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『晋書』列38、呉の人たち 2)揚州人を司馬睿に推挙
「顧榮伝」の続きです。

敏納其言,悉引諸豪族委任之。敏仍遣甘卓出橫江,堅甲利器,盡以委之。榮私于卓曰:「若江東之事可濟,當共成之。然卿觀事勢當有濟理不?敏既常才,本無大略,政令反覆,計無所定,然其子弟各已驕矜,其敗必矣。而吾等安然受其官祿,事敗之日,使江西諸軍函首送洛,題曰逆賊顧榮、甘卓之首,豈惟一身顛覆,辱及萬世,可不圖之!」卓從之。明年,周與榮及甘卓、紀瞻潛謀起兵攻敏。榮廢橋斂舟于南岸,敏率萬餘人出,不獲濟,榮麾以羽扇,其眾潰散。事平,還吳。永嘉初,征拜侍中,行至彭城,見禍難方作,遂輕舟而還,語在《紀瞻傳》。

陳敏は顧榮の提案を受け入れて、ことごとく諸豪族を招いて、統治を委任した。陳敏はただちに甘卓を橫江に遣わして、甲を堅めて器を利がせ、武具の管理を一任した。
顧榮はひそかに甘卓に言った。
もし江東を治めることになれば、共にこれを成そう。あなたが今の事勢を見たとき、道理の通った統治が行なわれていると思うか?陳敏は十人並みの才能はあるが、もとより大略がない。西晋政権を反覆させても、計は定まるところがない。陳敏の子弟は驕矜な奴らばかりだから、陳氏は必ず敗れるぞ。ところが我らは安然として、陳敏から官位と俸禄を受けている。陳敏が敗れた日には、我らは江西(西晋)諸軍に討たれて、首を箱詰めにして洛陽に送られる。箱には「逆賊の顧榮と甘卓の首」と書かれるだろう。(敗れた陳敏に連座して)どうして一身で国家を顛覆できるものか。自分の首を辱めることは、萬世に及ぶ・・・そんな運命を選んではいけない!」
甘卓は、顧榮に従った。
翌年、周□と顧榮および甘卓と紀瞻は、極秘で謀って起兵し、陳敏を攻めた。顧榮が橋と南岸の舟を破壊したから、陳敏は万余人を率いて出陣してきたが、統率が取れなかった。顧榮は羽扇をなびかせて、敵軍を潰走させた。陳敏を平定すると、顧榮は呉郡に還った。
〈訳注〉軍師ぶりが、さすが「三国の孫世代!」と叫びたくなる(笑)
永嘉初(307年)、西晋から侍中を拝して、彭城に入った。しかし兵禍のせいで耕作がままならないのを見ると、輕舟で呉郡に還った。このときのことは、「紀瞻傳」に書いてある。
〈訳注〉「紀瞻傳」も次に訳します。

元帝鎮江東,以榮為軍司,加散騎常侍,凡所謀畫,皆以諮焉。榮既南州望士,躬處右職,朝野甚推敬之。時帝所幸鄭貴嬪有疾,以祈禱頗廢萬機,榮上箋諫曰:「昔文王父子兄弟乃有三聖,可謂窮理者也。而文王日昃不暇食,周公一沐三握發,何哉?誠以一日萬機,不可不理;一言蹉跌,患必及之故也。當今衰季之末,屬亂離之運,而天子流播,豺狼塞路,公宜露營野次,星言夙駕,伏軾怒蛙以募勇士,懸膽於庭以表辛苦。貴嬪未安,藥石實急;禱祀之事,誠複可修;豈有便塞參佐白事,斷賓客問訊?今強賊臨境,流言滿國,人心萬端,去就紛紜。願沖虛納下,廣延俊彥,思畫今日之要,塞鬼道淫祀,弘九合之勤,雪天下之恥,則群生有賴,開泰有期矣。」

