表紙 > 読書録 > 宮城谷『三国志』より、関羽と劉備の最期を考える

02)劉備の志は、矛盾している

宮城谷『三国志』の特長のうち、
「劉備の行動原理を説明した」
に焦点を当てています。少なくとも他のところでは読んだことのない話です。発売されたハードカバーで劉備が死んだのを記念して書いています。

劉備の行き着く先

宮城谷氏が仮説を立て、関羽が自爆した理由ともされた、「玄徳」なる志。もし劉備が、その理想を実現していたら、どうなったか。
何がどうなれば、ゴールなのか。

宮城谷氏は、六巻の中で、劉備の理想実現への足かせを書いている。赤壁後に、荊州の南4郡を平定して回っているときのこと。黄忠が合流したとき、諸葛亮に教育されたようで。

形勢が不利になれば荊州の地と人を棄ててしばえばよい、という従来のやりかたでは、せっかく大きくなりつつある劉備の名が凋(しぼ)んでしまい、劉備が天下に棄てられるであろう。(中略)これまで劉備は他者を棄てて自己を生かしてきたが、これからは自己を棄てて他者を生かさねばならない。

つまり、劉備が志を変えないと、天下に居場所がなくなりますよ、と。

そのとおりだと思います。ぼくは、劉備が理想を突き詰めれば、天下に居場所がなくなると思う。
儒教徒に代表される「社会人」たちなら、天下に居場所がなくなることを、人間として最もひどいドロップアウトだと懼れるでしょう。しかし、真に老子が好きな人にとっては、
「社会に居場所がなくても、べつに構わない」
と言い出すと思う。
劉備は諸葛亮に脅されて変節し、社会に居場所を欲した。つまり、ほんとうに老子を求めたのではなかった。劉備の志には、矛盾があった。ぼくは宮城谷『三国志』を読んで、そう結論を導きました。

劉備がもっていた矛盾

「ひとは、1人では生きられない」
この言葉には、少なくとも2とおりの意味があると思います。
まず物質的な側面。原始、人はチームを組まないと狩猟ができず、チームを組まないと農耕ができなかった。今日の経済活動も同じ。こちらは反論の余地は少なし。
次に、精神的な側面。
「1人では淋しすぎて死んじゃうよ」
という、ウサギみたいな話です。こちらは、人によって傾向がマチマチで、1人きりの貫徹は可能だと思う。
人はパンのみで生きるわけじゃないが、パンがなくては生きられない。だから、物質的な互助のネットワークから、きつく締め出しを食らわないように、最低限に協調はする。しかし精神的には、べつに他人に寄りかからない。
老子は、精神的な助け合いを必要としない思想だという気がする。1人でいても、充分に精神の安定を保てるから、馴れ合わない。余計な交わりを避ける知恵だと思います。

宮城谷氏の劉備は「棄てる」人だったが、同時に劉邦を模倣した。項羽と戦ったとき、劉邦は老子に傾倒していない。老子と劉邦の両方を真似るのは、そもそも無理なのです。
劉邦は、儒者の冠に小便をした。だが、
「孔子が減った分だけ、老子が増える」
なんて単純な話は、どこにもない。孔子と老子は、よく正反対のことを述べているけど、単純な対立概念ではない。

劉邦の子や孫たち(前漢の景帝や文帝)のときは、老荘が主流っぽくなったが、それは天下平定後、国力を癒している段階の話。
劉邦は、劉備が模倣したように、有能な臣下を囲い、現実世界にアグレッシブに関わり続けた人だ。厭世したまま天下を取れるほど、項羽は弱くない。


アクセルとブレーキを同時に踏んでいると、人の心は簡単に壊れる。同じように、矛盾を含んだ目標を掲げた組織は、なかなか成長しないと思う。
「品質はいくら劣っても良い。とにかく大量に作れ。ただし、不良品を1つでも出したら、ボーナスはカットだ」
なんて命令されたら、従業員は、
「どないせい、ちゅうねん」
と不満を持つ。ボーナスは欲しいから、念入りにゆっくり生産するだろうね。そして、出荷できる個数が揃わずに、得られたはずの売上すら逃してしまう。会社は利益が出ない。ボーナスを払えない。
「約束が違うやないか」
となる。

諸葛亮の果たした役割

荊州に滞在した劉備は「髀肉の嘆」で有名なとおり、もう老年が近づき、後がなかった。
宮城谷『三国志』六巻では、劉備は諸葛亮と初対面したとき、漢室の復興を話した。正史にそういう記述があるから、宮城谷氏ですら枉げられない。だから宮城谷氏は、劉備の発言を「大嘘」「方便」だと決めつけて、自分の作ったキャラを貫徹させた。
諸葛亮の答えについて、宮城谷氏の解釈を要約すると、
「諸葛亮は劉備に、乗っ取りをやれと持ちかけた。呂布や袁術と同じことをやれと言った。どれだけ醜く、盗みや殺しをやっても構わない。勝てば官軍だから、後から正当化できる」
となる。
せっかくの隆中対が台無しだが、筋は通っている。

ぼくは宮城谷版の前提を流用しつつ、隆中対には別の意味があったと思う。すなわち、
「志の矛盾を整理しなさい。劉邦ですか。老子ですか。どちらかに決めなさい。劉邦をやるなら、私は手伝います。強い勢力のいない荊州と益州を取ればいいでしょう。一方で、老子をやるなら、私は必要ありませんね。さあどっちですか」
諸葛亮は、劉備と初対面だから、こんな絶妙なカウンセリングはできない。まして諸葛亮は、包容力のあるタイプではない。
聞いた側の劉備が、自発的に自問したのだと思う。教育とは、教える側のコンテンツの素晴らしさより、教わる側の心構えによって、効果がまるで変わると思うのです。落ちたリンゴに含蓄があるのではなく、気づいたニュートンの頭の中に発想の準備があったのです。
いま若者が示した領国拡大のロードマップは、当たり前すぎる。一般論の領域を出ない。しかし、
「これをやりますか、やりませんか」
というのは、劉備にとって重大な問いかけだった。
「できる、できない、ではない。やるか、やらないかだ」
これはぼくが、上司から言われたことです。手を付ける前から、可能か不可能か論じていても、何も進まない。まず成功可能性があるのではなく、まず自分の決意が先にある。大人なんだから、
「私はやります」
と宣言すれば、周囲は、
「そうか、わかった」
と応援してくれる。成功するための手助けの内容も具体化する。反対に、
「私はやりません」
と宣言すれば、周囲は
「そうか、わかった」
と受容してくれる。本人がイヤと言っているんだから、それ以上、何も干渉することはない。

劉備は、諸葛亮の話を聞いて、
「善し」
と言った。つまり、やります、と宣言をした。だったら最後までやり抜けよ、という話で。劉備が、宮城谷氏の期待する「玄徳」に到ることができなかったのは、自ら選び取った結果なのです。
「自己完結した隠者のような創業皇帝」
という、ありえないテーゼを棄てたのは、批判されることではないと思う。むしろ英断でした。やっとモラトリアムを終え、大人になった。まあ、
「人生の目標をハッキリさせた奴が偉い」
というのも、窮屈な発想ではありますが、、劉備その人が、
「劉邦になりたい」
と言うんだから、諸葛亮の採用は大きな前進だったと思います。結果として、成功しようが失敗しようが、別の話ですよ。曹操が強すぎたせいで、この前進の価値が減ずることはないと思う。

次回、関羽について書きます。