表紙 > 読書録 > 松岡栄志「孫盛伝 ある六朝人の軌跡」でプロの訳&注を学ぶ

01) 晋書の翻訳が読める、論文

松岡栄志「孫盛伝 ある六朝人の軌跡」
(伊藤漱平編『中国の古典文学』東京大学出版会1981)

を読みました。
『晋書』の列伝の翻訳&解説でした。
熱の入った『晋書』ファンのあいだでは、専門家による翻訳が読めるということで、垂涎の的となっている論文です(おそらく)

愛知県立図書館で、たまたま見つけて、コピってきました。

ぼくもサイトで『晋書』を訳しているので、先学に学んでみようという趣旨で、読みました。

このページの目的

このページの目的は、2つです。
 1.三国時代の歴史を記した、孫盛を知る

裴松之の注釈に、よく著作が引用されている人物です。

 2.晋書が『世説新語』のコピペでないことを確認する
 3.列伝の訳し方と、解説のつけ方のコツをメモする

哲学のディベーター

【列伝のあらすじ】
孫盛は、あざなを安国。哲学のディベートが得意で、出されたお膳も、そっちのけだった。ときに有名だった殷浩に認められた。

【翻訳の気づき】

ぼくがひとりで訳したら、分からなかったことをメモ。

「被害」は「害せらる」で、殺された。ただのヒガイではない。
「善言名理」で「魏晋に流行した哲学『名理』の議論にすぐれた」と。

【解説より】
孫盛が、父を殺されて渡江したのは310年ごろだろう。
祖父の孫楚は『晋書』巻56に列伝がある。
父の孫恂は、「孫楚伝」では官位に就かず、「孫盛伝」では頴川太守になったとある。同じ『晋書』のなかで食い違っている。

違う本を自由に参照して、違う人が書いたからかな。

孫盛のディベート風景は、『世説新語』の焼き直し。
『世説新語』で孫盛は、劉惔に言い負かされているが、この列伝には載っていない。

記述の主人公の都合のいいことだけ書くのが、歴史書の常道だ。唐代に『世説新語』を見ながら『晋書』を書いているとき、400年前の孫盛と利害関係のある人は誰もいないのに、列伝で孫盛の名誉を守る配慮がされている。歴史書の常道は、骨の髄まで染みているようだ。
まして、利害がからむ人物&勢力が健在のとき、いかに歴史家が記述を枉るか、想像に難くはありません!

左著作郎となる

【列伝のあらすじ】
孫盛は、起家して佐著作郎となった。のちに荊州のトップに、参軍として招かれた。陶侃、庾亮、庾翼、桓温と、上司が変わっていく。

【翻訳の気づき】
「居外」は、城外に住む。権勢がある人のゼイタク行為らしい。
「構間」は、関係性が険悪なこと。

【解説より】
左著作郎は、郡から上げられた孝廉の評価が、そうとう高い人が就くポスト。著作郎の下で、国史を編纂するポジション。六品の清官だ。ただし名家の子弟が、名目だけで就くことがある。

訳者に期待される役割の1つが、地名や役職について、解説すること。ぼくもがんばろう。
のちに孫盛は、自らが生きる晋朝の歴史書をつくる。ライフワークだ。新卒のとき任された仕事が天職で、キャリアアップのために転任したあとも、前職場の仕事に、こだわり続けるようなもの。

上司は、あの桓温さん

【列伝のあらすじ】
孫盛は桓温に従軍して、成漢を滅ぼし、洛陽を攻めた。
孫盛は私財を貯めたが、桓温は咎めなかった。孫盛は72歳で死んだ。

【翻訳の気づき】
「尋遷+職名」は、「ひきつづいて、××に遷った」でよい。

ぼくが『晋書』を訳すとき、いつも困るのです。

「忽至」は、「突然に襲われる」だ。日本語で「忽然」って言うし。
「営資貨」は、「財物をためこむ」だ。営むって動詞が微妙。
「案之」で、「これの様子を探る」となる。案ずって動詞に注意。
「捨而不罪」で、「取り合わないで許す」

【解説より】
孫盛が、成漢を攻めたとき、戦った。戦った相手は、君主・李勢の叔父の李福と、従父の李権である。

他の列伝から情報をパッチワークするのも、翻訳者の務め。

成都を突くのは、軽騎を率いた桓温さまの役割だった。だが、後方で兵站を支える孫盛も、奇襲を受けて戦った。ご苦労さまでした。

次回、孫盛が歴史書の改竄を命じられます。
この列伝で、いちばん面白いところです!