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破壊者・梁冀の血の成分 5)世襲できない血筋
桓帝が即位した。
父が取り立てた李固と杜喬を殺害した。この件は李固伝にあるらしいので、そのときに詳しく見ましょう。
147年、梁冀を13000戸に封じた。大将軍府に、茂才の人員枠を増やした。役人は三公の2倍も置いていいことになった。梁冀の一族が侯になった。
150年、梁冀は合わせて30000戸を与えられた。

弘農郡の宰宣という人は、姓が侫邪だった。
「梁冀さまは周公と同じ功があります。妻を邑君とすべきです」
梁冀の妻の孫寿は、襄城君となった。
ここから梁冀&孫寿のアホな暮らしが、1000文字以上も続くのですが、(ぼくが)面白くないので省略です。自我の確立しない男女が張り合って、国家権力という遊び道具を渡されると、何をするか。そういうシミュレーションの例ですね。

岩波書店の訳本の164ページから、181ページに飛びます。
この間は、どれだけ褒めて特権を与えても梁冀が悦ばず、ちょっとでも批判をしたら復讐される、という事件のくり返しです。
梁冀という1人のキャラクターは、確かにとんでもない化け物です。しかし梁冀に開き直って暴れさせているのは、後漢とともに歩んだ梁氏の歪んだ歴史です。後漢は、3代章帝を最後にして傾き始めるというが、その軋みを集約したのが、梁冀です。
外戚は、矛盾で出来ています。血筋ゆえに尊いのに、そのポジションを世襲することが出来ない。一代で入れ替わる。穏やかに引退できれば良いのだが、成功例は皆無。こんなだから、「滅亡する前に刹那的に楽しもう!」と暴発する一族が出てきてもおかしくないのです。
権力はあるから、それが出来るし。

外戚を貴ぶのは、親を貴ぶ気持ちに通じるから。もともとは和帝が母性愛に飢えて、運用を始めた考え方です。
しかし宦官の力を借りて外戚を倒す皇帝の、多いこと多いこと。和帝と安帝と順帝と桓帝と霊帝が、外戚を討っている。
歴代皇帝がやったのは「親殺し」と等しいよね。なんだこの矛盾は!

きっと、繁殖能力の低い家が、皇帝になってしまったのがいけなかった。いちばん子宝に恵まれたと『後漢書』に書いてあるのは、3代章帝です。いろんな王家の系統が、彼を扇の要にして広がっている。この章帝が「親親」を言い出した。
しかし章帝の死後に皇帝になったのは、10歳の和帝でした。つまり章帝ですら、ろくに子を遺さずに死んだということになる。
滅びるなら滅びる、嗣ぐなら嗣ぐ。どちらに割り切るでもなく、半端に外戚という制度を使ってバトンタッチをしたから、こんな悲劇が起きたんだ。
これは章帝の正体を探らないと、後漢の滅亡原因は分かりません。元凶は彼にあるようだ。


梁冀は、桓帝に討たれた。
梁冀の財貨を没収して、朝廷がせりにかけると、30数億銭となった。これを国庫に収めると、天下の税率を半分にすることが出来た。梁冀が所有した田園を解き放ち、困窮した民に耕させた。
梁冀を討つ功があった人が恩賞を受けた。尚書令の尹勲以下、数十人が封じられた。

これで王朝の人は反省し、外戚の害毒が一掃されるかと思いきや、まだ同じことをくり返し続けます。そりゃ滅びるような、後漢王朝!どうやっても復興できないよなあ!
「無理なく後漢の復興する方法」というお題で、大喜利をやったら面白いかもしれません。090302
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このコンテンツの目次
>破壊者・梁冀の血の成分
1)後漢の建国を輔けた
2)抑圧されたマザコン
3)気遣いの気疲れ
4)特権の預金残高
5)世襲できない血筋