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魏呉蜀の天命を検証する 2)諸葛亮の抱えた矛盾
天命を知った人とは、自然の道理に適った努力ができる人だ。
中国全土を均質に統一しようなんて、道理に反する願望だ。そんなことを言い出す君主からは、「天命」が去っているとぼくは思う。

◆前漢までの天命
春秋戦国は、とても長い。700年弱も続いた。
この時代は、文化圏の規模に応じて国が営まれた。考古学が同じようなものを掘り出す地域が、1つの国を形成した。とても自然に忠実な時代である。
天命に従えば、長続きする。これは、後漢や三国で皇帝権力の裏づけに励んだ人たちも、言っていることである。

始皇帝は天命に逆らって、統一王朝なんてパラダイムを作った。道路をガシガシと作って、「統一」を現実のものにしようとしたが、明らかな不自然だった。
神様に近づきすぎた英雄は、ロウの翼を融かされる。相場は決まっているのだ(笑)春秋時代以降、何百年も続いてきた秦室を、始皇帝とその子供たちは、わざわざ滅ぼしてしまった。

項羽は「覇王」と言ったが、天下の覇王ではなくて、「西楚の」覇王なのです。彼が主導権を握ると、諸王を封じて戦国時代に戻した。天命をよく分かっていた。
劉邦は項羽と対立したものの、根底にあるものは同じだ。項羽と劉邦は、同じ目線で関中侵攻を競い合った盟友だった。同じ立場の人だから、ライバルとして百戦をやった。劉邦は皇帝になったものの、功臣を東方にたくさん封じたし、匈奴に敗北して現実を見た。
関中をわずかに直轄するだけの君主だったのだから、天命に通じた人だと言えよう。

次の呂后は均質な支配を狙った。諸国を取り潰して、帝国の権力を絶対化しようとした。 しかし分限を越えた望みを持つ人は、必ずしっぺ返しを食らうようで、性格が崩壊した。同僚の目をくりぬいたり、手足を千切ったり。天命に挑むと、誰でもこうなってしまうらしい。
前漢は文帝と景帝で落ち着いたが、次の武帝が天命への貪欲な挑戦をやったから、ガタが来た。
武帝は、国庫を使い切ったことよりも、万能な皇帝像を仮初にも作ってしまったことに、大きな罪があるだろう。匈奴に大勝ちした。

◆後漢までの天命
王莽は、人の作為のカタマリである古代への理想に突き進んだ。王莽は現実に合わないことをしたとして、後世に汚名を残した。
目標を掲げて、実現のために命を費やすというのが人間だとするなら、王莽こそもっとも人間らしいのに、世間の評価は辛い。
今も放送されているのか知らんが、プロジェクトXで王莽の成功物語を扱ったら、現代人が狂喜する題材になりやしないか。
もしくは、受験の予備校に王莽を飾れば、流行るんじゃないか。王莽は抜群の秀才として立身出世したもんね。

後漢は国勢が前漢に比べて振るわなかったから、王朝史としては残念な分類に入るのだが、天命を知っていたと言ってもいい。
4代の和帝以降、どうにも惰性で存続しており、逆に倒れない方が不思議だ。なぜ存続できたかと言えば、中原を保つ地方政権として、小さくまとまっていたからだ。気候が悪く、異民族も強いときは、謙虚でいるのが正解だ。
後漢が続く積極的な理由があるというよりは、滅びる理由がなかったのだ。生後100日の幼帝がすぐに死んでも続くとはねえ。

◆蜀の天命
蜀のアイデンティティは、漢の復興である。皮肉なことだが、漢の復興を掲げる限り、蜀に天命は巡ってこない。
蜀は山に囲まれた土地で、割拠するには最適な場所だ。ここから攻め出るには適さないが、守り抜くには適する。いつの時代も、中原から切り離された独立政権が現れるとしたら、この地域からだ。

農業に例える。どれだけ昂ぶった理想があっても、砂漠で稲作はできない。適地で適作をすべきだ。
もし蜀の地を手元に得たなら、守りに徹することが、自然に従うことだと思う。荊州を失い、国是と全く反する益州に閉じ込められたとき、諸葛亮は困っただろうなあ!
「魏への牽制のために北伐をする」
というのは、屁理屈である。天命を捻じ曲げている。無理に北伐で示威しなくても、魏は攻めてこないし、攻めてきても防げるのだ。

もちろん、諸葛亮はすごい。
もしかしたら、1回目の北伐でならば、関中を回復していたかも知れない。劉邦の前例だってあるのだから。また、強迫的に北伐をくり返しても、国が転覆しなかった。余人に出来ることじゃないから、偉大な丞相であることに変わりはない。
しかし、砂漠で死力を尽くして1本のイネを実らせることと、並みの労力で水田でイネを1000本育てることと、どちらに意味があるのだろう。前者は天才にしかできず、後者は割りと多くの人ができる。じゃあ前者に取り組んだ人の方が立派か?
ううん、どうなんだろう。
「それでも砂漠でコメを作りたいんだ」
というのが人間なんだから、停める権利はないでしょう。でも天命に従えば無理がないから、少ない労力で長持ちする。天命に挑めば、稀代の天才でも失敗する。これは真理である。

諸葛亮が死んでから、劉禅は40年間も国を保った。曹爽が攻めてきたことがあったが、防ぐことができた。
「わざわざ何かしなくても、国を保てる」
これが蜀の天命だと思うのです。
姜維が羌族を巻き込んで北伐をしていたから、おかげで蜀は長持ちしたか?
・・・きっと、これに頷く人はいない。
戦果という面から言えば、諸葛亮も姜維も同じだ。諸葛亮の宰相としての素晴らしさで、天命に逆らって北伐したデメリットを帳消しにしてはダメだろう。
「諸葛亮がいなくても、国が長持ちした。不思議だ」
というのは、地勢をまるで無視した物言いです。
「諸葛亮の残光があったんだなあ」
なんて、論外です。
徐州で同じことをやって初めて、賞賛すればいいと思う(笑)

劉禅は鄧艾にあっさり降伏してしまう。あれは漢の復興を諦めたんじゃない。益州に守られたから存続していた政権が、益州に守ってもらえなかったから、幕を下ろした。それ以上でも以下でもない。
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このコンテンツの目次
魏呉蜀の天命を検証する
1)天命とは何か
2)諸葛亮の抱えた矛盾
3)呉は皇帝になってはダメ
4)魏は天命を実現した
5)天命を無視した晋