表紙 > 漢文和訳 > 『宋書』本紀第二「少帝紀」の翻訳

2)遊びたいハイティーン

早くも終わってしまう、宋書本紀二でありました。

音楽バカの皇帝

二年春正月癸巳朔,日有蝕之。廢南豫州刺史廬陵王義真為庶人,徙新安郡。乙未,以皇弟義恭為冠軍將軍,南豫州刺史。乙巳,大風,天有五色雲,占者以為有兵。高麗國遣使貢獻。執政使使者誅義真於新安。夏五月,江州刺史檀道濟、揚州刺史王弘入朝。帝居處所為多過失。乙酉,皇太后令曰:

二(424)年の春正月癸巳朔、日食があった。南豫州刺史・廬陵王の劉義真を廃して、庶人に落し、新安郡に徙した。乙未、皇弟の劉義恭を冠軍將軍、南豫州刺史とした。乙巳、大風があり、天に五色の雲が現れた。占者は、兵難があると読み取った。
高麗國が貢献した。政権担当者は、劉義真を新安で殺した。

さっき王から庶民に落された人だ。列伝を読まねば・・・

夏5月、江州刺史の檀道濟と、揚州刺史の王弘が入朝した。少帝の劉義符には、日頃の態度に多くの過失があった。乙酉、皇太后が令して曰く、

王室不造,天禍未悔,先帝創業弗永,棄世登遐。義符長嗣,屬當天位,不謂窮凶極悖,一至於此。大行在殯,宇內哀惶,幸災肆於悖詞,喜容表于在戚。至乃徵召樂府,鳩集伶官,優倡管弘,靡不備奏,珍羞甘膳,有加平日。采擇媵禦,產子就宮,鋋然無怍,醜聲四達。及懿後崩背,重加天罰,親與左右執紼歌呼,推排梓宮,抃掌笑謔,殿省備聞。加複日夜媟狎,群小慢戲,興造千計,費用萬端,帑藏空虛,人力殫盡。刑罰苛虐,幽囚日增。居帝王之位,好阜隸之役;處萬乘之尊,悅廝養之事。親執鞭撲,毆擊無辜,以為笑樂。穿池築觀,朝成暮毀;徵發工匠,疲極兆民。遠近歎嗟,人神怨怒。社稷將墜,豈可複嗣守洪業,君臨萬邦。今廢為營陽王,一依漢昌邑、晉海西故事。奉迎鎮西將軍宜都王義隆入纂皇統。

(大意だけです)劉裕は即位してまもなく死んだ。劉義符は長男だから、公手になった。だが、父の喪中なのに、嬉しそうな顔をして、音楽を楽しんでいる。小人物がのさばり、刑罰はめちゃめちゃに行なわれている。劉義符は、自らムチで人を虐めて喜ぶから、サディスティックな変態である。朝に、池を掘って宮殿を建てたかと思えば、夕方には壊している。国力を無駄遣いして、民たちは疲弊した。
劉義符に皇帝を辞めさせ、営陽王とする。前漢の昌邑王や、東晋の海西公の故事にならう。

昌邑王は、武帝死後の人物です。短期間で皇帝をクビにするときの、代名詞的な存在。東晋の海西公は、早くも故事の仲間入りをしちゃった!魏の曹芳は、前例にならないんだろうか。

鎮西將軍・宜都王の劉義隆に、皇統を継がせる。

少帝の最期

始徐羨之、傅亮將廢帝,諷王弘、檀道濟求赴國訃。弘等來朝,使中書舍人邢安泰、潘盛為內應。是旦,道濟、謝晦領兵居前,羨之等隨後,因東掖門開,入自雲龍門。盛等先戒宿衛,莫有禦者。時帝于華林園為列肆,親自酤賣。又開瀆聚土,以象破岡埭,與左右引船唱呼,以為歡樂。夕游天泉池,即龍舟而寢。

はじめ徐羨之と傅亮が、劉義符を廃そうとしたとき、王弘と檀道濟にウソを教えて、任国に行かせた。

劉義符の味方を、首都から遠ざけたのだ。

王 弘らが來朝すると、中書舍人の邢安泰と潘盛は、内応した。
この日の朝、檀道濟と謝晦は、兵を率いて列の前にいた。徐羨之らは、列の後ろに従った。東掖門が開き、雲龍門から入った。 潘盛らは、先に宿営に去らせておいたから、門を守る人はいなかった。

誰が味方で誰が敵なのか、整理しなくちゃ分からんなあ。

皇太后が劉義符にクビを言い渡したとき、劉義符は華林園で、イベントを開き、遊びまくっていた。

遊びの内容は、辞書を引いて確かめるのが面倒なので省略。象って、あのゾウなのか?船を引いて面白いんだろうか。うーん。

夜には天泉池に遊びに行き、龍舟で寢た。

気持ちよく戯れていたんだろうなーという情景が浮かびます。得意の絶頂から、一気に暗転するのが、ドラマチックで面白い。


其朝未興,兵士進,殺二侍者于帝側,傷帝指。扶出東皞,就收璽紱,群臣拜辭,送於東宮,遂幽于吳郡。是日,赦死罪以下。太后令奉還璽紱,檀道濟入守朝堂。六月癸醜,徐羨之等使中書舍人邢安泰弑帝于金昌亭。帝有勇力,不即受制,突走出昌門,追以門關踣之,致殞。時年十九。

次の日の未明、兵士が進んで、劉義符のそばの2人を殺した。劉義符は、指を傷つけられた。

ちょっと切ったんだろうが、漫画にするなら、切り落とされるべきだろうなあ。史料に照らしたときに、ウソにはならんだろうから。

劉義符は、助けられて東皞に出て、皇帝の璽紱をしまった。

璽紱が奪われなければ、皇帝を続けられる。

群臣は劉義符に拝辞して、東宮に送った。 ついに劉義符は、呉郡に幽閉された。
この日、死罪以下の人が赦された。太后は、皇帝の璽紱を返還せよと、劉義符に命じた。檀道濟は、朝堂に入って劉義符を守った。
6月癸醜、徐羨之らは、中書舍人の邢安泰に命じて、劉義符を金昌亭で弑させた。劉義符は勇力があったから、すぐには取り押さえられなかった。突走して昌門を出た。門關につまずいて倒れ、劉義符は殺された。19歳だった。

「踣」は、たおれる。
まだ若くて死にたくないから、生命がほとばしり、逃げ出しちゃったんだ。


訳し終えて

劉義符その人のキャラクターが、いまいち見えない本紀でした。
父の劉裕がどういう苦難を歩んだか、晩年の子だから、知らない。遊びたい盛りのハイティーンが、望めば手に入る豪遊に目がくらんだだけだな。
劉義符が劣っていたというよりは、普通の人だった。
現代日本に生まれたら、皇帝並みの遊びは出来ないが、大学に進学して、享年プラス4年間のモラトリアムが許されている。劉義符は、こっちに生まれるべき人だった(笑)残念でした。090912