表紙 > 読書録 > 上谷浩一『三国志』研究ノート、2編を抜書き

02) 呂布叛逆考

上谷浩一氏が、勤務先の大学で講義した内容。
「なるほど、知らなかった!気づかなかった!」
という箇所を、メモりました。ほぼ、自分の復習用です。

今回の上谷氏の結論

呂布が裏切った原因は、長安遷都である。
董卓は本拠・涼州に近づき、呂布は本拠・并州から遠ざかった。
呂布は、自分が弱くなるのを嫌い、董卓を殺した。

呂布が、并州から兵士の供給を受けていたという話。しかしぼくは、呂布がそんな「経営」的なことをしていたとは思えない。1人で動く、護衛係ではないかなあ。


中国古代の本能寺の変

信長の死を、明智光秀の怨恨だと、単純化してはいけない。
信長は、足利幕府を倒した。幕府との仲介役・光秀の政治的立場が弱くなった。だから光秀は、信長を殺した。
光秀は、信長の旧臣(秀吉とか)に殺された。三日天下。

呂布も同じ構造。

董卓の死を、呂布の女性がらみの怨恨だと、単純化してはいけない。
洛陽の董卓は、涼州兵(チベット系)を使えない。霊帝のつくった「西園軍」を何進からうばい、兵力不足を補った。だが、なお足りない。

上谷氏の「西園軍」の論文、絶対に読まねば!

呂布は、丁原の主力だ。董卓は、并州軍(モンゴル系)を必要とした。だから董卓は、呂布を重んじた。
董卓は、長安に遷都した。涼州の兵を、供給しやすくなった。并州軍の政治的立場が弱くなった。だから呂布は、没落させられるのを嫌って、董卓を殺した。
呂布は、董卓の旧臣(李傕とか)に締め出された。三日天下。

読んだ感想

ぼくが思うに呂布は、丁原を殺した時点で、并州とのパイプが切れてしまったのだと思う。なぜなら呂布は、長安を追い出されたあと、并州に拠らないから。

明智光秀とは、ちょっと違うと思うのだが、、
ともあれ、上谷氏が「本気」を出された論文を読まない限り、なんとも言えません。近日、調達してきます。

このシリーズの3作目は「関羽の死」です。しかし、オンラインでは読むことができなかったので、また後日です。 100622