いつか書きたい『三国志』
三国志キャラ伝
登場人物の素顔を憶測します
『晋書』と『後漢書』和訳
他サイトに翻訳がない列伝に挑戦
三国志旅行記
史跡や観光地などの訪問エッセイ
三国志雑感
正史や小説から、想像を膨らます
三国志を考察する
正史や論文から、仮説を試みる
自作資料おきば
三国志の情報を図や表にしました
企画もの、卒論、小説
『通俗三国志』の卒業論文など
春秋戦国の手習い
英雄たちが範とした歴史を学ぶ
掲示板
足あとや感想をお待ちしています
トップへ戻る

(C)2007-2009 ひろお
All rights reserved. since 070331
『晋書』列伝3、建国の功臣 9)王機、王矩、その他
王機
王機,字令明,長沙人也。父毅,廣州刺史,甚得南越之情。機美姿儀,周儻有度量。陳恢之亂,機年十七,率眾擊破之。

王機は、あざなを令明といい、長沙郡の人である。
父の王毅は廣州刺史で、南越の事情によく通じていた。王機は姿儀が美しく、周儻として度量があった。
〈訳注〉「儻」は、のびのびと大きな人柄のこと。
陳恢之亂のとき、王機は17歳だったが、兵を率いて敵を破った。

嘗慕王澄為人,澄亦雅知之,以為己亞,遂與友善,內綜心膂,外為牙爪。尋用為成都內史。機終日醉酒,不存政事,由是百姓怨之,人情騷動。

かつて王機は、王澄の人となりを慕った。
〈訳注〉王澄とは、王戎の弟(列伝13)だ。
王澄もまた、王機の雅量を知り、「私とそっくりだ」と思い、友情を育んだ。
「内政では頼りになる心膂で、外征では牙爪となって敵を破るぞ」
と、王澄は王機を評価した。
王機は成都内史となったが、終日泥酔して、政事をしなかった。百姓は王機の勤務態度を怨み、世論は騷動した。

澄遇害,機懼禍及,又屬杜弢所在發墓,而獨為機守塚,機益自疑。就王敦求廣州,敦不許。會廣州人背刺史郭納,迎機為刺史,機遂將奴客門生千余人入廣州,州部將溫邵率眾迎機。郭遣參軍葛幽追之,及於廬陵,機叱幽曰:「何以敢來?欲取死邪?」幽不敢逼而歸。郭訥聞邵之納機也,乃遣兵擊邵,反為所破。(以下略)

王澄が殺害されると、王機は自分も殺されることを懼れた。また杜弢の軍が墓を暴いたとき、王機だけは親類の墓を守り通した(杜弢の掠奪を阻害した)から、王機はますます、
「オレは杜弢に殺されるのではないか」
と疑いを強めた。
「(父とゆかりのある)広州に赴任させて下さい」
と王機は王敦に願ったが、許されなかった。
このころ広州の人は、刺史の郭納に背いた。王機は広州刺史となり、奴婢・食客・門生を千余人率いて、廣州に入ろうとした。広州に土着した部將の溫邵は、軍勢を率いて王機を迎えた。
統治に失敗した前刺史の郭納は、參軍の葛幽を遣わして王機を追わせ、廬陵郡で追いついた。
王機は、葛幽を叱った。
「なぜ来たんだ?死にたいのか?」
葛幽は王機に逆らわず、帰った。前刺史の郭訥は、土着の溫邵が王機の入国を受け入れたことを聞いた。
郭訥は兵を送って、溫邵を攻めたが、返り討ちにあった。(以下略)
〈訳注〉訳しているうちに東晋に入り込んでしまい、わけが分からんので中断します。。

王矩
機兄矩,字令式。美姿容,每出遊,觀者盈路。初為南平太守,豫討陳恢有功,遷廣州刺史。將赴職,忽見一人持奏謁矩,自雲京兆杜靈之。矩問之,答稱:「天上京兆,被使召君為主簿。」矩意甚惡之。至州月餘卒。

王機の兄は王矩といい、あざなは令式。
姿容は美しく、王矩が外出すると、姿を見たいファンが道を埋めた。はじめ南平太守となり、陳恢を討った功績により、廣州刺史に遷った。
広州に赴任しようとしたとき、ふっと人が現れ、王矩に面会した。
「私は京兆の杜靈之です」
「何の用ですか」 王矩が問いかけると、答えた。
「天上の京兆で、君は主簿に任命された」
王矩はとても不吉に思った。広州に着くと、王矩は一ヶ月余で死んだ。
祖約
祖約,字士少,豫州刺史逖之弟也。初以孝廉為成皋令,與逖甚相友愛。永嘉末,隨逖過江。元帝稱制,引為掾屬,與陳留阮孚齊名。後轉從事中郎,典選舉。

祖約は、あざなを士少という。豫州刺史の祖逖の弟である。はじめ孝廉にて成皋令となり、祖逖と友愛しあった。
永嘉末(313年)、祖逖に従って長江を渡った。元帝が稱制すると、召されて掾屬となった。陳留郡の阮孚と、名声を等しくした。のちに從事中郎に転じ、選舉に典じた。

約妻無男而性妒,約亦不敢違忤。嘗夜寢於外,忽為人所傷,疑其妻所為,約求去職,帝不聽,約便從右司馬營東門私出。司直劉隗劾之曰:「約幸荷殊寵,顯位選曹,銓衡人物,眾所具瞻。當敬以直內,義以方外,杜漸防萌,式遏寇害。而乃變起蕭牆,患生婢妾,身被刑傷,虧其膚發。群小噂遝,囂聲遠被,塵穢清化,垢累明時。天恩含垢,猶複慰喻,而約違命輕出,既無明智以保其身,又孤恩廢命,宜加貶黜,以塞眾謗。」帝不之罪。隗重加執據,終不許。

