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『晋書』列60「良吏」
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2)清らかなる胡質と胡威
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胡威
胡威,字伯武,一名貔。淮南壽春人也。父質,以忠清著稱,少與鄉人蔣濟、硃績俱知名于江淮間,仕魏至征東將軍、荊州刺史。威早厲志尚。質之為荊州也,威自京都定省,家貧,無車馬僮僕,自驅驢單行。每至客舍,躬放驢,取樵炊爨,食畢,複隨侶進道。既至,見父,停廄中十餘日。告歸,父賜絹一匹為裝。威曰:「大人清高,不審于何得此絹?」質曰:「是吾俸祿之餘,以為汝糧耳。」威受之,辭歸。質帳下都督先威未發,請假還家,陰資裝于百餘裏,要威為伴,每事佐助。行數百里,威疑而誘問之,既知,乃取所賜絹與都督,謝而遣之。後因他信以白質,質杖都督一百,除吏名。其父子清慎如此。於是名譽著聞。拜侍御史,曆南鄉侯、安豐太守,遷徐州刺史。勤於政術,風化大行。
胡威は、あざなを伯武といい、一名を貔という。淮南郡は壽春県の人である。
父の胡質は、忠清だから著名となり、称えられた。
胡質は若いとき、同郷の蒋済や硃績とともに、長江と淮水の間の地域で名を知られた。魏に仕えて、征東將軍、荊州刺史にまでなった。
胡威は、早くから志尚を厲した。父の胡質が刑州刺史となると、洛陽から荊州へ挨拶に行くことにした。だが家が貧しくて、車馬はなくて僮僕もいない。胡威は自らロバを駆って1人で移動した。客舍に着くするたび、ロバを放して薪を集めて飯を炊いた。食べ終わると、またロバを連れて道を進んだ。 荊州に到着し、父に会うと、馬屋に十余日寝泊りした。洛陽に帰ることを告げると、父は絹を一匹を渡してくれた。胡威は言った。
「大いなる人は、清高なものです。なぜ私がこの絹をもらうのか、ワケが分かりません」 〈訳注〉胡威は「功績がないのに絹を受け取っては、私は下らん人間と同類になる」と言ったんだろう。親心を子は知らんものだ。 父の胡質は言った。
「これは私の俸祿の余りだ。汝の糧とせよ」
胡威は受け取って、辞去して帰った。
胡質の帳下で都督をやっている人が、胡威が洛陽に出発する前に、里帰りをしたいと申し出た。都督はひそかに百餘里の道中に資材を手配し、胡威のお供をして、ことあるごとに胡威を助けた。 數百里を行くと、胡威は都督の行動に疑いを持ち、どういうつもりか問うた。胡威は(貧乏な自分に対する)都督の心遣いを知ると、父からもらった絹を都督に与えた。感謝を述べて、都督を父のところに帰した。 のちに父の胡質は他人の書状でこのことを知った。父の胡質は、都督に一百名を率いさせ、都督が使える官吏を任命してやった。
胡質と胡威の父子が清慎であるのは、この例に表れている。清慎だから、彼らの名譽は知れ渡った。 胡威は侍御史を拝し、南鄉侯、安豐太守となった。徐州刺史に遷った。政術に勤め、教化は大いに行なわれた。
後入朝,武帝語及平生,因歎其父清,謂威曰:「卿孰與父清?」對曰:「臣不如也。」帝曰:「卿父以何勝耶?」對曰:「臣父清恐人知,臣清恐人不知,是臣不及遠也。」帝以威言直而婉,謙而順。累遷監豫州諸軍事、右將軍、豫州刺史,入為尚書,加奉車都尉。
のちに胡威は入朝した。武帝は平生から語り合った。武帝は、胡威の父が清らかであったことに感心し、胡威に聞いた。
「卿(あなた)と父は、どちらが清なのか?」
胡威は答えた。
「臣(わたし)は父に及びません」
武帝は聞いた。
「卿の父は、どこが勝っているのか?」
胡威は答えた。
「臣の父は、清らかな性格が人に知られるのを恐れていました。臣は、清らかな性格が人に知られないのを恐れます。これが、臣が父に遠く及ばない点でございます」
武帝は胡威の発言が、直でありつつ婉で、謙でありつつ順だと評価した。
胡威は監豫州諸軍事に累遷し、右將軍、豫州刺史となった。洛陽に入って尚書となり、奉車都尉を加えられた。
威嘗諫時政之寬,帝曰:「尚書郎以下,吾無所假借。」威曰:「臣之所陳,豈在丞郎令史,正謂如臣等輩,始可以肅化明法耳。」拜前將軍、監青州諸軍事、青州刺史,以功封平春侯。太康元年,卒於位,追贈使持節、都督青州諸軍事、鎮東將軍,余如故,諡曰烈。子奕嗣。
奕字次孫,仕至平東將軍。威弟羆,字季象,亦有幹用,仕至益州刺史、安東將軍。
胡威はかつて時政之寬(政治方針がゆるすぎる状況)を諌めたことがあった。武帝は言った。
「尚書郎以下は、假借されることはない」
〈訳注〉「假借」は、「かしゃく」と読めば、借りること、許すこと。「かしゃ」と読めば、六書のひとつ、もしくは漢字の音を借りて当て字にすること。どれだろう。
胡威は言った。
「臣が申し上げたのは、どうして丞・郎・令史の(ような下級役人に厳しくせよという)ことでありましょうや。まさしく私たちのような(上級の)臣下に厳しくせよと言ったのです。厳粛に法を明らかにして、政治を行なうべきなのです」
前將軍を拝し、監青州諸軍事、青州刺史となり、功によって平春侯に封じられた。
太康元(280)年、在官のまま死んだ。使持節、都督青州諸軍事、鎮東將軍を追贈され、それ以外の官位は生前のままとした。「烈」とおくり名された。子の胡奕が嗣いだ。
胡奕は、あざなを次孫といい、平東將軍まで登った。 胡威の弟は胡羆といい、あざなは季象という。彼も登用され、益州刺史、安東將軍にまでなった。
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このコンテンツの目次
>『晋書』列60「良吏」
1)スター性のない魯芝
2)清らかなる胡質と胡威
3)益州土着の杜軫と竇允
4)老いてミスを重ねた王宏
5)潘璋と丁儀丁廙の血縁?
6)実子を縛って逃げた鄧攸
7)呉郡を中興した太守
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