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ユニット名は「涼西の三明」
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1)敗北を見抜いた若者
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後漢の国政の傾斜は、異民族に攻められることに原因があります。北や西からの侵入を撃退した3名が、『後漢書』列伝55に収められています。皇甫規と張奐と段熲です。
今回は彼らの列伝を読み、奇跡の英雄ぶりに賛嘆しようと思います(笑)口語訳をしつつ、適当に改竄していく予定です。
曹操も目指していた、「外では将、内では相」という生き方のヒナガタがここにあります。
皇甫規
皇甫規は、あざなを威明という。安定郡朝那の人である。
諸葛亮が欲しがった安定郡です。北伐して諸葛亮が求めたものが「安定」なんて、不景気時代の現代っ子のようです。
祖父の皇甫稜は、度遼将軍だった。
度遼将軍は、2代明帝が設置。南単于が率いた民で、新しく降伏してきた人を監視した。彼らが叛乱ばかり起こすから、ついに臨時から常置になった。
父の皇甫旗は、扶風都尉。
京兆の虎牙都尉と扶風都尉は、羌が三輔を侵すので、園陵(前漢皇帝の陵墓)を護衛した。
もともと異民族対策をする家だったようです。明帝の時代に異民族対策がひと段落し、そのときに抜擢されたようで。
141年、西羌が三輔に侵入し、安定郡を包囲した。
「馬賢を征西将軍とする。討ってこい!」
諸郡の兵が戦ったが、負けた。
これより先、まだ庶民だった皇甫嵩は、馬賢の兵法を見て、居ても立ってもいられず、上書していた。
「馬賢将軍の采配を、見ております。どうやら将軍は、軍事に関心が薄いようです。きっと敗れるでしょう」
果たして、この上書の予言どおりに馬賢は敗退したから、安定太守は驚いた。
「皇甫規という奴は、兵略を知るようだ!彼を功曹として、800人を率いさせよ。次こそ羌を討たねばならん」
大抜擢だが、きっと皇甫規の祖父と父の七光りだろう。
皇甫嵩はデビュー戦で、首級を数人あげて、敵を退却させた。 皇甫規は、上計掾となった。安定郡の仕事で、中央政府に会計報告を行う官だ。
なぜ兵略の人が、財務報告をする係になったか分からん。
やがて羌が大軍を率いて、隣の隴西郡を焼き払った。朝廷は、困ったなあ、と溜息した。ここぞとばかりに、皇甫規は願い出た。
「私に戦場を与えて下さい。ここ数年、私は安定郡で、時宜に相応しい意見を陳べてきました。馬賢将軍が敗れることが、事前に分っておりました」
これは自慢ではない。自己PRです。皇甫規は、よっぽど経理の仕事がイヤだったのだ。彼の上書は続く。
「羌族が動かないので、馬賢将軍は敵が撤退するのだと考えました。背を見せたところを狙う作戦でしたが、逆に反撃を受けてしまいました。私は、羌の作戦を見抜いており、馬賢将軍は必ず敗れると予見しました。誤中ノ言(マグレ当たり)だと思われるかも知れませんが、他にマシな将軍候補がいないなら、検討してみて下さい」
止せばいいのに、皇甫規は馬賢の批判を始める。だんだんヒートアップするのは、上書する人の常だ。
「馬賢将軍は、兵を率いて4年になりますが、成果ゼロです。兵を遠方に派遣した費用は、百億にも達します(私は計吏だけに数字に明るいのです)。この費用は、実は平民から取り立てられ、姦吏(邪悪な役人)の懐に入っているのですぞ。ですから、国内の治安も悪化しました。長江流域では、人は群がって盗賊となりました。青州・徐州の人は、飢饉で荒れてしまい、流民が発生しました。」
この因果関係の組み立ては、大丈夫か(笑)
「羌族が国を潰す勢いで叛いているのは、泰平の時代が長いからではありません。辺境の将軍が、統御に失敗したからです」
ここからが酷い。もし事実なら、後漢が外圧に屈しても仕方ないと、諦めがつく。だからこそ、皇甫規が登場したんだが。
「将軍たちは、羌族が大人しいと侵略して暴れ、小さな戦利を狙っては大きな被害を招き、少しでも勝てば獲得した首級の数を水増しし、敗北は隠蔽してしまいます。兵士は疲れて、ずるい役人を恨み、困っています。上司が腐っているせいで、兵士は進軍しても快勝は得られず、退却しては衣食の足りた生活が保障されず、ドブに顔を突っ込んで餓死し、骨を野原に晒すしかありません」
おお!絶対に西方に配属されたくない!
「たびたび朝廷の軍が出陣していますが、凱旋の声を聞いたことがありません。兵長たちは血の涙を流し、敗戦の連続に驚き懼れて、精神が荒んでいます。こんなことでは、平和をキープするのは無理で、敗戦が連年かさんでいます。私が拳で自分の胸をドカドカと殴って嘆き、こんな上書をしてしまったのは、以上が理由でございます」
問題意識というのは重要だ。大人になると失ってしまうから。
皇甫規の場合、あんまり義憤が高まると、自らのアバラを折ってしまうから、注意が必要です。
「どうか私に、馬賢将軍が率いる安定郡の兵と、趙沖将軍が率いる隴西郡の兵を預けて下さい。無駄飯を食らっている5000人を、役立ててみせましょう。土地・山谷を、私は熟知しています。戦の流れを組み立てることは、もう経験済みです」
皇甫規は、自信家なのか?