祖約の妻は子を生めず、嫉妬深かった。だが祖約は、わざわざ妻に逆らわなかった。
〈訳注〉「無男」の意味が分からず、推測で訳してます。
かつて祖約が屋外で(別の女性と)寝たとき、いつのまにか傷つけられた。祖約は妻のしわざだと疑い、(傷を恥じて)辞職を願い出た。元帝は許さなかった。
〈訳注〉皮膚に傷つけるのは、刑罰の一種。英布(鯨布)が有名。
のちに祖約は、從右司馬に便宜を図って、(建康の)東門を私用で通った。司直の劉隗は、祖約を弾劾した。
「祖約が陛下に重く用いられ、高い位に昇り、人物を銓衡していることは、みなが知っていまず。
〈訳注〉銓衡とは、「銓」がはかることで、計量すること。転じて人物の才能を見抜くこと。「選考」に通じる。
祖約の立場にいるなら、国内で敬われ、国外で義とされ、国を守り立てるべきです。でも祖約は、こっそり垣根を乗り越えて(家を抜け出し)妻の嫉妬を買い、身に刑傷を受けました。国家の恥です。
また祖約はルールに反し、私用で軽々しく東門を通りました。祖約は明智がないので、自分の身を保つことが出来ないのです。祖約をクビにして、民衆から国家への誹謗を除いて下さい」
「却下だ。祖約は罰さんよ」
帝は判決を変えなかった。劉隗はくり返し訴えたが、ついに祖約は罪を問われなかった。

及逖有功於譙沛,約漸見任遇。逖卒,自侍中代逖為平西將軍、豫州刺史,領逖之眾。約異母兄光祿大夫納密言於帝曰:「約內懷陵上之心,抑而使之可也。今顯侍左右,假其權勢,將為亂階矣。」帝不納。時人亦謂納與約異生,忌其寵貴,故有此言。而約竟無綏馭之才,不為士卒所附。

兄の祖逖が譙沛で功績があると、祖約はようやく任遇された。
〈訳注〉祖逖は、徐州へ北伐をして勝利した。
祖逖が死んだとき、祖約は侍中だった。祖約は兄に代わって平西將軍、豫州刺史となり、祖逖の軍勢を率いた。
祖約の異母兄で、光祿大夫の祖納は、ひそかに元帝に言った。
「祖約は胸のうちに、陵上之心(謀反の企み)を抱いています。祖約を重職に就けてはいけません。いま祖約は高位にあり、側近を侍らせ、権勢を仮っています。今にも謀反するでしょう」
「祖約に限って、そんなことはない」
元帝は、祖約の異母兄の警告を無視した。ときの人たちは、
祖納は、祖約と母が違う。祖約だけが寵貴されているのを妬み、祖約の悪口を言ったのだ」
とウワサした。
ところが祖約には、綏馭之才がなかった。だから士卒は、祖約に心服しなかった。
〈訳注〉「綏」はやすんずること。「馭」は、馬をあやつること、人民を支配すること。「御す」というときの「御」と同じ。祖約には、軍隊や文官を駆使して、国家を平和にする才能がなかったのだ。

及王敦舉兵,約歸衛京都,率眾次壽陽,逐敦所署淮南太守任台,以功封五等侯,進號鎮西將軍,使屯壽陽,為北境籓捍。自以名輩不後郗、卞,而不豫明帝顧命,又望開府,及諸所表請多不見許,遂懷怨望。

はじめ王敦が挙兵すると、祖約は建康に戻って守備した。兵を率いて壽陽に進み、王敦の役所である淮南太守を奪い返した。この功績で祖約は、五等侯に封じられt、鎮西將軍に進んだ。祖約は壽陽に駐屯し、北の国境を守った。
「壽陽から建康に戻れ」
祖約は明帝に命じられたが、同輩を寿陽に囲って戻らなかった。逆に、
「寿陽で開府したい(オレがトップの政府を創設したい)」
と祖約は申請した。これらの上表は認められなかったから、祖約は東晋に怨みを抱いた。
( 以下は元帝期でないので、省略です。祖約は東晋に攻め込まれ、北方に石勒を頼った。だが投降させてもらえず、殺されたという結末)

蘇峻
蘇峻、あざなを子高という。長廣郡掖県の人。父の蘇模は、安樂相だった。東晋の人なので、以下略。

孫恩
孫恩、あざなは靈秀。瑯邪の人で、(司馬倫に仕えた)孫秀の一族である。五斗米道の信者である。東晋の人なので、省略。

盧循
盧循は、あざなを於先といい、小名を元龍という。司空從事中郎の盧諶の曾孫である。東晋末の人なので、省略。
盧諶との関係性しか書かれていないが、劉備の先生である盧植、魏の盧毓、晋の盧志の子孫でもある。その人が謀反人として、列伝の後ろから2人目とは、まさに「隔世の感」がある(笑)

譙縱
譙縱、巴西郡は南充県の人。祖父の人也。譙獻之は、西土(益州)で重名があった。東晋末の人なので、省略。
関係あるか分からないが、『仇国論』で姜維を批判し、陳寿を教育した譙周は、『三国志』によれば、巴西郡の西充国の人。郡や国の統廃合があったかも知れず、少しズレているが、きっと同族だ。

『晋書』はこの次の行から、「戴記」となります。090522
前頁 表紙 次頁
このコンテンツの目次
『晋書』列伝70、反逆者の列伝
1)王弥-上
2)王弥-下
3)張昌
4)陳敏-上
5)陳敏-下
6)王如
7)杜曾
8)杜弢
9)王機、王矩、その他