表紙 > 漢文和訳 > 『漢書』より、皇帝を廃しても名臣とされる、霍光伝の表現技法を味わう

01) 長男を廃し、君主を廃する

「袁術本紀」を作ろうとしています。
前漢の霍光は、皇帝を取り替えているのに、名臣とされています。同じことをした王莽や梁冀は、口汚く罵られているのに。
どうやれば「名臣」を描けるのか、班固先生に学びます。

『漢書』は、作文の教科書として、重んじられたらしい。
そういえば、ぼくが『漢書』を読むのは、今回が初めてだ!

三木克己『漢書列伝選』の訳文を参考にします。
文例を得る目的です。原文は大幅にカットします。

霍光は、外戚の生まれ

霍光字子孟,票騎將軍去病弟也。
官名+名+続柄+也。
父中孺,河東平陽人也,以縣吏給事平陽侯家,與侍者衛少児私通而生去病。
男女の関係のときも「与」をつかう。男性も「生」の主語になる。

後漢の梁冀も、外戚の梁統の家に生まれた。


前漢の武帝からの信頼

去病死後,光為奉車都尉、光祿大夫,出則奉車,入侍左右。出入禁闥二十餘年,小心謹慎,未嘗有過,甚見親信。
「出」「入」の対句。「禁闥」天子の側近。「未嘗有過」ミスゼロ。

而燕王旦、廣陵王胥皆多過失。
「皆多過失」どちらも、皇太子になるのは過失が多すぎる。
上心欲以為嗣,命大臣輔之。
武帝は、この子に継がせ、大臣に補佐を命じたい。
察群臣唯光任大重,可屬社稷。
「察」で物色し、霍光だけが「任大重」「屬社稷」に値する人物。

上乃,使黃門畫者,畫周公負成王,朝諸侯以賜光。
黄門の画工に命じ、周公旦が成王を抱いて、諸侯を参朝させた絵を描かせた。
光涕泣問曰:「如有不諱,誰當嗣者?」上曰:「君未諭前畫意邪?立少子,君行周公之事。」
霍光が、泣いて尋ねた。「万一のことがあれば、誰に嗣がせますか」と。武帝が答えた。君は、前に与えた絵の意味が分かっていないのか。きみが周公旦のように、幼子を補佐しろ」

皆拜臥內床下,受遺詔輔少主。明日,武帝崩,太子襲尊號,是為孝昭皇帝。帝年八歲,政事一決於光。
幼子が孝昭皇帝となり、霍光が全てを任された。

霍光の人柄と政治

光為人沉靜詳審,長財七尺三寸,白皙,疏眉目,美須髯。
忠臣の描写。色が白く、目と眉のあいだが広く(顔立ちがハッキリしていて)ヒゲが美しかった。
每出入下殿門,止進有常處。郎僕射竊識視之,不失尺寸,其資性端正如此。
止まり、進む経路が、いつも同じだ。僕射がこっそり観察したが、霍光の歩く場所は、一寸たりともブレない。性格の「端正」さは、このエピソードに見えるとおり。

神経質すぎると思うのだが。現代人なら病気に判定される。


後桀黨有譖光者,上輒怒曰:「大將軍忠臣,先帝所屬以輔朕身,敢有毀者坐之。」自是桀等不敢複言。
上官桀の一味が、霍光を悪くいった。昭帝は、霍光をかばった。「霍光は忠臣だ。先帝が霍光に、私を補佐するように頼んだ。霍光の悪口を言えば、罪とする」

乃謀令長公主置酒請光,伏兵格殺之,因廢帝,迎立燕王為天子。
事發覺,光盡誅桀、安、弘羊、外人宗族。燕王、蓋主皆自殺。光威震海内。昭帝既冠,遂委任光,訖十三年,百姓充實,四夷賓服。

政敵が、昭帝を退け、かわりに燕王を天子に立てようとした。
霍光は、政敵を皆殺した。霍光の「威」は海内を振るわせた。霍光が補佐した13年間で、国民は栄え、異民族はなびき従った。

これが政治に成功したことを、たたえるコメント。


皇帝の劉賀を、廃す

元平元年,昭帝崩,亡嗣。武帝六男獨有廣陵王胥在,群臣議所立,鹹特廣陵王。王本以行失道,先帝所不用。光內不自安。
昭帝が死んだ。武帝の皇子では、廣陵王の劉賀だけが生存。みな廣陵王がいいと言った。だが霍光の意見では、廣陵王はダメである。武帝が重用しなかった皇子だからだ。
郎有上書言:「周太王廢太伯立王季,文王舍伯邑考立武王,唯在所宜,雖廢長立少可也。廣陵王不可以承宗廟。」言合光意。
霍光を代弁する上書がでた。「周の文王は、長男を退け、末弟の武王を立てた」と。

