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魏呉蜀の天命を検証する
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5)天命を無視した晋
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最後におまけとして、晋の天命を占っておきます。すなわち地勢と国家方針が、どれだけ調和しているかという話です。
結論を述べれば、全く調和していない!
◆旧呉、旧蜀の扱い
シミュレーションゲームで三国志を体験した人ならば、
「全土統一をしたらクリア」
という発想が浸透しているでしょう。だが、本当にそれは正解なのでしょうか。
どうせ治めることが出来ないなら、自領に加えないほうがまだマシというものです。 例えば、どうせ食べないなら、牛を絞め殺してはいけない。生かしておけばいいじゃないか。死肉を腐らせて、どうにも手に負えなくなるほど、愚かなことはありません。
蜀は、王濬が益州刺史として呉を討つ準備をしたときは、晋にとって役立った。でもその後は、特に表舞台に登場しない。
成都王の司馬頴なんてのが出てくるが、彼は鄴を拠点にしていた。すぐに異民族が流入して、使い物にならなくなってしまう。
呉はもっとひどくて、晋にとっての外国だったようだ。揚州の名士は西晋に仕えず、ただ陸機だけが出てきたに過ぎない。
西晋から積極的な働きかけがないものだから、揚州は孫呉時代と変わらない。石冰や陳敏が入ってきたら独立しようとするし、皇族の司馬睿が流れてきたら、
「あなたは誰ですか」
と、素っ気ない対応をした。
孫皓1人を懲らしめることが、そんなに重要だったのか。
◆ごっこ遊びの拡大
西晋の政治は、宮廷の中の権力争いを、大陸というスクリーンに投影しているだけです。
蜀を討ったのは、蜀の土地をどうにかしたかったんではなく、司馬昭に功績が欲しかったから。呉を討つ討たないで揉めたのも、貴族同士のメンツ争い。八王の乱だって、諸王が旧魏領に散らばって、合戦遊びをやってるだけ。べつに囲碁の盤面でもできることを、わざわざ兵や民の命を費やしてやらないで下さい。
現代日本には、人間将棋っていうイベントがあるが、西晋の連中の興味のありかは、あれと変わらない。
人間が頭で考えたことを重視すると、現実を見なくなる。ぼくがここで言っている天命を、もっとも早く失う方法です。
「現地現物」
が大切らしいのだが(笑)西晋の貴族に諭すべき教訓だろう。
異民族の動きというのは、漢民族の室内のお勉強の対象外で、天地と同じように自然に属することでしょう。魏呉蜀は、異民族についてとても注意を払った。ライバルを上回るべく兵力を利用するため、工夫に工夫を重ねた。
でも晋代には弛緩しまくっているから、異民族の動きを見ているようで見ていない。結果、洛陽を石勒や劉聡たちに陥落されてしまうのでした。
西暦300年以降、ふたたび国土が分割され始める。晋の政治家たちは、ひたすら夢想の中で闘っているような印象を受ける。
◆まとめ
蜀は益州という、守るための天命を持った土地を取得したのに、攻めることを国是とした。その矛盾が残念でした。
呉は揚州という、中原から自由になる土地に立ったのに、中原の思想を無理に移植させられた。その矛盾が残念でした。
魏は、後漢を丁寧に継承して、天命に適った統治をやった。だが名士との付き合い方を確立できず、司馬昭に足元を救われて滅びたのが残念でした。
晋は、引きこもりの学者連中が広い大陸を支配しようとしたことが、根本的に無理でした。
ここまで書いてきたものの、統一への意欲を捨てきれないのが、人間の人間たる所以なんだろうなあ、とも思います。
挫折してみるまで、自分の限界を知ることを出来ないのだし、自分の傲慢に気づかされることもない。090523
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このコンテンツの目次
魏呉蜀の天命を検証する
1)天命とは何か
2)諸葛亮の抱えた矛盾
3)呉は皇帝になってはダメ
4)魏は天命を実現した
5)天命を無視した晋
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