表紙 > 読書録 > 小説『ぼっちゃん 魏将・郝昭の戦い』を、史料と照合する

01) 西北の守護神、金城を守る

郝昭に関する『三国志』の史料を集めました。

小説を楽しむための参考に

河原谷創次郎『ぼっちゃん 魏将・郝昭の戦い』2008学習研究社
を読みました。

発売直後に買って、読んだ。いま読み返しました。

楽しく読めました。
陳倉での籠城戦に、リアリティがあった。でも、
それよりも、魏室に宮仕えする立場のリアリティが、よかった。
「こんな感じで、臣下は働いていたんだろうなあ」
と、納得させられる作品。
ご一読なさることを、オススメします。

三国志にからみ、おもしろい創作物に会うと、つぎに必ず踏むべき手続きがありますよね。元になった史料は、どんなだろう。どこまでが史料に準拠し、どこからがオリジナルだろうか。
これを調べねばなるまい。笑

郝昭に関する史料を、集めました。原文と、ぼくの訳文を載せます。訳文は、ところによっては、抄訳です。おそらく同じ道順を歩まれるでありましょう、ご同好の皆さまに、共有をさせていただきます。

このページを読むと、いくらかネタバレします。しかし小説を読む楽しさが、損なわれることはないと思います。おそらく、、

このページの下半分の史料は、小説に描かれるより、前の時期です。正直、ぼくも詳細には語れない部分です。今後の学習テーマです。
お急ぎの方は、次のページにお進みください。

曹丕が継いだ直後、郝昭が麹演をやぶる

「魏志」文帝紀がいう。

(延康元年五月)酒泉黃華、張掖張進等各執太守以叛。金城太守蘇則討進,斬之。華降。華後為兗州刺史,見王淩傳。

220年5月、酒泉郡の黄華と、張掖郡の張進らは、それぞれ太守を捕えて叛いた。金城太守の蘇則は、張進らを斬った。黄華はくだり、のちに兗州刺史になった。黄華は、王淩伝に見える。

曹操の死、漢魏革命のスキに乗じたのだろうね。直接的に動機は書かれないが、時期からして、間違いはない。
叛いたくせに兗州刺史になった、黄華に興味がある。王淩とからむことで、興味が増す。でも、今日は関係ないので、やりません。
この文帝紀のシンプルな記述を、「魏志」蘇則伝がおぎなう。郝昭は、蘇則があやつる将軍として、登場します。


「魏志」蘇則伝がいう。同じ220年にあたる記事です。

後演複結旁郡為亂,張掖張進執太守杜通,酒泉黃華不受太守辛機,進、華皆自稱太守以應之。又武威三種胡並寇鈔,道路斷絕。武威太守毌丘興告急於則。時雍、涼諸豪皆驅略羌胡以從進等,郡人鹹以為進不可當。又將軍郝昭、魏平先是各屯守金城,亦受詔不得西度。則乃見郡中大吏及昭等與羌豪帥謀曰:「今賊雖盛,然皆新合,或有脅從,未必同心;因釁擊之,善惡必離,離而歸我,我增而彼損矣。既獲益眾之實,且有倍氣之勢,率以進討,破之必矣。若待大軍,曠日持久,善人無歸,必合於惡,善惡既合,勢難卒離。雖有詔命,違而合權,專之可也。」

曹操が死んだ歳、西平郡の麹演は、叛乱した。
張掖郡の張進は、魏朝の太守をとらえた。酒泉郡の黄華は、魏朝の太守をこばんだ。張進と黄華は、みずから太守を名乗って、麹演に応じた。
武威郡は、三種の胡族があばれ、道路が絶えた。武威太守の毌丘興は、蘇則に助けを求めた。

固有名詞が多すぎる! 整理しましょう。
西平、張掖、酒泉、武威、金城がそむく。地図を見ると、涼州のほとんどが、魏朝から離れたことが分かる。諸葛亮が、目をつけるわけだ。

将軍の郝昭と魏平は、これより先、金城郡をまもる。郝昭らも、西方の統治がうまくできずにいた。

小説で「金城をまもる湯池将軍」だと、ふざけられる話がある。
金城湯池とは、守備力が高い城を、象徴していう言葉。

蘇則と郝昭は、羌族のリーダーと、作戦をねった。
蘇則が、提案した。
「魏朝の大軍の到着を待ったら、タイミングを失う。魏朝の命令に叛いてでも、さっさと平定してしまうべきだ」

涼州の土地柄が、よく分かる。魏朝に、味方する人も敵対する人も、どちらも洛陽に伺いを立てている時間はない。独自に動くしかない。


於是昭等從之,乃發兵救武威,降其三種胡,與興擊進於張掖。演聞之,將步騎三千迎則,辭來助軍,而實欲為變。則誘與相見,因斬之,出以徇軍,其黨皆散走。則遂與諸軍圍張掖,破之,斬進及其支黨,眾皆降。演軍敗,華懼,出所執乞降,河西平。乃還金城。進封都亭侯,邑三百戶。

郝昭は、蘇則のアイディアに従った。
郝昭らは、武威郡を救った。三種の胡族を降した。叛いた3人を破った。黄河の西は、平定された。蘇則は、金城郡にかえった。

蘇則が、中央からの命令を待たずに、いち早く叛乱を鎮めた話。郝昭は、現地に赴任した将軍として、蘇則に協力をしている。


曹叡が継いだ直後、郝昭が麹英をやぶる

「魏志」明帝紀がいう。

太和元年春正月,西平麹英反,殺臨羌令、西都長,遣將軍郝昭、鹿磐討斬之。

太和元年(227年)1月、西平の麹英が、魏朝にそむいた。

曹操が死んで、麹演が叛く。曹丕が死んで、麹英が叛く。2人の麹氏の関係を、ぼくはつかんでいないが、同一の作戦で動いている。同族だろう。

麹英は、県の長官人を殺した。将軍の郝昭らが、麹英を斬った。

前回の220年は、3つの郡をまたがる叛乱になった。今回の227年は、県1つだけで鎮まった。魏朝が安定したのだろう。
小説は227年の後半から始まる。つまり、郝昭が2人の麹氏を攻めたところまで、回想の中でしか出てこない。


ここまでは、史料があまり面白くなかったですが(笑)
次回、小説の元ネタに迫ります。面白いです。