表紙 > 考察 > 袁術は、諸葛亮の生存&人格形成に濃厚に関わった

01) 諸葛亮の父は、諸葛玄である

諸葛亮の、父や叔父の史料を「網羅」し、
諸葛亮が高身長になる栄養は、袁術が与えたことをいいます。
諸葛亮の真っ赤な忠誠心は、袁術が参考になったことをいいます。

といっても、史料の分量が少なすぎて、さっぱり分からん。
はじめに、今日読み直した本をひき、史料読解の助けとします。

諸葛亮は、諸葛珪の子ではない

高島俊男『三国志 きらめく群像』
この本がいうには、
諸葛亮は、諸葛珪の子ではない。素性がわからない。
素性が分からないから、27歳まで就職できなかった。「劉備みたいな弱体ドサまわり集団に、就職するほかなかった」と。

「ドサまわり」ってなんだろう。知らん。。


諸葛氏には、名門のグループがあった。彼らは同世代で、いずれも名に王偏をつかった。泰山丞の諸葛珪や、孫権につかえた諸葛瑾や、『諸葛亮集』に魏の謁者僕射として載る諸葛璋たちだ。

高島氏がいう。
諸葛珪のあざなは、元の大徳年間の『三国志』だと、子貢だ。諸葛瑾のあざなは子瑜だ。諸葛珪と諸葛瑾は、あざなも揃う。同世代で間違いないと。
元本のミスかも知れない。ぼくは、よく分からない。

対して、諸葛玄、諸葛亮、諸葛均、は王偏がない。貧乏なグループだ。王偏の人たちと比べると、同じ諸葛氏でも、格下である。

諸葛亮は(グレードこそ違えど)諸葛珪、諸葛瑾、諸葛璋と同世代である。だから諸葛瑾は「諸葛亮の兄」とされる。ただし、高島氏がいうように、諸葛瑾と諸葛亮は、兄弟にしては「縁の薄そうなようす」だ。諸葛亮と諸葛瑾は、実の兄弟ではない。
混乱の原因は、伝記作者のミス。
諸葛亮の伝記をつくるとき、箔をつけるため、王偏のグループと諸葛亮を、接続したいと考えた。世代をまちがえて接続した。だから、諸葛珪と諸葛瑾が父子という、あり得ないことになってしまった。

親の偏や旁をおかさないのは、常識だ。


以上の高島氏の話をふまえると、ぼくは諸葛亮の父は、諸葛玄ではないかと思う。っていうか、ほかに候補者の名前を知らないだけだが。

小説が暴露した、諸葛亮の血筋

陳舜臣『諸葛孔明』で、諸葛玄は「父にひとしい叔父」と表現されている。まあ小説を根拠にしても仕方ないのだが、言いえて妙。

陳氏は通説どおり、諸葛亮は諸葛珪の子としています。

陳氏は、なるべく史料を踏み外さないように、小説をつくる。
諸葛玄は、まるで諸葛亮の実父のように、諸葛亮を養育した。だから、単なる叔父ではなくて、「父にひとしい叔父」と表現された。不自然で、どうも苦しいですね。

陳氏の小説で「父」諸葛珪は、ほぼ出てこない。「泰山丞が激務だから、家に帰れない」という理由である。諸葛珪が、諸葛亮とぜんぜん接点がない。陳氏がそれを不思議に思い、ムリに理由づけした感じだ。

ぼくは「諸葛玄は諸葛亮の父」と言ってしまったほうが、自然だと思います。陳氏は、期せずして、諸葛亮の実父を暴露した。

諸葛玄は、子なしの淋しい人と描かれる。そうじゃない。目の前にいる諸葛亮が、実子なのだ。伝記作者の都合で「離縁」させられたが。


諸葛瑾について。
諸葛瑾が、諸葛亮を助けてくれないのは、薄情すぎる。兄弟なら、助けろよ。理由なく、諸葛瑾が諸葛亮を放置するのは、どうも頂けない。

諸葛瑾は、篤実キャラとして、活躍してもらわねばならん。

だから陳氏は、諸葛亮にこう言わせた。
「私たち5人(諸葛瑾、諸葛亮ら兄弟)が、みな叔父上(諸葛玄)のお世話になるのは、ムリかとおもいます(経済的な事情で)。15歳以下の3人が、叔父上を頼ることにしましては?」
不自然で苦しいな。
諸葛亮の発案で、諸葛珪の子たちは、2つに分かれた。このときから、洛陽に遊学できる裕福な諸葛瑾と、食うや食わずの貧しい諸葛玄が、別の家のようになった。
諸葛瑾と諸葛玄は、もともと別の家だったと考えたほうが、自然だと思います。陳氏は、史料に矛盾しないように悩んで、「諸葛の家を分けましょう」という場面を創作した。

14歳の諸葛亮が決めたのも、不自然。でも、小説のご愛嬌。
諸葛家を分断して、貧乏というデメリットをこうむる方が、分断を言い出すべきだ。絵にならない。諸葛瑾が「では弟たちよ、さようなら」では、薄情になってしまう。


次のページで、史料を読みます

渡辺精一『諸葛孔明-影の旋律』にも、面白い指摘があった気がするので、内容を確認次第、加筆します。引越しのときに離れたところに置いてきてしまい、手元になし。次回、史料です。