02)人間関係学-応用編
本の中間地点を過ぎました。引き続き、結論をかいつまんでいきます。
「人間関係学」という、あまりに面白くないタイトルは、本からそのまま取っています。悪しからず。。
人事評価の先入観
初頭効果について。
内容の同じ人物評でも、描写する順序を逆転するだけで、印象が正反対になる。2番目以降の情報は、初めの情報に適合するようにアレンジされる。
初めの情報次第で、相手への接し方も正反対になる。当然、接された方の対応も大きく変わる。初めの印象は、覆りにくい。
理不尽さの受け入れ方
不協和解消理論について。
リストラされた人は、救いがないときの方が、理不尽を受け入れやすい。
「仕事はつまらないが給料がいい」
などの言い訳が他に立つと、「仕事がつまらない」という見方を修正しない。修正する必要がないから。
どうにもならなくなると人は、「行動」に「考え」を合わせて、リストラの理不尽を肯定的に受け入れる。
他人を解釈する
社会的な平均値から外れた部分に注目し、その人の特性と見なしやすい。
赤い羽根に100円募金しても、慈悲深い人ではない。赤い羽根の子供たちを怒鳴りつけると、「特色」として映り、冷たい人だと言われる。
社交的であることは、営業マンの特徴にはならない。営業マンは社交的だ、というのが相場だから。だが寡黙さは、営業マンの特徴となる。
執着の炎
自由選択権について。
見るなと言われると見たくなる。禁止されると、自由選択権を回復するために、人は行動を起こす。禁止された自由が重大なほど、回復するための行動が突飛なものになる。
手に入らなくなったものを、高く評価する。
自己監視理論
人には、周囲を気にする人と、気にしない人がいる。
周囲を気にする人は、「独創的な議論をした方が評価されるよ」という場では、周囲を気にせずに発言をした。表面に出てくる性格は、このように捩れているケースがある。
一概にどちらが好ましいとは言えない。社会によって異なる。
信賞必罰のワナ
自分に厳しい人は、他人にも厳しい。
仕事の結果は、少しは運に左右されることもあるが、自分に厳しい人は、これを認めない。またほとんどの人は、
「社会には公平と正義が存在し、これを信じると社会が安定する」
と思っている。だから不等な理由で電気ショックを食らい、顔を歪めている人を見ると、その人は実は被害者なのに、
「この人は罰を受けても仕方ない不正な人間だ」
と曲解する。因果関係が逆転するのだ。
贈り物の心理的コスト
社会的交換理論について。
人は対人的行動を、すべて「報酬」と「コスト」で捉える。「報酬」の方が多いとき、行動を起こす。
なんの見返りも求めずにお金をくれる人には、「裏があるに違いない」と疑いの目を向ける。同額の返済を約束させられると、好意を持つ。利子をつけて返済せよと言われると、国によって受け止め方が異なった。
権力者の堕落
人は強力な権限を持つと、遊んでみたくなる。生産性を上げるのに必要ないほど、指示や命令が多い。
部下に対して、「説得」する行動が減る。個人的な付き合いの必要性を感じない。
権力を乱用しそうになったら、「統制の所在」を冷静に見るべきだ。状況を動かしている力の中心はどこか。自分の命令権か、部下の自主性か、組織のルールか。少なくとも権力者が、
「私がいちばん働き、いちばん責任感があり、いちばん有能である」
と思い始めたら、それはウソである。組織を滅亡させる。
人間関係の悪循環
自分が嫌うと、相手も嫌う。人は、他人の性格を推理すると、確認するための言動を取る。固い人だと思えば、固く接する。相手も固く返すので、推理が的中したと思い込む。
「私は5分くらい話せば、相手の人格を見抜ける」
という人は、推理を押し付けるだけの、独りよがりな人間である。推理なんて、そうそう当たらない。
手柄の奪い合い
エゴセントリック・バイアスについて。
人間は、自己愛が強い。自分の発言が場の意見を導いたと考え、自分のプレイがチームを勝たせたと思う。
夫婦で生活の項目ごとに、自分の貢献度の比率を自己申告してもらい、2人の数字を足す。100%を上回ることが多い。
どんなとき、へつらうか
実験によると、上位者の自由裁量の余地が大きく(上位者がマニュアルに縛られず)、監督者が人間関係を重視すると宣言したとき(評価基準で業績が重視されないとき)、被験者は茶坊主的な行動をした。
友人に対する低い評価
自尊心について。
友人を採点する。自信がある領域では、友人を低く評価した。
自信のない領域では、友人を高く評価した。
身近な人に、自分の領分を犯されていると、自尊心が傷つく。だから友人を歪めて評価した。かわいい部下に、オフの日の野球で抜かれても構わないが、仕事で負けると非常に腹が立つ。
おわりに
ここにあげた心理学の実験の指摘について、「三国ファン、100人に聞きました」みたいな企画をやれば、軒並み、
「あるあるあるある」
という反応になるでしょう。冒頭で宣言したように、今後列伝を読むときに、ときどき引用していこうと思います。091014