長子を立てない故事です。事例が少ないので、使い勝手がよい。


既至,即位,行淫亂。光憂懣,獨以問所親故吏大司農田延年。延年曰:「將軍為國柱石,審此人不可,何不建白太后,更選賢而立之?」光曰:「今欲如是,于古嘗有此不?」
皇帝の資格がないのは「行淫亂」と記す。霍光は、過去に皇帝を廃した例があるのか、故吏に聞いた。

君主を廃して、忠臣と呼ばれた人はいない。霍光が初の成功例となる。
この劉賀は、皇帝として認められない。霍光が勝ち、劉賀が負けた。


延年曰:「伊尹相殷,廢太甲以安宗廟,後世稱其忠。將軍若能行此,亦漢之伊尹也。」
故吏がいうには、「伊尹は、殷王の太甲を廃して、後世に中心と呼ばれた。霍光さんが劉賀を廃せば、漢の伊尹だと称えられますよ」

光曰:「昌邑王行昏亂,恐危社稷,如何?」群臣皆驚鄂失色,莫敢發言,但唯唯而已。
霍光が、劉賀を「行昏亂」と批判。群臣は「はいはい、さようで」と言うのみ。

「はいはい、さようで」は、三木氏の訳。おもしろい。


田延年前,離席按劍,曰:「先帝屬將軍以幼孤,寄將軍以天下,以將軍忠賢能安劉氏也。今群下鼎沸,社稷將傾,且漢之傳諡常為孝者,以長有天下,令宗廟血食也。如令漢家絕祀,將軍雖死,何面目見先帝於地下乎?今日之議,不得旋踵。群臣後應者,臣請劍斬之。」光謝曰:「九卿責光是也。天下匈匈不安,光當受難。」於是議者皆叩頭,曰:「萬姓之命在於將軍,唯大將軍令。」
故吏は、霍光の言い分に従わねば、斬るという。霍光は、憎まれ役を故吏に押し付け、自分は謝る側に回った。
「九卿の皆さんが、わたしを責めるのは、もっともなこと。天下が不安ですから、私が責任を持って、大難に当たるであろう」
このナイスな役割配分により、郡臣は霍光に従うことにした。

光即與群臣俱見白太后,具陳昌邑王不可以承宗廟狀。皇太后乃車駕幸未央承明殿,詔諸禁門毋內昌邑群臣。王入朝太后還,乘輦欲歸溫室,中黃門宦者各持門扇,王入,門閉,昌邑群臣不得入。王曰:「何為?」大將軍跪曰:「有皇太后詔,毋內昌邑群臣。」
霍光は、太后に手回しして、劉賀を締め出した。劉賀は、禁門に入ることを拒まれた。劉賀が「何をするんだ」と聞くと、霍光はひざまずいた。「太后さまの詔でございます」

小説めいたリアルなやり取りは、とても面白い!


王曰:「徐之,何乃驚人如是!」光使盡驅出昌邑群臣,置金馬門外。車騎將軍安世將羽林騎收縛二百餘人,皆送廷尉詔獄。令故昭帝侍中中臣侍守王。光敕左右:「謹宿衛,卒有物故自裁,令我負天下,有殺主名。」
劉賀は「そんな、いきなりじゃなくていいだろう!」と。霍光は命じた。「劉賀さまが自殺しないように、見張っておけ。もし劉賀さまに自殺されたら、私は主君を殺したと、天下から言われてしまう」

三木氏は「天下の期待にそむき」とあるが、違うだろう。


王尚未自知當廢,謂左右:「我故群臣從官安得罪,而大將軍盡系之乎?」頃之,有太后詔召王,王聞召,意恐,乃曰:「我安得罪而召我哉!」太后被珠襦,盛服坐武帳中,侍禦數百人皆持兵,其門武士陛戟,陳列殿下。
劉賀は「おれにどんな罪があったのだ」と言う。状況がわかっていない。太后(発案は霍光だろう)は、武官をずらりと並ばせ、劉賀に立場を分からせた。

次回、ついに霍光が、劉賀をおろします。
いま思うに、後漢の質帝も、描き方によっては、劉賀と同じになる。「廃されて当然の暗君」にすることは、可能だろう。
ただし『後漢書』は梁冀を責めることを、編集方針とした。だから、質帝は聡明な皇帝として描かれた。殺されて、非常に惜しかった人材として描かれた。