない。
「三国の勝者は、三国のどこでもない(晋だ)」
は皮肉で面白いが、違うのかも。その後の南北朝の歴史を見ると、最後の勝者は、長江流域を開拓した呉だ。司馬睿が、中学生の未発達な片思いのように、揚州の人士に執着していることが、これを裏付ける。
顧榮
顧榮,字彥先,吳國吳人也,為南土著姓。祖雍,吳丞相。父穆,宜都太守。榮機神朗悟,弱冠仕吳,為黃門侍郎、太子輔義都尉。吳平,與陸機兄弟同入洛,時人號為「三俊。」例拜為郎中,曆尚書郎、太子中舍人、廷尉正。恆縱酒酣暢,謂友人張翰曰:「惟酒可以忘憂,但無如作病何耳。」

顧榮は、あざなを彦先といい、呉國は呉郡の人である。顧氏は、南方では有力な一族である。祖父の顧雍は、孫呉の丞相だった。父の顧穆は、宜都太守だった。
顧榮の精神は朗悟で、若く20歳にして孫呉に仕え、黄門侍郎となり、太子輔義都尉だった。孫呉が西晋に平定されると、陸機の兄弟とともに洛陽に入り、当時の人たちからは「三俊」と呼ばれた。
〈訳注〉陸機は陸遜の孫で、陸抗の子。陸機の弟は、陸雲と陸耽だ。「三俊」に数えられたのは、陸雲だろう。
顧榮は郎中を拝命し、尚書郎、太子中舍人、廷尉正を歴任した。顧榮は酒をたしなむのが好きで、友人の張翰に言っていた。
「酒を飲めば、憂いを忘れることができるよ。気に病むことが、何もないような心地になれるんだ」

會趙王倫誅淮南王允,收允僚屬付廷尉,皆欲誅之,榮平心處當,多所全宥。及倫篡位,倫子虔為大將軍,以榮為長史。初,榮與同僚宴飲,見執炙者貌狀不凡,有欲炙之色,榮割炙啖之。坐者問其故,榮曰:「豈有終日執之而不知其味!」及倫敗,榮被執,將誅,而執炙者為督率,遂救之,得免。


趙王の司馬倫が淮南王の司馬允を誅したとき、司馬允の僚属たちを捕らえて、廷尉に引き渡して全員を誅そうとした。だが顧榮は平然と構えていたから、許された。
〈訳注〉淮南と孫呉の旧領は隣接する。だから仕えたのか。他の列伝を読んでも思うが、八王の時代は君主がバタバタ倒れるから、臣下は転職が大変です。
司馬倫が恵帝から位を簒奪すると、司馬倫の子である司馬虔は大將軍となった。司馬虔は顧榮を、自分の長史とした。
はじめ顧榮が同僚とともに宴飲していたとき、顧榮は肉をあぶっている下人の容貌が普通ではないのを見つけた。下人が肉を欲しそうな顔をしていたから、顧榮は分けて食べさせてやった。一緒に酒を飲んでいた仲間が、「なぜ分けてやったのか」と聞いたので、顧榮は答えた。
「どうしてこの人は、肉を終日料理しているのに、その味を知らないのか。味見くらいしてもいいじゃん」と。
司馬倫が敗北すると、顧榮は捕らえられ、今にも誅されそうになった。だが、肉をあぶっていた人が仲間を率いて顧榮を助け出したから、殺されずに済んだ。
〈訳注〉食い物の恨みとはよく言いますが、食い物の恩とはねえ!

齊王冏召為大司馬主簿。冏擅權驕恣,榮懼及禍,終日昏酣,不綜府事,以情告友人長樂馮熊。熊謂冏長史葛旟曰:「以顧榮為主簿,所以甄拔才望,委以事機,不復計南北親疏,欲平海內之心也。今府大事殷,非酒客之政。」旟曰:「榮江南望士,且居職日淺,不宜輕代易之。」熊曰:「可轉為中書侍郎,榮不失清顯,而府更收實才。」旟然之,白冏,以為中書侍郎。在職不復飲酒。人或問之曰:「何前醉而後醒邪?」榮懼罪,乃複更飲。與州裏楊彥明書曰:「吾為齊王主簿,恆慮禍及,見刀與繩,每欲自殺,但人不知耳。」及旟誅,榮以討葛旟功,封喜興伯,轉太子中庶子。

齊王の司馬冏に顧榮は召されて、大司馬の主簿となった。司馬冏が擅權して驕恣だったから、顧榮はその禍いが自分に及ぶことを懼れた。終日ずっと泥酔していて、大司馬の府に出勤しなかった。
顧榮はこの心情を、友人で長樂に就いている馮熊に告げた。馮熊は、司馬冏の長史をやっている葛旟に言った。
「顧榮を大司馬の府の主簿にしたらどうか。顧榮の優れた才望に政治を任せて、(出身地の)南北や(血統の)親疏の隔てなく、海内之心を平らかにしたいものだ。いまの司馬冏さまの政治はムダに贅沢で、酒客(顧榮)がやるよりも劣るよ」
葛旟は言い返した。
「顧榮は江南の望士であるが、西晋での職歴は日が浅い。軽々しく、主簿を顧榮に交代させることはできない」
馮熊は食い下がった。
「顧榮を転属して、中書侍郎にしなさい。顧榮は清顯を失わないから、大司馬府は顧榮の才能の恩恵を受けられるだろう」
葛旟は「中書侍郎なら構わない」と思って、司馬冏に申し出て顧榮を転属した。 中書侍郎に着任した顧榮は、二度と酒を飲まなかった。ある人が、顧榮に訊いた。
「なぜ以前は泥酔していたのに、今はいつもシラフなのか?」
顧榮は罪を受けることを懼れて、再び飲酒をするようになった。
〈訳注〉禁酒をしてしまうと、以前の泥酔が司馬冏への批判だったことが、露骨に表れてしまう。だからカムフラージュしたのだ。
同じ揚州出身の楊彦明とともに、書した。
〈訳注〉「楊彦と明書した」のか、「楊彦明と書した」のか分からない。
「私は斉王(司馬冏)の主簿となったが、いつも禍いが及ぶことを心配し、刀と縄を見ればいつも、自殺する衝動に駆られる。他人には言っていないことだが」
〈訳注〉けっきょく馮熊の提案どおり、主簿になれたようだ。
葛旟が誅されると、顧榮は葛旟を討った功績により、顧榮は喜興伯に封じられ、太子中庶子に転じた。

