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『後漢書』本紀7、桓帝は何者か
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6)皇子殺害の勅令?
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論に曰く、
『東観漢記』に書いてあることだが、桓帝は音楽を好み、琴笙の演奏が上手かった。芳林(建物の両脇への植樹した)で飾って、濯龍の宮殿を演出した。
華やかな文様の天蓋を被せて、純金を散りばめた祭器で、ブッダと老子とを祀った。『左伝』には、「国が興るときは、民の声を聞く。国が滅びるときは、神の声を聞く」とある。桓帝が神仏を頼んだのは、国を滅ぼす態度であろうか。
梁冀を誅したとき、桓帝は威怒を発現した。だが梁冀の亡き後も、政治が良くなることはなかった。天下の人は、心安らかに生活できることを待ち望んだ。
単超ら5人の宦官は、梁冀の「虐」を引き継ぎ、害悪を四方に垂れ流した。李膺ら忠賢な人は、桓帝を直接諌めて宦官と対決をした。李膺らが、宦官の邪悪な思惑をたびたび挫かなければ、王朝は宦官に乗っ取られてしまうところであった。桓帝は危機感がなく、宦官を寵愛しているのだから、世話のないことだ。
賛に曰く、
桓帝は宗室の傍系に生まれたので、皇帝の候補者ではなかった。だが、何人かを飛び越えて、天禄(帝位)に登った。だが政治の主導権は、5人のへつらい上手な奴ら(宦官)に移った。 刑の決め方は淫らで、3回も失敗した。すなわち、147年の李固と杜喬、160年の李雲と杜衆、166年の成シンと劉質のことである。彼らを刑死させてはならなかった。
後宮が傾くほどに女性を抱えたが、皇子はできなかった。
以上で、桓帝本紀は終わりです。
論では「桓帝は国を滅ぼす気か」と叱っています。 ぼくが思うに、桓帝は国を滅ぼす気だったと思います。頭が弱かったから、亡国の皇帝の振る舞いを、ウッカリやったのではない。心が弱かったから、亡国の皇帝の振る舞いをワザとやったんだ。
桓帝は少年のときから皇帝だった。継承権がほぼゼロの劉志くんを皇帝にしてくれたのは、梁冀だ。だから梁冀はツケ上がったが、恩があるものは仕方ない。これで梁冀が善政をやってくれれば、結果オーライだったが、その逆だった。 きっと少年皇帝は思った。
「オレがもっと強くなれたら、梁冀を除いてやる。オレが必死になって政治に努めれば、天災・外寇・叛乱は消えるだろう。いまこの国に災難が多いのは、梁冀の政治が拙いからだ。なにせ彼は、全く政治に関心がないんだからな!」
まず桓帝は、親政を勝ち取った。だが災難は已まず。
「梁冀が大将軍として残っているから、オレの功徳が相殺されているに違いない」
桓帝は宦官を味方につけて、ついに梁冀を倒しました。しかし天災は収まらず、むしろ酷くなった。叛乱も外寇も続いた。
「一生懸命やっても、報われないじゃないか!」
桓帝は、がっくりしただろう。
それもそのはずで、このときから隋唐帝国が成立するまで、大陸は寒冷化するのです。気温が下がれば、普遍的に生産力が落ちる。生き残るために、諸民族が、隣の芝を刈りに出かける。べつに芝は青くないんだが、それでも抗争が已まない。
地球規模の環境変化だから、桓帝は悪くない。だが天人感応説を、詔の中にまで入れてしまう桓帝だから、自己嫌悪が極まったはず。
世界史的な民族の流動だから、桓帝が把握できなくても仕方ない。しかし皇帝とは、人民を代表して天を祭る、唯一の至高の人間のはず。梁冀に圧迫され、「皇帝とはどうあるべきか」とおそらく自問してきた桓帝は、ものすごく自責したはず。
張り詰めた糸は、力を発揮するし、美しい音色を奏でる。でも、プツンと切れてしまうリスクが高い。桓帝は糸のようでした。
野王県の山上で、龍の屍骸が見つかった。
龍というのは、劉氏の皇帝の象徴です。べつに日本語の音が同じとかではなく(笑)高祖劉邦の顔が、劉に似ていたからだと言います。そのドラゴンが、死んでしまうとはね。桓帝の緊張と自責が限界を超えた。
「ああ、もう諦めよう。劉氏の天命は終わったぞ」
桓帝はひそかに心に決めた。だが皇帝自らが、そんなことをヘリコプターで宣伝するわけにも行かない。しかし、胸に秘密を溜めるというのは、とてもエネルギーがいる。
「この国を中興した光武帝に、断りを入れよう。彼の了承を取れば、以降の国難はオレの責任ではない。周囲には、先祖に新たな頑張りを誓うように見えるだろう。まるで逆なんだが。ははは」
あとの桓帝は、惰性ですよ。
梁冀を倒す功績のあった宦官は、いい話し相手だ。彼らが「党人を罰しましょう」と言えば、「それもいいかもね」と認めた。彼らが「党人を赦しましょう」と言えば、それを認めた。政策に一貫性がないのは、自分の頭で考えてない証拠だ。
桓帝は、こっそり命じた。
「もう王朝は終わっているのだから、
劉氏の皇子は必要ない。育っても、簒奪のとき殺されるか、良くても県侯あたりに封じ込められる。みじめな一生を、わざわざ送ることはない。男子が生まれたら殺せ。あわよくば、オレの代にて、漢の皇帝は終了させたい。こんなやり切れない思いをする人間は、オレだけで沢山だ」
桓帝がこんなことを言ったとは、『後漢書』のどこにも書いてないが、充分にありえる。だって15歳ですでに娘がいて、のちに後宮にぎっしり女を詰め込んだ人だ。子作りはむしろ得意だったはず。
桓帝の顔立ちが見えてきました。成功です。090220
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このコンテンツの目次
>『晋書』と『後漢書』口語訳
『後漢書』本紀7、桓帝とは何者か
1)少年皇帝
2)旱・水・蝗・日蝕・地震
3)桓帝のクーデター
4)黄老世界に逃避行
5)桓帝期=曹操の版図
6)皇子殺害の勅令?
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