表紙 > 考察 > 日本人は、劉備の血筋を重く捉えすぎている

02) 劉備の血筋は、役立たず

ぼくらは、日本人の価値観に引きずられて、劉備の血筋の意味を、重く捉えすぎている。
日本人としてのバイアスを除くことを、このページの狙いとします。

日本風にアレンジされた三国志

劉備の話をします。劉備は、劉姓です。
現代日本人の感性で、劉備を捉えると、どうなるか。
初対面の人に、
「わたくし、徳川と申します」
と言われたときと同じくらい、興味を持つだろう。江戸時代に将軍を務めた家との関係が、とても気になる。具体的な系図が見たい。ホンモノなのか、知りたい。

「ニセモノの徳川さん」なんていないのだが。


日本で出版された三国志にまつわる物語には、日本人向けのアレンジがされています。

「史実と違うから、ダメだ」と文句を言いたいのではない。どんなアレンジか知っておきたい、という立場で、書いています。

日本人は、劉備が血筋を語るシーンを、大切にすると思う。劉備がホンモノなのか、証明してもらわないと、話が進まない。ニセモノだったら、劉備の魅力は90%オフだ。
日本には世襲で栄えた家が多く、同姓の家が少ないから、血筋を特定できることがある。この日本特有の感覚で、劉備の系図を知ろうとする。

また、日本の諸葛亮は、劉備が漢室であることを強い動機にして、出盧を決心する。これでは、諸葛亮が劉表に仕えなかった説明ができないが、突っ込むのはマナー違反である。

もしくは、
これらのアンチテーゼで、劉備が漢室とつながりのないことを、強調したがる。劉邦から400年、いかに劉姓が天下に溢れたかを、ムキになって言い立てる。
わけ知り顔の、日本人のシワザだ。
肯定と否定の違いはあるが、血筋をやたらに気にかけるという日本的な発想に縛られているという点で、同じです。

三国時代の人は、姓をどう捉えたか

ここまでぼくは、日本人が劉備の劉姓に、こだわり過ぎだと言った。日本人のクセを指摘してみました。
ただし三国時代の人が、劉備の姓を無視したとは言いません。

三国時代の人は、姓の由来を、どのような意識で語ったか。
「自分の生き方をおおまかに示す、アピールの道具」
として利用したんじゃないか。

叩き上げの軍人・孫堅は、
「私は孫子の子孫だから、兵法に長じたカテゴリの人ですよ」
と言った。誰も、孫武から始まる系図を見せろ!なんて、野暮なことは言っていない。

献帝を擁立して強くなった曹操は、
「私は、漢の忠臣である曹参や夏侯嬰のトモガラですよ」
と言ったと、ぼくは思う。祖父の曹騰より上に、系図を遡れないことは誰もが知っている。だが、誰も突っ込むまい。
曹丕になると、舜だとか禹だとか、伝説の人物に接続された。新たな系図が発掘されたのではない。
「私は、禅譲を成功させるタイプの人間ですよ」
と言いたかった。
日本では、豊臣秀吉が系図を作ることに四苦八苦している。
だが中国史では、自己申告した系図がウソだったせいで、政治的に失敗する話を知らない。系図の空白を、ムリに埋めなくていい。断絶していて、当たり前なんだから。

もっと砕けた、有名な話がある。
孔融が李膺に遊びに行き、
「私の祖先(孔子)は、あなたの祖先(老子=李耳)と友人でした」
と機転の利いたウソをついて、美談になったほどだ。
姓については大らかだった。ムキにならなかった。

劉姓の、劉備にとっての意味

劉備が劉姓であることの意味は、
「王を名乗っても、ルール違反にならないジャンルの人間だ」
ということ。それだけ。
劉姓だから貴いとか、劉姓と言うならば系図を見せろとか、劉姓だから人が集まるとか、それらは一切なかったと思う。

あのタイミングで漢中王を名乗れたのは、劉備が劉姓だったから。
だが、劉備の興亡に、漢中王の名乗りがどんな影響を与えたかは、別に議論すべきテーマ。

どこまでが史実で、どこからが中国人による小説化で、どこからが日本人による小説化なのか、ぼくには分からない。でも日本の三国文化のなかで、劉備1人が、くどくど貴種っぽさを強調しているのは、明らかに不自然なのです。

ムリに現代日本人の感覚に引きつけるなら、
「彼は九州出身だ」
という程度の、ゆるさだったと思う。
「なに九州男児だと? 仮にも九州人を名乗るならば、九州に生まれ育った証拠を見せてみろ。男らしくあれ。酒を飲め。あなたが九州人だから、私はあなたと友達になりたい」
なんて話はない。
九州人に、きびしく定義や証明を期待しない。他に九州人はいくらでもいるから、排他的な個性として意識しない。

おわりに

北方謙三『三国志』で顕著ですが、ぼくら日本人は、漢帝国と天皇制を、ダブらせてしまう。劉備に人が集まった理由とか、諸葛亮が忠誠を尽くした理由を、血筋に求めたくなる。
だが、血筋はそれほど劉備を助けていなかった。つまり劉備は、日本人が想定する以上に、ハンデをもらえない、不利な戦いをしていたことになる。
劉備の血筋の貴さを低く見積もることで、逆に劉備の君主としてすごさが見えてくる。日本人の感覚には、どうもピンと来ないことですが、より事実に近いのかも?

本郷和人氏の、世襲が好きな日本人という話を読み、このページのネタを思いつきました。 テーマが「ひとびとの意識」なので、証明が難しい。同時に、何とでも言えてしまうが。100306