表紙 > 読書録 > 山口久和『「三国志」の迷宮』より、曹操論と劉備論

02)山口氏への反論

前頁で引用した、山口氏の曹操論と劉備論に、ぼくなりの感想をつけます。

人格の真偽とは

善と偽善のちがいって、何だろう。同じように、悪と偽悪のちがいって、何だろう。べつに今日に始まった疑問ではないが、さらに分からない。
めちゃめちゃ慈悲深い行動をしている人がいて、多くの人を助けて、世界に愛されつつ生涯を閉じた。しかし心の中では、ずっとベロを出して、助けた相手のことをあざ笑っていた、、とします。するとこの人は、善なのか偽善なのか。そもそもこの議論をすることに意味があるのか。
どっちでもいいじゃないか。貢献した事実は動かないよ。

山口氏の本の中で、
「儒教は動機主義だ」
と指摘していました。ぼくは儒教の原典を読んでいないが、さっきの要約を再掲載しますと、
殺人を好まざる者が王者だ。不義をなし、無辜を殺して天下を得るのは、非だ」
という部分ですね。白状すると、ぼくが「好む」と漢字を置きかえてしまったが、もとは「嗜む」です。これを山口氏は「このむ」と訓読していたから、勝手に漢字を置きかえてしまった。ママだと「たしなむ」に見えるし。

さて、この文章は動機主義なのか?
ぼくは違うと思う。
「殺人を好き好んで行い、楽しまない人が王者である」
ということで、つまり、
「正当な理由のない殺人をしない人が王者である」
と読み替えることができる。つまり動機主義ではなくて、儒教の主張もまた、結果主義じゃないか。
そもそも殺人が好きかどうかなんて、余人が知ることができない。たまたま人を殺し、その理由が第三者に納得されないとき、初めて「殺人を好むんだな」と周囲から認定をされる。
だが悲しいことに、この認定にも突っ込む余地がある。
殺人したとしても、それを好んでやったのか、イヤイヤやったのか、誰にも分からない。そこで「一定の裁量権があるとき、人は好きなことをやり、イヤなことをやらない」と推測して、当てはめるだけである。アヤフヤだよねえ。もしドM気質で、やりたくないことをやるタイプだったら、どうするんだ。
また反対に、
もし世界の誰よりも殺人が好きでも、実際に殺人をしなければ「殺人を好む人だ」とは言われない。
水掛け論をやったせいで、床がビチャビチャになってきた。やめましょう。

「偽」の判定基準

人格の表出形態には、3段階あると思います。
まず思うこと。次に言うこと。最後に、行なうこと。

第三者は、思うことについて、覗けない。だから、曹操や劉備がどう思っていたかなんて、トヤカク言うのはナンセンスです。
世の中には、どうせ結論が出なくても、考えるそのものが楽しい題材がある。邪馬台国論争とかね(笑)
曹操や劉備が思ったことを勘ぐるのも、とても楽しいことの1つで。だが、ぼくが真偽の判定をしたところで、全ての賛成意見と、全ての反対意見を、「ああ、そうですね」と聞き流すしか出来ないから、今日は考えません。

ぼくらが真偽を判定するには、言ったことと行なったことを比べるのが有効です。山口氏は思想史家だから、内面に踏み込んで、曹操論と劉備論を展開された。でもぼくは、史料を読むのが好きなだけの人間なので、史料に見える範囲で検討するしかできない。
言行が一致したら「真」で、言行が一致しなければ「偽」です。

ぼくの曹操論

曹操について。ぼくの結論は、単なる「悪(狂者)」だ。

まず行動が、儒教に照らしたとき「悪」であることは、山口氏が並べた内容から、明らかだと思います。曹操の政策は、後漢を腐らせた側面での儒教を、否定するものでした。

じゃあ、曹操その人の発言は、どんなだろうか。山口氏が言うように「偽悪」であるためには、
「心の底では、本当は儒教を信奉しているんだけれども、わざと儒教を否定するような振る舞いをしよう」
という逆転が必要だ。儒教支持を仄めかす台詞がほしい。
しかし、山口氏の挙げた曹操には、儒教の信奉の形跡がない。宦官の異姓養子として蔑まれ、初めから一貫して儒教を悪んでいたようである。ってことは、「偽悪」ではなくて、単なる「悪」じゃん。

せっかく山口氏が設けた、二項対立の面白さを、ろくに思慮せずに台無しにした感があるが、、何度か読み直しても、感想が変わらない(笑)
スープに頭を突っ込む曹操と、諸学問や芸術に長じた曹操を、山口氏は対比している。前者は、ただ儒教を否定する振る舞いだ。

