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劉繇の伯父、循吏の劉寵伝 2)旧代ノ二龍の末路
劉寵の弟である劉方は、山陽太守になった。劉方には、2人の子があった。劉岱、あざなは公山。劉寵、あざなは正礼。
兄弟はどちらも名称(名声)が等しかった。

『三国志』にある。平原郡の陶丘洪は、劉繇を茂才に挙げた。それを受け付けた刺史は、不自然に思って言った。
「昨年、兄の劉岱を挙げたばかりだ。どうして連年で兄弟を推挙するのか」
この言葉の裏には、
(もしかして、劉氏から賄賂でももらっているのかね)
という疑問があるのだろう。10万人に1人しか選ばれないと言われる狭き門で、兄弟が続けて選ばれることは、おかしい。
陶丘洪は答えた。
「もし明使君(あなた)が劉岱を前に採用し、劉繇を後に抜擢すれば、いわゆる二龍を長塗に御し、駿馬を千里に駆けさせるようなものだ。どうして不適切であろうか」
〈注〉
もし漫画なら、こういう決め手となる明言が登場したら、背景で稲妻が走っている!間違いありません。
もしかして曹操が劉備に「天下の英雄は、君と俺」と言ったときに雷が鳴るのは、講談の演出じゃないか。しかしその音が効果音なのか現実なのかウヤムヤになった。だから劉備の気弱さを示すために、その音に驚くという話に変わった。
漫画の背景に稲妻が走って驚くキャラはいないし、背景に花が散ってもそれに手を伸ばすキャラはいない。講談の大らかさがおかしい。

董卓が洛陽に入ると、劉岱は侍中から兗州刺史となった。己を虚しくしてひとを愛し、士人の味方を獲得した。192年、青州の黄巾賊が兗州に入った。黄巾は、仁城国相の鄭遂を殺し、東平国に入った。
「迎え撃ちなさい」
劉岱は出撃したが、この戦いで死んだ。
ちなみに後任の兗州刺史が、あの曹操です。

興平(194-195年)中、劉繇は揚州牧、振威将軍となった。ときに袁術が淮南を拠点としていたから、曲阿に移った。中原の喪乱を避けて、士友が多く南方に逃れると、劉繇は引き取って面倒を見て、苦楽を共にした。甚だ名誉を得た。
袁術が孫策を遣わして、劉繇を破った。劉繇は豫章に奔り、病没した。
〈注〉
孫呉政権が、中原を避難した名士を取り込んだことは有名です。これは孫権の独創ではなく、まして袁術の一将だった孫策が発案したのではなく、劉繇が先にやったことでした。孫策が張昭・張紘を厚遇するが、きっと劉繇を真似したのだ。
劉繇が落ちていった最後の地が、豫章だったというのは、運命的だ。きっと、伯父が治績をあげて慕われた土地で、保護してもらおうと思った。のちにこの未開の地も、孫策が接収していくのですが。
孫策や孫権は、山越に対立した政権だった。劉寵・劉繇は、力押しをしない政権だった。対照的であることよ。
劉寵は、漢の循吏としてはベストな人物だ。
その甥の2人も、おそらくその性質は色濃く受け継いでいた。しかし、農民が暴発した黄巾とか、海賊が転化した孫氏には、対応しかねた。旧勢力という印象が強いが、新しいことがいいとは限らない。
運命を消費して、そう示したような家でした。090312
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このコンテンツの目次
>劉繇の伯父、循吏の劉寵伝
1)山越の一銭太守さん
2)旧代ノ二龍の末路