「一寸四方の印(長官の証)や一尺の帛(褒賞品)は、私には必要ありません。うまくいけば、羌族から受ける禍根を、一掃できます。失敗しても、羌族の投降を受けるでしょう。もし私の年齢が若く、身分が低い(郡計吏)から不採用だと仰るならば、今までのミス人事を反省していないことになります。官爵も年齢も高い人ばかり送り込んできて、負けっぱなしではありませんか。死んでも構いません。私を用いて下さい」
『後漢書』の列伝がここまで紙幅を割いているから、きっとこの意見書は皇甫規が活躍する端緒となると、期待するでしょう。口語訳をしていて、少なくともぼくは、そう思っていた。
しかし、大きな組織というのは、戦果だけ求めるものではないらしい。波風を立てないというのが、第一目標だったりする。
「皇甫規は生意気よ」
順帝は却下した。原文では「時帝不能用」の5文字で片付けた。
沖帝・質帝の期間は、梁太后が政治を代行した。 皇甫規は、賢良方正に挙げられた。
「政治をどうすべきか」
推挙されたときに、お決まりの問いかけがあったのだろう。皇甫規は、ここぞとばかりに、腕まくりして答えてしまう。これが自分の首を絞めることになるとも知らずに。。
「私は思います。順帝ははじめ政治に熱心で、天下を引き締めました。しかし途中から、姦悪で不実な人間とめぐり合い、スポイルされました。皇帝の威は身近なへつらい屋にしか及ばず、財貨を蓄えて馬をコレクションし、戯言ばかり口にするようになりました。賄賂を受けて官爵を売り、軽はずみに取り巻きの人間を取り立てました。天は、まるで家路を急ぐかのように、いそいそと乱世に向かいました」
例え話がうまいコンクールなら佳作だが、実は本歌取りなのです。『左伝』に同じ表現があるようで。
「朝廷は、西方の征圧を何回も試みましたが、官も民も疲れ果てました。私は関中で順帝のうわさを集めましたが、王朝の人事はあべこべで、権力におもねる人が幸福を享受しています」
馬賢と趙沖のことを、根に持っているのだろう。
「梁太后さまは、聡哲純茂でいらっしゃる。順帝が崩御して臨朝すると、法規を引き締められました。全土の人が一斉に、太平となることを望んでいます」
順帝を貶めて、梁太后をヨイショした。梁太后は、順帝の皇后であったことを、皇甫規は忘れているんじゃなかろうか(笑)
「しかし地震と日照が続き、天の譴責と戒告はくり返されています。宦官を除き、賄賂を停止させ、天の教えに従うべきです」
順帝の道を誤らせたと皇甫規が思っているのは、宦官だ。強引に限定するなら、順帝に寵用された曹騰が元凶だ。曹操の義祖父だ。
のちに何太后が、「宦官は生活必需品だから、殺すことはない」と、兄の何進に反対します。太后に宦官を除かせようというのは、無理な話だ。皇甫規は一本気だから、気づかないらしい。
皇甫規は、まだ云い足りないらしく、梁太后の一族について、不遜にもコメントを付ける。
「大将軍の梁冀と、河南尹の梁不疑は、皇帝を補佐する重任に就いています。加えて梁氏は、代々外戚となった家です。どれだけ尊号を立派にしても良いでしょう。ただし、緊急性のない娯楽を省き、屋敷をむやみに飾り立てるのを慎んで下さい」
太后と、梁冀・梁不疑は、兄弟です。梁冀は皇帝を殺すほど専横の人で、妖しい妻と贅沢競争をやっていました。限度を知らない野人を批判するとは、命知らずです。
「皇帝は舟で、庶民は水です。水は舟を載せ、水は舟を覆すこともします。郡臣は舟に乗る人で、梁氏の兄弟は舵を操る人です。梁氏がダラけて怠れば、舟は波濤に沈みます。梁冀は賢者を集めることに、もっと熱心になるべきです」
云っちゃった!
「いま官位にあって俸禄を盗み食いし、尚書が職務を怠っていても、誰も何も言いません。太后はへつらいの言葉ばかり吹き込まれ、世論が届かなくなっています。耳に心地よい言葉は福で、耳に痛いことは禍でしょう。そんなことは充分に承知していますが、敢えてこんなことを申し上げましたよ。こんな私をお叱り下さい」
云うだけ云ってから謙遜しても遅い(笑)
梁冀は、皇甫規に批判されたことを怒った。
「皇甫嵩は、下第(成績劣等)だ。郎中でもやらせとけ!」
と決めてしまった。
「ああ持病が、、故郷に帰らせて頂きたく、、」
皇甫嵩は安定郡に引っ込んだ。しかし梁冀の気は収まらない。州郡に命じて、皇甫嵩を殺そうとした。生命の危機は、再三であった。
直言癖は、ろくなことがない。日の目を見るときが来るのか。
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このコンテンツの目次
>『晋書』と『後漢書』口語訳
ユニット名は「涼西の三明」
皇甫規
1)敗北を見抜いた若者
2)降伏は金で買えますか
3)私を党錮に処しちゃって
張奐
4)金離れの超人
5)外戚恐怖症の過ち
6)故郷の土になりたい
段熲
7)囚人から并州刺史へ
8)東西羌のホロコースト
9)段熲が貴んだ宦官
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