山口氏も、軽薄な曹操を描いく史料は、敵国・呉人の手によることに、もちろん留意されています。

後者は、儒教の教養に限らず多能多才だったことを示すだけだ。曹操が儒教を信奉した証拠にはなっていない。ワンオブゼムとして儒教を知ることと、儒教にのめり込むことは、別である。

ぼくの劉備論

劉備について。ぼくの結論は、弱小の「善(君子)」だ。

曹操は行動から確認しましたが、劉備は発言から確認します。劉備の発言は、「善」です。これは山口氏が紹介したエピソードから、明らかです。例えば隆中対。ここに反論はありません。

劉備の行動は、儒教倫理に照らしたとき、善か悪か。ぼくは山口氏と同じで、悪だと思う。だがぼくは、劉備が「偽善」ではないと思う。
善悪の判定は山口氏と同じなのに、結論が山口氏と違う、、おかしなことを言ったのは、自覚しています。ちゃんと説明をさせて頂きます(笑)

山口氏に責められた劉備の行動は、以下。
血筋が眉唾だ、荊州を領有するまで定見もなく諸将の間を転々とした、当初から董卓を討つ姿勢に欠く、領土の拡張にかまけた、漢中王を名乗った、皇帝を名乗った、皇帝即位を諌めた臣下を左遷した。
確かにヒドい。
本来なら、貧しい家の出身に過ぎないと積極的に暴露し、董卓を斬るための大同盟をプロデュースし、さっさと(曹操のように)根拠地を確保して、献帝を奉戴して、自らは丞相なりに甘んじるべきだった。
だがぼくは、現実問題として、劉備にそんなことが可能でしたか、と問いたいのです。
山口氏が仰るように、劉備は才知に乏しい。だから、やりたくても出来ないことが多すぎる。血筋を旗印にしなければ、一瞬で埋没する。領地を得なければ、何もできない。曹操が魏王となり、曹丕が魏帝となれば、劉備はせめて称号だけでも張り合わないと、求心力が低下して、勢力が空中分解をしてしまう。緊急の要請で、即位したのだ。

儒教の教えに、
「志を実現するためには、強く賢くなければならない。弱くバカならば、いかに志が正しかろうと、人間のクズである。悪である」
なんて一節があったっけか。少なくともぼくは知りません。内面からの動機を重んじた文体が、メインだと思います。
劉備が志を実現するために、形振り構わずに、漢帝を名乗ったのは史実。だが劉備の国力では、献帝に手出しできなかった。例えばもし関羽の北伐が成功し、劉備が献帝を助け出して、帝位をお返しすれば、劉備は必ず「善」と評価されたでしょう。
劉備がもし中原を制圧したとして、献帝に帝位を返したかどうかは、分からん。誰にも分からん。だから、今日のテーマを考えるためには、検討しても仕方ない。
「劉備から献帝への忠は、わからない」
が、面白くないけれど、精一杯の答えである。
また山口氏が自明としている献帝の正統性だって、怪しいのだ。献帝を正統に祭ったのは、はじめは董卓で、今は曹操である。曹操と敵対した劉備が、献帝を祭り上げるべき必然性はない。献帝を蔑ろにしたというだけで、劉備を責められない。

劉備が隆中対で、諸葛亮に「漢を復興したい」と言った。そう史料に書いてあるのなら、「そうですね」と受け入れるしかないのです。劉備の素志がそのとおりだとする根拠も、素志はこれと別だとする根拠も、同様に薄いのです。ならば、そのとおりだと受け入れるのが自然な態度です。

劉備は残念ながら、曹操ばりに領国経営はできなかった。だが劉備は、裁量の及ぶ範囲(個人の交際など)では、儒教に則って行動した。後漢の人たちの支持を得たのが、何よりもの証明です。
ならば劉備は、弱いけれども「善(君子)」だったと言っていいと思います。

おわりに

二項対立は、議論を面白くします。妥当な結論を導くかどうかは別として、とにかく議論をエキサイティングにしてくれます。
益州で、
「劉備さまは、曹操の反対を行うべきだ」
と劉備が説得される場面があります。曹操と劉備は、「善と悪」や「真と偽」みたいなステレオタイプを遥かに越えた、とても興味深い対立構図の両極なのです。
今回は山口氏に反論するという目的で、議論の枠組みをマネして、曹操と劉備を論じてみました。でも、ここに書けていない曹操と劉備の人物像は、いくらでもあり、捉え切れていないので、、ひき続き追い求めます。091016