元帝(司馬睿)が江東に出鎮すると、顧榮を軍司に招いて、散騎常侍を加えた。司馬睿がはかりごとを巡らすとき、全て顧榮の意見を求めた。顧榮はすでに南州の望士だったから、司馬睿に重要なポストを与えられると、朝廷・在野の人は顧榮をはげしく推敬した。
ときに司馬睿は鄭に行幸した。華北で貴嬪(司馬一族)が大量に殺されたから、祈禱によって萬機を廃そうとした。
顧榮は、上箋して諫めた。
「昔、文王の父子兄弟すなわち三聖あり、理を窮む者と謂うべきなり。しかるに文王、日昃、食を暇せず。周公、一沐三握發、何なるや。まことに一日をもって、萬機を理すべからず。一言の蹉跌は、患い必ずこれに及ぶゆえなり。今日、衰季の末、亂離の運に属す。しこうして天子は流播し、豺狼は路を塞ぎ、公は宜しく野次に露營し、星言は夙に駕す。怒蛙を伏軾すに、勇士を募るをもってし、庭に懸膽して、もって辛苦を表す。貴嬪、未だ安からず。藥石、實に急なる。禱祀の事、まことに複た修むべし。豈に便ち參佐の白事を塞ぎ、賓客の問訊するを斷ずことありや?今、強賊は境に臨み、流言は國を滿し、人心は萬端し、去就は紛紜たり。願わくは沖虚に下を納れ、廣く俊彦を延べよ。思畫は今日の要なり。鬼道淫祀を塞ぎ、九合之勤を弘め、天下の恥を雪げ。則ち群生は賴あり、開泰は期あるかな」
〈訳注〉ええっと・・・口語訳を放棄したわけですが(笑)ザクッとまとめれば、「泣いて神頼みしてないで、きちんと政治しろや」です。

時南土之士未盡才用,榮又言:「陸士光貞正清貴,金玉其質;甘季思忠款盡誠,膽幹殊快;殷慶元質略有明規,文武可施用;榮族兄公讓明亮守節,困不易操;會稽楊彦明、謝行言皆服膺儒教,足為公望;賀生沈潛,青雲之士;陶恭兄弟才幹雖少,實事極佳。凡此諸人,皆南金也。」書奏,皆納之。

このとき司馬睿は、南土之士(揚州の人材)を、まだ充分に採用していなかった。顧榮はまた言った。
陸士光は、貞正清貴な人で、素質は金玉のようです。甘季思は忠款で誠を盡し、膽幹が殊に快な人です。殷慶元は質略に明規があり、文武は施用すべきものがあります。私の族兄である顧公讓は、明亮守節、困窮しても操を変えません。會稽郡の楊彦明と謝行言は、どちらも儒教に服膺し、司馬睿さまの望むレベルを充足します。賀生は沈潛で、青雲の士です。陶恭兄弟は、才幹が少ないけれど、実務では極めて有能です。私が名前を出した諸人は、みな南金(揚州の逸材)です」
顧榮が書を上奏すると、みな採用された。
〈訳注〉東晋が成立していく過程が見えます。ここに出てきた甘季思とは、陳敏をともに片付けた甘卓のことだろうか。人材を順番に挙げていく文は、「出師の表」に似ています。

六年,卒官。帝臨喪盡哀,欲表贈榮,依齊王功臣格。
吳郡內史殷祐箋曰


永嘉六(312)年、顧榮は在官のまま死んだ。司馬睿は顧榮の喪に臨み、哀を尽くした。司馬睿は懐帝に上表して、斉王(司馬冏)の功臣と同レベルの追贈を、顧榮にしてもらうよう願い出た。
呉郡内史の殷祐が、上箋して言った。
〈訳注〉殷祐とは、顧榮が取り立てた殷慶元だろうか?

