02) 老衰した演技は、正攻法
前回、塚本氏が三国に麻薬が蔓延させた様子を、ザッと見ました。
もし手直しするのなら、主犯は仲達
三国は麻薬の時代?
華佗の麻酔医術という史実がある。だから絶対にありえなくはないが、そのようにアレンジしたところで、趣きが生まれるわけじゃない。むしろ三国志の感動が8割引になる
設定でした。
しかも塚本氏の小説が悪いことに、麻薬という「新説」に、主人公の仲達は全く関わらない。
仲達が、麻薬を駆使して三国を滅ぼす小説だったら、もっと面白く読めたんだが。魏皇帝の早死にとか、孫権の老害だとか、麻薬のせいだと考えるアイディアは、破綻していないので。
三国のいずれでもない晋が天下統一できたのは、仲達の謀略の結果なんだと。ああ、絶対こっちの方がいい!
塚本氏の関心は「死せる諸葛」に走らされた「生ける仲達」の名誉回復のようですが、今さらそんなことは、しなくていいのです。
なぜなら、仲達の子孫が天下を取ったおかげで、『晋書』でさんざん美化されているんだから。「宣皇帝」として敬われている仲達を、今さら庇わなくても、すでに名誉付与は充分だ。
麻薬で三国全てを滅ぼすダークな仲達。そんな暴走小説を、自分で書いてみたくなってきた (笑)
麻薬に犯すまでもない人々
麻薬をはびこらせた結果、この小説ではアルコール中毒の人々が「健全」という扱いになる。中毒性について言えば、大麻よりもアルコールの方が可愛いからでしょう。
まっすぐ立ってもいられない曹植や、暗愚の代名詞である劉禅らは、その健康管理を褒められている。変な逆転だ。
◆曹爽をザコ扱い
三国のメインキャラを葬り終わると、仲達と曹爽との対決へと、物語が傾いていく。塚本氏の仲達は、一般に流布した老獪な政治家でしかない。仲達の素顔について、何も新たに発見できない。
ただ1つの塚本版オリジナリティ=麻薬は登場しない。
史実で曹爽の仲間たちは、五石散という麻薬を嗜み、ラリッて黄老の新思想を開拓した。
これまでの塚本氏の流れからすると、五石散という格好の題材を、わざわざ史書がネギを背負って提供してくれているのだが、全く触れられない。ナルシストの何晏というキャラクターは、ちゃんと登場する。何晏は、だが、麻薬のマの字も楽しまない。
さっきもぼくは指摘したが、この小説で仲達は、麻薬を使わない。自分で服用もしないし、医術や外交や軍事の道具にしない。
だから仲達は、曹爽に対抗することに心を砕くが、麻薬で勝とうとしない。老衰したふりは、比較的「正攻法」の範疇でしょう。決して、
「曹爽の一味を無力化するために、麻薬をこっそり勧めた」
というストーリにはしない。
曹爽は麻薬を吸ってもいないのに、郎党全員を連れ出して洛陽をカラにした。油断のしすぎである。どうやら曹爽は、麻薬で狂わせるまでもない弱敵と扱われたようだ。
前半は麻薬を使って三国の英雄を台無しにした。後半は、麻薬を使うまでもないコモノたちを登場させた。塚本氏は、諸葛亮の死後はやはり面白くないんだと、宣伝してしまった。
やっぱりぼくは、この小説家と肌が合わないらしい。
簒奪の意志があったか
仲達を描くならば、避けて通ってはいけないテーマがあります。
「魏から禅譲を受ける気持ちがあったか」
です。
塚本氏の仲達は、簒奪の意志があります。死に際に仲達に言わせたセリフを、引用してみます。
「わしができるのは、ここまでのようだ」
「禅譲を迫るなど、まだ早い」
このように、簒奪はしたいけれども、時期尚早だといっている。なぜ時期が早いかと言えば、もっと基礎固めに時間をかけるべきだから。曹丕や曹叡が早死にして、魏が基礎固めに失敗したことが、仲達が子弟に示した反面教師である。
3代、4代をかけて天下を取れと仲達は言う。
まあ頭数だけは揃って、司馬氏は天下を取る。
この小説で曹爽は、曹芳から禅譲を迫ろうとした。だが発覚する前に、仲達に滅ぼされた。だから、曹爽が滅びたからと言って、魏で禅譲が許されない証拠にはならない。
なんか苦しい論理ですが、この小説の仲達は、そう認識していた。
だから、塚本氏に感想を述べるなら、かなり根深い反論になる。感想をカンタンに書き終えるのは難しい。