表紙 > 読書録 > 塚本青史『仲達』は麻薬の本

03) 皇帝の地位は麻薬か

最後に、
麻薬と皇帝権力について考えておきます。

麻薬という「麻薬」

塚本氏は麻薬を振り回して三国志を描きました。
三国志に登場する人たちは、ぼくのような平凡な現代日本人には、想像すら及ばない生き様を史書に留めています。『仲達』という小説で塚本氏が想定した「読者」もまた、三国志の人物を理解することができない、起伏の少ない人生を歩む一般人なんだと思う。

塚本氏の思考過程を勝手に勘ぐると、
「なぜ曹丕は、ムリを承知で征呉をくり返したんだろう。なぜ諸葛亮は、あんなに過労でも頑張れたんだろう。なぜ孫権は、晩年に狂ったような政策を打ったんだろう。現代日本の読者には、とても理解できないぞ。これじゃあ小説に、リアリティが生まれない。何かうまい説明はないものか」
と、まず悩む。
次に、
「曹丕、諸葛亮、孫権が、いかに特殊&不可思議な心境に落ちていくか、いちいち丁寧に描いてみようか。だが紙幅の都合だってあるし、読者が途中で飽きるリスクもある。

他者であるぼくが言えることではありませんが、塚本氏は、歴史への知識とか、人物を描写する力量とか、そういう土台に自信がなかったのかも?

加えて、今回の小説の主人公は仲達だ。曹丕はともかく、諸葛亮も孫権も、仲達が直接会わない。そんなキャラを、描ききるのは難しい」
と割り切ってしまい、
「そうだ、麻薬のせいにすれば、キレイに説明がつくぞ。どうせ麻薬をやったことがある人は、読者にいなかろう。クスリに侵された異常者にすれば、納得してもらえるに違いない」
と答えに到ったんじゃないかなあ。

塚本氏は、歴史小説が本来通るべき苦しみをいくらか省略して、作品を成立させてしまった。曹丕、諸葛亮、孫権を描き終えてしまった。
麻薬というアイテムは、いちど嵌るとラクラクだから病み付きになるという意味で、小説家の「麻薬」なんだと思う。

麻薬と皇帝権力の心地

ぼくは麻薬の効果はよく知らんが、酒から連想するに、本人の意思を無視して、感情を制御するクスリだと思う。

医学の知識はゼロのくせに書きますが、
人間の感情は、神経伝達物質とやらが脳内に現れることで生まれるらしい。喜びのときは、それ用の物質が出て、喜ぶ。悲しみも然り。

ドーパミン、アドレナリン、云々。よく知りません。

ぼくは体験的に、飲酒するといつも同じ気持ちになります。どん底が0で、絶好調が10とすると、だいたい4くらいです。だから、シラフの状態で落ち込んでいれば、酒を飲むと落ち着く。楽しいときに飲んでも、ちょっと体調が悪くなるだけで、むしろ楽しみが削がれる。
酒は、神経伝達物質の構成比?を、ある一定の状態に持っていくクスリだと思っています。

もともと感情って、外部の環境からやってくるものだと思う。嬉しいことがあれば嬉しい。悲しいことがあれば悲しい。

悲しいことがあって喜んでいたら、おかしい。何でも喜びに捉えてしまうプラス思考は、欺瞞です。
悲しいことがあって落ち込むのは、フツウだ。落ち込みがひどいから「うつ病かも」と恐れるのは、おかしいと思う。悲しいことがあれば、悲しいのだ。

酒は、この公式を壊すと思う。
超絶に悲しいことがあっても、感情レベルを4に戻してくれる。嬉しいことがあっても、感情レベルを4に押し下げる。外部の環境ではなく、化学物質の服用によって、感情を操作するもの。これが経験則。
「楽しむためには努力という代価が必要」
という公式をすっ飛ばしてしまうから、ヒトは酒を飲むんだと思う。

麻薬を飲んだ後の心地を知らないんだが、麻薬もまた、ある精神状態を人工的に作り出すものであるとします。
とすれば逆に、麻薬を飲まなくても、外部の出来事の起こり方次第で、塚本氏の描く「麻薬を飲んだ精神状態」になることもあるはず。そもそも、いかなる外部環境でも決して味わうことのない感情ならば、麻薬を飲んだ後に、ヒトがそれを体験することはできないのだと思う。

曹丕が征呉に燃えた心境も、諸葛亮が北伐を完遂させようとした心境も、孫権が皇帝に即位してから現実無視を始めた心境も、共通しているようだ。不可能なことはない絶対権力を手に入れ、この世の全てを臣従させる。この実現に執着して、横車さえ真摯に押す。現代日本人には、日常ベースからでは、にわかに理解できません。
「麻薬のせい」
などと思考停止せず、後漢末や三国の人々が、皇帝というポジションに何を見て、何を感じていたのか、考えてみたいと思ったのでした。皇帝という地位は、クスリを口にせずとも、クスリと同じ彼岸の心境を作り出したのかも知れず。

麻薬という、誰も中身を検証できないブラックボックスに、三国キャラの真実を隠してしまうなんて、ずるいなあ。感想は以上です。091218