01) 騎馬民族8つの理由
江上波夫『騎馬民族国家』1967中公新書
を読みました。
この本の結論は、東北アジアの騎馬民族が、朝鮮半島を経由して、4世紀末から5世紀前半に日本に乗り込み、征服王朝を作った。これが日本で最初の統一国家である。大和朝廷の創始である。
というものです。
この話への賛同&反対は、すでに百家どころか千家争鳴している。新しい話は出ないだろう。だからぼくは視点を変えます。4世紀末から5世紀前半という、時間に注目します。
この時期に、三国志の終わりと、日本史の始まりを見出します。
前半で江上氏の話を少し引用して、後半で思ったことを書きます。
騎馬民族国家の8つの根拠
まず江上氏が何を言っているのか、確認します。なぜ大和朝廷を始めたのは、東北アジアの騎馬民族なのか。
①4世紀後半に古墳の祭られ方が変わる
②副葬品の変化が、急激すぎて不自然
③農耕民族は保守的で、異質な文化を拒むはずだ
④北方騎馬民族の文化が、丸ごと輸入された(人が移動?)
⑤馬と牛の数が、いきなり増えた
⑥武装した王侯貴族の副葬品が出土する
⑦古墳が軍事的な要地に集中していく
⑧騎馬民族が、海を越えて征服した例は少なくない
この8つを取っ掛かりにして、まるで拓跋鮮卑の北魏が、中原を制圧したのと同じタイミングで、日本に騎馬民族が新しい王朝を建てたことが説かれている。
大和朝廷と、拓跋鮮卑ら騎馬民族の共通点が、多く指摘される。
氏姓制度の二元制。中央軍を統率する王族将軍。皇位継承のルールと手続き。君主が即位する儀式。
婚姻制度。政治と軍事。国力の増強による遷都、被征服人の徙民政策。経済的な政策。服装や冠、鎧と武器、馬具。埋葬と墳墓。
『日本書紀』と騎馬民族
古事記や日本書紀と関連づけることも、忘れていない。
江上氏に『日本書紀』を読ませると・・・
神武天皇は、朝鮮半島で王朝を始めた人。神武天皇と同じく「初めて建国した」という名を持つ、10代の崇神天皇は、朝鮮半島から九州に、渡ってきた人。畿内に古墳を持ち始める、応神天皇や仁徳天皇は、九州から畿内へ東征した人。
3世紀、拓跋力微が「代」という弱小国を始めた。いちど代は、前秦に滅ぼされた。4世紀末、拓跋珪が皇帝を名乗り「魏」と改めた。太武帝のとき征服をし、孝文帝のとき洛陽に遷都した。
辺境で建国し、断絶を克服し、征服するたびに別天地へ移動し、君主の称号を上げていく。最後は、中国皇帝と対等より上を名乗る。ストーリーの枠組みが、日本と同じだ。
今日電車で、遠山美都男『天皇誕生』を読みました。記紀神話で『隋書』を元ネタにした事件があるという。そうじゃなく、本紀というスタイル全体を見渡して、『日本書紀』をマクロに(大雑把に)比較した先行研究ってあるのかなあ? 気になってきた。
次回、思いついたことを書きます。
もちろん、三国志がらみです。