昔賊臣陳敏憑寵藉權,滔天作亂,兄弟姻婭盤固州郡,威逼士庶以為臣僕,于時賢愚計無所出。故散騎常侍、安東軍司、嘉興伯顧榮經德體道,謀猷弘遠,忠貞之節,在困彌厲。崎嶇艱險之中,逼迫奸逆之下,每惟社稷,發憤慷愾。密結腹心,同謀致討。信著群士,名冠東夏,德聲所振,莫不回應,荷戈駿奔,其會如林。榮躬當矢石,為眾率先,忠義奮發,忘家為國,歷年逋寇,一朝土崩,兵不血刃,蕩平六州,勳茂上代,義彰天下。
伏聞論功依故大司馬齊王格,不在帷幕密謀參議之例,下附州征野戰之比,不得進爵拓土,賜拜子弟,遐邇同歎,江表失望。齊王親則近屬,位為方嶽,杖節握兵,都督近畿,外有五國之援,內有宗室之助,稱兵彌時,役連天下,元功雖建,所喪亦多。榮眾無一旅,任非籓翰,孤絕江外,王命不通,臨危獨斷,以身徇國,官無一金之費,人無終朝之勞。元惡既殄,高尚成功,封閉倉廩,以俟大軍,故國安物阜,以義成俗,今日匡霸事舉,未必不由此而隆也。方之于齊,強弱不同,優劣亦異。至於齊府參佐,扶義助強,非創謀之主,皆錫珪受瑞,或公或侯。榮首建密謀,為方面盟主,功高元帥,賞卑下佐,上虧經國紀功之班,下孤忠義授命之士。
夫考績幽明,王教所崇,況若榮者,濟難甯國,應天先事,曆觀古今,未有立功若彼,酬報如此者也。


(長いので要約します)かつて揚州では、陳敏が孫呉気取りに割拠した。だが顧榮は、国のために陳敏を倒した。
いま顧榮を、斉王の遺臣と同列に評価するようだが、揚州の人たちは失望するでしょう。
司馬冏の側近が軍を動かすときは、各国から大量の兵を動員できたし、皇族の援助を得られた。だが顧榮は、地縁も人脈も軍資もないのに、独力で陳敏を討った。顧榮の方が功績が大きい。
顧榮に追贈する位を、ご再考されたい。

由是贈榮侍中、驃騎將軍、開府儀同三司,諡曰元。及帝為晉王,追封為公,開國,食邑。
榮素好琴,及卒,家人常置琴於靈座。吳郡張翰哭之慟,既而上床鼓琴數曲,撫琴而歎曰:「顧彥先複能賞此不?」因又慟哭,不弔喪主而去。子毗嗣,官至散騎侍郎。

殷祐の意見により、侍中、驃騎將軍、開府儀同三司が顧榮に追贈され、「元」とおくり名された。司馬睿が晉王になると、顧榮を公に追封して、開國を認めて、食邑を与えた。
顧榮は日ごろから琴が好きだった。顧榮が死ぬと、家人はつねに琴を靈座に置いた。呉郡の張翰は、顧榮が死んで哭慟した。張翰は床に上って、琴で数曲を演奏し、琴を撫でて歎いた。
「顧彦先(彦先は顧榮のあざな)よ、君は二度とこの琴の音を楽しむことができないのだなあ」
言い終わるとまた慟哭し、喪主(顧榮)を弔わずに去った。
子の顧毗が嗣ぎ、官は散騎侍郎まで到った。
つぎは、顧榮とともに司馬越に離縁状をたたき付けた「紀瞻伝」です。
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このコンテンツの目次
>『晋書』列38、呉の人たち
1)八王に愛想つきた顧榮
2)揚州人を司馬睿に推挙
3)統一への疑問、紀瞻伝
4)揚州から司馬睿への脅し
5)病人を引き止める東晋帝
6)西晋に距離を置く賀循
7)孫皓に首を挽かれたのは
8)恵帝を皇帝に数えるか
9)司馬睿のしがみつき
10)楊方と薛兼の列伝