長沙王乂為驃騎,複以榮為長史。乂敗,轉成都王穎丞相從事中郎。惠帝幸臨漳,以榮兼侍中,遣行園陵。會張方據洛,不得進,避之陳留。及帝西遷長安,征為散騎常侍,以世亂不應,遂還吳。東海王越聚兵於徐州,以榮為軍諮祭酒。

長沙王の司馬乂が驃騎将軍になると、また顧榮を長史とした。司馬乂が敗れると、成都王の司馬頴のところで丞相從事中郎になった。
惠帝が臨漳に行幸すると、顧榮は侍中を兼務した。恵帝に付き従って、園陵に行った。(司馬顒の将である)張方が洛陽を占拠してしまったので、恵帝や顧榮は洛陽に戻ることができず、陳留に避難した。
恵帝が(司馬顒に連れられて)長安に移されると、顧榮は散騎常侍となった。
世亂に応じられない(八王ノ乱に付き合いきれない)ので、顧榮は呉郡に還った。しかし東海王の司馬越が徐州で兵を集めると、顧榮を軍諮祭酒に迎えた。

屬廣陵相陳敏反,南渡江,逐揚州刺史劉機、丹陽內史王曠,阻兵據州,分置子弟為列郡,收禮豪桀,有孫氏鼎峙之計。假榮右將軍、丹陽內史。榮數踐危亡之際,恆以恭遜自勉。會敏欲誅諸士人,榮說之曰:「中國喪亂,胡夷內侮,觀太傅今日不能複振華夏,百姓無複遺種。江南雖有石冰之寇,人物尚全。榮常憂無竇氏、孫、劉之策,有以存之耳。今將軍懷神武之略,有孫吳之能,功勳效於已著,勇略冠於當世,帶甲數萬,舳艫山積,上方雖有數州,亦可傳檄而定也。若能委信君子,各得盡懷,散蒂芥之恨,塞讒諂之口,則大事可圖也。」

廣陵国の相である陳敏が叛乱すると、顧榮は陳敏に従って、長江を南渡した。
〈訳注〉世乱は御免だと言うのに、司馬越が顧榮に色気を見せたから、嫌気が差したのだ。司馬氏の王朝への叛乱に味方した。
揚州刺史の劉機、丹陽内史王曠は、西晋の兵を防いで揚州を拠点とした。子弟に土地を分け与えて、郡を次々に設置した。豪傑を礼をもって味方につけたことは、三国時代に孫氏がやった鼎峙之計と同じだ。
顧榮は陳敏政権で右将軍、丹陽内史となった。顧榮はしばしば危亡な場面にあったが、つねに恭しく遜り、自ら勉めた。
陳敏が諸士人を誅したいと言ったので、顧榮は諌めた。
「中原は喪亂し、胡夷は漢民族を侮っています。私が政局を見たところ、太傅(司馬越)はもはや中華を復興することはできず、百姓は子孫を遺せないでしょう。江南は、石冰が叛乱を起こしているものの、人材は今でも揃っています。私は、竇氏や孫・劉がやったような策が思いつかないことが残念ですが、1つだけ案はあります。
〈訳注〉竇氏って誰だ。後漢の外戚でいいのか。和帝の竇憲や霊帝の竇武は、皇帝の代わりに政治をやった。司馬氏が潰しあっているから、他氏が輔政することを指すのだろう。「孫劉之策」というのは、三国志を踏まえ、地方に割拠することだ。
いま陳敏将軍は、神武之略をお持ちで、孫呉之能があり、功勳があるから名は知れ渡り、勇略は當世を冠います,帶甲した兵士は数万人もいて、舳艫(軍資)は山積しています。華北には、まだ陳敏将軍の勢力が届かない数州がありますが、檄を伝えて平定して下さい。もし君子たる人材を用いて政治を任せれば、万民は懐き、蒂芥之恨は散じ、讒諂之口を塞げます。大事を図るべきです」
〈訳注〉「塞讒諂之口」とはすごい表現で、訳せないからそのまま。人を陥れるようなウソや、権力者へのへつらいを吐くような連中の、口が塞がるという意味だ。

「顧榮伝」は続きます。
揚州の人士と陳敏は、うまくやれるのか・・・?
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このコンテンツの目次
>『晋書』列38、呉の人たち
1)八王に愛想つきた顧榮
2)揚州人を司馬睿に推挙
3)統一への疑問、紀瞻伝
4)揚州から司馬睿への脅し
5)病人を引き止める東晋帝
6)西晋に距離を置く賀循
7)孫皓に首を挽かれたのは
8)恵帝を皇帝に数えるか
9)司馬睿のしがみつき
10)楊方と薛兼の列伝